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第8話:次世代の相克と宰相の資質

 ライオスが王位に就いたのは、若くしてヒカルが退いてから間もない頃だった。


 第二代の王。レヴィアの息子。炎の血と、ヒカルの優しさを受け継いだ青年は、父譲りの人懐っこさで誰からも慕われた。竜族の兵士たちも、人間の臣下たちも、ライオスの笑顔に心を開いた。それは、ヒカルが長年かけて築いた信頼の土台があってこそだったが、ライオス自身の資質でもあった。


 問題は、その「優しさ」が時として判断を曇らせることだった。


 ユリウスが宰相に任命された時、彼はライオスと同じく二十代の半ばだった。年齢だけ見れば若すぎる。だが、帝国の法体系と竜の国の統治制度を両方熟知している者は、この国にほとんどいなかった。私が育てた、という自負は持っていない。ユリウスは自分で育った。ただ、私が種を蒔いた場所に、正しく根を張った。


 就任して早々、ユリウスは動いた。


 ライオス王の側近への人事について、ユリウスは書面で異議を唱えた。側近の半数以上が、王と個人的な親交のある竜族で占められていたからだ。能力に問題があるわけではない。だが、構造として偏りがある。


 ライオスはその書面を読んで、苦笑した。


「ユリウスらしいな。俺の友人たちを、まとめて問題視するか」

「友人であることは問題ではありません。友人しかいないことが問題です」


 ユリウスは書面の中でそう書いていた。


 この一文が、宮廷に小さな波紋を広げた。



 正式な幹部会議の場でも、ユリウスは臆さなかった。


 議題は新たな通商条約の締結について。ライオスが提案した条約の草案には、竜族の商人に有利な条項がいくつか含まれていた。意図的ではない。ライオスが日頃から付き合いのある商人たちの声を、善意で反映させた結果だった。


 ユリウスは、その草案に赤を入れて持ってきた。


「王族同士の絆が強すぎることは、他種族から見れば独占と腐敗の温床に映ります」


 会議室が静まり返った。


 ライオスの表情が、わずかに固まった。傍らに控えていたフレアが、椅子の上で身じろぎした。竜族の古参将軍たちが、互いに視線を交わした。


 ユリウスは続けた。


「この草案の第七条と第十二条は、竜族商人の関税優遇が人間商人の三倍に達します。これは帝国との条約で定めた『種族間の対等な経済参加』の原則に反する。意図がなかったとしても、構造として差別です」

「……お前は、俺が腐敗していると言いたいのか?」


 ライオスの声は、怒りというより、傷ついた色を帯びていた。


「そうは言っていません」


 ユリウスは静かに、しかし一歩も引かずに言った。


「腐敗は、意図から生まれるとは限りません。善意から生まれることの方が、むしろ多い。だからこそ、制度で防がなければならない」


 沈黙が落ちた。


 その時、ライオスの隣から静かな声が上がった。


 王妃シズク。アクアの娘で、ライオスより1つ年下の、涼やかな水色の瞳を持つ若い王妃。幼い頃からライオスとユリウスの議論を何度も見てきた彼女は、場の空気を読みながらも、一切ひるまずに口を開いた。


「……ライオス様。ユリウス兄さまが正しいです」


 ライオスが、妻を見た。


「論理的に見て、この草案には問題があります。第七条と第十二条だけでなく、第三条の物流優先権についても、他種族への説明が不十分です。ユリウス兄さまの指摘は感情論ではなく、数字と条文に基づいている。反論するなら、同じ土俵で議論してくださいまし」


 静寂。


 ライオスの口が、何かを言おうとして、止まった。


「……お前は、誰の味方なんだ?」


 絞り出すような声だった。


 シズクは眉一つ動かさずに答えた。


「味方とか関係ありません。これは国の将来のためですから」


 会議室のどこかで、小さく息を呑む音がした。


 ライオスは長い間、妻と宰相を交互に見ていた。やがて、深く息を吐いた。


「……草案を、作り直す」


 ユリウスが深く頭を下げた。シズクが静かに頷いた。




 会議が終わった後、私はヒカルと共に廊下の陰からその光景の余韻を眺めていた。部屋から出てきたライオスが、廊下でぼそぼそと言うのが聞こえた。


「……ユリウスだけじゃなく、シズクにまで」


 それだけ言って、大きな肩を落として歩いていった。


 ヒカルが、静かに笑った。


「ユリウスは君にそっくりだ」

「……シズクは、アクア様にそっくりですね」

「ああ。ライオスは、俺と同じ苦労をするな」


 あの方は、心底可笑しそうに、それでいて温かく、そう言った。


 私は何も言わなかった。ただ、胸の奥で何かが静かに満ちていくのを感じた。



 ◇◆◇◆◇



 話し終えると、レヴィアが盛大にため息をついた。


「……分かってる。シズクは優秀よ。分かってるんだけど……」

「分かっているなら、十分では?」

「なんでよりによってアクアの娘なのよ。しかも、ライオスったら完全にシズクに頭が上がらないじゃない。フレアもそうよ。あの子、シエルの前では借りてきた猫みたいになるんだから」


 レヴィアは腕を組み、心底納得がいかないという顔をした。


「炎の竜って、なんで水の竜の女に惹かれるのかしら。ライオスも、フレアも——なんで惚れちゃったのかしら、まったく」

「貴女が言いますか、それを」


 私が静かに言うと、レヴィアが「私は違う!」と即座に言った。


「ヒカルは水じゃないもの!」

「そうですね」

「そうでしょ! ……ただまあ、ヒカルも私の言うことを全部聞くわけじゃないけど」


 最後の方は、少し小さな声だった。


 そこへ、廊下から穏やかな足音が二つ。扉が静かにノックされた。


「レオーネ様、よろしいですか」


 ルーナだった。純白に近い金の髪が、廊下の灯火に柔らかく光っている。その隣に、蜂蜜色の瞳のテラが立っていた。


「ソイルがこちらにいると聞いて。少しお邪魔してもよいかしら」

「もちろんです。お二人ともどうぞ」


 二人が入ってきた瞬間、ソイルの顔が少し変わった。


「母様!」

「ええ、元気にしていますか、ソイル?」


 テラが静かに微笑んで、ソイルの隣に座った。それだけで、部屋の空気が少し柔らかくなった。テラという人は、昔からそういう方だ。存在しているだけで、場が落ち着く。


「ユリウスとシズクの話をしていたのでしょう? 廊下まで聞こえていたわ」


 ルーナが穏やかに言った。レヴィアが「盗み聞きじゃない」と言い、ルーナが「扉の前を通っただけですわ」と笑った。


「レヴィア姉様、シズクのこと、まだ言っているの?」


 テラが静かに言った。レヴィアが「言ってない! ……いや、少し言ってた」と答えた。


「シズクは良い子よ」

「分かってる! 分かってるのよ、テラ! でも——」

「ライオスは幸せそうでしょう?」


 レヴィアが口を閉じた。


 少し間があった。


「……そうね」


 小さく、しかし確かに言った。


「あの子が笑ってるのは……まあ、認める」


 テラが静かに頷いた。


 ソイルが、笑いをこらえながら口を開いた。


「でも、レヴィア伯母様とアクア伯母様って、なんだかんだで仲良しですよね」


 レヴィアの表情が、複雑に歪んだ。


 否定しようとして、でも否定しきれない。認めたくないけれど、嘘もつけない。そういう顔だった。


「……仲良しって言葉は、違う」

「でも、昨日も一緒にお茶してましたよね」

「あ、あれは、シズクの教育方針について話し合っていただけよ!!」

「あら、その前の日も……」

「ルーナ、それは——別の話よ」


「レヴィア様」


 私が静かに言うと、レヴィアが「なによ」と拗ねた顔をした。


「貴女とアクアは、最初からずっとそうです。反目しているようで、最終的には同じ方向を向いている」


 レヴィアがしばらく黙った。


「……認めたら負けな気がするのよね」

「何に負けるのですか?」

「分かんないけど……」


 ルーナが「素直ですね」と穏やかに笑った。テラが目を細めた。


「ユリウスはね」


 テラが静かに口を開いた。ソイルが、母の顔を見た。


「小さい頃から、あの子は怒り方が不器用だった。本当は怖かったり、悲しかったりするのに、全部論理に変えてしまう。……レオーネ様に、よく似ていると思っていました」

「似すぎていて、申し訳ないと思うこともあります、とヒカル様に言ったら……」


「なんと?」とソイルが聞いた。


「『なんで? 俺は嬉しいけど』と」


 テラが、ほんの少し笑った。


「……あの方らしい」

「本当に……」


 レヴィアが「ヒカルはいつもそうなのよ」と言いながら、木の実の包みをまさぐった。もうほとんど空だった。


 ソイルが、静かに言った。


「ユリウスが不器用な怒り方をするのは、私も知っています。でも——たまに、ふっと柔らかくなる瞬間がある」


「どんな時に?」とルーナが優しく聞いた。


「上手く言えないんですけど……誰かが本当に困っている時に、黙って動いている。言葉にしない。でも、ちゃんとやっている」


 部屋が静かになった。


「それは……」


 テラが、穏やかに言った。


「ヒカル様から受け継いだものね」


 レヴィアが「認めるのは癪だけど、そうね」と言った。ルーナが静かに微笑んだ。


 私は、温くなった紅茶を一口飲んだ。


 この部屋に集まった顔ぶれを、静かに見渡した。炎の王妃、光の王妃、土の王妃、そして土の王妃の娘。それぞれが、それぞれの形でこの国を作ってきた。


 ユリウスは、この全員に囲まれて育った。不器用なはずがない、とは言えない。ただ——孤独ではなかった。それだけは、確かだ。


「じゃぁ、次は、ソイルのことを話しましょう」


 ソイルが「え?」と顔を上げた。


「貴女が初めてユリウスと会った日のことを、私はよく覚えています」

「お、お義母様、そ、それは——」


「聞きたい!」


 レヴィアが即座に言った。テラも、珍しく少し前のめりになっていた。ルーナが「私も」と穏やかに言った。


 ソイルが、耳まで赤くなった。



【第9話へ続く】


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