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後編

「あの子を王にします」


 そう姉が言ってきたのは、子を産んでから十二年の歳月が経ったころだった。興奮を抑えきれない女の小声。格子に四角く切り取られた日の光が、彼女の膝を照らしている。

 迷惑な、と思った。

 静かに暮らしていた私にとって、そんなことは、されても困る。それになにより、そんな国を乱すようなことをしてほしくなかった。姉にも、王にも、王子にも。


「すでに、王太子さまがいらっしゃいます。立派に政務を補佐され、無体なこともされない方であると耳にしました」

「それは普通の人であるということです」


 少しさげすむような口調。戦争もなく、穏やかな国に、普通の王が立つことの何が悪いのだ。変に何かをする気が旺盛なものが立つよりよいだろう。


「光寿王子は優れた子です。王にふさわしい」


 光寿王子、と聞いて一瞬誰だったかと思ってしまった。ああ、あの子、私の産んだあの子の名前。呼ぶことも、応えることも、ない名前。


「長男が王に立つのが通常の倣い。庶子に生まれた時点で、ふさわしくないでしょう」

「庶子であろうと、わたくしが養育した子。王の資格は充分でしょう。王の寵愛はわたくしのもので、王はわたくしのいうことはなんでもお聞き下さるのですから」


いっそ傲慢なせりふをさらりと言って、妖艶に笑う。


「姉上は、その上に何をお望みなのですか?王が愛して下さるならば妃としてこれ以上の幸せはないでしょう」


 花の命は短い。私達がこの国へ来て以降、数多の女性が嫁ぎ、貢がれてきた。その中で姉は、王の寵愛を独占し続けている。それは奇跡的なことだと言っていい。その奇跡を維持するために、王子を利用するのならば、あさましいとしか思えない。


「あの子が立派に王として立つところを望んでいます」

「王太子の廃嫡など、穏やかに行えるものではありません。道を違え理を曲げれば、無用な波風が立ち、咎めを受けるでしょう。姉上のお気持ちに、国を巻き込むおつもりですか」


 なじる私に、姉は不快そうに顔をゆがめた。


「貴方は母親でしょう、我が子を王にしたいと思わないの」

「あの子を奪っておいてどの口が!」


 悲鳴のような声が出た。自分の心がこんなにも波打ったことに、驚く。姉の顔が無表情になった。

お互いに見ないようにしていた傷、姉が私につけた大きな傷を、露わにしてしまった。その傷がまだ癒えず、過去のものにならず、まだ赤々とした肉をさらして、吐き出すように血を流しているのを、ふたりで見てしまった。


「残念です。あなたは分かってくれると思ったのに」


 それが、姉が私にくれた最後の言葉だった。


 待っていたのは軟禁生活だった。庭にも出られない。食事だけが淡々と届けられる。私が王太子に何か告げるとでも思っているのだろうか。もしくは、あの子に何かするとでも?

 外に出ることのできない私ですら分かるほど、王宮の空気はぴりぴろとしていた。王太子と王子の敵対、もしくは王太子と姉の敵対はあからさまになり、皆が身の振り方を探り合っていた。王太子はすでに政治を補佐していることもあり、家臣たちの支持をしっかりと受けているようだが、姉は何といっても王と、後宮を握っていた。王の一声で、決定事項は簡単に白紙にされてしまう。

 まだあの子が幼いころ、国の行事で並んで座るふたりを見たことがある。私の席は末端もいいところで、本当に小さくしか見えなかったけれど、ふたりは楽し気に何か会話をしているようだった。そこには作られた穏やかさではなく、本当に兄弟らしい粗雑な親密さがあったように思えた。一体いま、ふたりはどういう気持ちでいるのだろうか。

 ぼんやりと締め切られた窓の向こうをみる。

 最近ずっと今にも泣きそうな顔をしている侍女を呼び、いつの間にかずっと高くなっていたその背をかがめさせて頭を撫でる。


「大丈夫。大人しくしていらっしゃい。私の力では、いまはどうすることもできないけれど、落ち着いたならばきっと逃がしてあげるから」


 ふたつの勢力が張り合っている状況に割り込んで要望を通すほどの力はないけれど、身を潜めて侍女を守ることくらいはできる。勢力争いが決して勝者がはっきりしたならば、私の命でもなんでも引き換えにして、この子の今後を頼めばいい。この子はずっとそばにいてくれたのだから、その位してあげたかった。

 私にも守れるものがあるのだと、思いたかった。


 いろいろなものが、ことが、閉ざされた私の部屋の向こうを通り過ぎていく。

 ある日開かれた扉の向こうに跪拝したのは、見たことのない文官だった。温度のない目でこちらを見ている。


「前王とあなたの子と姉君は亡くなりました」


 おざなりな挨拶の後、その挨拶と同じくらいのおざなりさで、そう告げる。


「……さようでございますか。私への処罰はどうなりましょうか」

「ございません。前妃様におかれましては、この度の暴挙に反対されたがために、軟禁されて不遇をかこつておられたこと、王もお聞き及びです」


 王。一夜にして、それが指す人は変化した。昨日王太子であった人が、今は王である。文官は目と同じく、声にも温度がない。それは私も同じか。


「そういうわけにもいかないでしょう。首謀者は私の姉です」

「私の申しつけられたのは、貴女の御不遇を正すように、ということのみです。扉は開きました、どうぞ今まで通りご随意にお過ごしくださいませ」

「それでは、ありがたくこちらにて、処罰が下るまで慎んでお待ちします。ただ、一つお願いがございます」

「叶えられるかは分かりませんが、承りましょう」

「侍女たちには罪はございません。どうぞご寛恕を、と」

 

 お伝えします、と約束して、文官は去っていった。

 侍女は、処罰を求めた私に複雑そうな顔をしていたが、扉が開いたことを単純に喜んでもいるようだった。


 私の生活は、軟禁前と変わらぬものへ戻った。墓参の習慣も、あっという間に戻る。

 ここに据えた当初には、居心地が悪そうにつややかに光っていた文鎮は、すっかりと周囲と同化してくすんだ光をはなっている。侍女は、変わらずこれに手を合わせる私を痛ましげに見る。健やかに育つようにというまじないだと言ったのを、信じているのだろう。

 健やかどころか子を失くしたのに、この人はまだ祈るのか、と。そう思っているのだろう。

 ある日墓参をしていると、人影がさした。

 いつもは皆が気を使って遠巻きにしているのに珍しい。そう思って目をやった先には、王太子が……いや、革命に打ち勝った王がいた。平伏しようとした私をやんわりととどめる。


「どうぞそのままで」


 侍女に席を外すように合図をする。おろおろと顔を伏せていた侍女は、ほっとしたようにそそくさと立ち去った。相変わらず、全てが顔に出ている。


「墓、ですか」


 私の見つめた先を見て、少し首をかしげる。少しも事情を知らぬこの方が言い当てたことに、おかしみを感じた。だから素直に肯定する。


「ええ。小さいでしょう」

「何か、お手元で飼われていましたか?」


 なるほど、小鳥の墓とでも思われたか。少し笑ってしまった。


「私の子のお墓なんですよ。十数年前に死んだ子です」


 十数年?と小さな呟きが聞こえた。


「私が守れなかった、私の子です。どうして、姉の手から奪い返せなかったのか」


 返してと泣き叫ぶべきだったのだ。自分に寵愛がもうないことなど、気にせずに。姉の下で育てられた方が幸せだろうかと一瞬でも思わずに。私は何年もこの小さな石に手を合わせて、やっとそれを知った。愚かなことだ。

 じっと墓石を見つめる彼が、何故だかとても哀れに思える。


「御安心なさい、貴方の斬ったのは、ただの幽霊ですよ」

「幽霊」


 彼は少し困ったように、緑の墓石を眺め続けている。途方にくれたようなその表情は小さな子どものようで、私はその頬にそっと手をあてた。温かい。我が子がいたらこんな感じだったのかしらと思った自分にびっくりした。


「ええ。全て、幽霊です」


 よくなさいましたね、という言葉はのみこんだ。おそらく彼は喜ばないから。しばし目を閉じていた彼は、やがてゆっくりと一歩下がった。私を拒絶したのではなく、私を守るかのように。彼の頬に触れていた手は、すぐに冷たくなっていく。


「何か、お望みはありますか」

「私に誠心を持って仕えてくれている侍女がおります。今後の身を立ててやっていただけませんでしょうか」

「それはお伺いしております。後ほど侍女に希望を聞きましょう。あなた自身のお望みは」

「罰をいただけないのであれば、ここで変わらぬ日を過ごさせていただけると、ありがたく思います」


 分かりました、とぎこちなく笑って、王は去っていった。


 王が変わった。前の王に、私は抱かれたことがあり、その子を宿し、産んだこともある。その王は死に、私の子も死に、新しく王が立った。

 それだけの話だ。

 私は何も変わらなかった。私のまわりにあるのは、日当たりのよい静かな部屋と、私の子が眠る小さな庭だけ。

 私はここで、朽ちていく。

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