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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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[行政不服審査法15条・審理手続の承継]現場編 「本人が亡くなったので、この申立ては終わりです」の嘘。消える命と、相続人へつながる不服申立ての地位

挿絵(By みてみん)

 人が亡くなると、止まるものがあります。


 給与。


 契約。


 予約。


 約束。


 でも。


 役所と争っている途中で亡くなったからといって、


 その人が積み上げてきた手続まで、全部そこで消えるとは限りません。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 その日の朝、私は一通の封筒を前にして、湯呑みを持ったまま固まっていました。


「先輩」


「何だ」


「役所から亡くなった人に手紙が来たら、どうします?」


「怖い話なら帰れ」


「怪談じゃありません」


「朝から面倒くせえ聞き方すんな」


 相馬先輩は新聞をめくりました。


 私は封筒を裏返します。


 差出人。


 県庁。


 宛名。


 森下源蔵様。


 問題は。


「その森下源蔵さん、先週亡くなってるんです」


 新聞が止まりました。


「……誰から預かった」


「娘さんです」


 事務所の応接椅子には、四十歳くらいの女性が座っていました。


 森下佳代さん。


 膝の上には、古びた風呂敷包み。


「すみません。父のことで、何が何だか分からなくて」


 佳代さんはそう言って頭を下げました。


 お父さんの源蔵さんは、この町で小さな製麺所を営んでいました。


 駅から少し離れた旧街道沿い。


 木造の店舗兼作業場。


 朝四時からうどんを打つ。


 近所の食堂や旅館へ卸す。


 店先では乾麺も売る。


 四十年以上続いた店です。


 ところが去年。


 裏手の作業場を建て替えようとして、市へ必要な申請をした。


 そこで処分を受けた。


 計画は認められない。


 源蔵さんは納得しなかった。


 役所とのやり取りを重ね、それでも処分は変わらず。


 最終的に県へ審査請求を出した。


 そこまでは良かった。


 いや、良くはないけど。


 少なくとも制度上の道には乗った。


 問題は、そのあとです。


「父、倒れまして」


 佳代さんが言いました。


「入院して、一週間で」


「そうでしたか」


「心臓でした」


 私は黙って頭を下げました。


 源蔵さんが亡くなったのは七日前。


 佳代さんと弟さんが相続人。


 製麺所は佳代さんが継ぐ予定だそうです。


 土地も建物も、遺産分割の話し合いでは佳代さんが取得する方向になっている。


「父が最後まで気にしていたんです」


 佳代さんが風呂敷をほどきました。


 中から出てきたのは、分厚いファイルでした。


 申請書。


 図面。


 処分通知。


 審査請求書の控え。


 役所との往復文書。


 何枚ものメモ。


 そして。


 一番上に、小さな大学ノート。


 表紙に鉛筆で、


『工場建替え』


 とだけ書かれていました。


「病院でも、これを持っていけって」


「これを?」


「はい。『佳代に渡せ』って」


 私はノートを開きませんでした。


 勝手に見るものじゃない。


 でも。


 その角が何度もめくられて丸くなっているのは分かりました。


「県には、お父さまが亡くなったことを伝えました?」


「電話しました」


「何て?」


 佳代さんの顔が曇ります。


「それが……」


 少し迷ってから、言いました。


「『ご本人がお亡くなりになったなら、審査請求はもう続けられないんじゃないでしょうか』って」


「誰が?」


 相馬先輩の声が変わりました。


「県の人です」


「言い切ったのか」


「いえ。担当の方もよく分からないみたいで」


 佳代さんは慌てて付け足しました。


「『確認します』とは言ってくれました。でも、父がした審査請求なんだから、父がいなくなったら終わりじゃないかって」


 なるほど。


 断定ではない。


 役所も迷っている。


 だから余計に怖い。


 人は、


「たぶん駄目です」


 と言われると、


「法律で駄目です」


 と言われた気になってしまいます。


「それで、この手紙が?」


「はい」


 私は封筒から書面を出しました。


 審査請求に関する資料提出の案内。


 宛名は、亡くなった源蔵さんのまま。


 発送日は死後。


「郵便屋さんが持ってきて、私が受け取りました」


「中身は読みました?」


「はい」


「なるほど」


 私の頭の中で、一つの言葉が点滅しました。


 承継。


 審理手続の承継。


 現代の行政不服審査法なら、第十五条。


 審査請求人が死亡したとき。


 相続人その他、法令によって審査請求の目的である処分に係る権利を承継した者は――。


 そこまで考えて、


 私は止まりました。


 待て。


 昭和六十三年。


 まただ。


「……十五条じゃない」


「何がだ」


 相馬先輩が新聞の陰から言いました。


「いえ、こっちの話です」


「また未来の法律で仕事しようとしてんのか」


「してません。寸前で止まりました」


「してんじゃねえか」


 ぐう。


 この時代の行政不服審査法では、条文の並びが違います。


 私は書棚へ飛びました。


 旧行政不服審査法。


 ぺらぺら。


 十四条。


 審査請求期間。


 十五条。


 審査請求書の記載事項。


「ほら!」


「何がほらだ」


「十五条じゃない!」


「誰も十五条だなんて言ってねえ」


 完全に一人相撲です。


 さらにページをめくります。


 そして。


 見つけました。


「……三十七条」


 小さく呟く。


 そこにありました。


 手続の承継。


 審査請求人が死亡したとき。


 相続人その他法令により、審査請求の目的である処分に係る権利を承継した者は、


 審査請求人の地位を承継する。


「先輩」


「あったか」


「あります」


「なら騒ぐな」


「大発見した感じだったのに」


「法律事務所で条文見つけただけだろ」


 夢がない。


 でも。


 今はその一条が、とても大きく見えました。


 本人が亡くなった。


 だから審査請求も死ぬ。


 そうとは限らない。


 審査請求の目的になっている処分に係る権利を相続した者なら、


 審査請求人の地位そのものを承継できる。


 いや。


 条文はもっと強い。


 条件を満たせば、


 承継する。


「佳代さん」


「はい」


「お父さまが亡くなっただけで、審査請求が当然に全部終わるわけではありません」


「え?」


 佳代さんが顔を上げました。


「続けられるんですか」


「まず、何を相続するのかを確認する必要があります」


 片桐所長の声でした。


 いつの間にか、奥の机からこちらを見ています。


「土地は?」


「私が継ぐ予定です」


「製麺所も?」


「はい」


「弟さんは異論ないか」


「ありません。弟は東京にいますし、店は昔から私が手伝っています」


「まだ遺産分割は済んでいないな」


「はい」


 所長は頷きました。


「なら、そこから整理する」


 やっぱり所長です。


 私の頭の中では、


 承継!


 条文発見!


 続行可能!


 と花火が上がっていたのに。


 実務は花火より先に戸籍と相続関係です。


「こはる」


「はい」


「誰が相続人か」


「確認します」


「何が承継されるのか」


「確認します」


「審査請求の目的になっている処分に係る権利と結びつくか」


「確認します」


「そこまでやってから県へ行く」


「はい」


 相馬先輩が立ち上がりました。


「戸籍も要るな」


「そうですね」


「死亡の事実だけ伝えて、『娘です』で終わる話じゃねえ」


「届出ですね」


「ああ」


 私は旧法の条文をもう一度見ます。


 審査請求人の地位を承継した者は、


 書面で、その旨を審査庁へ届け出る。


 その際、


 死亡や権利承継の事実を証する書面を添付する。


 なるほど。


 法律は、


『お父さんが死んだので娘さんが代わりです』


 みたいな家族ドラマだけでは進みません。


 死亡。


 相続。


 承継される権利。


 届出。


 証明書類。


 一個ずつ。


 冷たいほど順番に並べる。


 でも。


 だからこそ、


「あなた、本当に娘さんですか」


 とか、


「ほかに相続人はいませんか」


 とか、


 役所側の気分で手続を止められない。


 血縁の悲しさを、


 法的な地位へ翻訳する。


 それが承継なのかもしれません。


 午後。


 私たちは県庁へ向かいました。


 市役所ではありません。


 今回は、市の処分について上級行政庁側へ審査請求がされている案件。


 旧法の審査請求。


 つまり。


 現代の癖で何でも一つの「審査請求」にまとめて考えると危ないところです。


 昭和六十三年には、


 審査請求と異議申立てが別に生きている。


 そして今扱っているのは、審査請求。


 私は歩きながら何度も頭の中で唱えました。


 三か月じゃない。


 六十日。


 審理員はいない。


 行政不服審査会もない。


 三十七条。


 三十七条。


「お前」


 相馬先輩が言いました。


「さっきから何ぶつぶつ言ってんだ」


「時代に適応しています」


「もっと自然に適応しろ」


 無茶を言います。


 県庁の担当課。


 そして。


 なぜかそこにいたのは、


「また朝比奈さんですか」


「なんで沢渡課長がいるんですか」


 市役所の沢渡課長でした。


 灰色の背広。


 細い眼鏡。


 今日も感情を庁内規程の別冊に綴じ込んできたような顔です。


「処分庁側の資料説明で来ています」


 県の担当者は、五十代くらいの男性でした。


 机には源蔵さんの審査請求関係書類が積まれています。


「森下さんがお亡くなりになったことは伺っています」


 担当者が言いました。


「ただ、今後の扱いを確認しているところでして」


「審査請求を終了する、と聞きました」


 相馬先輩が言います。


「終了するとまでは言っていません」


「じゃあ続けるのか」


「承継できるかを確認してからです」


 思ったよりまともでした。


 私はちょっとだけ肩透かしを食らいます。


 悪代官みたいな役人が、


『本人が死んだ! はい終了!』


 と高笑いしてくれたほうが、分かりやすい。


 でも、現実はそうではない。


 みんな、


 分からないから止まる。


 前例を探す。


 確認する。


 責任を取りたくないから慎重になる。


 制度の壁というのは、


 悪意より、こういうところにできるのかもしれません。


「確認するなら」


 片桐所長が静かに言いました。


「三十七条を見てください」


 担当者が顔を上げました。


「三十七条?」


「手続の承継です」


 書棚から法令集が出されました。


 ページがめくられる。


 一行。


 二行。


 部屋が静かになります。


「……なるほど」


 担当者が言いました。


「相続人その他、法令により審査請求の目的である処分に係る権利を承継した者は、審査請求人の地位を承継する」


「はい」


「今回は、お嬢さんが土地と事業を承継する予定、と」


「正確な相続関係を整理したうえで、届出を出します」


「そういうことですね」


 あっさり。


 本当にあっさりです。


 私は少し拍子抜けしました。


 でも。


 沢渡課長が口を開きました。


「ただし」


 来た。


 この人の『ただし』は、行政法でいう例外規定くらい油断できません。


「相続人なら誰でも当然に、この審査請求を引き継げる、と雑に処理するのは違いますね」


「はい」


「問題になるのは」


「審査請求の目的である処分に係る権利を承継したかどうか」


 私が答えました。


 沢渡課長がこちらを見る。


「そのとおりです」


 ちょっと嬉しい。


「単に娘だから、ではない」


「はい」


「単に法定相続人だから、でもない」


「はい」


「この処分との関係で、問題になっている権利を承継した者なのか」


「そこを見る」


「そうです」


 佳代さんが不安そうに私を見ました。


「私、駄目なんでしょうか」


「今の時点で駄目とは言ってません」


 私は答えます。


「むしろ、その確認をちゃんとするために来ています」


 片桐所長が資料を一枚出しました。


 土地の登記事項。


 相続関係を示す戸籍。


 事業承継について弟さんと確認した内容。


 ほかにも必要なものを揃えたうえで、


 書面で届け出る予定だと説明します。


 県の担当者が頷きました。


「書類が整えば、手続は続けられる方向で検討します」


 佳代さんが息を吐きました。


「じゃあ、最初からやり直さなくていいんですか」


「少なくとも、審査請求を最初から出し直せ、という話ではありません」


 担当者が答えました。


 その言葉で。


 佳代さんの肩から、何かが落ちたように見えました。


「よかった……」


 小さな声でした。


「父、ずっとやってきたから」


 それだけ。


 でも十分でした。


 人が亡くなった直後です。


 葬式。


 香典。


 銀行。


 保険。


 戸籍。


 相続。


 店。


 従業員。


 仕入先。


 そのうえ、


『役所との争いは最初からやり直してください』


 なんて言われたら、


 たぶん心が折れます。


 法律は冷たい。


 亡くなった悲しみに、


 お悔やみの一文も書いてありません。


 ただ。


 相続人その他、権利を承継した者は、


 審査請求人の地位を承継する。


 とだけ書いてある。


 その冷たい一文が、


 今日はありがたかった。


「もう一つ」


 私は言いました。


「先日、亡くなった森下さん宛てに資料提出の案内を発送されていますよね」


「ああ」


 担当者が書類を確認しました。


「行き違いです」


「佳代さんが受け取っています」


「そうですか」


 私の頭の中で、また条文が起き上がります。


 届出前。


 死亡した審査請求人宛てにされた通知。


 それが地位を承継した者に到達した場合。


「これも」


 私は法令集を見ました。


「届出がまだだから無効、って単純にはならないですよね」


 担当者が少し目を細めました。


 条文を確認する。


 沢渡課長も横から覗く。


「第四項ですね」


「はい」


 届出がされるまでの間に、


 死亡者宛てにされた通知その他の行為が、


 承継した者へ到達したとき。


 その者に対する通知等として効力を持つ。


「じゃあ」


 佳代さんが言いました。


「父宛てだったけど、私が受け取ったあの手紙は」


「捨てちゃ駄目です」


 私は即答しました。


「捨てません」


「むしろ大事にしてください」


「分かりました」


 相馬先輩が横から口を挟みます。


「で、その提出期限は?」


「あ」


 私は書面を見る。


 来週。


「危なっ」


「承継の話だけで満足すんな」


「はい」


 法律問題あるあるです。


 難しい論点を見つけると、


 目の前の締切を忘れる。


 試験なら一点落とすだけ。


 実務なら人が泣きます。


 県の担当者が言いました。


「承継届については、必要書類を確認してこちらからも案内します」


「お願いします」


「資料提出期限も、事情がありますから少し調整しましょう」


「ありがとうございます」


 佳代さんが深く頭を下げました。


 そのとき。


 沢渡課長が私を見ました。


「朝比奈さん」


「何です?」


「さっき、十五条じゃない、と言っていましたね」


 聞かれていた。


「……空耳じゃないですか」


「三十七条、とも」


「役所の人って耳いいですね」


「何の十五条と間違えたんです?」


 相馬先輩が盛大に咳払いしました。


「余計なこと言うな」


 沢渡課長は眼鏡を上げました。


「少なくとも行政不服審査法の十五条は、審査請求書の記載事項です」


「知ってます!」


「では間違えないように」


「はい……」


 悔しい。


 令和の受験生知識が、


 昭和の役所で逆に弱点になります。


 現代なら十五条。


 昭和六十三年なら三十七条。


 中身が似ていても、


 条文番号まで同じとは限らない。


 法改正。


 転生者に容赦なし。


 その日の夕方。


 事務所へ戻ると、


 私たちは承継のための書類を整理しました。


「佳代さん」


 相馬先輩が言います。


「弟さんにも連絡取れますね」


「はい」


「相続人が複数いるなら、その関係もきちんと出してください」


「分かりました」


「面倒ですけど」


 私は付け加えました。


「曖昧なまま進めるより、最初に整理したほうがいいです」


「はい」


 佳代さんは頷きました。


「父だったら怒ったでしょうね」


「何て?」


「『役所は紙ばっかりだ』って」


 相馬先輩が鼻で笑います。


「言いそうだな」


「でも」


 佳代さんは、風呂敷の中の大学ノートを見ました。


「父も紙ばっかり残してますけどね」


 みんな少し笑いました。


「見てもいいですか」


 私が聞くと、


「どうぞ」


 佳代さんがノートを差し出しました。


 開く。


 中身は、驚くほど几帳面でした。


 役所へ行った日。


 担当者の名前。


 言われたこと。


 提出した書類。


 電話した時刻。


 審査請求を出した日。


 最後のページ近くには、


『佳代へ。店をやるなら裏を直せ。雨が入る』


 とありました。


 私はそこでページを閉じました。


「……これ」


「はい」


「お父さん、最後まで店のこと考えてたんですね」


「馬鹿なんですよ」


 佳代さんが笑います。


 目は少し赤かった。


「病院でも麺の太さの話してましたから」


「職人ですね」


「頑固なだけです」


 その翌々日。


 必要な書類を揃え、


 審査請求人の地位を承継した旨の届出を出しました。


 県から確認の連絡が来たのは、その日の午後でした。


 相馬先輩が電話を取ります。


「はい。……森下さんの件。……ああ」


 私は机の向こうから顔だけ出しました。


「どうです?」


 相馬先輩が手で黙れと合図します。


「……分かった。じゃあ、そのまま審理を続けてくれ」


 電話を切る。


「先輩」


「続行」


「本当ですか!」


「声でけえ」


「でも!」


「森下佳代さんが承継人として手続に入る」


 私は椅子から半分立ちました。


「最初からやり直しじゃない」


「ああ」


「お父さんの審査請求が、そのままつながる」


「『そのまま』って言い方は雑だ。地位を承継したんだ」


「細かい!」


「行政法だぞ」


「反論できない!」


 片桐所長が帳簿から顔を上げます。


「喜ぶのはまだ早い」


「はい」


「承継しただけだ」


「……そうですね」


 審査請求に勝ったわけじゃない。


 元の処分が取り消されたわけでもない。


 作業場を建て替えられると決まったわけでもない。


 ただ。


 審査請求が終わらなかった。


 それだけです。


 でも。


 今日は、その「だけ」が大きい。


 源蔵さんが亡くなったことで、


 積み上げてきた手続まで墓場へ持っていかれずに済んだ。


 佳代さんが、


 続きを受け取った。


 午後四時。


 佳代さんが事務所へ来ました。


 結果を伝えると、


「そうですか」


 と言って、


 しばらく黙っていました。


 もっと喜ぶかと思いました。


 でも。


 彼女は風呂敷から、小さな紙袋を出しました。


「これ、皆さんで」


「何です?」


「うどんです」


 相馬先輩が反応しました。


「生麺?」


「はい」


「おお」


「先輩、花のときと反応が違いすぎません?」


「食えるからな」


「最低基準が一貫してる」


 佳代さんが笑います。


「父の配合です」


 私は紙袋を見ました。


「佳代さんが打ったんですか」


「はい」


「もう店に?」


「昨日から」


「早いですね」


「休んでたら、父に怒られそうで」


 それから、少し照れたように言いました。


「審査請求も、途中でやめたら怒られそうです」


 片桐所長が頷きました。


「なら続ければいい」


「勝てますか」


 所長はすぐには答えません。


「分からない」


 いつもの答え。


 でも。


「ただ、争う道は残った」


 佳代さんは頷きました。


「それで十分です」


 前にも聞いたような言葉です。


 十分。


 本当は十分じゃない。


 処分が覆るかは分からない。


 作業場の建替えができるかも分からない。


 相続の手続だってまだ残っている。


 でも、


『本人が亡くなったから終わり』


 で切られなかった。


 源蔵さんの名前で始まった審査請求が、


 佳代さんの手へ渡った。


 法律上の地位という言葉は、


 ひどく無機質です。


 承継。


 届出。


 到達。


 通知。


 相続人。


 どれも葬式には似合いません。


 だけど。


 人が亡くなったときこそ、


 感情だけでは整理できないものが山ほど残ります。


 土地。


 店。


 借金。


 権利。


 義務。


 そして。


 争いかけたままの行政処分。


 法律は、


 亡くなった人を戻してはくれません。


 けれど。


 その人が持っていた法的な立場まで、


 何でも一緒に消してしまうわけではない。


 誰が受け取るのか。


 何を受け取るのか。


 どうやって役所へ知らせるのか。


 そこを決めておく。


 冷たい仕組みです。


 でも。


 冷たいからこそ、


『本人がいないから終わり』


 という雑な一言を止められる。


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「はい」


「今日の書類、控えを綴じろ」


「はい」


「承継届は別冊だ」


「はい」


「戸籍も返却前に確認しろ」


「はい」


 相馬先輩が紙袋を持ち上げます。


「で、このうどんは?」


「それは私が管理します」


「何でだ」


「承継したので」


「誰から何を承継した」


「佳代さんから、うどん管理権を」


「そんな権利ねえよ」


「では審査庁の許可を」


「審査庁も困るわ」


 佳代さんが吹き出しました。


「半分ずつにしてください」


「ほら、権利が分割されました」


 私が言うと、


 相馬先輩が首を振りました。


「何でも行政不服審査法にすんな」


「今日は承継の日ですから」


「じゃあ俺がお前の分も承継する」


「それは譲渡です!」


「許可を得ればいいんだろ」


「うどんに審査庁の許可を要求しないでください!」


 片桐所長がぼそりと言いました。


「早く帰らないと伸びるぞ」


 全員が黙りました。


 それは大問題です。


「本日の最優先案件ですね」


「違う」


 でも。


 私は書類を綴じながら思いました。


 人がいなくなっても、


 全部がそこで終わるわけじゃない。


 受け取れるものは、


 受け取る。


 続けられる手続は、


 続ける。


 そのために法律は、


 人の悲しみとは別の場所で、


 静かに道をつないでいる。


 今日の教訓。


 ――亡くなったのは人であって、承継できる法的地位まで勝手に葬ってはいけない。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 源蔵さんの審査請求は、


 まだ終わっていません。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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