第14話 毒と薬草茶
第14話 毒と薬草茶
王宮の大謁見室には、緊張を孕んだ静けさが満ちていた。
磨き上げられた白大理石の床に、巨大な窓から春の光が差し込む。高い天井には金細工の装飾が巡らされ、壁際には各国の旗が並んでいた。
今日は隣国との重要会談の日だった。
戦後の交易路再整備。
港湾利用。
薬草流通。
どれも国家規模の話だ。
貴族たちは重苦しい顔で席につき、使節団は互いを探るように視線を交わしている。
そんな中、エレナは静かに茶器を整えていた。
銀の茶壺。
温めた陶器。
乾燥薬草を入れた小瓶。
今日の香茶は三種類。
長時間の会談による疲労を軽減するための薄荷茶。
神経の高ぶりを抑える銀花茶。
そして胃を守る柑橘葉の薬草茶。
エレナは湯気の立つ茶器を見つめながら、小さく眉を寄せた。
「……変」
鼻先をかすめた匂いに、胸がざわついた。
甘い。
だが不自然な甘さだった。
花の香りに似ているのに、どこか刺すような苦みが混じっている。
彼女はそっと視線を巡らせる。
香油ではない。
料理でもない。
なら——。
「エレナ?」
アルヴェインの声がした。
彼は会談席へ向かう途中だったが、エレナの表情を見て足を止める。
「どうした」
「……少し、嫌な香りがします」
アルヴェインの眼差しが鋭くなる。
「どこからだ」
「まだ分かりません。ただ……」
エレナは周囲の空気を吸い込んだ。
甘い匂いは一瞬だけ漂い、すぐ消える。
まるで何かに紛れているように。
「気をつけてください」
アルヴェインは短く頷いた。
「護衛を増やせ」
低い命令に騎士たちが即座に動く。
だが会談は始まった。
各国の使節たちが席につき、静かな舌戦が始まる。
「港湾使用料の引き下げを求める」
「それでは我が国側の負担が大きすぎる」
「そちらは薬草流通で十分利益を得ているはずだ」
言葉は穏やかだが、空気は張りつめていた。
エレナは茶を配りながら、慎重に香りを探る。
すると、一人の男の前で手が止まった。
隣国使節団の副官。
まだ若い男だ。
彼の杯から、かすかにあの甘い匂いがする。
エレナの背筋が冷えた。
「お待ちください」
思わず声が出る。
男が怪訝そうに顔を上げた。
「何だ?」
「そのお茶を飲まないでください」
場が静まる。
全員の視線が集まった。
副官は不快そうに眉をひそめる。
「どういう意味だ」
「香りが、おかしいんです」
「香り?」
周囲の貴族たちがざわめく。
「また茶師の遊びか?」
「会談中だぞ」
小さな嘲笑が混じった。
エレナは唇を噛む。
証拠はない。
だが嫌な予感が消えない。
その瞬間だった。
副官が突然胸を押さえた。
「ぐ……っ!」
椅子が倒れる。
男の身体が床へ崩れ落ちた。
悲鳴。
「毒だ!」
「医師を呼べ!」
「誰か扉を閉めろ!」
空気が一気に混乱へ変わる。
護衛たちが剣を抜き、使節団同士が睨み合う。
「貴国の仕業か!?」
「冗談ではない!」
「毒を盛ったな!」
怒号が飛び交う。
エレナは倒れた男のそばへ駆け寄った。
呼吸が浅い。
唇が紫色になっている。
甘い香り。
やはり。
「……眠毒系」
「分かるのか!?」
医師が驚愕する。
「香りに苦味が混じっていました。おそらく香茶に混ぜられています」
「治療できるのか!」
「完全には無理です。でも、進行は抑えられます!」
エレナは即座に立ち上がった。
「薬草室を使わせてください!」
「好きにしろ!」
彼女は走った。
王宮の回廊を駆け抜ける。
鼓動が速い。
失敗すれば外交問題になる。
最悪、戦争だ。
だが怖がっている暇はなかった。
薬草室へ飛び込む。
棚から乾燥葉を掴む。
「薄荷、白香樹、苦葉草……」
指先が震える。
けれど頭は妙に冷静だった。
湯を沸かす。
葉を刻む。
蒸気を立たせる。
室内に青く澄んだ香りが広がった。
呼吸を落ち着かせる香り。
神経の興奮を抑えるための蒸気だ。
さらに別の薬草を煮出す。
苦い匂い。
毒素排出を助ける薬草茶。
エレナは盆を抱えて戻った。
大謁見室はまだ混乱していた。
「落ち着いてください!」
彼女は声を張る。
「騒げば呼吸が乱れます! まず窓を開けて!」
意外なほど通る声だった。
騎士たちが動く。
春風が吹き込み、淀んだ空気を押し流す。
エレナは蒸気茶を炊いた。
爽やかな香りが広間に満ちる。
荒れていた呼吸が、少しずつ静まっていく。
「こちらを飲ませてください」
医師が恐る恐る薬草茶を受け取る。
「本当に効くのか」
「呼吸を保てれば助かります」
副官へ茶が飲まされる。
数分後。
男の震えが、わずかに落ち着いた。
「……息が」
「呼吸が戻っている!」
ざわめきが広がる。
隣国使節が呆然とエレナを見た。
「あなたが、助けたのか……?」
エレナは汗で濡れた額を押さえた。
「まだ安心はできません。医師の治療が必要です」
だが空気は変わっていた。
先ほどまでの疑念と怒気が、静かに引いていく。
その時だった。
アルヴェインがゆっくり立ち上がる。
王太子の声が、大広間へ静かに響いた。
「聞け」
一瞬で静まり返る。
彼はエレナを見た。
その眼差しは、誇るように真っ直ぐだった。
「彼女を侮辱する者は、この国の安定を侮辱するに等しい」
空気が震えた。
誰も声を出せない。
アルヴェインは続ける。
「彼女は茶を淹れているだけではない」
低く、強い声。
「人を守り、場を整え、混乱を鎮めている」
使節たちが息を呑む。
「今日、この場が崩壊しなかったのは彼女のおかげだ」
エレナは目を見開いた。
胸が熱い。
こんなふうに、公の場で認められたことなど一度もなかった。
アルヴェインは静かに言った。
「彼女は王宮薬草茶師である」
その言葉は宣言だった。
ただのお茶係ではない。
国家を支える者としての。
窓から吹き込む春風が、薬草の香りを運ぶ。
その柔らかな匂いの中で、エレナは初めて、自分の居場所を実感していた。




