XXXXVIII 僕らの敵
その日の夕方、わたしと王太子とフィルは、王宮の書庫の奥深くにいた。
本の並んだ高い棚の隙間を、わたしたちは歩いていく。
さすが王宮の書庫だけあって、公爵家の何倍もの蔵書がある。
たくさんの古めかしい蔵書に、フィルはきらきらと目を輝かせている。
フィルは大の本好きで、そんなフィルにとっては宝の山のようだった。
「フィルって本当に本の虫ね」
とわたしがからかうように言うと、フィルは微笑んで、ためらいなく「うん」とうなずいた。
フィルが喜んでくれるのは、わたしも嬉しい。
けれど、王太子がわたしたちをここに案内したのは、もっと別の用事だった。
王宮奥にある預言の書。
それをわたしたちに見せるためだ。内容は極秘だから、従者なしに、わたしたち三人だけでここに来ている。
わたしは歩きながら、蜘蛛の巣を手で払い、王太子に聞いてみる。
「王妃様って弟がいらっしゃるんですか?」
「ああ……子どものころ、仲の良い弟がいたそうだよ。僕から見れば、叔父にあたる人かな。でも、母上がこの国に嫁いだ後に、病気で亡くなってしまってね。生きているあいだ会うことができなくて、母上はそのことをずっと後悔しているんだ」
「そういうことだったんですね……」
それなら、王妃が弟にこだわるのも理解できる。
王妃は、わたしとフィルを、自分と弟の関係に重ねて見ているのかもしれない。
王妃は弟を救えなかったけど、わたしはフィルを救えた。
王太子はかすかに微笑んだ。
「母上はクレアのことを気に入ったみたいだよ。とてもね」
「それは……良かったです」
まあ、嫌われるよりはずっと良いのだけれど、なんとなく不安だ。
良くないことが起きそうな……。
王太子は壁と書棚のあいだの狭い空間で、立ち止まった。
そして、その壁をとんとんと叩く。
すると、壁から扉が現れた。隠し扉になっているようだけれど……物理的に隠されていたわけじゃない。
「魔法の力さ。失われたとはいえ、古い魔法の痕跡は今でも残っている」
「その一つがこの隠し扉と……その先にある預言の書なのですね」
「そのとおり」
王太子が扉を開け放つと、小さな四角形の部屋があった。
フィルが驚いたように息を呑む。
そこには大きな赤い宝石と……古びた赤い本が、ガラスの箱のなかに並べられていた。
かなり分厚く、紙はかなり傷んでいた。
「これが……預言の書……」
「そのとおり。『聖フィリアの預言』さ」
「読んでみてもいいですか?」
「どうぞご自由に」
王太子はガラスの箱からうやうやしくその取り出すと、わたしに手渡した。
この預言の書の内容を知ることができれば、わたしが破滅を回避するのに役立つかもしれない。
わたしは勢い込んでページをめくった。
けれど……。
「何ですか、これ?」
「読めないだろう?」
王太子は肩をすくめた。
預言書は、見たこともないような、不思議な記号のようなもので埋め尽くされていた。
たぶん……カロリスタ王国の言葉ではないのだと思う。
それに、有名な外国語でもない。
自慢じゃないけど、わたしは公爵令嬢だ。
社交に差し支えないように、アレマニア、トラキア、マグレブ……といった主要国の言葉を多少は勉強している。
でも、ここに書かれているのは、そのなかのどの言葉でもなかった。
「フィル、ここに書かれている文字、わかる?」
わたしはダメもとでフィルに聞いてみる。
フィルは興味深そうに、本の文字を見つめ、そしてつぶやく。
「魔法時代より前の……とても古い言葉の……文字じゃないかな?」
「どうして知ってるの!?」
わたしはフィルをまじまじと見つめ、王太子もびっくりしたようにフィルを見る。
二人分の視線を受けて、フィルはびくっと震える。
「え、えっとね、読めるわけじゃないんだ。けど、事典で読んだことがあったから……古代文字の一種だって……」
フィルが消え入るような声で言う。
いけない。フィルを怖がらせちゃったかも。
わたしはフィルの頭を撫でると、微笑んだ。
「教えてくれてありがとう、フィル」
フィルはくすぐったそうにして、安心したようにうなずいた。
その横で、なぜか王太子が拗ねたように、わたしたちを見つめている。
「……そのとおり。フィル君の言う通り、これは太古の昔、龍の時代の言葉で書かれている。……つまり、ね。読めないんだよ」
「読めない?」
「この預言書の文字の大半は解読できていない。僕らの時代について、わかっていることは少ない。あと数年で、やがてこの国に大きな災いが訪れること、その危機を救うのは、国王の妻たる『暁の聖女』であること。そして……」
「災いをもたらすのが、『夜の魔女』ということですか」
「ああ。……だから、僕は、クレアが暁の聖女だと思った。そうであれば、国王となる僕が破滅を防ぐには、クレアの存在が必要になる」
「けど、わたしは聖女じゃなかったわけですね」
「まあ、うん。勘違いだったようだ。ただ、聖女は国王の妻ということになっているから……」
「だとすると、殿下が別の方とご結婚なさるということでしょう?」
わたしが言うと、殿下は目を見開いてとても驚いていた。
……その発想がなかったのか。
「そして、災いを防ぐには、夜の魔女の出現を防がないといけないわけですね。すると、殿下はわたしを……」
わたしは言いよどんだ。
預言のとおりだとすれば、王太子はわたしを……夜の魔女を殺す必要がある。
考えてみると、危険な状況かもしれない。
ここにいるのは、王太子とわたしとフィルだけだ。しかも、王宮奥の書庫。
もし王太子がわたしを殺そうとしたら……逃げられないかもしれない。
その時、フィルがわたしの前に立ちはだかった。
「クレアお姉ちゃんに……なにかしようとしたら、許さないよ」
フィルは威嚇するように王太子に向かって言う。
こんなふうにフィルが敵意を示すのを見るのは、はじめてだ。
わたしはびっくりして、フィルを見つめた。
「……お姉ちゃんはぼくが守るんだ」
フィルは小さく、でも、きっぱりと言った。
王太子は意外そうに端整な眉を上げたが、やがて首を横に振った。
「いや、僕はクレアを殺さない」
「どうしてですか?」
「まず、聖女が不在なのに、クレアをどうこうしようとするのは危険が大きすぎる。夜の魔女は聖女にしか倒せない。預言ではそう記されている。それに……」
「それに?」
「僕はいちおう王太子だ。この国の未来の統治者だ。なのに、何の罪もない女の子を……自分の婚約者を殺すことは、正義に反する」
王太子はよどみなく言った。
王太子は努力家で、責任感の強い人だった。前回の人生でも、まだ12歳の今回も、それは変わらない。
逆に言えば、王太子は、今の2つの条件さえ問題がなければ、わたしを殺すということだと思う。
つまり、前回の人生は……そうだった。
聖女シアが現れた。そして、わたしはシアを殺そうとする大罪を犯した。
そんな状況なら、王太子がわたしを殺すのに、ためらいはないはずだ。だって、相手は災いを呼ぶ「夜の魔女」なんだから。
王太子はうつむき、つぶやいた。
「ともかく、僕らの敵を倒すことが必要だ。クレアを狙い、フィル君に呪いをかけ、僕を陥れようとする存在。それを倒せば……」
王太子がわたしを監禁しておく必要もなくなる。
わたしがうなずこうとしたとき、部屋に一人の人影が現れた。
「その必要はない」
重々しい言葉に、わたしたちは振り返る。
大学図書館の書庫を思い出しながら書きました。面白かった方はブクマやポイントで応援いただければ嬉しいです。
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