八十九話 すう、ケーキを味わう
「いただき、ます!」
すうはフォークでケーキの先端をそっと切り分ける。
ふわりと柔らかくわかれた生クリームとスポンジをフォークへ乗せて、口へと運んだ。
あまい。
やわらかい。
言葉にするとたったそれだけの感想が、しかし溢れるようにすうの頭を埋め尽くした。
「……はっ!?」
気づけば口の中にはやわらかさとあまさの余韻だけしか残っていない。
すうはもう切り分けたりせずフォークを突き刺して、すくうようにケーキを食べた。
やわらかい。あまい。さらにしゃくっと果物のあまずっぱさ。
天へ昇るような心地のすうは、知らず笑みを浮かべていた。
「ふふふ……」
今のすうはたぶん「ケーキみたいだね」と言われたら最上の褒め言葉と捉えるだろう。
なにを考えているのかすうにもよくわかっていない。でもとにかくそういう気分だ。
あまい、おいしい。やわらかい……。
夢を見ているような気分で手を動かして、気づけば皿の中からショートケーキはなくなっていた。
「い、いつのまに……」
いや、思い返せば最後の一口を頬張った記憶はしっかりある。
ただ食べていた間はおそらく意識も何もかも飛んでいた。
「つぎ……!」
ケーキはこのテーブルに入りきらないほどまだまだたくさんある。
次はモンブラン、その次は何を食べよう——とすうが顔を上げると。
「——」
「……」
「ふぐっ、うぅぅ、うぐぅ」
三人の様子がだいぶおかしいことになっている。
凛はチョコケーキを一口食べた状態で目を見開いて固まり。
潤はフルーツタルト一つ丸々を素手で掴んで無心にかじりつき。
杏子はケーキを一口食べる度に嗚咽を漏らしていた。だというのにすうがケーキを一つ食べ終えるまでにすでに三つのケーキを食べ終えた跡が見える。
「おお……」
異様な光景にさすがのすうもちょっと引いた。
ただ外から見たすうも、さっきまで恍惚とした笑みを浮かべながら機械的な動きでケーキを口に運んでいたりする。
というか体は引きながらもその手はしっかりモンブランへ伸びていた。
「今までどんな生活送ってきたの……?」
そして唯一正気のままの七巫がふざけることすらできずつっこんでいた。
「あー、びっくりした……」
十数分後。
ある程度ケーキ欲が満たされたすうたちは正気に戻っていた。
七巫が淹れてくれた紅茶を飲みながら凛は頭を押さえている。
「まさかおいしすぎて意識が飛ぶとは思わなかったわ」
「うん、ケーキ食べて気絶する人は初めて見たよ」
「食べる手が止まらなかった」
「手というか口から迎えにいってたよね潤ちゃん。かぶりついてたもんね」
「ふぐぅ……」
「杏子ちゃんにいたってはまだ泣いてるしねぇ!」
「……」
「すうちゃんは一つ食べ始めたら食べきるまで喋らなくな……えぇい! なんで私がつっこむ側になってるんだ!?」
頑張って正気を保っていた七巫がとうとう頭を抱えてしまった。
凛たち(杏子は泣いているので除く、すうは聞こえていないので除く)はきまりが悪そうに謝る。
「ごめん。迷惑かけたわ」
「部屋までかしてもらって感謝。この量はさすがに持ち帰れなかった」
凛たちが現在いるのは探索者ギルド『神桜』の事務所——その奥にある七巫専用の一室だ。
広いテーブルに、ベッドにもなる柔らかいソファが二つ。本棚と冷蔵庫まで置かれたリラックス空間だった。
「それはいいけどねー……いやでも買いすぎじゃないかと思ってたらもう半分近く食べるとは」
テーブルを埋めていたケーキの箱は、テーブルの半分以上を占拠する程度に減っていた。
減ってなおこの量であり、さらに冷蔵庫もぎっちりケーキの箱で埋まっているのだが。
「最初はそれぞれ二個ずつぐらいにしようと思ってたのよ」
「どんどん食べたいものが多くなっていって、全員好きに頼んじゃった」
「しかも持ち帰れないって気づいたのは頼んだあとだったっていうね……」
「『神桜』の事務所で預かるって提案してくれて助かった。ありがとう七巫」
「あの、護衛さん? だっけ。運んでくれた人にもちゃんとお礼言わないとね」
「うん、お礼は受け取るんだけど話しながらもまだ食べてるの凄いね!?」
凛が食べている間は潤が喋り、潤が食べている間は凛が喋る。
熟練のコンビネーションを発揮して二人は食べる手を全く止めていなかった。
「ふぅ……おいし、かった」
やがてケーキを食べ終えたすうが恍惚のため息をつく。
しかしその手はすでに別のケーキへ伸びていた。
「つぎの、やつ」
「ねえそろそろ休憩しない!? 胸焼けしちゃわない!?」
「そうよ、すう。ずっと食べてばっかりでしょ。紅茶飲みなさい」
「七巫がいれてくれた。おいしい」
「よかったーけどそうじゃないんだよなぁ!」
紅茶と言われたすうは初めて皿の周りに目をやり、置かれているカップに目を瞠った。
「いつのま、に!?」
「結構前から置いてたよ……」
「おお……ありがとう」
すうは七巫へ目を向けお礼を言う。
その時、七巫の前に皿も何もないのに気づいた。
「ななみは、たべない、の?」
「え? ……うわほんとだ。あんた食べてないじゃない」
「ごめん、気づいてなかった」
凛たちが慌てる中。
「え」
なぜか七巫は目を丸くしていた。
「えー……いやほら。これなにかのお祝いでしょ? 小兵さんのおごりだし、私は関係ないからさ」
「じゃあ、みちあんないの、おれい、とか」
「ていうか部屋まで貸してもらってんのよこっちは。関係ないもないでしょ」
「甘いもの苦手なら無理しなくていいけど」
「ぐすっ……おいじいですよ」
ようやく涙が止まってきた杏子も話に加わってきた。
「いっしょに、たべな、い?」
「たっ、食べる!」
七巫はなんだか勢いよく返事をする。
「…………ど、同年代の子とケーキって、初めてなんだけど」
「ん?」
「なんでもないよー!」
ぼそぼそと呟く声は小さすぎて誰も聞き取れなかった。
「じゃあ、なににす、る?」
「結構食べちゃったけどまだいろいろ残ってるわよ」
「あ、じゃあバウムクーヘン。その、みんなでわけよう」
七巫が皿とナイフを持ってきて、切り分けられたバウムクーヘンがそれぞれに配られる。
ただすうは目の前にある、ちょっと変わった形のお菓子に首を傾げた。
「どうたべれ、ば……?」
普通にフォークを入れればいいのか。
それとも何か他に食べ方があるのか。
「層を一つ一つ剥がしながら食べる」
戸惑っているすうへと潤がそう言ってきた。
ただその口元にうっすら笑みが浮かんでいるような。からかってくる時の小兵と同じ顔をしているような。
「……うそ、ついてな、い?」
「あたしもそうやって食べるわよ」
「上手く剥がせると嬉しいですよ」
「そ、そうかなー」
「そう、なんだ」
全員から言われてすうは真剣にバウムクーヘンを剥がし始める。
その横で四人は普通にフォークを突き刺して食べていた。
それに気づいたすうが四人へ襲い掛かるという一幕もありつつ。
「ごちそう、さまでした」
すうたちはケーキを食べ終えた。
「はー、食べた!」
「一生分のケーキでしたね」
「三生分ぐらいはあった」
「……うん。おいしかったなぁ、ほんとに」
満足してしばらく余韻に浸っていたすうたち。
やがて七巫が声をあげる。
「あの、さ。小兵さんが帰ってくるまでまだかかるらしいんだ」
だから、と七巫はぎくしゃく言う。
「それまでちょっと観光しない? ダンジョンじゃなくなった中華街……今は元中華街って呼ばれてるところ」




