[行政裁量]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所には、昼間の騒がしさが嘘みたいに引いていました。
電話は鳴らない。
来客もいない。
窓の外では、駅前広場の工事用フェンスに夕日が当たっています。
そして机の上には、昨日の残りのおでん。
「……玉子がない」
「食った」
相馬先輩が言いました。
「またですか」
「昨日は半分やっただろ」
「今日は一個まるごとです」
「裁量だ」
「その言葉、便利に使いすぎです」
私は皿を自分の側へ引き寄せました。
大根。
こんにゃく。
ちくわ。
玉子なし。
行政救済法より先に、おでん救済法が必要です。
でも今日は、そこではありません。
私はノートを開きました。
昨日の題名。
――行政裁量。
その下には、二行だけ。
「裁量がある」と「自由に決めていい」は、同じではない。
「裁量です」と言われたら、「何を見て、何のために、その結論にしたんですか」と聞く。
昨日の現場では、これで何とか前へ進めました。
でも。
試験に出る行政裁量は、こんなふうに気合いだけで乗り切れるほど優しくありません。
「所長」
「何だ」
「今日はちゃんと整理したいです」
「しろ」
「手伝ってください」
「自分でしろ」
「昨日より冷たい」
相馬先輩が鼻で笑いました。
「行政法なんてそんなもんだ」
「法律じゃなくて所長が冷たいんです」
片桐所長は新聞から目を上げません。
仕方ありません。
私はペンを持ちました。
まず。
行政行為をするとき、行政庁は法律に基づいて動きます。
何となく。
気分で。
担当者の好みで。
そういう理由で許可したり、不許可にしたりしていいわけではありません。
でも法律は、世の中のすべてを細かく決めきれるわけでもない。
たとえば。
駅前広場の使用許可について、
通行人が何人なら支障あり。
屋台の幅が何センチなら支障なし。
見た目が何点なら適合。
煙が何グラムなら不許可。
そこまで全部、条文に書けるでしょうか。
たぶん無理です。
いや、書けたとしても、それはそれで役所の人が泣きます。
現実は細かい。
季節も違う。
場所も違う。
事情も違う。
だから法律は、ときどき行政庁に、
ここはあなたが具体的事情を見て判断してください。
という余白を渡します。
その判断の余地。
それが行政裁量です。
「先輩」
「何だ」
「裁量って、要するに“行政庁に与えられた判断の幅”でいいですか」
「大体いいんじゃねえの」
「急に雑ですね」
「所長に聞け」
所長が短く言いました。
「幅だ。ただし、無限じゃない」
「ですよね」
私は大きく書きました。
裁量=行政庁に認められた判断の余地。
そして、その下。
裁量権の逸脱・濫用があれば違法。
「ここです」
私は昨日の市役所を思い出しました。
倉田係長は言いました。
使用許可は市の裁量です。
その言葉だけなら、間違いとは言い切れない。
駅前広場の管理者には、確かに一定の判断の余地がある。
問題は、その次です。
裁量があるとして。
その裁量を、どんな目的で使ったのか。
どんな事情を考慮したのか。
関係ない事情を混ぜていないか。
判断があまりにも不合理ではないか。
そこを見ないといけない。
「じゃあ」
私はノートに線を引きました。
まず、裁量の逸脱。
それから、裁量の濫用。
「違い、言ってみろ」
相馬先輩が言いました。
「先輩が試験官みたいになってます」
「早く言え」
「裁量の逸脱は、与えられた権限の範囲を超えること」
「うん」
「裁量の濫用は、権限の範囲内ではあるけど、その使い方が妥当性を欠くこと」
「教材っぽいな」
「教材の話をしてるんです」
所長が口を挟みました。
「実務では、必ずしも綺麗に分かれない」
私はペンを止めました。
「そうなんですか?」
「裁判でも、“逸脱又は濫用”とまとめて表現されることは多い」
「なるほど」
たしかに。
現場で、
これは逸脱です!
いや濫用です!
と札を貼るより、
そもそも裁量権の使い方として限界を超えていないか。
そこが問題になるのでしょう。
昨日の田所千代さんの件もそうです。
広場管理のための使用許可制度。
なのに、
若者向けか。
新しい雰囲気か。
再整備のイメージに合うか。
そこを強く見て不許可にしていた。
しかも、安全や衛生には大きな問題がない。
もし、
広場管理という権限を、
別の政策目的のために使った。
そう評価されるなら。
目的から外れた裁量の使い方として問題になります。
「つまり昨日の事件は」
私は整理しました。
「“裁量があるかないか”だけじゃなくて、“その裁量を何のために使ったか”が核心だった」
「そうだ」
所長が言います。
「目的違反は典型だ」
「目的違反」
私はそこに丸をつけました。
行政庁に権限が与えられていても、
その権限を別の目的のために使ってはいけない。
これは直感的にも分かります。
包丁を貸したのは料理するためです。
壁に穴を開けるためじゃない。
いや、例えが物騒ですね。
では。
傘を貸したのは雨を避けるため。
洗濯物を干す棒として振り回すためじゃない。
……もっと微妙になりました。
「お前、例え下手だな」
相馬先輩が言いました。
「うるさいです」
私は一度ノートを閉じかけて、また開きました。
次です。
行政裁量を見るときは、
行政庁がいきなり処分を決めているわけではありません。
頭の中では、だいたい順番があります。
まず。
事実認定。
次に。
その事実が法律上の要件に当たるか。
そして。
要件に当たるとして、どんな処分をするか。
私は三段に書きました。
事実認定。
要件該当性の判断。
処分内容の判断。
「ここで出てくるのが」
私は呟きます。
「要件裁量と効果裁量」
相馬先輩が顔をしかめました。
「名前が眠い」
「分かります」
昨日までの私なら、この二語を見た時点で机に突っ伏していたかもしれません。
でも今日は、千代さんの顔が浮かびます。
まず。
要件裁量。
法律には、
こういう事情があるとき。
こういう条件に当たるとき。
そういう書き方があります。
ただし、その条件が抽象的なこともある。
「著しく不当な行為」
「相当な理由」
「公共の利益」
「管理上の支障」
そういう言葉です。
それが具体的に何を意味するのか。
どんな事実がそこに当たるのか。
行政庁に判断の余地がある。
それが要件裁量です。
「昨日なら」
私は言いました。
「“管理上の支障があると認めるとき”という要件に、田所さんの屋台が当たるかどうか」
「そうだな」
所長が頷きます。
「そこに判断の幅があるなら、要件裁量」
「はい」
たとえば。
屋台が通路を塞ぐ。
火気の扱いが危険。
煙が周囲にひどく流れる。
そういう事情があれば、
管理上の支障がある。
そう判断する余地はある。
でも。
「昔っぽいから新しい駅前に合わない」
それを管理上の支障と同じように扱う。
そこは、
本当にその要件の判断として許されるのか。
という問題になります。
「つまり」
私はペンを動かします。
要件裁量=法律要件に当てはまるかどうかの判断に裁量がある場合。
次。
効果裁量。
要件を満たしたとして。
じゃあ、何をするか。
警告だけにする。
指示を出す。
許可に条件をつける。
停止処分にする。
免許取消しまでいく。
その処分内容の選択に幅がある。
それが効果裁量です。
「昨日の条件付き許可は?」
相馬先輩が聞きました。
「うーん」
私は考えます。
「そもそも田所さんを許可できると判断したうえで、場所を少しずらすとか、火気管理の条件を付けるとか。そういう処分内容の選択部分に裁量があるなら、効果裁量に近いですか」
「そう整理できる場面もある」
所長が言いました。
「ただし制度の条文次第だ」
「そこ大事ですね」
行政法は、概念だけ覚えて全部当てはめると危ない。
必ず根拠法令を見る。
その法律が、
どの要件に判断の余地を持たせているのか。
どの効果を選べるようにしているのか。
そこを読む必要があります。
私は教材の例を思い出しました。
宅地建物取引士が、
事務に関し不正又は著しく不当な行為をしたとき、
知事は必要な指示をすることができる。
まず。
「不正又は著しく不当な行為」に当たるか。
ここは抽象的です。
どんな行為が著しく不当なのか。
判断の余地がある。
要件裁量。
そして。
指示をすることができる。
「しなければならない」ではない。
指示するかしないか。
処分内容の選択に余地がある。
効果裁量。
「“できる”って書いてあると裁量なんですか?」
私は聞きました。
所長が顔を上げます。
「単純化するな」
「ですよね」
危なかった。
行政法は、語尾だけで決めると刺してきます。
「できる」と書かれていても、
制度趣旨や他の規定から、
実質的にどこまで裁量があるかは別問題です。
逆に。
要件の文言が抽象的なら、
そこに判断の余地が認められることもある。
大事なのは、
条文の文言。
制度の趣旨。
判断の性質。
そして判例。
「結局判例ですか」
「行政書士試験なら、かなりそうだ」
相馬先輩が言いました。
「概念だけ覚えても、問題は判例で聞いてくる」
「嫌な世界ですね」
「受験生の敵はだいたい判例だ」
「でも味方でもありますよ」
「どっちなんだ」
私はノートの次のページを開きました。
ここから判例。
全部を一気に覚えようとすると死にます。
なので。
“裁量のどこが問題になった判例か”
そう分けて覚えることにします。
まず。
マクリーン事件。
外国人の在留期間更新。
在留期間を更新するには、
法務大臣が、
更新を適当と認めるに足りる相当の理由があると認めることが必要。
この判断には、広い裁量が認められるとされました。
そして政治活動なども事情として考慮されました。
裁判所は、
その判断が裁量権の範囲を超えたり、濫用したものではない。
そう判断しています。
「これ、要件裁量ですよね」
「そうだ」
「“相当の理由があるか”という要件判断に幅がある」
「うん」
次。
神戸税関事件。
税関職員に対する懲戒免職。
職場集会。
怠業。
超過勤務拒否。
処分前歴。
そうした事情を踏まえて、
懲戒免職が社会観念上著しく妥当を欠くとはいえない。
だから裁量権の範囲を超え、濫用したものとはいえない。
とされた。
「これは効果裁量」
私は言います。
「どんな懲戒処分を選ぶか」
「そうだな」
懲戒処分には幅がある。
軽い処分もある。
重い処分もある。
だからこそ、
その選択が社会観念上著しく妥当を欠くほど不合理か。
そこが問題になる。
「“社会観念上著しく妥当を欠く”」
私は書きました。
「これ、試験でよく出そう」
「覚えろ」
「はい」
次。
余目町個室付浴場事件。
ここは昨日の事件とかなり近い。
児童遊園は、
児童に健全な遊びを与えて健康を増進するための施設。
なのに、
個室付浴場営業を規制することを主な動機・目的として、
その営業予定地の近くに児童遊園を設置する。
それは本来の制度目的とは違う。
だから行政権の著しい濫用。
違法。
「これです」
私は昨日の不許可通知を思い出しました。
広場管理の許可制度。
なのに、
別の再整備政策のために、
“古い印象の屋台を減らしたい”
という目的を強く混ぜていた。
もちろん昨日の事件は、判例そのものではありません。
でも、
権限が与えられた目的と違う目的で使われていないか。
という見方は同じです。
「目的違反は裁量濫用」
「典型だ」
所長が言いました。
さらに。
公立学校施設の目的外使用。
学校教育に支障がない。
それだけで必ず許可しなければならないわけではない。
施設の目的や用途。
使用目的。
使用態様。
そういった事情を考慮して、
合理的な裁量判断で不許可にすることもできる。
「つまり」
私は言いました。
「“支障がないなら当然許可”ではない」
「そうだ」
「裁量がある以上、複数の事情を見て判断できる」
「ただし合理的に、だ」
そこが重要です。
裁量は、
行政庁が判断できる余地。
でも、
何でもありではない。
考慮すべき事情を考慮しない。
考慮してはいけない事情を重視する。
事実を取り違える。
結論が極端に不合理。
目的を外す。
そうなれば、
裁量権の逸脱・濫用として違法になり得る。
「この辺、試験ではどう出ます?」
私は相馬先輩に聞きました。
「俺に聞くな」
「さっきまで試験官だったのに」
所長が代わりに言いました。
「断言に注意しろ」
「またですか」
「裁量行為なら裁判所は一切審査できない、は誤り」
「はい」
「行政庁に裁量があるからといって、裁判所が完全に手を引くわけではない」
なるほど。
裁量行為。
だから司法審査ゼロ。
ではない。
裁量権の逸脱・濫用があれば、違法として審査される。
ただし。
裁判所が、
自分ならこう判断した。
だから行政庁の判断は違法。
と簡単に置き換えるわけでもない。
行政庁に認められた判断の幅は尊重する。
その幅を超えたか。
濫用したか。
そこを審査する。
「じゃあ、裁判所が行政庁の代わりに採点し直すわけじゃない」
「そう考えろ」
私は大きく書きました。
裁量=司法審査されない、ではない。
逸脱・濫用の審査はされる。
さらに。
判断過程そのものを見ることもある。
ちゃんと必要な事情を見たか。
重要な事情を落としていないか。
無関係な事情を過大評価していないか。
そういう判断過程の合理性です。
昨日の千代さんの件なら。
衛生。
安全。
通行。
火気。
こうした広場管理に直結する事情を見たのか。
一方で、
若者向けか。
新しい感じか。
そういう事情をどれだけ重く見たのか。
その配分が問題になります。
「行政裁量って」
私は少し考えてから言いました。
「結果だけじゃなくて、そこへ行くまでの考え方も見られるんですね」
「そういう判例は多い」
所長が答えます。
なるほど。
行政庁が、
最終的に不許可。
だから違法。
ではない。
最終的に許可。
だから適法。
でもない。
そこに至るまで、
何を事実と認定したか。
何を考慮したか。
どう評価したか。
そこが重要。
私はノートの余白に書きました。
裁量審査は、結論だけでなく判断過程も見る。
「もう一つ」
相馬先輩が言いました。
「裁量と羈束」
「きそく?」
「字で書け」
「羈束」
私はちょっと嫌な顔をしました。
「読めない人、絶対いますよね」
「お前も今怪しかっただろ」
「否定しません」
羈束行為。
法律が要件と効果をかなり具体的に定めていて、
要件に当たれば基本的に一定の処分をしなければならない。
行政庁に大きな判断の余地がない。
そういう場合。
一方。
裁量行為。
法律が一定の判断の幅を残している。
「でも」
私はペンを止めました。
「現実には、全部が完全な裁量行為、完全な羈束行為ってきれいに分かれるんですか?」
「分かれないことも多い」
所長が言います。
「一つの処分の中でも、ある部分は裁量、別の部分は羈束ということもある」
「要件の一部に裁量があって、効果にはないとか?」
「ある」
「逆も?」
「ある」
やっぱり行政法、素直じゃない。
でも。
ここも昨日の事件を思えば分かります。
申請書を出した。
申請人が誰か。
場所はどこか。
期間はいつか。
そういう事実は比較的はっきりしている。
でも、
“管理上支障があるか”
となると評価が入る。
さらに、
許可するにしても、
条件を付けるか。
どんな条件にするか。
そこにも判断の幅があるかもしれない。
処分全体を丸ごと、
裁量です。
羈束です。
と一言で終わらせるより、
どの段階のどの判断に幅があるのか。
そこを切り分けた方が分かりやすい。
「行政法って」
私は言いました。
「“その言葉の中身を分解しろ”っていう科目なんですね」
「今さら気づいたか」
「最近ずっとそれです」
行政立法でも。
行政機関でも。
処分でも。
裁量でも。
大きな言葉をそのまま受け取ると危ない。
中身を割る。
誰が。
何の権限で。
何を要件として。
どんな効果を出して。
どこに判断の余地があるのか。
そうやって初めて見えてくる。
私はノートを一度見返しました。
裁量とは。
行政庁に認められた判断の余地。
ただし無制限ではない。
逸脱・濫用があれば違法。
裁量の判断過程。
事実認定。
要件該当性判断。
処分内容の選択。
要件裁量。
法律要件に当たるかどうかについての裁量。
効果裁量。
どの処分をするかについての裁量。
そして判例。
マクリーン事件。
要件判断に広い裁量。
神戸税関事件。
懲戒処分の選択に関する裁量。
余目町個室付浴場事件。
法律の目的を外れた権限行使は濫用。
公立学校施設目的外使用事件。
教育上支障がないからといって当然に許可されるわけではなく、合理的な裁量判断が認められる。
「うん」
私は少し満足しました。
相馬先輩がノートを覗き込みます。
「試験で引っかかりそうなの書け」
「はいはい」
私はさらに追加します。
行政庁に裁量がある=何をしてもよい。
これは誤り。
裁量行為=司法審査されない。
これも誤り。
裁量権の逸脱・濫用があれば違法。
裁判所は、行政庁の判断を単純に自分の判断へ置き換えるわけではない。
要件裁量と効果裁量は、どの段階に判断の幅があるかを見る。
行政行為全体を雑に一括しない。
「あと」
私は言いました。
「“裁量があるから不平等でもいい”も駄目ですよね」
「当然だ」
所長が言います。
「平等原則や比例原則、そのほか一般原則との関係もある」
「そこまで行くと今日は広がりすぎますね」
「そうだ」
よかった。
今日は行政法全部を一晩で倒す日ではありません。
私は昨日の千代さんの顔を思い出しました。
クレープ屋の若者を責めなかった。
再整備そのものも否定しなかった。
ただ、
別の政策を進めたいなら、そのための制度でやればいい。
広場管理の使用許可に、別の目的を忍ばせるのは違う。
そう言った。
たぶん。
行政裁量の難しさは、
行政庁が悪人とは限らないところです。
むしろ。
善意で政策を進めようとしている。
街を良くしたい。
安全にしたい。
効率よくしたい。
だからこそ、
権限の境目がぼやけやすい。
良いことをしているつもりだから、
少しくらい別の目的を混ぜても。
少しくらい説明を省いても。
少しくらい判断を広げても。
そうなりやすい。
でも。
制度は、その“少しくらい”に線を引きます。
何のための権限か。
誰のための制度か。
何を考えてよくて。
何を考えるべきでないか。
そこを冷たく切り分ける。
だから。
昨日の千代さんは救われた。
私はノートの最後に、一行の覚え書きを書きました。
――裁量は、自由ではない。理由を選べる幅にも、目的にも、限界がある。
相馬先輩が横から見ます。
「今日は長いな」
「一行です」
「字が多い」
「じゃあ先輩なら?」
「“裁量です”は免罪符じゃない」
私は少し考えました。
「それ、分かりやすい」
「だろ」
「悔しい」
その下にもう一行。
――「裁量です」は、説明を終わらせる言葉ではなく、説明を始める言葉。
所長がそれを見ました。
「それでいい」
窓の外は、もう暗くなっていました。
駅前広場では、新しい看板の明かりが点いています。
その少し離れた場所には、千代さんの屋台を置く予定の区画。
たぶん数日後には、そこからおでんの湯気が上がります。
クレープの甘い匂いと。
出汁の匂い。
新しい店と、古い店。
どちらか一つだけが駅前らしいわけではない。
その判断をする権限が行政にあるとしても、
だからこそ。
何を根拠に。
何を目的に。
何を考慮して。
どう結論を出したのか。
そこを問う意味があります。
行政裁量。
昨日までは、
役所が好きに決められる範囲。
そんな雑な理解でした。
でも今は違います。
行政庁に判断の余地があるからこそ、
その判断の筋道が問われる。
余白があるからこそ、
その余白に何を書いたのかが見られる。
自由に見えて、実は責任が重い。
行政裁量は、そういうものなのかもしれません。
「こはる」
相馬先輩が呼びます。
「何です?」
「大根、一個残ってるぞ」
「半分にします?」
「俺が食う」
「理由は?」
「腹が減ってる」
「考慮事項としては関係ありますけど、私の利益を全く考慮してません」
「うるせえ」
「裁量権の濫用です!」
「その判定をするのはお前じゃねえ」
奥から所長の声がしました。
「半分にしろ」
「はい」
「はい」
即決でした。
行政裁量より、片桐所長の裁量のほうが、今日もよほど予測可能でした。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




