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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政手続法

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102/272

[行政手続法35条・行政指導の方式]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所は、昼間より少しだけ本音が出ます。


 電話が減る。


 来客も途切れる。


 相馬先輩はネクタイを緩める。


 片桐所長は新聞を広げる。


 そして私は、昼間には分かった気になっていた法律を、だいたい分からなくなります。


「……難しい」


「何がだ」


 相馬先輩が、昨日の残りの卵サンドをつまみながら聞きました。


「それ、昨日のじゃないですか」


「冷蔵庫に入れた」


「昭和六十三年の事務所で食中毒イベント起こさないでくださいよ」


「話をそらすな。何が難しい」


 私は机の上に開いたノートを指で叩きました。


 題名は昨日書いたままです。


 ――行政指導の方式。


 昨日、森川和代さんは、市役所から喫茶店の入口を移すよう求められました。


 命令ではない。


 協力依頼。


 つまり行政指導です。


 ところが、断ろうとすると、


 「あまり非協力的だと、今後の営業許可のこともありますからね」


 そう言われた。


 さらに、別に相談していたテラス席の話まで、


 「入口の件が片付かないと進めにくい」


 と匂わされた。


 お願い。


 なのに、断ったら不利益が起きそう。


 そこで私たちは役所へ行き、


 何を求めているのか。


 強制なのか。


 従わなければ本当に許可に響くのか。


 誰の権限なのか。


 そこを切り分けました。


 最後には倉田係長から、簡単な書面も出してもらった。


 そこまではいい。


 問題はここからです。


「所長」


「何だ」


「昨日のやり方って、今の法律で整理すると、かなりきれいに条文になりますよね」


「今の法律?」


 しまった。


 私は咳払いしました。


「……未来の話です」


「また始まったぞ」


 相馬先輩が卵サンドを食べながら言います。


「朝比奈未来法学」


「便利なんですよ、転生者には」


「知らん」


 私はノートの端に小さく書きました。


 ――後の行政手続法第三十五条。


 もちろん、昭和六十三年の今、この条文は存在しません。


 行政手続法そのものがまだない。


 でも、未来の私は知っています。


 昨日みたいな曖昧な行政指導が積み重なって、


 やがて、


 何を言っているのか。


 誰が責任者なのか。


 どの権限を背景にしているのか。


 そこを明確にしなさい。


 という形で、法律が整理されていく。


 未来から見ると、昨日の森川さんの事件は、まるで条文が生まれる前の見本みたいでした。


「じゃあ整理します」


「勝手にしろ」


「付き合ってください」


「嫌だ」


「お願いです」


「断る」


「行政指導への任意性が確保されていますね」


「その調子で一人でやれ」


「冷たい」


 奥で片桐所長が新聞を一度たたみました。


「まず、行政指導とは何だ」


 突然始まる口頭試問。


 この事務所では、勉強を始めるのにチャイムが要りません。


「行政機関が、その任務や所掌事務の範囲で、一定の行政目的を実現するために、特定の人に一定の作為や不作為を求める……ただし処分には当たらないもの」


「大筋はそれでいい」


「法的な強制力はない」


「そこも重要だ」


 昨日の森川さんに、


 入口を路地側へ移してください。


 と求めた。


 それ自体は、命令ではありません。


 従わなかったら直ちに罰金。


 従わなかったら直ちに営業停止。


 そういう法的効果が生じるわけではない。


 あくまで協力要請。


「でも」


 私はノートに丸をつけました。


「行政指導って、法的強制力がないのに、実際にはすごく強いですよね」


「そりゃ役所から言われるからな」


 相馬先輩が言います。


「飲食店やってる人間に“許可のこともあります”なんて言えば、普通はびびる」


「そこなんです」


 法律上は任意。


 現実には断りにくい。


 このずれがあります。


 だから行政指導では、


 「これは命令じゃありません」


 と言うだけでは足りない。


 相手が何を求められているのか分からない。


 誰の責任で言っているのか分からない。


 従わなければ何が起きるのか分からない。


 そんな状態なら、任意と言われても自由には選べません。


 そこで未来の行政手続法第三十五条は、まず一つ目のルールを置きます。


 行政指導に携わる者は、


 その相手方に対して、


 行政指導の趣旨。


 内容。


 責任者。


 これらを明確に示さなければならない。


「三つですね」


 私は指を立てました。


「趣旨、内容、責任者」


「昨日で当てはめてみろ」


 所長が言います。


「趣旨は……駅前再整備に合わせて景観を統一したい」


「うん」


「内容は、喫茶つばきの正面入口を、路地側へ移設してほしい」


「うん」


「責任者は、商工観光課の倉田係長」


「昨日の時点ではそう整理したな」


 これだけでも、かなり違います。


 最初、森川さんが聞かされていたのは、


「行政として協力してください」


 という、巨大なぼんやりでした。


 行政。


 誰ですか。


 協力。


 何をどこまでですか。


 責任者。


 誰ですか。


 言葉が大きいほど、人は断りにくくなります。


 でも、


 商工観光課の倉田係長が、


 駅前景観の統一を目的として、


 入口移設への協力を求めている。


 そこまで具体化すると、


 急に話が人間サイズになります。


「行政指導の明確化って」


 私は言いました。


「相手に親切に説明しましょう、だけじゃないんですね」


「どういう意味だ」


「圧力を、分解するんです」


 相馬先輩がこちらを見ました。


「説明しろ」


「行政が何となく言ってる、だと強い。でも、趣旨と内容と責任者をはっきりさせると、その指導がどこから来ているのか見える」


「なるほどな」


「誰が言ってるのか分かれば、その人に本当に権限があるのかも確認できる」


「昨日みたいにな」


「はい」


 昨日はここから一段進みました。


 倉田係長は、森川さんにこう言った。


 今後の営業許可のこともありますからね。


 これです。


 私はノートに、少し大きめの文字で書きました。


 ――許認可等の権限を行使できる旨を示す場合。


「未来の第三十五条は、ここをさらに厳しくするんですよね」


「どうなる」


 所長が聞きます。


 私は三つ書きました。


 権限を行使できる根拠となる法令の条項。


 その権限を行使するための要件。


 その要件に今回の事案が適合する理由。


「三点セットです」


「何でそんなにいる」


 相馬先輩が言いました。


「“許可を取り消すぞ”みたいに権限をちらつかせるなら、本当にその権限を使える場面なのか明らかにしろ、ってことです」


 昨日でいえば。


 もし倉田係長が、


「入口を移さないなら、営業許可を取り消すこともあり得ます」


 と正式に言うのなら。


 未来の制度では、


 何法の何条に基づく取消しなのか。


 取消しの要件は何か。


 森川さんが入口移設を拒否したことが、なぜその要件に当たるのか。


 そこを示す必要が出てきます。


「昨日ならどうなる」


 所長が聞きました。


「たぶん、そこで詰みます」


「誰が?」


「役所側が」


 私は笑いました。


 飲食店営業許可を所管しているのは、少なくとも商工観光課ではありません。


 しかも、


 駅前景観のための入口移設に協力しなかった。


 という事実と、


 飲食店営業許可の法定要件。


 この二つは別問題です。


 だから、


「入口を変えないなら営業許可もどうなるか」


 という言葉は、


 根拠。


 要件。


 当てはまり。


 この三つを具体的に聞かれた途端、ものすごく言いにくくなる。


「圧力って」


 私はペンを回しました。


「曖昧なままだと強いんですね」


「昨日もそれ言ってたな」


「でも法理編なので二回言います」


「便利だな法理編」


 私は続けました。


「許認可の権限を示して指導するなら、“権限あるぞ”だけじゃ駄目。根拠と要件と理由を見せる」


「そういうことだな」


 所長が頷きます。


 未来の行政手続法では、これは後の改正でさらに明確化される部分です。


 つまり、


 行政指導に従わないと不許可になるかもしれませんよ。


 取消しもありますよ。


 そんなふうに権限を背景に圧力をかけるなら、


 本当にその権限を使えるのか。


 法律上の根拠を示せ。


 要件を示せ。


 今回それに当たる理由を示せ。


 そう求める。


 これは強い。


 行政側を痛めつけるためではありません。


 権限の話をするなら、権限の言葉で話してください。


 それだけです。


「所長」


「何だ」


「これ、試験で間違えやすいのは、“行政指導するときは常に法令の根拠条文を示さなきゃいけない”って覚えることですね」


「そうだ」


 来ました。


 強すぎる一般化。


 行政書士試験が大好きなやつです。


「普通の行政指導なら、まず明確にするのは趣旨、内容、責任者」


「うん」


「そのうえで、許認可等の権限を行使できると示す場合に、根拠条文、要件、適合理由まで必要になる」


「そこを分けろ」


「はい」


 私はノートを二段に分けました。


 普通の行政指導。


 趣旨。


 内容。


 責任者。


 許認可等の権限を背景に示す行政指導。


 さらに、


 根拠条文。


 権限行使の要件。


 その要件に適合する理由。


「これで昨日の怖さが説明できますね」


「何が」


「“今後の営業許可のこともありますからね”っていう言い方です」


 これは具体的な不利益を匂わせています。


 でも、


 何の許可について。


 誰が。


 何の条文で。


 どういう場合に。


 どんな処分をするのか。


 何も言っていない。


 だから森川さんの頭の中では、


 役所に逆らう。


 イコール。


 店を続けられなくなる。


 そこまで話が勝手につながってしまった。


 制度側が曖昧だと、


 恐怖は相手側で補完されます。


 最悪の形で。


「じゃあ次」


 相馬先輩がノートを覗き込みます。


「書面」


「はい」


「昨日、お前がやたら紙にしろ紙にしろって言ってたやつ」


「やたらは余計です」


「未来ではどうなる」


 私は待ってましたとばかりにページをめくりました。


 行政指導が口頭でされた。


 その場合。


 相手方から、


 行政指導の内容などを記載した書面の交付を求められたとき。


 原則として、


 行政指導に携わる者は書面を交付しなければならない。


「原則」


 私は赤鉛筆で囲みました。


「ここ重要です」


「何で」


「“行政指導は必ず書面でする”じゃないからです」


 相馬先輩が頷きます。


「口頭で行政指導すること自体はある」


「あります」


「でも、口頭でされたあと、相手が書面をくださいと言ったら?」


「原則、交付する」


「そういうことか」


 昨日、森川さんへの指導は口頭でした。


 入口を移してください。


 景観に協力してください。


 許可のこともありますから。


 そのままだと、あとで言った言わないになります。


 そこで書面にする。


 すると、


 行政が本当に求めているのは何か。


 どこまでが行政指導なのか。


 何が法的強制ではないのか。


 形として残る。


「だから書面には意味があるんですね」


「証拠になるからか?」


「それもありますけど」


 私は少し考えました。


「行政自身に、自分たちが何を言っているのか考えさせる効果もありそうです」


 昨日がそうでした。


 口頭では、


 今後の営業許可もありますからね。


 と言えた。


 でも、


 それを書いてください。


 となると止まった。


 商工観光課として、


 入口を移さない場合は飲食店営業許可を不利益に扱う。


 本当にそんな文書を出せるのか。


 出せない。


 だから整理された。


 景観への協力依頼。


 強制ではない。


 営業許可の不利益とは結びつけない。


 テラス席については別途、その手続の要件で判断する。


 紙にしたことで、制度の線が引かれました。


「ただし」


 所長が言いました。


「原則には例外があるんだろう」


「あります」


 私はノートに、


 ――行政上特別の支障がある場合。


 と書きました。


「この場合は、書面交付が不要になる」


「何でも“支障があります”で逃げられるのか」


「それじゃ原則が死にます」


「だな」


「普通の面倒とか手間とかではなく、行政上特別の支障です」


 条文は例外を置いています。


 書面を交付することによって、行政活動に特別な支障が生じる。


 そういう場合には交付しなくてよい。


 ただし、


 書くのが面倒です。


 忙しいです。


 紙がもったいないです。


 くらいで簡単に例外になるなら、原則の意味がありません。


「試験なら」


 私は言いました。


「“相手から書面を求められた場合、いかなる場合でも書面交付が必要である”は誤り」


「例外があるからな」


「はい」


「じゃあ“行政上特別の支障がある場合は書面を交付しなくてもよい”は?」


「正しい」


「よし」


 相馬先輩が満足そうに卵サンドを食べました。


「何で先輩が出題者みたいになってるんです?」


「面白くなってきた」


「行政法に?」


「お前を引っかけるのが」


「最低」


 でも。


 ここで終わりではありません。


 書面交付が不要になる場面は、行政上特別の支障がある場合だけではない。


 私はさらに二つ、番号を書きました。


 一。


 相手方に対し、その場において完了する行為を求める行政指導。


 二。


 すでに文書などで相手方に通知されている事項と同一の内容を求める行政指導。


「これが混乱するんですよ」


「説明しろ」


「はい」


 一つ目。


 その場で終わる行為を求める場合。


 たとえば、


 ここから下がってください。


 この場所に荷物を置かないでください。


 今すぐこの行為をやめてください。


 その場で完了するような行政指導です。


 そんな場合に、


「書面ください」


「では作りますので少々お待ちください」


 と毎回やっていたら、現場が動かないことがあります。


「つまり」


 相馬先輩が言います。


「今そこでやめろ、で終わるやつ」


「大ざっぱには」


「お前、俺に“そのサンドイッチを置いてください”って行政指導したら?」


「行政機関じゃないので成立しません」


「細かい」


「法律ですから」


 二つ目。


 すでに文書または電磁的記録で通知されている事項と同一の内容を求める場合。


「これは分かりやすいですね」


 私は言いました。


「すでに紙でもらってる内容と同じことを口頭で言われただけなら、もう一度同じ内容を書面にして渡す必要まではない」


「重複するからか」


「はい」


 未来なら、電磁的記録も含まれる。


 つまりメールなどで既に通知されている内容と同一なら、それをまた書面にして交付する必要はない。


「昭和六十三年にはメールで役所から行政指導は普通ないですけど」


「だから未来の話を混ぜるな」


「試験では必要なんです!」


 私は少し強めに言いました。


 ここは混同しやすい。


 書面交付を求められたら原則交付。


 でも、


 行政上特別の支障がある。


 その場で完了する行為を求める。


 すでに文書や電磁的記録で同じ内容が通知されている。


 そういう場合には書面交付について例外がある。


「昨日の森川さんの件は?」


 所長が聞きました。


「その場で完了する行為ではありません」


「なぜ」


「店舗入口の移設工事ですから」


「うん」


「継続的に検討して、費用もかかって、工事まで必要な話です」


「既に文書で通知されていたか」


「されていません」


「なら」


「未来の制度なら、森川さんが口頭指導について書面を求めた場合、原則として交付の問題になる場面ですね」


 もちろん、昭和六十三年の昨日、法律上その条文を根拠に請求したわけではありません。


 そこは絶対に混ぜない。


 昨日は、


 行政指導なら内容を曖昧にするな。


 何を求めているかを整理しろ。


 そういう行政法上の考え方と実務的な交渉で書面を出してもらった。


 未来では、その方向性が法律上明文化されていく。


 この違いは大事です。


「こはる」


 相馬先輩が言いました。


「昨日お前、書面にできない圧力は書かせると輪郭が見える、って言ってたよな」


「はい」


「でも所長に、“書面にできないから違法とは限らん”って言われてた」


「そこです」


 私はペンを置きました。


 これはちゃんと整理しておきたい。


 行政指導が口頭で行われた。


 書面の交付を求めた。


 一定の場合には書面交付が要求される。


 だからといって、


 書面がない行政指導は全部違法。


 とは単純に言えません。


 そもそも行政指導そのものを口頭でする場面はあります。


 書面交付にも例外があります。


 それに、昨日の昭和六十三年には、未来の行政手続法第三十五条はまだ存在していない。


「なので」


 私はノートに大きく書きました。


 ――口頭=違法、ではない。


「よし」


 所長が言いました。


「じゃあ逆」


 相馬先輩が楽しそうに言いました。


「紙で書いてあったら適法か?」


「違います」


「即答」


「書面にしても、中身がおかしければおかしいです」


 入口を移さないなら営業許可を取り消します。


 そんな内容を紙にしたからといって、適法になるわけではありません。


 書面は魔法の適法化装置ではない。


 むしろ、


 中身を検証しやすくするためのものです。


 根拠はあるか。


 権限はあるか。


 要件に合っているか。


 行政指導の範囲を超えていないか。


 そこを見る。


「紙に書いた脅しは、立派な脅しですからね」


「物騒な言い方するな」


「でもそうでしょう」


「まあな」


 ここまで整理して、私はノートを見返しました。


 最初は単純に、


 行政指導を口頭でしたら、書面を求められたら出す。


 そんな条文だと思っていました。


 でも現場を通して見ると、全体がつながっています。


 まず。


 行政指導は任意の協力を求めるもの。


 だから、


 趣旨。


 内容。


 責任者。


 これを明確にする。


 そして、


 許認可等の権限を使えると示して圧力をかけるなら、


 根拠条文。


 要件。


 その要件に当たる理由。


 これも明らかにする。


 さらに、


 口頭で行われた行政指導について相手から求めがあれば、


 原則として、その内容等を書面にする。


 ただし例外がある。


「全部、一つの方向ですね」


 私は呟きました。


「何がだ」


 相馬先輩が聞きます。


「曖昧な力を、曖昧なまま使わせない」


 行政指導は命令ではありません。


 でも行政という立場自体に力がある。


 だから、


 何を求めているのか。


 誰の責任か。


 どの権限を背景に言っているのか。


 明らかにしなさい。


 そうする。


「行政指導って」


 私は言いました。


「命令より弱いから、手続が雑でいいんじゃないんですね」


「むしろ逆だな」


 所長が言いました。


「法的強制力がないからこそ、相手が誤解しないようにしなければならない」


 その一言で、全部つながりました。


 命令なら、


 これは命令です。


 法的効果があります。


 不服なら争う方法があります。


 そういう形が見えやすい。


 でも行政指導は、


 お願いします。


 協力してください。


 できれば従ってください。


 という柔らかい言葉で来る。


 だからこそ、


 断っていいのか分からなくなる。


 どこまで拒否できるのか分からなくなる。


 何が起きるのか分からなくなる。


 柔らかい言葉ほど、境界線が必要なのかもしれません。


「試験対策、もう一回やるぞ」


 相馬先輩が言いました。


「本当に楽しんでますよね」


「第一問」


「はい」


「行政指導を行う場合、行政機関は常に書面で行わなければならない」


「誤り」


「理由」


「口頭による行政指導もあり得る。口頭でされた場合に、相手方から所定事項を記載した書面の交付を求められたとき、原則として書面交付が必要になる」


「第二問」


「はい」


「行政指導に携わる者は、相手方に行政指導の趣旨と内容だけ示せばいい」


「誤り。責任者も明確に示す」


「第三問」


「はい」


「行政指導の際に許認可等の権限を行使できる旨を示す場合でも、行政指導だから根拠条文まで示す必要はない」


「誤り。根拠となる法令の条項、権限行使の要件、今回がその要件に適合する理由を示す」


「第四問」


「はい」


「口頭の行政指導について書面の交付を求められた場合、例外なく書面を交付しなければならない」


「誤り。行政上特別の支障がある場合は例外。それに、その場で完了する行為を求める行政指導や、既に文書や電磁的記録で同一内容が通知されている場合も書面交付の規定の適用外」


「第五問」


「まだあるんですか」


「行政法は断言した者から死ぬ」


「それ私の台詞!」


「第五問」


「はいはい」


「既に文書で通知してある事項について、同じ内容を口頭で求めた。相手が書面交付を求めたら、同じ文書をもう一度交付する必要がある」


「誤り。同一内容が既に文書等で通知されている場合は、その書面交付規定は適用されない」


「よし」


「何なんです、この模擬試験」


「サンドイッチ代」


「受験料取られてた!」


 所長が新聞の向こうで言いました。


「一つ抜けてるぞ」


 私は背筋を伸ばしました。


「何です?」


「昨日の事件で一番重要なことだ」


 昨日の事件。


 私は考えます。


 行政指導の趣旨。


 内容。


 責任者。


 書面。


 許認可。


 権限。


 違う。


 所長が見ているのは、そこじゃない。


「森川さんが、断れると理解できたこと?」


「そうだ」


 私は少し黙りました。


 行政指導の方式。


 というテーマだけを見ると、


 何を明示するか。


 書面はいつ必要か。


 例外は何か。


 そこに目が行きます。


 でもその全部は、


 行政指導が行政指導として機能するためにある。


 つまり。


 相手方の任意の協力を前提にするためです。


 何を求められているか分からない。


 断ったら何をされるか分からない。


 誰が責任者か分からない。


 そんな状態では、


 形式上「任意です」と言われても意味がない。


「自由に断れるためには」


 私はゆっくり言いました。


「何を言われているか分からないといけない」


「そういうことだ」


 所長が言いました。


 ああ。


 これか。


 昨日、森川さんは、


「入口は変えられません」


 と言うこと自体が怖かった。


 その先に営業許可の取消しがあるように感じていたから。


 でも紙にして整理すると、


 入口移設は協力依頼。


 それを断ることだけで営業許可を不利益に扱う趣旨ではない。


 テラス席は別の要件で判断する。


 そう分かった。


 だから森川さんは初めて、


 入口を移す。


 移さない。


 費用を見て考える。


 それを自分で選べるようになった。


 行政手続法第三十五条が守ろうとしているもの。


 それは、きれいな文書ではありません。


 相手方が、


 自分が何を求められているか理解した上で、


 どうするか考えられる状態。


 その土台です。


 私はノートの最後に、線を一本引きました。


 そして今日の一行を書きます。


 ――行政指導は、柔らかいからこそ、輪郭をはっきりさせる。


 相馬先輩が横から読みました。


「今日は短いな」


「一行の覚え書きですから」


「昨日はもっと性格悪いこと書いてただろ」


「“書けない圧力は、書かせると輪郭が見える”ですか」


「それ」


 私は少し考えて、その下にもう一行だけ書き足しました。


 ――「許可もありますから」と言われたら、根拠・要件・理由を分けて聞く。


「試験っぽくなったな」


「実務でも効きます」


「それはそうだ」


 所長が新聞を畳みました。


「ただし今は昭和六十三年だ」


「はい」


「未来の条文を役所で読み上げるなよ」


「分かってます」


「本当か?」


 相馬先輩が疑います。


「私だって時代考証には気を使ってますよ」


「時代考証って、自分がその時代にいる人間の台詞じゃないぞ」


「そこは転生者特権です」


 窓の外を見ると、駅前の方に工事用の照明が見えました。


 町はまだ変わり続けています。


 景観。


 道路。


 仮設店舗。


 営業。


 開発。


 役所はこれからも、たくさんの人に協力を求めるでしょう。


 行政指導そのものが悪いわけではありません。


 全部を処分や命令で動かすより、


 話し合いで済ませた方がいいこともある。


 柔軟に調整できることもある。


 でも柔軟さは、ときどき境界線を消します。


 お願いなのか。


 命令なのか。


 断れるのか。


 許認可を本当に左右するのか。


 誰の責任なのか。


 その境目が消えたとき、


 行政指導は便利な調整手段から、見えない圧力に変わる。


 だから未来では、


 趣旨を示せ。


 内容を示せ。


 責任者を示せ。


 許認可をちらつかせるなら、根拠と要件と理由を示せ。


 口頭なら、求められたときは原則として書面にせよ。


 そうやって一つずつ輪郭を描く。


 法律って、ときどき不思議です。


 冷たい形式を増やすことで、


 人が安心して「嫌です」と言える場所を作る。


 昨日の森川さんを思い出しました。


 書面を読んだあと、


「全然違います」


 と言った顔。


 たぶん、行政指導の方式という条文を覚えるなら、


 私はもう忘れません。


 趣旨。


 内容。


 責任者。


 根拠条文。


 要件。


 適合理由。


 書面交付。


 例外。


 文字だけなら眠いです。


 間違いなく眠い。


 でも、その向こうに、


 「店を取られるのかと思いました」


 と震えていた人がいる。


 そう思えば、


 これは単なる方式じゃない。


 人が、役所の言葉を必要以上に怖がらなくて済むための方式です。


「こはる」


 相馬先輩が呼びました。


「何です?」


「最後のサンドイッチ」


「まだ残ってたんですか」


「食うなら今だぞ」


「それ行政指導ですか?」


「違う」


「命令?」


「もっと強い」


「何です?」


 相馬先輩が最後の一切れを持ち上げました。


「十秒後に俺が食うという事実の告知」


「待って!」


 私は手を伸ばしました。


 所長がぼそりと言いました。


「その場において完了する行為だな」


 私は固まりました。


「所長」


「何だ」


「今の、わざと言いました?」


「知らん」


「絶対分かって言いましたよね?」


 相馬先輩が笑います。


「ほら朝比奈。その場で完了するぞ」


「その行政指導には従いません!」


「じゃあ食う」


「任意性が守られてない!」


 結局、最後のサンドイッチは半分こになりました。


 方式は口頭。


 趣旨は空腹の解消。


 内容は公平な分配。


 責任者は相馬先輩。


 法的拘束力なし。


 書面交付なし。


 行政上特別の支障もなし。


 そして何より、


 私は自分の意思で半分を選びました。


 たぶんそれが、


 今日いちばん行政指導らしい終わり方でした。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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