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第7話:法の番人の継承

 ユリウスが生まれたのは、後宮に入って二年目の春だった。


 産声を聞いた瞬間、ヒカルが泣いた。それは前の話でも触れたが——実を言うと、私も泣いた。自分でも驚いた。感情を後回しにすることに慣れすぎていて、泣き方をほとんど忘れていたから。


 ユリウスは小さかった。竜の血を引く異母兄弟たちと比べれば、ひときわ小さく、人間らしい赤子だった。テラが「可愛らしい」と言い、ルーナが祝福の光を灯した。レヴィアは「細いわね」と言いながら、それでも目を細めていた。


 ちょうど同じ頃、実際には半月ほど前だが、レヴィアもヒカルの最初の皇子ライオスを産んでいた。


 同い年の異母兄弟。片や炎の竜姫の息子、片や人間の皇女の息子。二人の誕生を、ヒカルはどちらも同じように泣いて迎えた。あの方は、本当にそういう人間だった。


 成長するにつれ、ユリウスは私に似てきた。


 感情より論理を優先し、規則に厳格で、妥協を嫌う。父ヒカルの知性は受け継いだが、ヒカルの持つ温かな柔軟さは、残念ながらあまり引き継がなかった。


 問題が起きたのは、ユリウスが十二の頃だった。


 ライオスが、城下の市場で竜族の力を使って騒ぎを起こした。怪我人は出なかったが、露店が三軒壊れた。ライオスは悪気がなかった——ただ、友人が絡まれているのを見て、咄嗟に動いた。それだけのことだった。


 しかしながら、そんなライオスに対しても、ユリウスは容赦しなかった。


「竜族の力の無許可使用は、第十二条の三に抵触します。理由の如何を問わず、正式な謝罪と弁償が必要です」


 同い年の細い少年が、異母兄に向かって条文を諳んじる。ライオスは最初笑っていたが、ユリウスが一歩も引かないと分かると、次第に顔色を変えた。


「お前、俺の弟じゃないか!?」

「それとこれとは別の話です!」

「血も涙もないな」

「血と涙で法を曲げるなら、法の意味がありません!」


 ライオスが拳を握った。レヴィアが止めに入り、その日は騒動で終わった。



 夜、ユリウスが私の執務室に来た。叱られると思っていたのだろう、入り口で少し躊躇していた。


 私は書類から目を上げ、椅子を引いて向かいに座るよう示した。


「……怒っていないのですか?」

「怒る理由がありません」


 ユリウスが少し驚いた顔をした。


「ただ……」


 私は続けた。


「一つだけ、覚えておきなさい」


「法とは、孤独なものです」


 ユリウスは黙って私を見ていた。


「正しいことを言えば、必ず嫌われる場面が来る。身内にも、友人にも、時には自分自身にも。それでも曲げなければ、法は機能しない」

「……分かっています」

「分かっていると、耐えられるは別のことです」


 ユリウスが少し黙った。


「ライオスが怒っていました。私のことを嫌いになったかもしれません」

「なったかもしれませんね」

「……それでも、やるべきだったのでしょうか?」

「貴方はどう思いますか」


 ユリウスはしばらく考えた。窓の外で風が鳴っている。執務室の蝋燭が、静かに揺れた。


「……やるべきだった、と思います。でも」

「でも?」

「もう少し、言い方があったかもしれません」


 私は内心で、少し安堵した。論理だけでなく、その先を考えられる。この子はまだ育つ。


「正解です」


 ユリウスが顔を上げた。


「法は盾です。人を傷つけるための剣ではない。ライオスを罰することが目的ではなく、次に誰かが傷つかないための仕組みを守ることが目的だった。……その順序を、言葉の中に入れなさい。そうすれば、相手は怒っても、納得はします」

「納得させれば、いいのですか?」

「好かれる必要はありません。ただ、納得は必要です。納得のない法は、恨みを生むだけだから」


 ユリウスはしばらく黙った後、静かに言った。


「……母上は、ずっとそうやってきたのですか?」

「ええ」

「孤独では、なかったですか?」


 私は少し考えた。


「孤独でした。でも——孤独と、孤立は違います」


 ユリウスが首を傾げた。


「孤独は、自分が選ぶもの。孤立は、気づかぬうちに起きるもの。私は孤独を選びましたが、孤立はしていなかった。……テラ様が、スープを持ってきてくれたから」


 ユリウスがわずかに目を細めた。意味を完全には理解していないだろうが、何かを感じ取った顔だった。


 それで十分だった。


 この子はいつか、自分なりの答えを見つける。私の言葉は、その時のための種でしかない。


「もう休みなさい」


 ユリウスが立ち上がり、扉に向かった。一度振り返って、ぎこちなく言った。


「……ありがとうございます、母上」


 その不器用な礼の言い方が、ヒカルに似ていた。私は黙って頷いた。


◇◆◇◆◇


 話し終えると、レヴィアが「あー、ユリウスらしい」と言いながら背もたれに体を預けた。


「あの子、今でもそうよ。先月も、ライオスが承認しようとした正規軍の予算申請に赤字入れて突き返してたわ」

「それは正しい判断です」

「分かってるけど、言い方! ライオスが拗ねてたのよ、三日も。あいつは容赦なさすぎるって」


 ソイルが苦笑した。


「家でも書類に赤字を入れてきますよ。私の設計図に、法令基準を満たしていない箇所があると言って」

「それはもはや夫婦の会話じゃないわ」とレヴィア。


「でも、合っていることは合っていますので」


 そこへ、扉が静かにノックされた。


「……開いていますか」


 アクアだった。書類を小脇に抱え、眼鏡を押し上げながら入ってきた。部屋の中の顔ぶれを見渡して、わずかに眉を上げた。


「これは、何の集まりですか?」

「レオーネの昔話よ」とレヴィア。「ユリウスの子供の頃の話。アクアも聞く?」


「……少しだけ」


 アクアが椅子を引いた。少しだけ、と言いながら書類を膝の上に置いているあたり、長居するつもりだろうと私は思った。


「ユリウスについて言えば……」


 アクアが静かに口を開いた。


「宰相としての判断力は、申し分ないわ。感情論に流されず、長期的な視点で制度を設計できる。私が評価するのはその点よ」

「それ、褒めてるの?」とレヴィア。


「事実を述べているだけ」


 ソイルが少し嬉しそうな顔をした。それを見たレヴィアが、身を乗り出した。


「ねえ、ソイル。ユリウスのどこが好きなの? あんなに堅い子のどこに惹かれたわけ?」


 ソイルが少し困った顔をした。


「……どこ、と言われても」

「あるでしょ、絶対。顔? 頭? あ、もしかして法律の話してる時?」

「レヴィア様!!」

「ごめん、ごめん。冗談よ。でも本当に、どこ?」


 ソイルはしばらく考えた。それから、静かに言った。


「……間違えた時に、ちゃんと謝るところです」


 部屋が少し静かになった。


「あの人、滅多に謝らないんですけど。でも、本当に間違えた時は、言葉少なくても、必ずちゃんと謝ります。……ヒカル様、お父様に似てるな、と思って」


 レヴィアが、少し黙った。


 アクアが眼鏡を押し上げて、窓の外を見た。


「……似ていますね」と私は言った。「あの子は、ヒカルの一番大切なものを受け継いだのかもしれません」


 嘘をつかない。間違えたら認める。それだけのことが、どれほど難しいか——帝国の宮廷で育った私には、よく分かっていた。


 レヴィアが「もう、なんか泣きそうじゃない」と言いながら木の実を一粒口に放り込んだ。アクアが「感情的ね」と言い、レヴィアが「うるさい」と言った。


 レヴィアが木の実を口に放り込みながら、ふと思い出したように言った。


「うちの孫のティア、最近、剣の腕を上げたらしいのよ」

「ライオスとシズクの娘ですね」とソイルが言った。


「そう。水と炎の血を引いているし、水属性の母親のシズクの影響強いかと思ってたんだけど、結局頭脳派より剣を選んだの。フレイと一緒に訓練しているみたいで」


「フレイはシリウスとノアの息子だなぁ、って思います。やっぱりレヴィア様とフレア様の血筋、炎の流れですよね」

「ええ。男の子なので炎の気質が強くて、ほんっと、うちのおてんば娘のノアに似てるわ。……でも、あの二人、毎日ひ孫たちのかくれんぼに付き合わされているでしょう。忙しいのに、なかなか断れないみたいで」


「それは貴女に似たのではないですか?」と私は静かに言った。

「失礼ね!」


 レヴィアが言いながらも、口元が緩んでいた。


「そういや、あんたの孫のクレイとマールはどうなのよ?」とレヴィアが私に向き直った。

「クレイはドワーフの工房で修行中です。マールは先月、設計の小さな賞を取ったと手紙が来ました」

「さっすがソイルの娘ね!」


 レヴィアの称賛に、ソイルが少し照れた顔をした。


「じゃぁ、レヴィア様のために、次は、ライオスが王位に就いた頃のことを話しましょう」

「ライオスの!? 聞く聞く!」


 レヴィアが前のめりになった。アクアも書類を閉じた。


 ソイルが、温め直した紅茶を静かに注いだ。


【第8話へ続く】


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