第六話 3日前の電話
起訴の知らせは、逮捕から3週間ほどして、辰巳先生の口から聞いた。
事務所の給湯室で、先生は紙コップを二つ並べ、インスタントのコーヒーを淹れた。
「罪名は、不同意性交等致傷。裁判員裁判になります」
「はい」
「公判前整理手続がありますから、期日が決まるまでに数か月はかかるでしょう。被害者参加の申出は、私が出します」
「お願いします」
「損害賠償命令の申立ても、同じ流れで準備しておきます。それと、八代さんには接見禁止がついています。母親に、教唆の疑いがあるので」
先生は紙コップの一つを、私の前に置いた。
「会社のほうは、就業規則どおり起訴休職にしたそうです。駒井が、待つのは性に合わないと電話でこぼしていましたよ」
「父らしいです」
紙コップの湯気が細くなって消えても、私は口をつけなかった。
付き合っていたころ、あの人は笑って言っていた。仕送りのおかげで、うちは今じゃ町一番の家なんだ、と。
結婚しても遥を実家には帰らせないし、親を呼んで住まわせたりもしない。そう何度も言っていたのも、同じ口だった。
*
公判の3日前のことだ。
知らない番号からの着信が、二度鳴って切れた。三度目で、出た。
「……もしもし」
「あの……」
細い声だった。語尾が、すぐに消える。
「男児さんの……睦です。あの夜の」
「何のご用ですか」
「あの人に、会えますか。会いに行きたくて」
「どこから電話してるの」
「駅の近くの、ビジネスホテルです。末と二人で。こっちに出てくるのも、あの夜が初めてで……帰りの切符も、まだ買ってなくて」
「接見禁止がついてる。家族は会えない」
「じゃあ、弁護士さんは。あの人の弁護士さんは、誰ですか」
「知らない。私には関係ない。刑務所に入ってほしいだけ」
電話の向こうで、息を吸う音がした。
「でも、あなたの夫なのに」
「夫?」
自分の声が、一段低くなった。
「あの人とは4年付き合ったけど、私は籍なんて入れてない。それに、娘さんは5歳よね」
「……」
「あの人が、そっちで結婚したのはいつ?」
「18のとき、です。向こうの家で、式を挙げて」
声が、少しずつ細くなっていく。
「届は、出してなくて。19で、末を産みました」
「籍は」
「お義母さんが、男の子を産んだら入れるって。男児さんも、そうしようって。私、それを待って……」
そこで、声が途切れた。
男の子を産んだら。
18で式を挙げて、19で産んで。生まれたのが女の子だったから、まだ待っている。
スマホを持つ手に、力が入った。
「家制度は戦後に消えました」
返事はなかった。
通話を切った。
スマホを机に伏せる。キーボードに置いた指が、しばらく動かなかった。
画面には、書きかけの準備書面が開いたままだった。
*
同じ番号が、夕方にもう一度鳴った。
画面をしばらく見つめて、四度目の呼び出しで出た。
「……さっきは、すみません」
「何ですか」
「判決を、見に行ってもいいですか。末が、パパに会いたいって、ずっと言ってて」
机の上のカレンダーに目をやった。
「傍聴は、誰でもできる。初日は木曜の10時から。地方裁判所の、裁判員裁判の法廷」
「ありがとうございます。ありがとう……」
「一つだけ」
「はい」
「娘さんがまた私に手を出したら、そのときも同じように、法律で守ってもらう。それは、言っておきます」
「……はい。言い聞かせます」
切ったあと、伏せたスマホの上に、しばらく手を置いていた。
*
翌日の夜、同じ番号から三度目の着信があった。
「お義父さんとお義母さんが、出てきたんです。昨日」
睦の声は、昨日より早口だった。
「それで、あの、示談にしてもらえないかって。だって、あの人は、まだ何も——」
「もう起訴されてる。私が何をしても、止まらない。それに、和解はしません。誰が頭を下げに来ても」
「なんで私が、あんたに頭を下げなきゃならないの」
声が、替わった。
太く、大きく、語尾まで押し出してくる声だった。
「あんた、あの子と何年付き合ったの。4年でしょう。4年もあの子の時間を使っておいて、今になって警察だ裁判だって、どういうつもり?」
「付き合ってる相手に寝かせないなんて、そんな話がある?」
「……」
「あの子は東央まで出たのよ。あの年、町から国立に行ったのはあの子だけ。それをあんたは、前科者にするつもり?」
「一回くらい何なの」
スマホを持つ指先が、冷たくなった。
「あの女が男を産めなかっただけの話でしょう。だったら、あんたが産めばいいじゃないの。そうすれば、あの子だって——」
「女がそんなに値打ちのないものなら、あなたも女でしょう。ご自分は何なんですか」
向こうで、息を呑む音。言い返される前に、通話を切った。
録音しておけばよかった。
そう思っただけで、指は動かない。番号を着信拒否にして、スマホを裏返した。
*
その夜、仲介の担当者からメッセージが届いた。
『明日14時、レジデンス鉢森の内見のご予約が入りました。ご都合が合えば、立ち会いをお願いできますか』
公判の、前日だった。
『伺います』と返した。
翌日の午後、マンションのエントランスに向かう角を曲がったところで、足が止まった。
自動ドアの前に、四人いた。
睦と、末。それから、年寄りの男と女が一人ずつ。
腕を組んだほうの女が、ゆっくりこちらを向いた。




