[行政不服審査法6条・再審査請求]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所は、昼間より少しだけ法律が似合います。
電話が鳴らない。
来客も途切れる。
そして机の上には。
さつまいも。
六本。
「……先輩」
「何だ」
「法律事務所みたいな雰囲気を出そうとしてるのに、芋が強いです」
「食い物に罪はねえ」
「存在感の話です」
宮坂ふみさんが置いていった、さつまいも。
相馬先輩二本。
片桐所長二本。
私二本。
昨日、所長の裁定によって公平に配分されたはずなのですが、
なぜかまだ全部、
私の机の横にあります。
「先輩、自分の分持って帰ってくださいよ」
「重い」
「それ理由になります?」
「なる」
「不当です」
「じゃあ不服申立てしろ」
「今日のテーマに寄せてくるのやめてください」
私はノートを開きました。
上に大きく書きます。
――再審査請求。
その下。
――審査請求の、その先。
「昨日は」
私は言いました。
「宮坂さんが、市福祉事務所の処分に不服を申し立てて」
「ああ」
「県知事に審査請求」
「ああ」
「でも棄却」
「ああ」
「普通なら、そこで『もう終わり』って思いますよね」
「普通はな」
でも。
生活保護法には、
その先がありました。
県知事の裁決に不服がある場合。
さらに。
厚生大臣に対して再審査請求をすることができる。
「ここです」
私は赤線を引きました。
再審査請求。
審査請求の裁決にも不服がある場合に、
さらに不服を申し立てる制度。
「じゃあ」
相馬先輩が言います。
「審査請求で負けたら、全部再審査請求できる」
「できません」
「即答だな」
「昨日そこが一番大事でしたから」
私は大きく書きました。
――法律に定めがある場合だけ。
「ここ、試験でかなり狙われそうです」
「何で」
「名前だけ見ると、審査請求の続きに見えるからです」
審査請求。
↓
再審査請求。
並べると、
まるで標準装備みたいです。
審査請求に負けた。
じゃあ再審査請求。
もう一回負けた。
さらにどこかへ。
そんな無限階段みたいに見える。
「でも違う」
「はい」
再審査請求は、
法律が特別に認めた場合だけ。
一般的に当然ある二段目ではありません。
「つまり」
私は言いました。
「再審査請求は『審査請求のおかわり』じゃない」
「昨日も言ってたな」
「大事なので二回言います」
「三回目は?」
「何回でも言います」
「うるせえな」
でも本当に。
そこを外すと全部ずれます。
現代の行政不服審査法六条も、
行政庁の処分について、
法律に再審査請求をすることができる旨の定めがある場合。
そこから始まります。
「じゃあ要件は?」
相馬先輩が聞きます。
「まず、その処分について審査請求の裁決があること」
「うん」
「その裁決に不服があること」
「うん」
「そして法律が、再審査請求を認めていること」
「そこだな」
「はい」
私は三つを囲みました。
処分。
審査請求。
裁決。
その裁決にも不服。
そして。
法律上、再審査請求の道がある。
「宮坂さんの件なら」
私は昨日の書類を思い出します。
市福祉事務所長による生活保護変更決定。
それに対して、
県知事へ審査請求。
棄却裁決。
そして。
生活保護法が、
厚生大臣への再審査請求を認めている。
「だから進めた」
「そうだ」
片桐所長が言いました。
「法律に道がなければ?」
「そこで終わりです」
「行政不服審査の中ではな」
「はい」
ここで大事なのは、
再審査請求ができないから、
何もできない。
と直結しないこと。
行政事件訴訟など、
別の救済手段が問題になる場合もある。
でも。
今日のテーマは再審査請求。
深追いしません。
「範囲管理か」
相馬先輩が言いました。
「最近そこ覚えましたね」
「お前が逃げるとき毎回言うからな」
「逃げてません!」
私は次の見出しを書きました。
――誰に再審査請求するのか。
「昨日は厚生大臣でした」
「ああ」
「何で?」
相馬先輩が聞きます。
「一番上だから」
と言いそうになって、
止まる。
「……ではありません」
「危ねえな」
「今のは引っかけですね」
そう。
再審査請求の申立先は、
何となく上にいる偉い行政庁、
ではありません。
法律に定める行政庁。
これです。
「宮坂さんの場合」
私は言いました。
「生活保護法が厚生大臣と定めている」
「だから厚生大臣」
「はい」
「最上級行政庁だからじゃない」
「そうです」
ここ。
前やった審査請求先の話と混ぜると危険です。
審査請求先。
上級行政庁の有無。
旧法なら直近上級行政庁。
現行法なら原則最上級行政庁。
そういう話がありました。
でも。
再審査請求先は、
法律が指定する行政庁。
「つまり」
私は書きました。
再審査請求先。 =法律を見ろ。
「単純ですね」
「単純なら間違えるなよ」
「先輩、試験監督みたいになってきましたね」
「お前が勝手に受験してるだけだ」
次。
今日の一番ややこしいところ。
何を対象として再審査請求するのか。
「昨日、私ここで未来法を口にしかけました」
「止められてたな」
「はい」
現行法六条二項。
再審査請求は、
原裁決。
または、
当該処分。
これを対象にすることができる。
「二つ選べる?」
「そうです」
「裁決か、元の処分か」
「はい」
私はノートに二本矢印を書きました。
一つ目。
原裁決。
二つ目。
当該処分。
「原裁決って何だ」
「審査請求に対して審査庁がした裁決です」
「昨日なら」
「県知事の棄却裁決」
「当該処分は」
「市福祉事務所長の生活保護変更決定」
「どっちでもいい」
「再審査請求の対象にできます」
これ。
最初に読むと、
少し変な感じがします。
再審査請求なのだから、
審査請求の結果、
つまり裁決だけを争うのでは?
と思いたくなる。
「私も昔そう思ってました」
「昔っていつだ」
「未来の受験生時代です」
「分からん」
「流してください」
でも。
条文上は、
原裁決だけではない。
元の処分そのものも対象にできる。
「昨日の宮坂さんなら」
私は言いました。
「県の裁決の判断がおかしい、と争うこともできる」
「うん」
「そもそも市の変更決定自体がおかしい、と争うこともできる」
「うん」
「両方を視野に入れられる」
「そういうことだ」
片桐所長が頷きました。
そして。
昨日の事件はまさに、
二段階の問題がありました。
市。
娘さんの発言。
毎月は無理。
でも可能な範囲で助けたい。
そのうち、
後半だけが強く拾われた。
その結果、
継続的援助が見込まれるような判断につながった。
次に県。
娘さん本人の手紙を提出した。
継続送金の約束はない。
毎月は無理。
そう明記されていた。
それなのに。
裁決理由からは、
その手紙をどう評価したかがよく見えない。
「だから昨日」
私は言いました。
「市の処分と県の裁決、両方を切り分けて見た」
「ああ」
「再審査請求の『原裁決又は当該処分』って」
ペンを止めます。
「こういう意味なんですね」
「やっと眠くなくなったか」
「はい」
受験テキストで見たとき。
原裁決。
当該処分。
私はたぶん、
丸暗記しかしていませんでした。
でも。
現場では違う。
元の処分の事実認定がおかしいのか。
それとも。
審査庁の裁決がおかしいのか。
あるいは両方なのか。
そこを切り分ける。
だから対象が二つ用意されている。
「所長」
「何だ」
「原裁決だけ違法で、原処分は妥当ってこともあります?」
「ある」
「逆も?」
「ある」
短い。
でも。
それで十分です。
審査請求の裁決には、
それ自体として手続上・判断上の問題があり得る。
一方。
元の処分自体にも、
違法・不当の問題があり得る。
「つまり再審査請求って」
私は言いました。
「二回目の審査というより、どこに問題があるかをもう一段見直す制度なんですね」
「そう考えろ」
所長が言いました。
私は丸をつけました。
次。
旧法と現行法。
「また来たな」
相馬先輩が言います。
「毎回来ます」
「お前だけだろ」
「私の中では重要なんです」
昭和六十三年。
旧行政不服審査法にも、
再審査請求制度はあります。
つまり。
再審査請求という言葉そのものは、
未来から持ってきたものではない。
「ここが再調査の請求と違いますね」
「ああ」
前回の再調査の請求は、
現行法の制度をそのまま昭和に持ってこれなかった。
旧法には異議申立てという別の仕組みがあった。
でも。
再審査請求は、
旧法にも存在する。
「じゃあ同じなんですか?」
私は自分で問いかけました。
「違うんだろ」
「はい」
相馬先輩が先回りする。
腹が立つけど正しい。
制度名が同じでも、
条文構造や手続の細部は、
旧法と現行法で確認が必要。
だから。
昭和六十三年の事件に、
現行法六条の条文をそのまま適用するのは駄目。
「昨日、所長に止められました」
「今使う法を使え、ってな」
「はい」
未来知識がある。
それは強みです。
でも。
制度名が同じだからといって、
細部まで同じとは限らない。
転生者の知識は、
便利な地図。
でも。
年度が違えば道路も違う。
「行政法って」
私は言いました。
「カーナビみたいですね」
「何だそれ」
「未来の機械です」
「知らん」
「ですよね」
次。
試験で引っかかりやすいところ。
再調査の請求。
再審査請求。
「名前似すぎ問題です」
「お前が勝手に問題にするな」
「でも似てますよ!」
再調査。
再審査。
一字しか違わない。
しかも両方、
法律に定めがある場合。
「ここ、一緒に覚えたほうがいいですね」
「どう違う」
相馬先輩が聞きます。
私は書きました。
再調査の請求。
→処分庁に、もう一度調べてもらう。
→法律に定めがある場合。
→審査請求前のルート。
一方。
再審査請求。
→審査請求の裁決後。
→その裁決にも不服がある場合。
→法律に定めがある場合。
→法律が定める行政庁へ。
「順番で覚えるといいですね」
「言ってみろ」
「処分」
「うん」
「再調査の請求が認められているなら、まず処分庁へ再調査というルートがあり得る」
「うん」
「審査請求」
「うん」
「裁決」
「うん」
「そのさらに先に、法律が認めれば再審査請求」
「そうだ」
私は矢印を書きました。
処分。
↓
再調査の請求。
または審査請求。
↓
審査請求の裁決。
↓
再審査請求。
「もちろん」
私は付け加えました。
「全部の処分に全部あるわけじゃない」
「そこを忘れるな」
「はい」
再調査も特別。
再審査も特別。
何でも使える標準装備ではない。
「共通点は?」
所長が聞きました。
「法律に定めが必要」
「それでいい」
短い。
でも、
試験直前にはたぶん一番役に立つ言葉です。
私は赤で囲みました。
再調査も再審査も、
法律に定めが要る。
「ただし」
相馬先輩が言いました。
「位置が違う」
「はい」
再調査。
処分のあと。
審査請求の前側。
再審査。
審査請求の裁決のあと。
「これなら混ざらない」
「試験場で混ぜるなよ」
「未来の私に言ってください」
「目の前にいるだろ」
確かに。
次。
昨日の生活保護法の例。
「これは教材として分かりやすいですね」
「実際に人が困ってたけどな」
相馬先輩の一言で、
私は少し姿勢を正しました。
そうです。
例題ではない。
宮坂さんの暮らしです。
市町村の実施機関の処分。
↓
都道府県知事への審査請求。
↓
その裁決。
↓
厚生大臣への再審査請求。
法律が特別に、
この道を用意している。
「何でこんな制度があるんでしょう」
私は言いました。
「全国的に統一的な取扱いが求められる分野だから、って理由も考えられますよね」
所長が頷きます。
「そういう制度趣旨はある」
「地方ごとに結論がばらばらだと困る」
「ああ」
生活保護のように、
国の制度として全国的な統一性が強く求められる分野。
そういうところでは、
さらに国レベルで見直す道を法律が設ける意味がある。
「だから」
私は言いました。
「法律が特に再審査請求を認める」
「そう理解すればいい」
もちろん。
再審査請求が認められる分野は、
生活保護だけではありません。
ただ。
試験では、
法律に特別の定めがあること。
誰に対してするか。
何を対象にできるか。
そこが基本。
「三点セットですね」
私は大きく書きました。
一。
いつできる?
二。
誰にする?
三。
何を対象にする?
「答えろ」
相馬先輩が言いました。
「一。法律に再審査請求できる旨の定めがあり、審査請求の裁決に不服があるとき」
「うん」
「二。法律に定める行政庁」
「うん」
「三。原裁決または当該処分」
「よし」
「先輩、完全に先生ですね」
「うるせえ」
でも。
この三つでかなり整理できます。
いつ。
法律が認めた場合。
誰に。
法律指定の行政庁。
何を。
原裁決または当該処分。
「試験で」
私は言いました。
「『再審査請求は、原裁決のみを対象とする』って出たら」
「誤り」
「はい」
「『再審査請求先は、常に審査庁の上級行政庁である』」
「誤り。法律に定める行政庁」
「『審査請求の裁決に不服があれば、原則として再審査請求できる』」
「誤り。法律の定めが必要」
「まあ大丈夫そうだな」
「ちょっと褒めました?」
「気のせいだ」
またそれです。
私はノートをめくりました。
昨日の事件。
もう一つ大事だったこと。
再審査請求を出したあと、
すぐ結論が出たわけではない。
でも。
市側が、
自分の処分を再確認し始めた。
「所長」
「何だ」
「再審査請求を出したら、市はもう触れないんですか?」
「触れないとは限らん」
「自分で是正する余地はある」
「ある」
ここ。
すごく実務的です。
不服申立てが進んだからといって、
原処分庁が、
絶対に何もできない石像になるわけではない。
処分の問題に気づけば、
自ら是正できる場合もある。
「昨日、沢渡課長も」
私は思い出しました。
市の聞き取り記録。
娘さんの発言。
実際の内容と要約の差。
県での審査。
提出された手紙。
そこを見て、
市でももう一度確認する。
そうなった。
「つまり」
私は言いました。
「再審査請求は、上の行政庁に判定してもらうだけじゃなくて」
「うん」
「原処分庁に、自分の記録をもう一回見せる圧力にもなることがある」
「圧力って言うな」
「効果です」
「言い換えただけだろ」
でも。
一件の不服申立てが、
行政組織全体に、
その判断を再確認させる。
そこはこのシリーズで何度も見てきました。
川瀬さん。
花売り台。
駅前整備関係の処分全体が点検された。
春江さん。
看板。
商店街全体の取扱基準が見直された。
宮坂さん。
娘からの援助。
市の記録の取り方そのものが再確認され始めた。
「行政不服審査って」
私は言いました。
「やっぱり、一人だけを救う制度じゃないですね」
「どういう意味だ」
「一人の申立てで、役所側の運用まで見直されることがある」
「そうだ」
「だから行政の適正な運営」
所長が小さく頷きました。
第一条でやった言葉が、
また戻ってきました。
受験テキストの用語は、
一回覚えて終わりじゃない。
別の事件で、
別の角度から、
何度も血が通う。
「それで」
私はノートの最後へ進みました。
「今日の一行の覚え書き」
「また長くするなよ」
「分かってます」
少し考える。
そして書きました。
――再審査は、審査請求の“続き”ではなく、法律が特別に残したもう一段。
「お」
相馬先輩が言いました。
「どうです?」
「悪くない」
「褒めた!」
「気のせいだ」
「もうその逃げ方ずるいですよ!」
でも。
私はその一行が、
かなり気に入りました。
再審査請求。
審査請求。
名前が似ています。
流れもつながっています。
だから、
当然の続きに見える。
でも。
当然ではない。
法律が、
ここだけはもう一回見る。
と決めた場合にだけ、
先があります。
そこが大事。
宮坂さんは、
市で処分を受けました。
県へ審査請求しました。
棄却されました。
そして。
もう終わりだと思いました。
それは無理もありません。
二枚目の紙には、
裁決。
と書いてある。
普通の人から見れば、
かなり最終回答っぽい。
でも。
生活保護法には、
その先がありました。
厚生大臣への再審査請求。
なぜあるのか。
誰にするのか。
何を対象にするのか。
全部、
法律が決めています。
冷たいです。
「もう少し考えてあげよう」
という善意ではない。
「かわいそうだから特別に」
でもない。
条件を満たす人なら、
誰でも使える。
条件を満たさなければ、
誰でも使えない。
だから。
窓口の人が、
「もう終わりです」
と思っていても。
本人が、
「もう駄目なんだ」
と思っていても。
法律に一段残っていれば、
その道は消えません。
制度の冷たさは、
やっぱり人を突き放します。
でも。
同じ冷たさで、
役所の都合だけで、
勝手に出口を塞ぐことも止めてくれる。
私はノートを閉じました。
「終わったか」
相馬先輩が言いました。
「はい」
「じゃあ帰るぞ」
「その前に」
「何だ」
私は机の横を指しました。
「芋」
「まだ言ってんのか」
「一人二本って裁決が出ました」
「所長が決めたな」
「はい」
「不服か」
「あります」
「じゃあ審査請求」
「誰にです?」
相馬先輩が奥を指しました。
「所長」
「原処分庁本人じゃないですか!」
片桐所長が帳簿から顔を上げます。
「棄却」
「早い!」
「じゃあ再審査請求だな」
相馬先輩が言いました。
「法律に定めがありますか?」
「ない」
「じゃあできません!」
「残念だったな」
「何で先輩が勝った顔してるんですか!」
私は芋を二本抱えました。
「じゃあ、この配分で我慢します」
「最初からそうしろ」
「でも」
私は一本を持ち上げました。
「もし法律に再審査請求の道があったら」
「何だ」
「最後まで見落としません」
片桐所長が、
ほんの少しだけ口元を緩めました。
「それでいい」
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
どうやら行政法では、
負けた回数ではなく。
法律が、
どこまで道を残しているか。
そこを見るのが大事らしいです。
そして。
道が残っているなら。
たとえ二度負けた人でも、
「もう終わりです」
と決めつけるのは、
まだ少し早いのです。
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