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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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[行政不服審査法6条・再審査請求]現場編 「県で棄却されたなら、もう終わりです」の嘘。二度目の不服を誰にでも許す制度ではなく、法律が残した“もう一段上”だけを使う

挿絵(By みてみん)

 役所に一度負けると、へこみます。


 二度負けると、


 だいたいの人は、


 「もう駄目なんだ」


 と思います。


 処分を受けた。


 不服を申し立てた。


 それも棄却された。


 ――だったら、そこで終わり。


 普通はそう見えます。


 でも法律というのは、ときどき。


 階段が終わったように見える場所に、


 もう一段だけ、


 妙に分かりにくい段差を残しています。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 その日の朝、


 私は二枚の紙を机に並べていました。


 一枚目。


 市福祉事務所長名義の、


 生活保護変更決定通知書。


 二枚目。


 県知事名義の、


 審査請求棄却裁決書。


「……先輩」


「何だ」


「二枚目のほうが強そうですね」


「紙の強さを見てどうする」


「だって『裁決』って書いてありますよ」


「だから?」


「ラスボス感が」


「ゲームやってんじゃねえ」


 分かっています。


 でも。


 処分。


 審査請求。


 裁決。


 この順番で紙が並ぶと、


 どうしても、


 第二形態まで倒したのにまだ何か出てきそうな感じがします。


 そして。


 今回に限って言えば。


 本当に、まだ一段ありました。


 相談者は、


 宮坂ふみさん。


 六十四歳。


 小柄な女性でした。


 十年以上前に夫を亡くし、


 一人暮らし。


 膝を悪くしてから仕事を続けられなくなり、


 生活保護を受けています。


 事件の始まりは、


 大げさなものではありません。


 三万円。


 それだけでした。


「娘さんから?」


 私が聞くと、


 ふみさんは頷きました。


「夏に一度だけ」


「三万円?」


「はい」


「毎月じゃなく?」


「一回だけです」


 遠方に嫁いだ娘さんが、


 母親の古くなった冷蔵庫を買い替える足しにして、


 と送ってくれた三万円。


 ところが。


 その後の収入申告をきっかけに、


 市の福祉事務所で事情を確認されました。


 そして。


 保護費の算定に反映された。


 問題は、


 その扱い方でした。


「一回三万円をもらったこと自体について、どう扱うかは確認が必要です」


 私は言いました。


「はい」


「でも通知を見ると……」


 もう一度見る。


 市側は、


 娘から今後も援助を受けられるものとして、


 継続的な収入が見込まれる前提で、


 保護費を変更していました。


「娘さん、今後も送れるって言ったんですか」


「言ってません」


「市から娘さんに確認は?」


「電話があったそうです」


「娘さんは何て?」


「『できるときは助けたいけど、毎月は無理です』って」


 できるときは助けたい。


 毎月は無理。


 普通に読めば、


 毎月三万円くれる、


 という意味ではありません。


「娘さんにも生活がありますよね」


「孫が二人います」


「そうですよね」


「上の子が来年高校で」


 ふみさんは申し訳なさそうに言いました。


「だから、もう頼みたくないんです」


 その言い方が、


 妙に胸に残りました。


 役所から見れば、


 扶養。


 収入。


 援助可能性。


 算定。


 そういう言葉になります。


 でも本人の側には、


 娘にも暮らしがある。


 孫にもお金がかかる。


 自分のために無理をさせたくない。


 そういう気持ちがあります。


 行政法というのは、


 そこを直接測るのがあまり得意ではありません。


 だからこそ。


 何を事実として認定したか。


 どんな資料で判断したか。


 そこを冷たく確認する必要があります。


「それで」


 相馬先輩が裁決書を持ち上げました。


「一回、県まで行ってんだな」


「はい」


 ふみさんが頷きます。


 市福祉事務所長の変更決定に納得できず、


 知人に教えられて、


 県知事へ審査請求をした。


 自分で。


 便箋に事情を書いて。


「ここまで一人で?」


「役所の人に、県に出せるって教えてもらって」


「それで県の答えがこれ」


「はい」


 棄却。


 裁決理由を読む。


 市の調査結果等を総合すると、


 娘から一定程度の援助を受け得る状況にある。


 市の判断が不合理とは認められない。


 そんな趣旨でした。


「娘さんの電話内容について、県から確認は?」


「ありません」


「書面を出しました?」


「娘が書いた手紙を」


「あります?」


「これです」


 出てきた。


 一枚の便箋。


 私は読みました。


 母には冷蔵庫購入のため三万円を送った。


 継続的に送金する約束はしていない。


 自分たちにも住宅ローンと二人の子の教育費があり、


 毎月の援助はできない。


 ――かなりはっきり書いてあります。


「これ、審査請求のときに出したんですよね」


「はい」


「裁決書で触れてないですね」


「そうなんです」


 ふみさんが小さく言いました。


「それで県に電話したら」


 嫌な予感がしました。


「何て?」


「『裁決が出ていますので』って」


 来た。


 処分は出ています。


 決定済みです。


 裁決が出ています。


 行政の扉を閉める言葉には、


 妙に統一感があります。


「もう方法はないんでしょうか」


 ふみさんが聞きました。


 私はすぐ答えませんでした。


 なぜなら。


 頭の中で、


 現代の行政不服審査法が、


 かなり大きな音を立てて開いたからです。


 再審査請求。


 審査請求。


 その裁決。


 さらに不服。


 法律に再審査請求できる旨の定めがある場合。


 法律に定める行政庁。


 原裁決。


 当該処分。


「……あります」


 口から出かけました。


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「止まれ」


「はい」


 危ない。


 またです。


 未来の条文を持って、


 昭和六十三年へ突撃するところでした。


 私は一度、


 頭の中の平成と令和を押し戻しました。


「すみません」


 ふみさんが不安そうな顔になります。


「いえ。方法がないって意味じゃないです」


「じゃあ」


「まず、今の法律を確認します」


 今の。


 つまり昭和六十三年の。


 旧行政不服審査法にも、


 再審査請求という制度はあります。


 審査請求の裁決を経たあと、


 さらに不服を申し立てる仕組み。


 ただし。


 誰でも。


 どんな処分でも。


 県で負けたら次は国へ。


 そんな三階建ての制度ではありません。


「相馬」


 片桐所長が言いました。


「生活保護法」


「ああ」


 相馬先輩が書棚へ向かいます。


 慣れています。


 私はまだ、


 頭の中で制度を組み立てていました。


 審査請求。


 再審査請求。


 似ています。


 名前も一字増えただけです。


 受験生だったころの私は、


 こういうのを見た瞬間に、


 「あとで表にしよう」


 と言って逃げていました。


 そしてだいたい、


 その「あとで」は来ません。


「ほら」


 相馬先輩が法令集を開きました。


「ある」


 指先を追う。


 生活保護法の不服申立て。


 市町村の実施機関等がした保護の決定などについては、


 都道府県知事への審査請求。


 そして。


 その知事の裁決にも不服がある場合。


「……厚生大臣」


 私は呟きました。


 相馬先輩が頷きます。


「再審査請求できる」


 ふみさんが目を丸くしました。


「もう一回できるんですか?」


「できます」


 今度は、


 私は言い切りました。


 ただし。


「この処分だからです」


「どういうことです?」


「誰でも二回目を申し立てられるわけじゃありません」


「……はい」


「法律が、再審査請求できるって特別に道を作っている場合だけです」


 ふみさんは少し考えました。


「じゃあ、私の場合は」


「その道があります」


 ふみさんの肩が、


 ほんの少し下がりました。


 その瞬間。


 私の中で、


 昨夜まで眠かった用語が起きました。


 再審査請求。


 ああ。


 こういう制度なのか。


 負けた人が、


 何回でも上へ行ける仕組みではない。


 法律が、


 この種類の処分については、


 もう一段だけ見直す必要がある。


 と特別に判断したときだけ、


 階段が続く。


「期間は」


 相馬先輩が言いました。


「確認します」


 ここで反射的に、


 三か月。


 と言わない。


 私は学習しています。


 少しずつ。


 未来人も成長するのです。


「裁決を知ったのは?」


「九日前です」


 ふみさんが答えました。


 所長が裁決書の日付を確認します。


「間に合う」


 短い。


 でも。


 この一言は、


 相談者にはかなり大きい。


「今日、必要書類を整理します」


 私は言いました。


「まだ、間に合います」


 ふみさんは、


 黙って何度も頷きました。


 ◇


 その日の午後。


 私たちは、


 まず市役所へ向かいました。


「何で市役所なんです?」


 私は聞きました。


「再審査請求なら厚生大臣ですよね」


「その前に記録だ」


 相馬先輩が言います。


「何をどう調べたか分からずに何書く」


「なるほど」


「論点で喋るな。証拠を拾え」


「はい」


 最近、


 相馬先輩の「論点で喋るな」は、


 私の中でかなり意味が変わってきました。


 論点を考えるな、


 ではありません。


 論点を、


 人間の出来事に戻せ。


 ということです。


 市役所。


 福祉事務所。


 そして総務課。


 出てきたのは、


 当然のように沢渡課長でした。


「今度は福祉ですか」


「何でちょっと嫌そうなんですか」


「朝比奈さんと会うと、書類が増えるので」


「失礼ですね」


「経験則です」


 強い。


 この人は本当に強い。


 相馬先輩が机に二枚の紙を置きました。


「宮坂ふみさん」


「ああ」


 沢渡課長は知っていました。


「審査請求まで行った件ですね」


「県で棄却」


「承知しています」


「娘からの援助、継続扱いした根拠を見たい」


「個人情報です」


「本人がいる」


 後ろの椅子に、


 ふみさんが座っています。


「確認できる範囲で」


 沢渡課長は言いました。


 そこで。


 私たちは担当者の説明を聞きました。


 娘さんへ電話。


 援助の可否を確認。


 担当者の記録。


 ――今後も可能な範囲で援助したい旨。


 私は止まりました。


「これですか?」


「はい」


「元の発言は?」


 担当職員が答えます。


「毎月は無理だが、できるときは助けたい、と」


「それを」


 私は記録を指しました。


「『今後も可能な範囲で援助したい』」


「要旨です」


「その二つ、同じですか?」


 担当職員が黙りました。


 沢渡課長は黙っています。


「朝比奈」


 相馬先輩が言います。


「煽るな」


「煽ってません」


「顔」


 また顔。


 私の顔は行政法に向いていないのでしょうか。


 私は息を整えました。


「確認します」


「どうぞ」


「娘さんは、継続的な送金を約束していない」


「はい」


「毎月は無理だと言っている」


「記録上もそうです」


「でも、市側の内部記録では『今後も可能な範囲で援助したい』が前に出ている」


「はい」


「そして保護費を変更した」


「総合判断です」


 総合判断。


 今日も元気です。


「県へ送った処分関係資料には」


 私は聞きました。


「娘さんの発言をそのまま記録した部分も入ってますか?」


 担当者が書類をめくります。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 止まる。


「……要約記録が中心ですね」


「娘さんの手紙は?」


「審査請求人から県へ直接提出されたと聞いています」


「県の裁決では、それへの具体的な言及がない」


 沢渡課長が眼鏡の奥から私を見ました。


「何が言いたいんです?」


「二段階で同じところが薄いです」


「二段階?」


「市の処分では、娘さんの発言のうち『助けたい』が強く拾われた」


「……」


「県の裁決では、『毎月は無理』って本人の手紙が出てるのに、それをどう評価したか分からない」


 部屋が静かになりました。


 私は続けました。


「最初の処分の事実認定が妥当だったのか」


「はい」


「それを審査した県の裁決が、本当に提出資料を踏まえていたのか」


「はい」


「両方、整理して出します」


 沢渡課長の眉が、


 ほんの少し動きました。


「再審査請求ですか」


「はい」


「厚生大臣に?」


「法律が道を残してますから」


 沢渡課長は、


 ふみさんを見ました。


 それから。


 裁決書。


 娘さんの手紙。


 市の記録。


 順番に見ました。


「なるほど」


 静かな声でした。


「これは少し面倒ですね」


「面倒?」


「市にとってです」


「珍しく正直ですね」


「いつも正直です」


 嘘です。


 いや。


 この人は本当に嘘をつかない。


 ただ、


 必要なことしか言わないだけです。


「ただし」


 沢渡課長が言いました。


「一つ勘違いしないでください」


「何でしょう」


「県の裁決に不満があれば、何でもさらに上へ持っていけるわけではありません」


「分かっています」


「再審査請求は例外的な制度です」


「法律が認めた場合だけ」


「そうです」


「今回は生活保護法に道がある」


「そういうことです」


 私は頷きました。


 そこ。


 今日の鍵です。


 再審査請求。


 名前だけ見れば、


 審査請求のおかわりです。


 でも。


 行政法に、


 「おかわり自由」


 なんて制度はありません。


 法律が認めたときだけ。


 誰に出すかも、


 法律が決める。


 勝手に、


 審査庁のさらに上っぽい人を探して出すわけではない。


「ところで朝比奈さん」


「はい」


「何を考えていました?」


「現代法だと、再審査請求の対象として――」


「こはる」


 片桐所長の声がしました。


「はい」


 止まりました。


「今使う法を使え」


「はい」


 またです。


 私。


 最近ずっとこれをやっています。


 未来の条文は、


 知っているからこそ危ない。


 似ている。


 でも同じではない。


 旧法にも再審査請求はある。


 現代にも再審査請求はある。


 だから、


 同じだろう。


 と思った瞬間が事故の始まりです。


 要件。


 申立先。


 手続。


 対象。


 時代ごとに確認する。


 行政法は、


 タイムトラベラーに年度を聞いてくる唯一の敵かもしれません。


「まず」


 所長が言いました。


「書くのは事実だ」


「はい」


「娘が一度だけ三万円を送った」


「はい」


「毎月の送金は無理だと明確に言った」


「はい」


「その手紙を審査請求でも提出した」


「はい」


「裁決がどう評価したか」


「分からない」


「そこを突け」


「はい」


 短い。


 でも、


 道が見えました。


 ◇


 事務所へ戻ってから。


 私たちは再審査請求の準備を始めました。


 私は最初、


 紙の一番上に大きく、


 ――かわいそうだから見直してください。


 と書きたくなる気持ちを、


 心の中だけで処分しました。


 書くべきなのは、


 もっと冷たいことです。


 市の変更決定。


 娘から一回限り三万円の送金があったこと。


 娘は毎月の援助を否定していること。


 継続的援助が見込まれるとした認定の根拠。


 県への審査請求。


 娘本人の手紙を提出したこと。


 県知事の棄却裁決。


 その手紙をどのように評価したかが、


 裁決理由から明らかでないこと。


「先輩」


「何だ」


「冷たいですね」


「何が」


「書類」


「そうか」


「ふみさんがどれだけ不安だったか、一行も書いてない」


「必要なら書け」


「でも中心じゃない」


「そうだ」


 相馬先輩は煙草をくわえたまま言いました。


「泣いた回数で処分が決まるなら、役所はいらねえ」


 乱暴です。


 でも。


 意味は分かる。


 悲しい人ほど勝つ。


 大声を出せる人ほど勝つ。


 かわいそうに見える人ほど勝つ。


 それは、


 救済に見えて。


 たぶん別の不公平を作ります。


 だから。


 事実を切る。


 処分を切る。


 裁決を切る。


 提出した証拠を切る。


 そして。


 どこで判断がずれたのかを、


 冷たい文章で示す。


「制度の冷たさって」


 私は呟きました。


「こういうときは、ありがたいですね」


「何がだ」


「ふみさん、役所で上手に喋れないんです」


「ああ」


「でも手紙は残ってる」


「ああ」


「記録も残ってる」


「ああ」


「だったら、話の上手さじゃなくて記録で争える」


 相馬先輩がこちらを見ました。


「やっと実務っぽいこと言うようになったな」


「今まで何だと思ってたんですか」


「しゃべる受験生」


「ひどい」


 そこへ。


 片桐所長が赤鉛筆を一本置きました。


「こはる」


「はい」


「再審査請求って何だ」


 抜き打ち。


 私は少し考えました。


「審査請求の裁決にも不服がある場合に、さらに不服を申し立てる制度」


「いつでもか」


「違います」


「いつ」


「法律が再審査請求できると定めている場合」


「誰に」


「法律が定める行政庁」


「今回」


「厚生大臣」


 所長が頷きました。


「それでいい」


 よし。


 ちょっと嬉しい。


「ただし」


 所長が続けます。


 来ました。


 行政法の「ただし」は怖い。


「何回でも上へ行けると思うな」


「はい」


「再審査請求があるのは、もう一回負けても気が済まない人のためじゃない」


「法律が必要だと決めた分野だけ」


「そうだ」


 そこ。


 今日、


 一番忘れたくないところです。


 ◇


 再審査請求を出して、


 すぐ結果が出るわけではありません。


 行政法に魔法はない。


 厚生省へ紙を送った翌日に、


 市役所が土下座することもありません。


 当たり前です。


 ただ。


 一週間後。


 市役所から連絡が入りました。


 相馬先輩が電話を取ります。


「はい。……ああ。……分かった」


 切る。


「何でした?」


「宮坂さん」


「え」


「市のほうでも再確認するってよ」


「何を?」


「娘の援助可能性の認定」


「再審査請求が出たから?」


「まあ、それもあるだろ」


 片桐所長が聞きました。


「処分を直すのか」


「まだそこまでは」


 相馬先輩が答えます。


「ただ、担当の聞き取り記録と実際の発言の差をもう一度見るって」


 私は、


 少しだけ息を吐きました。


 まだ勝っていません。


 厚生大臣の判断も出ていない。


 市の変更決定も、


 まだ正式には変わっていない。


 でも。


 最初は、


 市が決めた。


 県でも棄却された。


 もう終わり。


 だった。


 それが。


 もう一度、


 記録が机に戻った。


「行政不服審査って」


 私は言いました。


「何回勝負するかじゃないんですね」


「当たり前だ」


 相馬先輩が言います。


「じゃあ何だ」


 私は少し考えました。


「どこまで見直す道を、法律が残してるか」


 片桐所長が頷きました。


「そうだ」


 再審査請求は、


 三回目のチャンスではありません。


 まして、


 気に入る結論が出るまで行政庁を回る制度でもない。


 法律が、


 この処分については、


 一度の審査請求だけで終わらせず、


 さらに見直す道を残しておこう。


 そう定めた場合の、


 特別なもう一段。


 なるほど。


 これなら、


 「法律に再審査請求できる旨の定めがあること」


 という眠い一文が、


 急に重要になります。


 そこがなければ。


 階段はありません。


 ◇


 さらに十日ほどして。


 ふみさんが事務所へ来ました。


「市から電話がありました」


「何て?」


「もう一回、娘のことを確認したいって」


「はい」


「今度は娘の家計も書類で見せてもらって、それで判断し直すって」


 私は頷きました。


「まだ決定が変わると決まったわけじゃありません」


「分かってます」


「再審査請求の結果もまだです」


「はい」


「でも」


 ふみさんは少し笑いました。


「もう終わりじゃなかったんですね」


 その言葉が、


 一番しっくりきました。


 もう終わりじゃない。


 ただそれだけ。


 でも。


 二回負けた人には、


 かなり大きなことです。


「これ」


 ふみさんが紙袋を机に置きました。


「何です?」


「お芋」


 中を見る。


 さつまいも。


 たくさん。


「もらいものです」


「いやいや、ふみさん」


「全部じゃないですよ」


「でも」


「食べきれないから」


 相馬先輩が素早く紙袋を覗きます。


「焼き芋にできるな」


「先輩、反応早すぎません?」


「食い物だろ」


「だからって」


「差し入れは食い物が一番だ」


「花のときから一貫してますね」


 ふみさんが笑いました。


「娘のところからじゃないですよ」


「え?」


「この芋」


 私は一瞬止まりました。


「近所の人から」


「……はい」


「これも収入になりますかねえ」


 部屋が静まりました。


 相馬先輩が芋から手を離します。


「俺に聞くな」


「急に慎重!」


「担当に確認しろ」


「正しいけど!」


 ふみさんが、


 今度は声を出して笑いました。


 さっきまで、


 県で負けた裁決書を握っていた人です。


 その人が、


 さつまいもを見て笑っています。


 法律で人生が全部解決するわけではありません。


 再審査請求を出したから、


 明日から暮らしが楽になるわけでもない。


 それでも。


 閉じたと思っていた道に、


 まだ一本、


 正式な道が残っている。


 それだけで、


 人の表情は少し変わる。


 私は、


 ふみさんが帰ったあと。


 二枚の紙をもう一度並べました。


 市の処分。


 県の裁決。


 その向こう。


 再審査請求。


 受験生だったころなら、


 私はたぶん、


 矢印だけ書いていました。


 審査請求。


 ↓


 裁決。


 ↓


 再審査請求。


 簡単です。


 でも。


 現場では、


 矢印の間に人がいます。


 一回目の処分で困る人。


 審査請求の裁決を待つ人。


 棄却の紙を受け取って、


 もう終わったと思う人。


 そして。


 法律に次の道があることを知らない人。


 だから今日の教訓は、


 たぶんこれです。


 ――「もう一回」は当然にはない。だから、法律が残した一段を見落とすな。


 再審査請求は、


 誰にでもある権利ではない。


 どんな処分にも使えるわけでもない。


 法律に定めがある場合だけ。


 誰に請求するかも、


 法律が決める。


 冷たいです。


 融通が利きません。


 「かわいそうだからもう一回」


 ではありません。


 でも。


 その冷たい条件があるからこそ。


 二度負けた人にも、


 条件を満たすなら、


 窓口の気分とは関係なく、


 もう一段上がる権利が残る。


 制度の冷たさが、


 人を突き放すこともある。


 けれど。


 同じ冷たさが、


 「もう終わりです」


 という曖昧な一言を、


 止めることもあります。


「こはる」


 相馬先輩が言いました。


「何です?」


「芋」


「はい」


「三本もらってく」


「多くないですか」


「差し入れだ」


「事務所への差し入れです」


「一本は所長」


「勝手に配分しないでください」


 片桐所長が帳簿から顔を上げました。


「一人二本」


「所長まで!」


「公平だ」


「私の分は?」


「残り」


 見る。


 二本。


「……ちょうどじゃないですか」


「問題あるか」


「ありませんけど」


 相馬先輩が芋を持ち上げました。


「不服か?」


「今のところは」


「再審査請求するか?」


「何に対してです?」


「俺の配分」


「まず審査請求の裁決が要るでしょう!」


「面倒だな」


「それが今日のテーマです!」


 片桐所長が一本だけ言いました。


「しかも」


「はい?」


「法律に定めが要る」


「そうでした!」


 相馬先輩が笑います。


「じゃあ芋の再審査請求は不可だな」


「そんな制度最初からありません!」


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 どうやら。


 再審査請求というのは、


 納得するまで何度でも使える便利な延長戦ではないようです。


 法律が、


 ここだけはもう一度見ろ、


 と特別に残した道。


 だからこそ。


 その道があるときくらいは、


 「もう終わりです」


 の一言で、


 見落としてはいけないのです。

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