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第18話 薬草戦争

第18話 薬草戦争


 最初に異変が届いたのは、まだ朝霧の残る早朝だった。


 王宮薬草茶室の扉が激しく開かれる。


「エレナ様!」


 飛び込んできたのは流通管理局の若い文官だった。額に汗を浮かべ、肩で息をしている。


「隣国北部で疫病性の熱病が広がっています! 鎮静系薬草の需要が急増し、各国が買い占めを始めました!」


 エレナは薬草棚の前で顔を上げた。


「……どの薬草ですか」


「白香樹、銀花草、薄荷葉、それから乾燥柑橘葉も!」


 嫌な予感が胸を走る。


 それは、王宮茶室でも頻繁に使う基礎薬草だった。


 しかも生活用として広く流通している。


 買い占めが始まれば、真っ先に困るのは一般市民だ。


 エレナはすぐに立ち上がった。


「在庫量は」


「王都分は一ヶ月程度ですが、このままでは価格が三倍以上に跳ね上がると……!」


 その時、奥の扉が開いた。


 アルヴェインだった。


 表情は険しい。


「各国が備蓄封鎖に動いている。南方諸国は輸出停止を宣言した」


 空気が張りつめる。


 薬草はただの嗜好品ではない。


 疲労回復。

 睡眠補助。

 感染時の体力維持。


 生活に密接に関わるものだ。


 もし流通が崩れれば、民衆の不安は一気に爆発する。


「商会連中は?」


 アルヴェインが問う。


 文官が顔をしかめた。


「すでに投機目的の買い占めが始まっています。港湾倉庫から薬草が消えています」


 エレナは静かに目を閉じた。


 脳裏に地図が浮かぶ。


 北部農園。

 南方乾燥倉庫。

 東街道の輸送隊。


 そして、それぞれの農家の顔。


「……まだ間に合います」


 アルヴェインが視線を向ける。


「策があるのか」


「はい」


 エレナは即答した。


「ただし、すぐに伝令を飛ばしてください。農家と商会を押さえます」


 その声音には迷いがなかった。


 数時間後。


 王宮大会議室は戦場のような空気になっていた。


「無理です!」


 流通局長が机を叩く。


「備蓄放出などすれば冬を越せません!」


「ですが市中価格が暴騰しています!」


「地方商会が荷を隠しているとの報告も!」


 怒声が飛び交う。


 書類の束。

 地図。

 計算盤。


 誰もが焦っていた。


 その中で、エレナだけが静かだった。


 彼女は机へ一枚の紙を広げる。


「北部農園の白香樹はまだ収穫前です」


 全員の視線が集まる。


「ですが西部農村には乾燥備蓄があります。通常流通には出さない予備分です」


 流通局長が目を見開いた。


「何故そんなことを知っている」


「三年前、冷害対策で保存法を提案しました」


「……は?」


「銀花草は南部湿地でも代替栽培可能です。栽培指導書を配れば二ヶ月で増産できます」


 文官たちがざわめく。


「待て、そんな情報どこから」


「薬草農家の記録です」


 エレナは次々に紙を並べた。


「東街道の輸送隊は今、絹輸送が減っています。空いた荷車を薬草へ回せば輸送量を増やせます」


「西港倉庫にはまだ余裕があります」


「王都周辺の修道院にも乾燥在庫があります」


 静まり返る。


 誰も口を挟めなかった。


 エレナは淡々と続ける。


「買い占めを防ぐため、まず王宮管理下で基礎薬草を定額配給にしてください。高位貴族への優先販売は禁止を」


「だ、だが反発が」


「反発より暴動の方が危険です」


 その言葉に、空気が止まる。


 アルヴェインはじっとエレナを見ていた。


 驚いている。


 彼女がここまで全体を把握しているとは思わなかったのだ。


 茶師。


 そう呼ばれていた女が。


 今や国家規模の物流を動かしている。


「伝令を出せ」


 アルヴェインが低く命じた。


「農家支援を即時開始。輸送隊を再編成する」


「殿下!?」


「王都備蓄を開放しろ。価格統制も行う」


 次々に命令が飛ぶ。


 部屋が一気に動き始めた。


 その最中、老文官が呆然と呟く。


「……信じられん」


 彼はエレナを見た。


「貴女は一体、何者なのです」


 エレナは少し困ったように微笑んだ。


「薬草茶師です」


「いや、違うだろう……」


 誰かが掠れた声で言った。


「これはもう、国家運営だ」


 その頃、王都の港では混乱が起きていた。


「薬草がないだと!?」


「昨日の三倍の値段だぞ!」


 怒号が飛び交う。


 だがその混乱の中へ、王宮紋章入りの荷馬車が到着した。


 白香樹。

 銀花草。

 乾燥薄荷。


 備蓄放出。


 さらに農家支援隊まで到着する。


「王宮からだ!」


「価格固定だってよ!」


 ざわめきが変わる。


 不安から、安堵へ。


 泣き出す老婆もいた。


「薬が買えないかと思った……」


 若い母親が荷袋を抱きしめる。


「助かった……」


 夕刻。


 王宮茶室には疲れ切った文官たちが集まっていた。


 皆、目の下に隈を作りながら茶を飲んでいる。


「……生き返る」


「今日だけで十年老けた気がする」


 苦笑が漏れる。


 その空気を見ながら、アルヴェインは静かにエレナへ言った。


「私は君を過小評価していたらしい」


 エレナが顔を上げる。


「殿下?」


「君は“茶師”ではない」


 彼は真っ直ぐに言った。


「人、物流、農家、商会、医療。全部を繋いでいる」


 窓の外では、夜の王都に灯りが広がっている。


 混乱しかけた街。


 それが今、静かさを取り戻しつつあった。


「国家インフラ級の調整者だ」


 エレナは目を見開く。


 そんな大げさな、と言いかけた。


 だが言葉にならない。


 彼の目は本気だった。


 アルヴェインは小さく笑う。


「君一人で、国が呼吸しやすくなっている」


 その言葉に、エレナの胸が静かに熱くなる。


 窓から夜風が入り、乾燥薬草の柔らかな香りを運んだ。


 王都はまだ眠らない。


 だが混乱の中でも、人々は今夜、穏やかに茶を飲むことができる。


 それを整えたのが誰なのか。


 もう誰も、“ただのお茶係”とは呼ばなかった。



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