XXXXII それだけじゃ、ダメなんだ
わたしはフィルにうなずき返すと、王太子に声をかけた。
そして、にっこりと微笑む。
「わたしも殿下の演奏、また聞いてみたいです」
わたしがそう言うと、王太子は顔をますます赤くした。
恥ずかしがっている王太子は少し可愛いかもしれない。
「ちょうどこの部屋に弦楽器があるみたいですから。もちろん、殿下が鍵盤楽器しか演奏できないのでしたら、別ですけど」
わたしが少し挑発的にそう言うと、王太子は首を横に振った。
「もちろん、ヴィオリーンだって弾けるさ。宮廷楽長に習ったからね」
「そうですよね。楽しみです」
わたしが微笑むと、王太子は照れながらも、「クレアがそう言うなら」と言って、嬉しそうにヴィオリーンを手にとった。
鍵盤楽器というのはわたしは見たことがなかったけれど、弦楽器はわたしも手にとったことのある、それなりに普及している楽器だ。
だから、王太子も演奏できるはず、と思った。まあ、鍵盤楽器のほうを熱心に練習していたのだと思うし、弦楽器のほうはそれほどでもないかもしれないけど。
ところが……王太子の腕は予想以上だった。
王太子が弓を弾くと、鍵盤楽器のとき以上に、豊かな表情の音色がヴィオリーンから流れる。
それはどこかさみしげで、美しい曲だった。さっきまで、王太子はわたしやアリスに頬を染めていたけれど、今は音楽のことしか、考えていないようで、演奏に没頭していた。
その表情は……前回の人生で、わたしが知っていた王太子のどんな表情よりも美しかった。
わたしは王太子のことを何も知らなかったんだなあ、と思う。
わたしを危険から守ろうとしてくれていたり、音楽家になりたいという夢があったり……。前回の人生でも、これは同じだったはずで、でも、わたしは何も知らなかった。
王太子が演奏を終えると、みんな拍手した。アリスとレオンは王太子の演奏の凄まじさにびっくりしていて、フィルやシアも素直に王太子に称賛を送っていた。
「今の曲はなんという曲なのですか?」
「ああ……今のは無伴奏ヴィオリーンのための別れのソナタ、という曲の第一楽章のなかから、一番綺麗な部分を弾いたんだ」
「別れのソナタ?」
「うん。そういう曲名だけど?」
「綺麗な曲で、とっても素敵でした。でも……どうして別れの曲なんですか?」
「いや、単に僕が好きな曲だから……」
わたしに問われ、王太子はしどろもどろに答えた。素が出ているのか、一人称が僕になっている。
わたしは王太子に微笑んだ。
「別れの曲はふさわしくありません。みんなで楽しい時間を過ごしているんですから」
「ああ……そうか。そうかもしれない。それに……クレアにはこれからも僕のそばにいてもらわないと困るし……」
「監禁から解放してくださるという意味での別れの曲でしたら、大歓迎ですよ!」
「いや、そんなつもりはなくて……なあ、クレア、やっぱり、僕のそばにいるのは嫌かな。僕は君を必要としている」
その言葉に、他のみんなが反応した。アリスは面白がっていて、シアは複雑そうな表情を浮かべ、レオンは顔を赤くし、そして……フィルは王太子を睨みつけていた。
普通に考えれば、愛の告白なのかもしれない。でも、王太子がわたしを必要としているのは、公爵令嬢であるというわたしの身分が役に立つからだ。
わたしは必要とされる存在になりたい。前回の人生では、誰からも必要とされずに、殺されていったから。
でも……。
わたしは首を横に振った。
ショックを受ける王太子に、わたしは優しく言う。
「殿下……わたしはわたし自身として必要とされたいんです。わたしがわたしだから必要としてくれるのでしたら、とても嬉しいのですが……殿下はそうではありません」
「いや……そんなことはない……」
「殿下はわたしのことを好きですか?」
王太子は絶句した。
答えられない、と思う。王太子はわたしのことを好きなわけではないから。
恋人として、どころか、友人だとも、前回の王太子は、わたしのことを思っていなかった。
今回も……同じはずだ。
王太子に対して、わたしは、ゆっくりと言う。
「殿下……アンコールです」
「アンコール?」
「はい。別れの曲はふさわしくありませんから、もっと楽しく、心躍るような、喜びにあふれるような曲を聞かせてください」
王太子はしばらく呆然としていたが、やがて、ふふっと笑った。
「クレアは……面白いな」
「そうですか?」
「ああ……普通のお嬢様だと思っていたが……クレアは……」
王太子は何か言いかけて、そして首を横に振った。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……いいだろう。楽しく、心躍るような、喜びにあふれるような曲か」
そして、王太子はふたたび弦楽器を手にとった。
美しい調べが部屋に満ちる。
わたし、王太子、シア、アリス、レオン、そして、フィル。
前回の人生では、ばらばらの運命をたどった六人が、今は穏やかな時間をともに過ごしている。
監禁されていることを除けば、素敵な時間だった。
こんな時間が続けばいいのに、と思う。
でも、それはきっと許されない。
破滅の予兆がきっとすぐにやってくる。
その回避のために、わたしは王妃と会わないといけない。
フィルがわたしを見上げ、頬を膨らませていた。
「お姉ちゃん……王太子殿下と仲が良さそうだね……」
「そう?」
「うん……」
もしかして、ヤキモチを焼いてくれているのかもしれない。
そうだとしたら、ちょっと可愛い。
王太子の演奏を聞きながら、フィルはつぶやいた。
「ぼくも……お姉ちゃんを喜ばせてあげたいな」
「フィルが一緒にいてくれるだけで、わたしは嬉しいわ」
「ありがとう。……でも、きっとそれだけじゃ、ダメなんだと思う……」
フィルは小さく、でも強い決意を秘めたような表情で、そうつぶやいた。
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