↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政手続法

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
110/274

[行政手続法37条・届出]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所には、昼間より少しだけ法律が似合います。


 電話が減る。


 来客が途切れる。


 窓から差し込む西日が、書棚の六法と古びたファイルの背を赤く染める。


 そして。


「……ありません」


「何が」


「クリームパンです」


「食った」


「先輩」


「何だ」


「昨日もその会話しましたよね?」


「食い物は保存が利かん」


「証拠隠滅の理屈みたいに言わないでください」


 相馬先輩は悪びれもせず、机の向こうで書類をめくっています。


 昨日、高瀬美代子さんが差し入れてくれた菓子パン。


 私の記憶では、確か一個残っていたはずです。


 そして私の机には、そのクリームパンが存在していたことを示す空の袋。


 犯人はほぼ確定です。


「所長」


「知らん」


「まだ何も言ってません」


「相馬だ」


「所長!?」


「自白まで取れました」


「取ってねえ」


 平和です。


 昨日、高瀬さんのクリーニング店が二日間閉まっていたことを思えば、ずいぶん平和な夕方でした。


 私は机に座り、ノートを開きます。


 昨日書いた二行が残っていました。


 ――役所に紙を出したら、まず「許可を待つ手続なのか、知らせれば足りる手続なのか」を分ける。


 ――役所の机で書類が止まっていても、市民の義務まで止まっているとは限らない。


 その下に、今日は大きく書きました。


 届出。


「さて」


 私はペンを持ち直します。


「昨日の高瀬さん、何が一番の問題だったんでしょう」


 相馬先輩が顔も上げずに答えました。


「窓口の説明が雑だった」


「それはそうなんですけど」


「じゃあ、担当者が許可と届出をごっちゃにした」


「それです」


 昨日、高瀬さんは営業を承継したことについて、役所へ届出を出していました。


 必要事項は書いてある。


 必要な添付書類もそろっている。


 窓口でも、形式上の不備は指摘されていない。


 それなのに担当者から、


 ――受理されるまでは営業しないでください。


 と言われた。


 高瀬さんは、それを、


 ――役所から営業してよいという判断が出るまで、営業してはいけない。


 という意味に受け取りました。


 結果、二日間店を閉めた。


「所長」


「何だ」


「そもそも、届出って何ですか」


「通知だ」


 短い。


 いつものことです。


「もう少し受験生に優しく」


「誰が受験生だ」


「私です」


「昭和六十三年に何を受けるんだ」


「そこは触れない約束で」


 未来人、肩身が狭い。


 所長は少し考えてから言いました。


「行政庁に対して、一定の事実や事項を知らせる行為だ。ただし、何を届け出るのか、いつ届け出るのか、その効果が何なのかは、それぞれの根拠法令を見る」


「なるほど」


 私はノートに書きます。


 届出。


 行政庁に対して、一定の事項を通知するもの。


 ただし――。


「名前だけで判断するな、ですよね」


 相馬先輩が言いました。


「昨日言っただろ」


「覚えてます」


「なら書け」


「先生みたいな顔しないでください」


「殴るぞ」


「教師に向いてない」


 でも、ここは大事です。


 世の中には、


 申請書。


 届出書。


 届書。


 申出書。


 通知書。


 いろんな名前の紙があります。


 紙の題名だけ見て、


 これは届出だからこうだ。


 これは申請だからこうだ。


 と機械的に決めるわけにはいかない。


 根拠となる法律や条例などを読んで、


 その手続が、


 行政庁の判断を求めるものなのか。


 単に一定の事項を知らせるものなのか。


 そこを見る。


「じゃあ、申請との違いを言ってみろ」


 相馬先輩が言いました。


「出た。抜き打ち」


「答えろ」


 私は少し考えます。


「申請は、行政庁に対して、許可とか認可とか、何らかの処分を求める行為」


「うん」


「届出は、行政庁に一定の事項を知らせること自体が中心」


「大雑把にはな」


 所長が頷きます。


 私はノートの真ん中に線を引きました。


 左に「申請」。


 右に「届出」。


 申請。


 私は飲食店を営業したい。


 建物を建てたい。


 ある資格を得たい。


 そこで行政庁に、


 許可してください。


 認可してください。


 処分をしてください。


 と求める。


 行政庁は、要件を審査する。


 そして、


 許可。


 不許可。


 認可。


 不認可。


 そういう行政庁の判断が介在する。


 一方。


 届出。


 住所が変わりました。


 代表者が変わりました。


 営業を承継しました。


 ある行為をします。


 こういう一定の事実や事項を行政側へ知らせる。


 もちろん、個々の制度によって中身は違います。


 でも少なくとも、


 届出というだけで、


 行政庁が「許可してやろう」と判断する手続だと思い込んではいけない。


「あ」


 私は昨日の高瀬さんの顔を思い出しました。


「だから昨日、高瀬さんは“受理”って言葉に引っ張られたんですね」


「そうだな」


 所長が答えました。


「受理されたら効力が発生する。受理されなければ効力が発生しない。そう思った」


「担当者も、たぶん同じ感覚だった」


「だろうな」


 私はノートに丸をつけました。


 受理。


 これ、怖い言葉です。


 役所が、


 受理します。


 まだ受理していません。


 受理できません。


 なんて言うと、


 行政庁が法的効果を発生させるスイッチを握っているように聞こえる。


「でも、届出の場合は必ずしもそうじゃない」


「そこを整理しろ」


 所長が言いました。


 私はペンを止めました。


 ここから先は、少し変な感覚があります。


 なぜなら。


 令和から来た私は、この問題に対する未来の条文を知っているからです。


 行政手続法。


 第二条。


 第三十七条。


 でも今は昭和六十三年。


 この事務所に行政手続法の六法は存在しません。


 存在するはずがありません。


 制定されるのは平成五年。


 施行されるのは平成六年十月一日。


 つまり、今からまだ数年先。


「何止まってんだ」


「いえ」


 私はペンを回しました。


「未来では、こういうの、もっとはっきり書かれるんだろうなと思って」


「また未来か」


「独り言です」


「声に出てる」


 危ない危ない。


 私は頭の中だけで、未来の条文を開きます。


 未来の行政手続法では、「届出」が定義される。


 行政庁に対し一定の事項を通知する行為。


 ただし申請に当たるものは除く。


 そして、法令によってその通知が直接義務づけられているもの。


 それを、行政手続法上の「届出」と呼ぶ。


「所長」


「何だ」


「届出って、“出したい人が任意で知らせるもの”も全部入ります?」


「今どの意味で言ってる」


 お。


 逆質問。


「法律上の制度としての届出です」


「なら、根拠法令を見ろと言っただろ」


「ですよね」


 未来の行政手続法の定義なら、ポイントはそこです。


 法令によって直接、その通知が義務づけられている。


 つまり、


 役所に知らせておくと便利ですよ。


 任意で報告してください。


 という話ではない。


 法令が、


 こういう場合には届け出なさい。


 と本人に義務を負わせている。


 私はノートに書きました。


 ――「届出」は、単なるお知らせと同じではない。法令が通知を義務づけている場合がある。


「じゃあ昨日の高瀬さんは?」


 相馬先輩が聞きます。


「営業を承継した以上、届出をしなきゃいけなかった」


「そうだ」


「だから、出さなくてもいい紙ではない」


「ああ」


「でも、出したあと、役所が許可してくれるのを待つ手続でもなかった」


「そこだ」


 所長が言いました。


 なるほど。


 届出というと、


 ただ知らせるだけ。


 簡単。


 と思いがちです。


 でも、


 簡単だから自由。


 ではない。


 法令上、


 届け出なければならない。


 という義務がある場合もある。


 問題は、


 その義務を、いつ果たしたことになるのか。


 です。


 私はノートの次の行に大きく書きました。


 ――届出義務は、いつ履行したことになる?


「昨日なら?」


 相馬先輩が聞きます。


「高瀬さんが窓口に持って行ったとき」


「何でも持ってきゃいいのか」


「あ」


 そうでした。


 未来の第三十七条。


 ただ役所へ紙を投げ込めばいいわけじゃない。


「形式上の要件」


 私は言いました。


「そうだ」


 所長が頷きます。


「必要な事項が書かれていること」


「うん」


「必要な添付書類が付いていること」


「うん」


「そのほか、法令が定める形式上の要件を満たしていること」


 相馬先輩が机を指で叩きました。


「じゃあ例を出せ」


「例えば……」


 私は昨日の書類を思い浮かべます。


 届出人の氏名。


 住所。


 営業所の所在地。


 承継した日。


 必要な証明書。


 そういったものが法令で要求されているとします。


 名前が空欄。


 必要な添付書類がない。


 そもそも提出先が違う。


 それでは、


 「一応紙を持ってきたんだから、義務を果たしたでしょ」


 とは言えない。


「大事なのは、“形式上”ってところですね」


 私が言うと、所長が頷きました。


「そうだ」


 私はペンで二重線を引きました。


 形式上の要件。


 ここ、試験で狙われそうです。


「内容が全部正しいか、役所が実質審査し終わるまでじゃない」


「届出制度がそういう審査を予定していないならな」


「必要な記載や添付がそろっているか」


「ああ」


「だから昨日、私たちは窓口で最初に聞いた」


 不備はありますか。


 添付書類はそろっていますか。


 他に許可は必要ですか。


 高瀬さんの場合。


 不備なし。


 添付書類あり。


 別の許可を待つ必要もなし。


 そこで担当者が言ったのは、


 まだ内部で処理中です。


 でした。


 私は思わずため息をつきます。


「役所内部の処理って、便利な沼ですね」


「何だそれ」


「どこまで待てば底なのか分からない」


 係員が確認。


 係長が押印。


 課長が決裁。


 帳簿へ記載。


 ファイルへ綴じる。


 コンピューターへ入力。


 昭和なのでコンピューターはかなり偉そうな機械でしょうけど。


 そういうものは、行政側の事務処理です。


 でも。


 市民が法律によって負っている届出義務を果たしたかどうかと、


 役所内部の紙がどこまで回ったか。


 それは同じではない。


「昨日、倉田係長が言ってましたよね」


 私は思い出します。


 ――その処理は誰のための処理だ。


 若い職員は答えられなかった。


 あれが核心だったんです。


 届出を出す。


 その後に役所が整理する。


 保管する。


 上司へ回す。


 行政内部では必要でしょう。


 でも、それを全部終えるまで、


 あなたの届出義務はまだ終わっていません。


 とは限らない。


「じゃあ」


 相馬先輩が言います。


「役所に着いたら、その瞬間に全部終わりか?」


「条件つきです」


「言ってみろ」


 私はノートを指で追います。


「届出書に必要事項の不備がない」


「うん」


「必要な添付書類がそろっている」


「うん」


「その他、法令が定める形式上の要件を満たしている」


「それで?」


「正しい提出先の事務所に到達する」


「そうだな」


 未来なら。


 その瞬間。


 行政手続法第三十七条によって、


 届出をすべき手続上の義務は履行されたものとされる。


 私はその部分だけ、頭の中で静かに読みました。


 届出義務の履行。


 たったそれだけ。


 でも昨日の高瀬さんには、それがものすごく大きかった。


「所長」


「何だ」


「“到達”って、受理とは違いますよね」


「ああ」


「行政庁が中身を読んで、“よし、認めよう”と判断することじゃない」


「そうだ」


「提出先に届くこと」


「基本はそう考えればいい」


 ここも大事です。


 私は大きく書きました。


 到達 ≠ 行政庁の承認。


「これ、試験で絶対いやらしい選択肢ありますよね」


「どんなだ」


 相馬先輩が聞きます。


 私は受験生の顔になりました。


「『届出は、行政庁がこれを受理した時に効力を生ずる』」


「×だな」


「ですよね」


「何でも効力って言うな」


 所長が横から刺しました。


「あ」


「第三十七条で言っているのは何だ」


 私は少し考えます。


「届出をすべき“手続上の義務”を履行したことになる」


「そうだ」


 なるほど。


 ここ、かなり重要です。


 届出をした。


 だから、その瞬間に世の中のあらゆる法的効果が発生する。


 とは書いていない。


 第三十七条が整理するのは、


 法令によって課されている、


 届出をしなさい。


 という手続上の義務。


 それが、


 形式的要件を満たした届出が提出先に到達した時点で、


 果たされたものになる。


「つまり」


 私は書き直しました。


 ――第三十七条は「届出に関連するすべての法的効果が到達時に発生する」と定めた条文ではない。


「そういうことだ」


「個別法が別の効果や条件を定めているなら、それは別に見る」


「ああ」


 危ないところでした。


 届出=到達=何でも即自由。


 そんな覚え方をしたら、試験で転びます。


 そもそも届出制度にはいろいろある。


 行為をした後に届けるもの。


 行為をする前に届けるもの。


 届出後、一定期間を経ないと行為できないもの。


 届出を受けた行政庁が、個別法に基づいて一定の命令を出せるもの。


 いろんな制度があり得る。


 だから、


 「届出だから、出した瞬間に何でもやっていい」


 は危険。


「昨日の高瀬さんの事件も」


 私は言いました。


「この届出とは別に営業許可が必要な制度だったら、話は変わってましたよね」


「当然だ」


「あるいは、承継の効力自体について別の要件が置かれていたとか」


「それも見る」


「だから最初に根拠法令」


「やっと分かったか」


「昨日から分かってます」


「怪しい」


 腹が立つ。


 でも、その通りです。


 行政法で怖いのは、


 一つ覚えた原則を万能鍵にしてしまうことです。


 届出だから到達で終わり!


 と叫んで、個別法を読まない。


 それでは、昨日の若い職員と方向が逆なだけで、やっていることは同じです。


 思い込み。


 私はノートに書きました。


 ――「届出」と書いてあっても、必ず根拠法令と個別制度を確認する。


「もう一つ」


 所長が言いました。


「届出と申請を混ぜるな」


「はい」


「何でだ」


「行政庁の判断を待つ性質が違うから」


「もっと言え」


 今日の所長、教師モードです。


 私は少し考えました。


「申請なら、本人は行政庁に処分を求めている」


「うん」


「だから、行政庁が許可するか、不許可にするかという判断の場面がある」


「そうだ」


「でも届出は、少なくとも未来の行政手続法上の届出なら、法令で義務づけられた通知をする行為」


「未来は余計だ」


「すみません」


 危ない。


「だから、役所側が勝手に“承認手続”へ変えちゃいけない」


「それだ」


 昨日の高瀬さんの件は、


 届出だったものが、


 窓口の言葉一つで、


 事実上の許可制みたいになっていました。


 受理されるまで待ってください。


 この一言です。


 役所が受理を決定する。


 それまでは営業しない。


 すると、本来は「届ける」という制度が、


 「役所が認めるまで待つ」という制度へ変わってしまう。


「これ、結構怖いですね」


「ああ」


「法律を改正してないのに、窓口の一言だけで許可制が増える」


「だから言葉は雑に使うな」


 所長が言いました。


 その一言は重い。


 役所の窓口には、法律そのものを作る権限はない。


 もちろん職員が悪意で制度を変えようとしたわけではありません。


 たぶん昨日の職員も、


 慎重にしたかった。


 間違いがあったら困る。


 上司に確認してからにしたい。


 そんな気持ちだったのでしょう。


 でも。


 善意であれ慎重さであれ、


 本来法令にない待機義務を、市民へ事実上課していいことにはならない。


 その結果、高瀬さんは二日分の仕事を止めました。


「制度の雑さって、悪人がいなくても人を困らせるんですね」


 私は呟きました。


 相馬先輩が言います。


「悪人だけ相手なら楽なんだよ」


「先輩が深いこと言った」


「殴るぞ」


「やっぱり浅かった」


 私は笑って、次の見出しを書きます。


 ――形式上の要件に不備があったら?


「これは?」


 私は聞きました。


「例えば、届出書に必要な記載が抜けていたら」


「直させる」


 相馬先輩が答えました。


「必要な添付書類がなかったら」


「出させる」


「つまり、到達さえすれば何でもいいわけじゃない」


「当たり前だ」


 未来の第三十七条も、そこは明確です。


 届出書の記載事項に不備がないこと。


 必要な書類が添付されていること。


 その他の法令に定められた形式上の要件に適合していること。


 この条件を満たした届出が、


 法令上の提出先とされる機関の事務所へ到達する。


 そこで、


 届出義務の履行。


「じゃあ」


 相馬先輩が意地悪そうに言いました。


「高瀬さんが、届出書を市役所の玄関前に置いて帰ったら?」


「提出したことになりません」


「何で」


「少なくとも正しい提出先に到達したとは言いにくい」


「じゃあ別の課に出したら?」


「制度上の提出先かどうかを確認します」


「郵送なら?」


「提出方法として認められているなら、到達時点が問題になる」


「投函した時か?」


「違います」


 そこは分かります。


「基本的には、相手方の支配圏内に入って、了知可能な状態になったとき」


 相馬先輩が眉を上げました。


「急に民法みたいになったな」


「到達って言葉を見ると身体が反応します」


「受験生の病気だな」


 否定できません。


 ただ、ここで大事なのは、


 出した。


 ではなく、


 届いた。


 です。


 期限最終日に郵便局へ出した。


 でも提出先へ届いたのは翌日。


 もし法令が期限内の「届出」を求めていて、到達が必要なのであれば、期限との関係が問題になります。


「締切ぎりぎり届出は危険」


 私は書きました。


「何か普通の教訓になったな」


「普通が一番大事なんですよ」


 試験では一文字。


 現場では一日。


 その違いで結果が変わる。


 行政書士の仕事は、そういうところにあります。


 私はさらに頁をめくりました。


「ところで」


「何だ」


「未来の行政手続法では、届出の例として行政書士法人の成立届なんかも勉強するんです」


「未来の行政書士法人?」


「……今の発言は忘れてください」


「お前、時々ものすごい爆弾落とすな」


 危険です。


 未来では行政書士法人という制度もありますが、昭和六十三年の二人へ説明し始めたら話が別方向へ飛びます。


 私は慌てて修正しました。


「要するに、ある法人なんかを作った場合に、“成立したら一定期間内に届け出なさい”って制度を想像してください」


「最初からそう言え」


「はい」


 例えば。


 法人が成立した。


 その事実について、


 成立した日から一定期間内に、


 登記事項を証する書類や定款など、法令が指定する書類を添えて、


 所定の機関へ届け出なければならない。


 この場合。


 必要事項を書いた。


 必要書類も添えた。


 正しい提出先へ届いた。


 そこで届出義務を果たした。


 提出先の誰かが、


 「本日これを受理することに決裁しました」


 とハンコを押すまで、義務未履行が続く。


 そんな仕組みにしてしまうと、本人には期限を自分で管理できなくなります。


「役所側が処理を遅らせたら、ずっと未履行になっちゃいますもんね」


「そうだ」


 所長が言いました。


「本人が果たせる義務は、本人が果たせる行為で区切る必要がある」


 私はペンを止めました。


 その言葉、好きです。


「もう一回言ってください」


「嫌だ」


「そこはサービスしてくださいよ」


「自分で書け」


 仕方なく書きました。


 ――本人に課された届出義務を、行政内部の処理速度に左右させない。


 これです。


 未来の第三十七条が明文化する意味。


 形式上きちんと整えた届出を、


 正しい提出先へ届かせた。


 そこまでやったのに、


 行政側がまだ読んでいない。


 担当者が休み。


 上司が出張中。


 決裁箱の下に埋もれている。


 そんな事情で、


 あなたはまだ義務を果たしていません。


 と言われたら困る。


 市民が法律上負う義務の完了時点が、役所の内部事情に左右されるからです。


「昨日、高瀬さんは全部やってた」


 私は言いました。


「必要事項を書いて、添付書類を付けて、正しい窓口へ提出した」


「ああ」


「なのに、役所の内部処理待ちで店まで閉めた」


「ああ」


「だから未来では、“そこまでやったなら届出義務は終わり”って明文化する」


 相馬先輩は、そこで少し不思議そうに私を見ました。


「未来未来って、お前は何を知ってるんだ」


「受験勉強の夢です」


「便利な夢だな」


「はい」


 押し切ります。


 未来人の処世術。


 所長は追及しませんでした。


 たぶん、この人は気づいていても面倒なので触れないタイプです。


「でも、第三十七条ができる前だって」


 私は言いました。


「昨日みたいな問題はあった」


「法律は問題の後から整理されることもある」


 所長が答えます。


「ですよね」


 これが、今回いちばん面白いところかもしれません。


 令和の受験生だった私は、


 行政手続法第三十七条。


 届出。


 形式上の要件。


 到達。


 義務履行。


 そんなふうに覚えていました。


 完全に暗記項目です。


 眠いです。


 正直、条文だけならかなり眠い。


 でも昭和六十三年の高瀬さんには、まだ第三十七条がない。


 だからこそ分かる。


 なぜ、こんな条文が必要になるのか。


 役所が「受理」という言葉を使う。


 市民は行政庁の承認が必要だと思う。


 行政内部の確認が終わるまで待たされる。


 届出と申請の境目がぼやける。


 そういう小さな混乱が積み重なって、


 後の時代に、


 ここは線を引きましょう。


 と法律が言葉にする。


 私はノートへ書きました。


 平成六年十月一日。


 行政手続法施行。


 第三十七条。


 もちろん、所長たちには見えないよう、小さく。


「何書いた」


「秘密です」


「見せろ」


「未来の国家機密です」


「捨てるぞ」


「やめて!」


 私はノートを抱え込みました。


 相馬先輩が笑っています。


 所長は新聞をめくりました。


「試験なら、どこで引っかかる」


 急に聞かれます。


「はい?」


「お前のその未来試験だ」


 所長、乗ってきた。


 私は少し考えます。


「まず、“届出は行政庁が受理した時に義務を履行したことになる”」


「違うな」


「形式上の要件を満たしていれば、提出先に到達したとき」


「ああ」


「次。“届出書に不備があっても、提出先に届きさえすれば届出義務は履行される”」


「違う」


「形式上の要件を満たす必要がある」


「うん」


「次。“行政手続法上の届出とは、行政庁への通知すべてをいう”」


「それも違うんだろ」


 相馬先輩が言いました。


「はい。未来の定義では、申請に当たるものは除かれるし、法令によって直接通知が義務づけられているもの」


「次」


「“届出が到達した時点で、その届出に関係するすべての法的効果が発生する”」


 所長が首を振ります。


「広すぎる」


「ですよね。第三十七条が言っているのは、届出をすべき手続上の義務を履行した、ということ」


「個別法の効果まで全部決めるものじゃない」


「はい」


 だいぶ整理できてきました。


 私は続けます。


「あと、“届出だから届出後は直ちに自由に行為できる”も危ない」


「なぜ」


「個別法によっては、事前届出とか、一定期間経過前の行為制限とか、行政庁が命令できる仕組みもあり得るから」


「そうだ」


「結局、第三十七条だけ見て全部決めちゃ駄目」


「やっとまともになったな」


「ずっとまともです」


「昨日クリームパンで騒いでただろ」


「今日も犯人は先輩ですけどね」


 話を戻します。


 私はノートのページを、きれいに整理しました。


 申請。


 行政庁に対して、許可などの処分を求める。


 行政庁の判断を求める手続。


 届出。


 行政庁へ一定の事項を通知する。


 行政手続法上は、申請を除き、法令によって直接通知が義務づけられているもの。


 そして届出義務の履行。


 必要な記載事項に不備がない。


 必要な添付書類がそろっている。


 その他、法令上の形式的要件を満たしている。


 その届出が、法令上の提出先とされている機関の事務所へ到達する。


 その時点で、


 届出をすべき手続上の義務は履行されたものとなる。


「……うん」


 私は少し満足しました。


「何だ」


「昨日までは、“到達したら終わり”くらいに覚えてたんです」


「雑だな」


「でも今は違います」


 到達したら終わり。


 ではない。


 形式上きちんと整えた届出を、


 正しい提出先へ到達させたら、


 少なくとも届出をすべき手続上の義務については、そこで一区切り。


 行政庁が、


 まだ受理していません。


 上司の決裁がまだです。


 内部処理が終わっていません。


 という理由だけで、


 その義務履行の時点を後ろへ動かすものではない。


「だから」


 私は昨日の高瀬さんの言葉を思い出します。


 ――待たなきゃいけない書類と、出せばいい書類は、同じじゃないんですね。


 あの人は、法律用語を何一つ使わずに、本質を言っていました。


「所長」


「何だ」


「昨日の高瀬さんの言い方が一番分かりやすいです」


「何て言った」


「“許可を待つ書類ですか。それとも、出せばいい書類ですか”」


 所長は少しだけ頷きました。


「実務では、それでいい」


「試験では?」


「正確に書け」


「厳しい」


「当たり前だ」


 相馬先輩が笑います。


「客には分かる言葉で。試験には正しい言葉で」


「先輩、それいいですね」


「だろ」


「ノートに書きます」


「使用料払え」


「著作権まで主張し始めた」


 私は構わず書きました。


 ――実務では「待つ手続か、知らせる手続か」。試験では「申請か、届出か」。


 その下に、もう一行。


 ――「受理待ち」と言われたら、何の法的判断を待っているのか確認する。


 これは覚えておきたい。


 「受理」という言葉だけでは、何も分からない。


 本当に行政庁の判断が必要なのか。


 単なる内部処理なのか。


 形式上の不備があるのか。


 別の許可が必要なのか。


 それとも、


 必要な届出はすでに完了しているのか。


 そこを分解する。


 法律によるカタルシスって、


 相手を言い負かすことじゃないのかもしれません。


 昨日だって、若い職員を懲らしめたわけではない。


 倉田係長が怒鳴り散らしたわけでもない。


 ただ、


 何を待っているんですか。


 その処理は誰のための処理ですか。


 と聞いただけ。


 すると、


 「受理されるまで営業できません」


 という大きな壁が、


 実は法令上の壁ではなく、


 説明の雑さから生まれた壁だったと分かった。


 壁が消えれば、高瀬さんは店を開けられる。


 制服を返せる。


 礼服を渡せる。


 生活が動き出す。


 条文は人を抱きしめません。


 「大変でしたね」とも言いません。


 行政手続法第三十七条にも、そんな優しい言葉は一つもない。


 記載事項。


 添付書類。


 形式上の要件。


 到達。


 義務履行。


 冷たい単語ばかりです。


 でも。


 その冷たさが、


 役所側の気分や処理速度で、市民をいつまでも待たせることを止める。


 あの人はまだ確認していないから。


 係長のハンコがないから。


 上司が帰ってこないから。


 そんな人間くさい事情から、


 市民の義務履行を切り離す。


 冷たいからこそ、公平なのかもしれません。


 私はノートの最後に、


 一行の覚え書きを書きました。


 ――届出は、「役所が認めた時」ではない。形式を整えて「役所に届いた時」、まず市民の義務を役所の内部事情から切り離す。


「長い」


 相馬先輩が言いました。


「一行です」


「文章がでかい」


「内容が大事なんです」


「もっと短くしろ」


「じゃあ先輩なら?」


 相馬先輩は少し考えました。


「届出を、勝手に許可制にするな」


 私はペンを止めます。


「……それ、いいですね」


「だろ」


「採用します」


 その下に、大きく書き直しました。


 ――届出を、勝手に許可制にするな。


 所長が横から見ました。


「試験ではそれだけ書くな」


「分かってます!」


 台無しです。


 でもたぶん、それでいい。


 試験では正確に。


 現場では核心を短く。


 私はノートを閉じました。


 窓の外は、もう暗くなっています。


 少し離れた通りの向こうに、高瀬さんのクリーニング店の看板が見えました。


 明かりがついています。


 昨日は消えていた明かりです。


 たった一枚の届出書。


 たった一言の「受理待ち」。


 それだけで消えた店の灯りが、


 今日はちゃんと点いている。


 未来では、


 その小さな理屈に、


 行政手続法第三十七条、


 という番号がつきます。


 でも昭和六十三年の今日。


 私が先に覚えたのは条文番号ではありませんでした。


 役所に紙が届いているのに、


 役所の中でまだ紙が回っているという理由だけで、


 人の生活まで待たせてはいけない。


 それでした。


「こはる」


「はい」


 所長が机の上に何かを置きました。


 菓子パンです。


「え」


「高瀬さんが帰り際に、俺の分だと言って置いていった」


「所長の分じゃないですか」


「やる」


「いいんですか?」


「ああ」


 私は袋を見ました。


 クリームパン。


 昨日、食べ損ねたやつです。


「所長……」


「早く食え」


「はい!」


 私は袋を開けました。


 その瞬間。


 相馬先輩の手が伸びます。


 私は即座にクリームパンを引き寄せました。


「駄目です」


「まだ食ってないだろ」


「私のところへ到達しました」


「だから何だ」


「手続上の義務は終了です」


「何の手続だ」


「クリームパン取得届」


「そんな制度はない」


「正論で殴らないでください!」


 所長が新聞の向こうで、ほんの少し笑いました。


 私はクリームパンを半分に割ります。


「ほら」


 相馬先輩へ片方を差し出しました。


「何だ」


「半分」


「いいのか」


「昨日働いた人間の権利なんでしょう?」


「分かってきたじゃねえか」


「その権利の根拠は今も不明ですけどね」


 二人で食べました。


 甘い。


 昨日より少しだけ、法律も甘く感じます。


 ただし。


 今日のノートには、最後にもう一つ、小さく付け足しておきました。


 ――試験では必ず「形式上の要件」「提出先への到達」「手続上の義務の履行」の三つを確認すること。


 そして、その横にさらに小さく。


 ――「届出だから何でも即できる」は誤り。個別法を読む。


 ここまで書いて、やっとペンを置きました。


 行政法は、断言するとだいたい罠があります。


 でも。


 その罠を一つずつほどいていけば、


 昨日まで眠かった条文が、


 誰かの店の明かりを守る線に見えてくる。


 届出。


 到達。


 義務履行。


 今夜はたぶん、


 この三つだけは忘れずに眠れそうでした。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。