[行政不服審査法15条・審理手続の承継]法理編 こはるノート
人が亡くなったからといって、その人が途中まで進めた法律手続まで、一緒に消えるとは限りません。
夕方の片桐行政書士事務所。
窓の外では、秋の空がだんだん薄紫に変わっていました。
机の上には、森下佳代さんからもらった生うどんの空き袋。
正確には。
私の机の横のごみ箱に、空き袋。
そして相馬先輩の机にも、空き袋。
「先輩」
「何だ」
「二人前食べました?」
「食った」
「私、一人前だったんですけど」
「そうか」
「そうか、じゃないですよ」
「早い者勝ちだ」
「それ、何法ですか」
「腹減った者法」
「法源が弱すぎる」
森下源蔵さんが亡くなり。
その娘、佳代さんが審査請求人の地位を引き継ぐことになった。
審査請求そのものが認められたわけではありません。
市の処分が取り消されたわけでもない。
ただ、
源蔵さんが始めた不服申立てが、
『本人死亡につき終了』
とはならず、
佳代さんへつながった。
今日は、その話を整理します。
私はノートの上に大きく書きました。
――手続の承継。
そして、その下に。
――昭和六十三年・旧行政不服審査法。
「まず」
私はペンを止めました。
「ここ、現代の受験生だと最初から引っかかりますね」
相馬先輩が新聞を畳みます。
「何に」
「条文番号です」
「またか」
「またです」
現代の行政不服審査法。
審理手続の承継は、第十五条。
でも。
昭和六十三年。
今、私たちが使っている旧行政不服審査法では、手続の承継は第三十七条。
「昨日、私、十五条って頭に浮かべました」
「間違えてたな」
「寸前で気づきました」
「間違えたのと同じだ」
「厳しい」
私はノートに書きます。
現代法。
第十五条――審理手続の承継。
旧法。
第三十七条――手続の承継。
「中身が似てても、条文番号は同じじゃない」
「当たり前だ」
「転生者には大問題なんですよ」
「普通の人間は転生しねえ」
正論が強い。
でも。
行政法の改正は、
名前だけ変わる。
仕組みだけ変わる。
条文の位置だけ変わる。
全部まとめて変わる。
いろいろあります。
現代の受験生が昭和六十三年へ放り込まれたら、
条文番号を記憶している人ほど事故ることがあります。
私は最初の見出しを書きました。
――審査請求人が死亡したら、どうなるか。
「先輩」
「何だ」
「森下さんが亡くなった瞬間、審査請求は消えましたか」
「消えてねえだろ」
「はい」
「だから佳代さんが引き継いだ」
「そこです」
私は大きく丸をつけました。
基本。
審査請求人が死亡したとき。
相続人その他、
法令によって審査請求の目的である処分に係る権利を承継した者は、
審査請求人の地位を承継する。
「つまり」
私は言いました。
「審査請求は、その人の感情そのものじゃない」
「どういう意味だ」
「たとえば」
源蔵さんが、
『役所の態度が気に入らない』
という気持ちだけを争っていたなら、
その怒りを誰かが相続する、という話ではありません。
そうではなく。
土地。
事業。
許可。
営業。
財産。
そうした法的な権利関係に結びついた処分について争っている。
その権利を相続人などが承継するなら。
争っている手続上の地位もつながる。
「だから」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「相続人なら誰でもいいわけではない」
「はい」
そこ。
大事です。
私はノートの端に、
× 娘だから当然。
× 法定相続人だから何でも当然。
と書きました。
見るのは、
審査請求の目的である処分に係る権利を、
誰が承継したのか。
「森下さんの件なら?」
所長が聞きました。
「源蔵さんが争っていた処分と、土地や製麺所の事業承継が結びついていました」
「うん」
「佳代さんがその事業を続け、関係する権利を承継する方向だった」
「だから」
「審査請求人の地位も承継する余地があった」
「そうだ」
昨日までだったら、
『死亡したときは相続人が承継する』
で丸暗記していたと思います。
でも今なら、
その前に一個入る。
本当にその人が、
処分に係る権利を引き継いだのか。
家族関係と法的地位は、
似ているようで別です。
「じゃあ」
相馬先輩が言いました。
「相続人が三人いたら、三人とも全部同じように審査請求人になるのか」
「場合によります」
「便利な答えだな」
「行政法の基本回答です」
「逃げんな」
「逃げてません!」
私は整理します。
承継される権利との関係。
相続の態様。
誰が何を承継したのか。
そこを確認する。
ただし。
複数人が審査請求人の地位を承継する場合には、
通知について特別な扱いがあります。
「それ、後でやります」
「順番か」
「はい」
次。
私は見出しを書きます。
――承継したら、役所へ届出。
「佳代さん、何しました?」
「書面で届け出た」
「はい」
地位を承継した。
そこで終わりではありません。
相続人その他の承継人は、
書面でその旨を審査庁へ届け出る。
そして。
その書面には、
死亡。
相続。
権利承継。
そうした事実を証明する書類を添付する。
「何でわざわざ」
相馬先輩が言います。
「電話一本じゃ駄目なんだ」
「本人確認みたいなものですよね」
「もっと正確に言え」
「……誰が本当に審査請求人の地位を承継したのかを、審査庁が確認するため」
「そうだ」
昨日の佳代さんは、
『娘です』
と言えば終わりではありませんでした。
戸籍。
相続関係。
土地や事業との関係。
そういうものを順番に整理する。
「ちょっと冷たいですよね」
私は言いました。
「父親が亡くなったばかりの人に、戸籍だ書類だって」
「冷たい」
所長が言います。
「だが必要だ」
「はい」
「誰でも『自分が承継人だ』と名乗れるほうが困る」
「ですよね」
法律は、
悲しんでいる人にだけ特別な顔をしてくれません。
その代わり、
悲しんでいるかどうかに関係なく、
条件を満たせば同じように扱う。
そういう冷たさです。
私はノートに書きました。
承継。
↓
書面で届出。
↓
承継の事実を証する書面を添付。
「試験なら」
私は言います。
「届出が必要かどうか、聞かれそう」
「承継したら勝手に審査庁が調べてくれる、は?」
「駄目」
「口頭で言えば十分、は?」
「駄目」
「電話したから終わり、は?」
「駄目」
「よし」
やっぱり先輩。
こういうときだけ受験予備校の講師みたいです。
「次」
私は昨日届いた県からの通知書を思い出しました。
源蔵さんは亡くなっていた。
でも県はその事実を把握しきれず、
源蔵さん宛てに通知を出してしまった。
その通知を、
佳代さんが受け取った。
「先輩」
「何だ」
「これ、宛名が死人だから全部無効です、ってなると思います?」
「ならなかったな」
「はい」
ここが面白い。
承継の届出がまだされていない間に、
死亡した旧審査請求人宛てに通知が出された。
でも。
その通知が、
実際に審査請求人の地位を承継した者へ到達した場合。
その通知は、
承継人に対する通知として効力を持つ。
「つまり」
相馬先輩が言います。
「森下源蔵様、って書いてあっても」
「佳代さんが受け取って」
「佳代さんが承継人だったら」
「その通知は佳代さんに対する通知として扱われる」
「そういうことか」
「はい」
私はノートに二重丸。
ここ、試験で出されたら地味に嫌です。
宛名だけ見ると、
『もう亡くなってるんだから駄目でしょう』
と言いたくなる。
でも違う。
法律は形式だけでなく、
実際に誰に到達したかを見る。
「昨日」
私は言いました。
「佳代さん、あの手紙を捨てなくて本当によかったですね」
「ああ」
「資料提出期限、入ってましたから」
「お前も承継の条文見つけて満足して、期限忘れかけてたけどな」
「そこは忘れてください」
「忘れねえ」
受験でも実務でも、
難しい論点に酔っていると締切に刺されます。
条文を知っている人が、
提出期限を過ぎる。
法律業界では笑えない冗談です。
次。
私はノートに書きました。
――承継人が二人以上いたら。
「ここです」
「何だ」
「通知」
審査請求人の地位を承継した相続人その他の者が二人以上いる場合。
そのうち一人に対する通知その他の行為は、
全員に対してされたものとみなされます。
相馬先輩が眉を上げました。
「一人に通知すれば全員?」
「はい」
「便利だな」
「役所側には」
「承継人側は?」
「注意しないと危ないです」
たとえば。
相続人三人が審査請求人の地位を承継している。
一人だけが県から通知を受け取る。
残り二人が、
『俺は聞いてない』
『私は知らない』
と言っても、
原則として通知の効力は全員に及ぶ。
「つまり」
私は言いました。
「相続人同士で連絡を取ってませんでした、では危険」
「役所は家族会議の仲介までしねえからな」
「そういうことです」
実務では、
誰が書類を受け取ったか。
誰が他の承継人へ伝えるか。
窓口をどうするか。
最初に決めておいたほうがいい。
「ここ」
私はノートに書き足しました。
一人への通知 = 全員への通知とみなす。
「試験で」
相馬先輩が言います。
「全員それぞれに通知しなければ効力がない、って出たら?」
「誤り」
「よし」
「ただ、旧法と現代法の条文配置は混ぜない」
「しつこいな」
「私が一番危ないんです」
現代十五条。
昭和六十三年旧法三十七条。
脳内で二人の法律が殴り合っています。
次。
私はノートのページをめくりました。
――法人の場合。
「森下さんは個人でした」
「ああ」
「でも承継は死亡だけじゃありません」
審査請求人が法人。
その法人が合併した。
あるいは分割した。
その場合も、
処分に係る権利を承継する法人へ、
審査請求人の地位がつながる。
「会社は死なないけど」
相馬先輩が言います。
「合併で消えることはある」
「はい」
「分割で権利が別会社へ移ることもある」
「そうです」
つまり。
人間なら死亡と相続。
法人なら合併や分割。
形は違う。
でも考え方は同じ。
審査請求の対象になっている処分と結びついた権利が、
誰へ移ったのか。
そこを見る。
「で」
片桐所長が言いました。
「届出は」
「必要です」
「証明書類は」
「必要です」
「通知は」
「届出前でも、旧法人宛ての通知が承継法人へ到達すれば、承継法人への通知として効力を持つ」
「よし」
私は小さく拳を握りました。
相馬先輩が呆れます。
「何でそんな嬉しそうなんだ」
「行政法が分かると嬉しいんです」
「重症だな」
「受験生としては健康です」
そして。
今日一番ややこしいところ。
私は大きく書きました。
――権利を譲り受けた人。
「これ」
私は言いました。
「相続や合併とは扱いが違います」
「どう違う」
「自動じゃない」
たとえば。
ある土地について開発許可を申請した。
不許可。
そこで審査請求した。
その後、
その土地や開発に関する権利を別の人へ譲った。
「テキストでよく出るやつですね」
「テキスト?」
「いえ、こっちの話です」
危ない。
私は続けます。
「この場合、譲受人が勝手に審査請求人へ入れ替わるわけじゃありません」
「じゃあどうする」
「審査庁の許可を得る」
「届出じゃないのか」
「そこです」
私は赤線。
死亡・相続。
一定の場合、審査請求人の地位を承継する。
そして届出。
合併・分割。
一定の場合、地位を承継する。
そして届出。
でも。
処分に係る権利を譲り受けた者。
審査庁の許可を得て、
審査請求人の地位を承継することができる。
「自動承継じゃない」
「そうです」
「許可が要る」
「はい」
「ここ試験に出そうだな」
「私もそう思います」
届出。
許可。
この二つを入れ替える。
行政書士試験が大好きそうな罠です。
「じゃあ問題」
相馬先輩が煙草を指で回しました。
「審査請求人が死亡した。相続人は、審査庁の許可を得なければ地位を承継できない」
「誤り」
「理由」
「法律上の承継要件を満たせば地位を承継する。必要なのは承継した旨の届出」
「次」
「どうぞ」
「審査請求の目的である処分に係る権利を他人へ売った。譲受人は届出だけで当然に審査請求人になる」
「誤り」
「理由」
「譲受人は、審査庁の許可を得て地位を承継できる」
「よし」
気持ちいい。
こういう、
似ている二つを一本線で切り分ける瞬間。
行政法の面白いところです。
「でも」
私は少し考えました。
「何で譲渡の場合は許可なんでしょう」
「考えてみろ」
所長が言います。
相続。
死亡によって法定の承継が起こる。
合併。
組織再編によって法的な承継が起こる。
でも。
譲渡。
当事者同士が権利を移した。
そのことだけで、
行政上の争訟手続の当事者まで自由に入れ替えていいのか。
「だから審査庁が確認する?」
「そうだ」
「この人に審査請求人の地位を移していいか」
「うん」
「処分に係る権利を本当に譲り受けたのか」
「うん」
「手続とのつながりを確認したうえで許可する」
「そう考えれば分かりやすい」
なるほど。
ただ暗記するより、
なぜ届出で、
なぜ許可か。
そこまで考えると忘れにくい。
私はページの真ん中に表っぽく整理しました。
死亡・相続。 → 法律上、地位を承継。
→ 審査庁へ届出。
合併・分割。→ 権利を承継した法人が地位を承継。
→ 審査庁へ届出。
権利の譲渡。 → 審査庁の許可を得て承継。
「試験対策としては」
私は言いました。
「ここだけでもかなり取れますね」
「出ればな」
「出題頻度低いんですよ」
「じゃあ覚えなくていいな」
「そういうこと言うから落とすんです!」
「俺は受けねえ」
「強い」
でも。
出題頻度が低い条文ほど、
出たときに差がつきます。
内容は難しくない。
なのに、
見覚えがないだけで捨ててしまう。
もったいない。
「手続承継って」
私は言いました。
「名前だけ見ると地味ですよね」
「ああ」
「でも現場で見ると全然地味じゃない」
源蔵さんが亡くなった。
そのとき。
佳代さんにとって大事だったのは、
行政法の美しい体系ではありません。
『父が始めた手続はどうなるんですか』
それだけ。
そこで法律が、
『終了』
ではなく、
『一定の者が引き継ぐ』
と言っている。
その差は大きい。
「人が死んでも行政処分は残りますもんね」
私は言いました。
「そうだ」
「土地も残る」
「ああ」
「店も残る」
「そうだ」
「だったら、その処分について争っていた手続だけが当然に消えるのは不自然」
「だから承継がある」
所長の一言で、全部まとまりました。
私は次に大きく書きます。
――手続承継は、争いを長引かせる制度ではない。
「これも大事かも」
相馬先輩がこちらを見ます。
「何だ」
「行政不服審査って、ときどき『いつまでも役所に文句を言う仕組み』みたいに見えるでしょう」
「見る奴はいるだろうな」
「でも承継って、むしろその逆でもあります」
途中で当事者が死亡した。
法人が合併した。
権利が移転した。
そのたびに、
一から申請。
一から処分。
一から不服申立て。
と全部やり直していたら、
そっちのほうがよほど非効率です。
「つまり」
私はノートに書きます。
承継。 = それまで積み上げた審理を無駄にせず、正しい承継人へ手続をつなぐ。
「行政の側にも意味がある」
「そうだ」
所長が言います。
「権利救済だけじゃない」
「行政運営の効率にもつながる」
「うん」
ここでまた。
行政不服審査法の目的が顔を出す。
国民の権利利益の救済。
行政の適正な運営。
人が変わるたび全部ゼロに戻すより、
法的な関係が続くなら、
手続もきちんと続ける。
合理的です。
「で」
相馬先輩が言いました。
「未来ではどうなってる」
「来ましたね」
「お前が言いたそうだから聞いただけだ」
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
私はノートの端に、
――現代法。
と書きました。
現在の行政不服審査法でも、
審理手続の承継という制度はあります。
内容の基本骨格も似ています。
審査請求人が死亡した場合。
法人の合併・分割。
権利譲渡の場合。
それぞれ承継の仕組みがある。
「じゃあここは、大改正でも全部消えなかったんだな」
「はい」
「異議申立ては消えたのに」
「そこが面白いところです」
平成二十六年の全面改正で。
旧法の大きな問題だった、
異議申立てと審査請求の複雑な二本立ては整理された。
原則、審査請求へ一本化。
審理員制度も導入された。
でも。
人が死亡する。
法人が合併する。
権利が移転する。
そういう現実そのものは、
制度改正では消えません。
「だから承継制度自体は必要」
「そういうことです」
制度の骨組みを大きく変えても、
現場で必要な仕組みは残る。
ただし。
条文番号も、
周辺制度も、
言葉の置かれている場所も変わる。
「そこで未来人が十五条って叫ぶ」
「叫んでません」
「ほぼ叫んでた」
「心の中です!」
でも。
ここで新旧を比べると、
むしろ現代法の構造が分かりやすくなります。
旧法。
不服申立てには、
審査請求。
異議申立て。
という大きな二本立てがあった。
現代法。
原則、審査請求へ一本化。
その審査請求手続の中に、
審理員。
行政不服審査会等への諮問。
といった公正さを高める仕組みが組み込まれている。
「でも」
私は言います。
「承継の本質は変わらない」
「当事者が変わったら、法的地位をどうつなぐか」
「はい」
「そこは昔も今も要る」
「そうです」
行政法は、
全部が全部、古い制度を捨てて新しくしたわけではない。
課題があった部分は直す。
必要な仕組みは残す。
その積み重ねです。
「旧法の課題って」
私はペンを回しながら言いました。
「手続承継そのものより、もっと大きな全体構造のほうなんですよね」
「異議申立てか」
「はい」
旧法では。
処分庁自身へ異議申立て。
上級行政庁へ審査請求。
そうした仕組みが併存していた。
申立先も分かりにくい。
手続の種類も分かりにくい。
さらに。
処分した行政庁自身が見直す形では、
公正さへの疑念も出る。
「そこで現代は」
「原則として審査請求に一本化」
「審理員」
「原処分に関与していない職員が審理を担当する仕組み」
「行政不服審査会」
「第三者機関への諮問制度」
「期間は」
「現代は原則三か月。昭和六十三年の旧法では原則六十日」
「よし」
私はため息をつきました。
「先輩、急に試験官みたいですね」
「お前が間違えるからだ」
「否定できません」
この時代錯誤。
たぶん私にとっては弱点でもあり、
武器でもあります。
旧法だけを知っている人は、
旧法を当たり前として使う。
現代法だけを知っている私は、
何が消えたのか。
何が残ったのか。
何が新しく入ったのか。
そこに違和感を持てる。
そして。
違和感があるから、
制度改正の理由が見える。
なぜ審査請求へ一本化されたのか。
なぜ審理員が必要になったのか。
なぜ第三者機関への諮問が用意されたのか。
昔の制度の中へ入ってみると、
教科書の「改正趣旨」が、
急に生活の話になります。
「今日のまとめ」
私はノートの最後に線を引きました。
一。
審査請求人が死亡しても、
処分に係る権利を承継した者は、
審査請求人の地位を承継する。
二。
承継したら、
書面で審査庁へ届出。
死亡・相続・合併・分割など、
承継事実を証明する書面も必要。
三。
届出前でも、
死亡者など旧審査請求人宛ての通知が、
実際に承継人へ到達すれば、
承継人への通知として効力を持つ。
四。
承継人が複数なら、
一人への通知等で、
全員に対してされたものとみなされる。
五。
法人の合併・分割でも、
処分に係る権利を承継した法人へ地位がつながる。
六。
単なる権利譲渡の場合は、
審査庁の許可を得て、
審査請求人の地位を承継する。
「多いな」
相馬先輩が言います。
「条文一個ですよ」
「一個でそれか」
「行政法ですから」
「便利な言葉だな、それ」
私はさらに、
試験注意。
と書きました。
死亡・合併等。
→ 届出。
権利譲渡。
→ 許可。
「ここは絶対混ぜない」
「ああ」
「あと、一人への通知は全員への通知」
「ああ」
「届出前の旧名義人宛て通知も、承継人へ届けば効力あり」
「ああ」
「そして昭和六十三年は――」
「第三十七条」
「はい!」
「未来は?」
「第十五条」
「よし」
私はちょっと感動しました。
「先輩、覚えてるじゃないですか」
「お前が朝からうるせえからだ」
「教育成功」
「殴るぞ」
私はノートを取り上げました。
「最後。一行の覚え書きです」
「また長くするなよ」
「考えます」
死亡。
相続。
承継。
届出。
通知。
譲渡なら許可。
全部入れると、
一行どころか六法になります。
少し考えて。
私は書きました。
――人が変わっても権利が続くなら、不服申立ての地位もつなぐ。
相馬先輩が覗き込みます。
「悪くない」
「お」
「ただ、譲渡は勝手につなぐな」
「あ」
私は下に小さく書き足しました。
――ただし、権利譲渡は審査庁の許可。
「二行になったぞ」
「試験では例外が命です」
「一行の覚え書きじゃなかったのか」
「では最終版」
私はもう一度書きます。
――相続は届出、譲渡は許可。権利が続けば、争う地位もつながる。
「それだな」
「採用」
私は四角で囲みました。
ちょうどそのとき。
事務所の電話が鳴りました。
「はい、片桐行政書士事務所です」
『森下です』
「佳代さん」
『この前はありがとうございました』
「いえ。どうしました?」
『今日、父のノートを整理してたんです』
「はい」
『最後のほうに、変なことが書いてあって』
「何です?」
少し間があって。
『「うどんを片桐先生にも食わせろ。相馬には二玉」って』
私は無言で相馬先輩を見ました。
「……先輩」
「何だ」
「二玉、正式な承継だったみたいです」
「ほら見ろ」
「私の一玉は?」
電話の向こうで佳代さんが笑いました。
『次、三玉持っていきます』
「ありがとうございます!」
「おい」
相馬先輩が割り込みます。
「俺の分も忘れないでくれ」
「そこはしっかり主張するんですね」
「既得権だ」
「ただの食欲です」
電話を切る。
事務所が少し静かになりました。
源蔵さんは、もういません。
でも。
ノートは残った。
店は残った。
うどんの配合は残った。
土地も残った。
処分も残った。
そして。
審査請求も残った。
法律は、
人の死をなかったことにはしません。
悲しみを消しもしない。
ただ、
亡くなった瞬間に何もかもを切断するのではなく、
法的に引き継げるものには、
次の人へ渡す橋を架ける。
手続の承継。
名前だけなら、
行政書士試験でも後回しにされそうな小さな条文です。
けれど。
昨日の佳代さんにとっては、
その小さな条文が、
『お父さんが亡くなったので終わりです』
と、
『あなたが続きを受け取れます』
を分けました。
たったそれだけ。
でも。
法律は、ときどき、
その「たったそれだけ」を守るためにあります。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「はい」
「明日、森下さんの記録をもう一度確認する」
「審査請求の?」
「そうだ」
「承継は済みましたもんね」
「ああ」
「次は中身ですね」
「そういうことだ」
私はノートを閉じました。
承継は勝利じゃない。
入口を閉じさせなかっただけ。
でも。
入口が残れば、
まだ争える。
まだ説明を求められる。
まだ処分を見直してもらえる。
人が変わっても。
権利が続くなら。
手続も続く。
それが今日、
教科書の文字ではなく、
森下家の店から届いた一玉のうどんみたいに、
妙に具体的な重さを持って、
私の中へ落ちてきました。
「先輩」
「何だ」
「明日のお昼、うどんにします?」
「もうねえぞ」
「え?」
「食った」
「残りを?」
「ああ」
「いつ!」
「お前がノート書いてる間」
「それ私の承継分でしょう!」
「審査庁の許可は?」
「食べる前に聞いてください!」
「不許可」
「処分が後付け!」
片桐所長がぼそりと言いました。
「異議申立てするか」
私は反射的に言い返しました。
「この時代なら場合によります!」
相馬先輩が吹き出しました。
「少しは学んだな」
「誰のせいですか!」
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
行政不服審査法の手続承継より先に、
うちでは食べ物の承継ルールを整備する必要がありそうです。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




