[行政手続法34条・許認可等の権限に関連する行政指導]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所には、昼間より少しだけ本音が残ります。
来客は帰る。
電話も減る。
役所も閉まる。
そして机の上には、
今日一日みんなが言葉を濁したところだけが、きれいに残る。
私はノートを開きました。
今日の見出し。
――許認可等の権限に関連する行政指導。
「長い」
「昨日も言ってたな」
相馬先輩が新聞をめくりながら言いました。
「やっぱり長いです」
「じゃあ縮めろ」
「許可ちらつかせ禁止」
「雑だ」
「でも核心では?」
「試験で書いたら落ちるぞ」
「分かってます」
私だって、答案に、
『許可ちらつかせ禁止です』
とは書きません。
たぶん採点者が一瞬だけ笑って、そのあと静かに点を引きます。
私は今日の出来事を思い返しました。
大橋惣菜店。
駅前再整備に伴って、仮設店舗へ移転する予定。
新しい店舗で営業するための許認可手続を進めていた。
そこで役所から、
店先の半分を観光案内スペースとして空けてほしい、
と協力を求められた。
大橋さんは、
それでは商売にならない、
と断ろうとした。
すると担当者は、
『あくまでお願いです』
と言いながら、
『こちらとしても、営業許可のことがありますから』
と続けた。
さらに、
『市に協力していただけないとなると、今後の手続も難しくなるかもしれませんよ』
とも。
でも確認すると。
観光案内スペースを提供しないことだけを理由に、営業許可を出さないことはできない。
しかも市役所側には、
本当に不許可にする意思もなかった。
つまり。
使えない。
あるいは使う気のない権限を、
使えるように見せて、
行政指導に従わせようとした。
「所長」
「何だ」
「今日のテーマ、まず何から分ければいいですか」
片桐所長が帳簿から顔を上げました。
「権限があるか」
「はい」
「その権限を今使えるか」
「はい」
「使う意思があるか」
「はい」
「そして、その権限を行政指導の圧力に使っていないか」
私はペンを止めました。
「四段階ですね」
「そう考えればいい」
なるほど。
未来の行政手続法第三十四条は、文章だけ読むとかなりややこしい。
許認可等をする権限。
許認可等に基づく処分をする権限。
当該権限を行使することができない場合。
行使する意思がない場合。
当該権限を行使し得る旨を殊更に示す。
相手方に行政指導に従うことを余儀なくさせる。
長い。
硬い。
受験生の集中力を折る気満々です。
でも今日の事件に当てはめると、急に分かります。
「まず」
私はノートに書きました。
――権限を持っていること自体は問題ではない。
「当然だろ」
相馬先輩が言います。
「そこ、意外と大事ですよ」
「何が」
「役所が許可権限を持ってるから危険、って話じゃない」
「当たり前だ」
「必要な権限ですもんね」
営業を許可する。
条件に違反した場合、必要な処分をする。
法律に基づいて行政を動かすためには、行政機関に権限が必要です。
問題なのは、
その権限を、
行政指導に従わせるための見せ札に使うこと。
「例えば」
私は言いました。
「役所が大橋さんに、『この設備では許可要件を満たしません』って言う」
「うん」
「本当に要件を満たしてないなら?」
「それは普通の話だ」
「ですよね」
そこでは、
行政が許可権限を持っていることも、
要件を満たさなければ許可できないと伝えることも、
当然あり得る。
第三十四条が禁止しているのは、
権限を説明すること全部ではありません。
「ここ、試験で引っかかりそうですね」
「どういう選択肢だ」
「『許認可権限を有する行政機関は、行政指導に際してその権限に言及してはならない』」
「誤りだな」
「ですよね」
片桐所長が言いました。
「必要な説明までできなくなるわけじゃない」
そう。
例えば。
この設備では衛生基準を満たさない。
改善されなければ、許可できない。
これは、
法令上の要件と許認可権限の正当な関係を説明している。
それと。
観光案内スペースを出してくれないなら、
営業許可もどうなるか分かりませんよ。
これは違う。
「つまり」
私は言いました。
「権限を示したことより、何のために示したかを見る」
「そうだ」
所長が頷きます。
私は次の見出しを書きました。
――権限を行使することができない場合。
「ここ、ちょっとややこしいです」
「何が」
「権限は持ってる。でも今は使えない」
「今日の大橋さんだな」
「そうです」
商工観光課なり関係行政機関なりが、
営業の許認可に関係する権限を持っている。
でも、
「観光案内に協力しない」
というだけでは、
営業許可を拒む法的根拠にならない。
つまり。
権限のカード自体は持っている。
でも、
今この場面ではそのカードを切れない。
「カードで覚えるな」
相馬先輩が言いました。
「分かりやすいじゃないですか」
「行政法が急に博打みたいになる」
「でも本質は近いです」
私はノートに書きます。
権限を持っている。
イコール、
いつでも行使できる。
ではない。
行政権限は、
法律が定めた要件や目的に従って使うもの。
だから、
許認可の要件に関係しない事情を理由に、
本来使えない権限を使えるように見せる。
それが問題になる。
「今日で言えば」
私は整理します。
「大橋さんが観光案内スペースを提供しない」
「うん」
「でもそれ自体は、営業許可の要件とは直接関係なかった」
「ああ」
「だから、そのことを理由に不許可にできない」
「そうだな」
「なのに『こちらには営業許可がありますから』と見せた」
「うん」
「だから問題」
相馬先輩が新聞を畳みました。
「じゃあ次」
「はい」
「権限を使える場合なら、何を言ってもいいのか」
来ました。
嫌な質問。
受験生の敵。
「何でもは駄目でしょう」
「なぜ」
「行政指導は任意だから」
「前回の復習だな」
「はい」
行政指導は、
行政手続法第三十二条の世界では、
相手方の任意の協力によって実現される。
だから、
許認可権限を実際に行使できる場面だったとしても、
行政指導を装って不当に圧力をかけてよい、
という話にはならない。
ただ。
第三十四条が特に狙っているのは、
権限を行使できない、
または行使する意思がないのに、
あえてその権限を見せて従わせる場面。
「つまり」
私は言いました。
「三十四条は、特に悪質というか、いやらしい場面を切ってるんですね」
「言い方」
「でもそうじゃないですか」
権限を本当に使えるなら、
少なくとも相手には、
現実にその法的リスクがあります。
もちろん言い方や運用は適正である必要があります。
でも。
本当は使えない。
または使う気がない。
なのに、
「使うかもしれませんよ」
と相手に思わせる。
これは、
権限の影だけを使っている。
「影だけって表現は悪くないな」
相馬先輩が言いました。
「珍しく褒めました?」
「気のせいだ」
私は少し嬉しくなって、次へ進みました。
――権限を行使する意思がない場合。
「これ、今日の倉田係長そのものですね」
市役所側は、
観光案内スペースに協力しない大橋さんを、
本当に不許可にするつもりはなかった。
倉田係長自身、
「そこまでのつもりはありません」
と言いました。
それなのに。
「こちらには許可がありますから」
と示していた。
「これって」
私は言いました。
「使えるかどうか以前に、使う気もないんですよね」
「そうだな」
「なのに相手には使うかもしれないと思わせる」
「うん」
「かなり卑怯ですね」
所長が少しだけ眉を上げました。
「強い言葉は使うな」
「はい」
「だが、相手の判断を歪める点では問題だ」
「ですよね」
ここ。
三十四条の大事なところです。
行政側が、
本当にその権限を行使する予定があるのか。
それとも、
単に行政指導へ従わせるために、
権限を背景として見せているだけなのか。
「じゃあ」
相馬先輩が言います。
「『権限を行使する意思がない』って、誰の気持ちを見るんだ?」
「行政機関側ですよね」
「ああ」
「担当者個人だけじゃなく、その行政機関として、その権限を本当に使う意思があるのか」
「そう考えた方がいい」
私は頷きました。
行政法では、
個人の感情と制度上の権限を混ぜると危ない。
倉田係長が、
大橋さんに腹を立てている。
それだけでは、
行政機関として不許可にする意思があることにはならない。
逆に、
担当者は穏やかでも、
行政機関として正式に処分を検討しているなら、
その事情は別。
「誰が」
「何の権限で」
「何をする意思があるか」
いつもの行政法です。
地味だけど逃げません。
私は次の言葉を書きました。
――殊更に示す。
「これ、試験で聞かれそうです」
「意味は?」
所長が聞きました。
「わざと強調して示す、って感じですよね」
「ああ」
「単に権限が存在しているだけじゃ足りない」
「そうだ」
例えば。
申請書の用紙に、
この行政機関が許可を担当します、
と書いてある。
それだけで第三十四条違反になるわけではない。
窓口職員が、
許認可の仕組みを説明する。
それだけでも当然問題ではない。
問題は。
行政指導の相手に、
「こちらには許可をしないこともできますからね」
「こちらには営業停止の権限もありますよ」
などと、
ことさらに権限を前へ出す。
しかも、
本当はその場面で使えない。
または使う意思がない。
その結果、
相手が、
従わなければ許可をもらえない。
営業を止められる。
そう恐れて行政指導に従う。
「『殊更に』って大事ですね」
「何でも一言出したら駄目、ではないからな」
「はい」
行政法はまた、
極端な覚え方を拒んできます。
面倒です。
でも正確です。
「で」
相馬先輩が言いました。
「一番大事な部分は」
「行政指導に従うことを余儀なくさせること」
「そうだな」
余儀なくさせる。
これも強い言葉です。
要するに、
自由に断れなくする。
行政指導は本来、任意。
それなのに、
許認可等の権限をちらつかせて、
断れば不許可。
断れば営業停止。
断れば何かされる。
そう思わせて、
事実上、行政指導に従わせる。
「三十四条って」
私は言いました。
「結局、三十二条の任意性を守るための特別ルールなんですね」
「そう捉えると分かりやすい」
所長が言いました。
私はノートに線を引きます。
三十二条。
行政指導は、相手方の任意の協力で実現する。
三十四条。
その任意性を、許認可権限の威圧で壊すな。
「ああ」
急にきれいにつながりました。
「分かりました」
「何が」
「三十四条だけ単独で覚えると訳分からないんですよ」
「うん」
「でも三十二条の『任意性』を、許認可の場面で具体化したものだと思うと分かりやすい」
「そうだな」
前回。
小野寺さんの事件では、
行政指導に従わなかったことを理由として、
補助金で不利益を受けるかもしれない、
という圧力が問題でした。
その次。
三田村さんの事件では、
申請取下げの行政指導を拒否した後も、
指導を続けて申請処理を止めることが問題でした。
そして今回。
大橋さんの事件では、
許認可権限を背景にして、
行政指導を断れなくさせることが問題。
「似てるけど違う」
私は呟きました。
「行政法はそればっかりだ」
相馬先輩が言います。
「本当ですね」
でも、
人で覚えると分かります。
小野寺さん。
断ったら別制度で不利益を匂わせられた。
三田村さん。
取下げを断ったら申請自体が進まなかった。
大橋さん。
断ったら許可されないかもしれないと思わされた。
全部、
行政指導の任意性が壊れる場面。
壊れ方だけが違う。
「じゃあ」
私は言いました。
「条文にある四つの組合せ、整理します」
「やってみろ」
許認可等をする権限。
その権限を行使できない場合。
その権限を行使する意思がない場合。
許認可等に基づく処分をする権限。
その権限を行使できない場合。
その権限を行使する意思がない場合。
「要するに」
私は少し考えました。
「権限の種類が二つ」
「うん」
「権限を使えないか、使う気がないかで二つ」
「うん」
「二掛ける二で四パターン」
「そういうことだ」
「教材に四つ並ぶと怖いですけど、中身は二種類の掛け算ですね」
「教材って何だ」
「脳内教材です」
「またか」
私は無視して続けます。
一つ目。
許認可等をする権限。
例えば許可する、認可する、といった権限。
二つ目。
許認可等に基づく処分をする権限。
例えば許可を受けた者に対して、法令上の要件に基づき取消しや停止などの処分をする権限。
「つまり」
私は言いました。
「許可を出す前だけじゃない」
「そうだ」
「許可を出した後もあり得る」
「ああ」
ここは大事です。
例えば飲食店が既に営業許可を持っている。
行政が、
地域清掃に協力してください、
と行政指導する。
その店が断る。
すると役所が、
「こちらには営業停止の権限もありますからね」
と示す。
でも、
地域清掃に協力しないことは営業停止の要件ではない。
あるいは、
本当に営業停止にする気もない。
それなのに、
その権限をちらつかせて協力を迫る。
「これも三十四条型ですね」
「そうだ」
「許可前だけじゃなく、許可後も」
「その理解でいい」
私は大きく丸をつけました。
試験では、
「許認可等をする権限」
だけ見て覚えていたら危ない。
「許認可等に基づく処分をする権限」
もある。
「取消しとか停止とか」
「場合によるが、そういうイメージでいい」
「怖いですね」
「だから効くんだ」
相馬先輩が言いました。
確かに。
まだ許可がない人に、
「許可しませんよ」
も怖い。
既に商売している人に、
「営業止めることもできますよ」
も怖い。
だから行政側が本当にその権限を使えるかどうか、
本当に使う意思があるかどうか、
そこを無視して威圧材料にすると、
相手の自由な意思は簡単に消えます。
「所長」
「何だ」
「じゃあ、行政が本当に権限を行使できて、しかも行使する意思もある場合は、三十四条のこの禁止には当たらない?」
「条文の射程としては、そう整理する」
「でも何を言ってもいいわけではない」
「もちろんだ」
「三十二条とか、他の原則は残る」
「そうだ」
ここも試験のポイントになりそうです。
三十四条に当たらない。
イコール、
行政指導が何でも適法。
ではない。
行政指導一般の任意性。
権限逸脱の禁止。
不利益取扱い。
その他、法令上の制約。
全部別に検討する。
「行政法って」
私はため息をつきました。
「一個の条文から逃げても、次の条文が待ってますね」
「逃げる前提で勉強するな」
相馬先輩が言いました。
私はノートの端に、
今日の大橋さんの会話を書きました。
市役所が許可をちらつかせる。
大橋さんは、
断ったら営業できないと思う。
だから、本当は困るのに展示スペースを提供しようとする。
でも。
許可とは関係ない。
不許可にする意思もない。
そのことが明らかになった。
すると大橋さんは、
全面拒否ではなく、
「端の一メートルなら」
と自分から譲歩した。
「これ、面白いですね」
「何が」
「圧力をなくしたら、協力がなくなるんじゃなくて、逆にちゃんと協力が出てきた」
所長が頷きました。
「任意だから話し合える」
短い。
でも今日の全部です。
行政指導は、
強制できないから弱い。
ではない。
強制しないからこそ、
相手が自分で、
できる範囲を選べる。
全部は無理。
でもここまでなら。
その答えが出る。
権限で押しつぶせば、
従うか反発するかの二択になる。
任意性を守れば、
交渉の幅が生まれる。
「制度の冷たさって」
私は呟きました。
「やっぱり、人を冷たくするためじゃないんですね」
相馬先輩がこちらを見る。
「急にどうした」
「権限は権限。お願いはお願い。混ぜるなっていう冷たい線引きがあるから、大橋さんが自由に考えられた」
「まあな」
「その結果、役所も観光案内スペースを少し確保できた」
「そうだな」
誰も完全勝利していません。
市役所は、
店先半分のスペースを取れなかった。
大橋さんも、
店先を全部自分だけで使うわけではなくなった。
でも。
力で決めるより、
ずっとまともな着地点です。
私はノートの最後に、
試験用の注意を書きました。
第三十四条は、
許認可等の権限を持っているだけで適用されるのではない。
その権限を行使できない場合、
または行使する意思がない場合。
その権限を行使し得ることを殊更に示し、
相手を行政指導に従わせることを余儀なくさせる。
そこがポイント。
「長い」
自分で書いて、自分で嫌になりました。
「条文だから仕方ない」
相馬先輩が言います。
「じゃあ覚え書きにします」
私は一行だけ大きく書きました。
――使えない権限、使わない権限を見せて、「お願い」を命令に変えない。
「それでいい」
所長が言いました。
私は少し考えて、
さらに下へ書き足しました。
――許可を持つ手で頼むなら、その手を拳に見せない。
「急に詩人になったな」
相馬先輩が言います。
「法理編の最後くらい格好つけさせてください」
「却下」
「所長?」
「最初の一行で十分だ」
「冷たい!」
でも。
それでいいのかもしれません。
行政法は、
格好いい言葉より、
冷たい区別の方が強い。
権限がある。
権限を使える。
権限を使う意思がある。
その三つは同じではない。
そして、
そのどれかを曖昧にしたまま、
「こちらには力がありますから」
と相手へ見せつけてはいけない。
未来では、
その線に、
行政手続法第三十四条という番号がつきます。
昭和六十三年の今日。
私はそれを、
コロッケ屋のおじさんと、
ちょっと疲れた市役所の係長から教わりました。
法律用語は冷たい。
許認可等。
処分権限。
権限行使。
行政指導。
どれも温かみのない文字です。
でも。
その冷たい文字が、
役所の持つ大きな力と、
市民の「嫌です」を、
ちゃんと別々に置いてくれる。
権限がある者ほど、
お願いするときは、
その権限を後ろに立たせない。
たぶん、
それが今日の行政法でした。
「こはる」
相馬先輩が言いました。
「何です」
「机、明日片づけろ」
「嫌です」
「俺は先輩だぞ」
「先輩権限を殊更に示した!」
「そんな権限はない」
「じゃあ余計に駄目じゃないですか!」
片桐所長が新聞を畳みました。
「二人とも帰れ」
「命令ですか?」
「業務終了だ」
「合理的!」
私はノートを閉じました。
今日の一行。
使えない権限も。
使う気のない権限も。
人を従わせるための影にしてはいけない。
たぶん明日から、
役所で、
「こちらには権限がありますから」
と言われたら。
私は少しだけ落ち着いて、
次の二つを聞ける気がします。
その権限。
本当に今、使えるんですか。
そして。
本当に使うつもりなんですか。
行政法は、
権限の名前を怖がる前に、
その権限の足元を見る学問なのかもしれません。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




