X バシリオ・エル・アストゥリアス
「なんだか喧しいと思って来てみたんだけどね。どうやら、丸腰の相手に暴力を振るおうとしている生徒がいるみたいだ」
飄々とバシリオ先生は言う。
カルメロは驚いた様子だったが、けれど、やがて余裕の笑みを浮かべた。
「誰かと思えば……古いことにしか興味のない、能無しの先生じゃありませんか」
「ああ、そのとおりだね」
カルメロの挑発にも乗らず、バシリオ先生は剣を構え直す。一方、カルメロもふたたび剣をまっすぐにバシリオ先生に向けた。
サグレス王子がいる以上、王族のバシリオ先生だって、怖くないんだろう。
さらに……カルメロは学園の一年生とは言え、剣術の腕はかなりのものだ。たいていの大人では手も足も出ないと思う。
一方、バシリオ先生は……どう見ても、本と古い遺物を相手にしてきたインドア派で、強そうには見えない。
「せ、先生。無理をしないでください」
わたしが声をかけると、バシリオ先生はこちらを振り向かないまま応えた。
「大丈夫。無理をするというのは、僕がもっとも嫌いなことなんだ」
その言葉には、少しだけ面白がるような響きがあった。
「手加減は……しませんからね!」
カルメロが鋭い斬撃を繰り出し、踏み込んだ。
……勝負は一瞬だった。
「……え?」
わたしもフィルも息を飲んだ。
カルメロは……呆然と立ち尽くしていた。その手にはもはや剣はない。
バシリオ先生の木剣が、カルメロの剣を捉え、そして、叩き落としたようだった。目にも留まらぬ速さ、というのはこういうことを言うのだと思う。
わたしには……何が起こったかわからなかった。
ただひとつ、バシリオ先生が勝ったということ以外。
「まだ続けるかね?」
バシリオ先生は、あたりを瞬間で凍えさせるような冷たい声で言った。
さっきまでの、穏やかな教師の雰囲気はどこにもなく……バシリオ先生は苛烈にすら見えた。
カルメロが顔を歪ませ、そして、剣を床から取り、そして、ふたたび斬りかかる。
けれど、二度目の勝負も一瞬で、決着がついた。
バシリオ先生は軽々とカルメロの剣を避け、そして、したたかにカルメロの胴を打った。
カルメロは苦痛にうめき、そして剣を取り落した。
憎しみのこもった目で、カルメロはバシリオ先生を見上げている。
「あなたは何者なんですか?」
「ただの能無しの教師さ」
「そんなはずない! ただの教師や王族が、こんなに強いはずがない。それに、その剣術は……」
「そう。国家傭兵団の剣だ。かつて僕は国家傭兵団の少佐だった。それがどうかしたかな」
わたしはあっと驚いた。国家傭兵団といえば、カロリスタ王国軍最強の部隊だ。
国王の直接の指揮下にあり、あらゆる汚れ仕事を行い、そして、激戦地に赴く。王国の財政のため、外国の戦争にも参加して、金を稼いでくるのも仕事だった。
そんな軍人の中の軍人なら、カルメロに勝つのだって簡単なはずだ。
でも、バシリオ先生がそうだったなんて、とても信じられない。
バシリオ先生は急ににっこりと微笑むと、がらりと穏やかな雰囲気に変わった。
「さて、カルメロ君。今の僕は、軍人じゃなくて教師だ。というわけで、今度の件で、明日の朝、呼び出させてもらおうか」
もう、カルメロは抵抗する気もなくなったのか、こくこくとうなずいていた。
「最後に一つ。君はクレアさんとフィル君に言うべきことがあるね」
「……申し訳ありませんでした!」
カルメロは怯えた様子で言うと、そして逃げるように立ち去り、廊下から一瞬で消えた。
よほどバシリオ先生が怖かったんだろう。
バシリオ先生はため息をつくと、わたしたちの方を向いた。
そして、ぽりぽりと頬をかいた。
「災難だったね。それに、恥ずかしいところを見せてしまった」
「いえ……すごかったです。あんなに……先生が剣術に強いなんて思いませんでした」
「僕のは剣術とは呼べないね。今となっては、何の役にも立たない、人殺しの技術だよ」
バシリオ先生は気負う様子もなく、卑下するでもなく、淡々という。
フィルがわたしの袖を引っ張った。
「ねえ、クレアお姉ちゃん……」
「なあに?」
「お姉ちゃんは、剣の練習相手を探していたんだよね?」
わたしはフィルの目をまじまじと見つめた。フィルの言いたいことがわかったからだ。
バシリオ先生は不思議そうに首をかしげている。
フィルは顔を赤くして、わたしとバシリオ先生を見比べて言う。
「バシリオ先生に、剣の師匠になってもらえばいいんじゃないかな」
たしかに……それは良いかもしれない。
あれほどの実力を持っていて、しかも、特殊な剣術の使い手なら、学べることは多いはず。
バシリオ先生は目を白黒とさせた。
「いやあ、まあ、国家傭兵団の剣術は門外不出というわけでもないし、教える分には問題ないけど。ただ……」
「ただ?」
「僕が教えるなんて、向いてなさそうだけどね」
「一応、教師ですよね……」
バシリオ先生は、ははは、と笑った。
わたしはバシリオ先生に対して、何か見返りを出そうと思った。例えば、公爵領で、なにか先生の研究に役立ちそうなものを見つけるとか……。
でも、わたしがそう言うと、バシリオ先生は笑って断った。
「気持ちはいただいておくよ。リアレス公爵家が研究に協力してくれるなら、嬉しいからね。でも、君のいうとおり、僕は教師だ。生徒を教えることに、見返りなんてもらわないよ。給料だけで十分だ」
「でも……」
「それに、クレアさんは……どうも、この先も危険な目にあいそうだからね」
バシリオ先生は淡い青色の瞳で、わたしを穏やかに見つめた。
この先生は、何かに……わたしが秘密を抱えていることに気づいているのかもしれない。
でも、いま、重要なのは……剣の技術をより磨いて、剣術大会で優勝することだった。
フィルを陥れようとしたサグレス王子を倒す。そして、輝魔石のペンダントを手に入れて、フィルとおそろいにするんだ!
「ありがとうございます。バシリオ先生、これからよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
そして、フィルを振り返る。この提案が実現したのは、フィルのおかげだ。フィルがいなければ、わたしはバシリオ先生のもとを訪れなかったし、剣を教えてもられるほど好意的には思われなかったかもしれない。
でも、フィルはなぜだか、わたしとバシリオ先生を不安そうに見つめていた。
フィルはとてとてと、バシリオ先生のもとへ行く。
「あの……」
「なんだい?」
バシリオ先生は身をかがめ、優しくフィルを見つめた。
そして、フィルは、わたしには聞こえないほどの小さな声で、バシリオ先生にささやく。
バシリオ先生は、フィルの言葉を聞き終わると、にっこりと笑った。
「大丈夫。僕は君の大事なお姉ちゃんを取ったりしないよ」
フィルは顔を赤くして、こくこくとうなずいた。
バシリオ先生がかっこいい、フィルたちが可愛い! と思っていただけましたら……
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