七十四話 がんばった、ね
地神と小兵が去ると部屋に静かな沈黙が訪れた。
二人いなくなっただけでも室内ががらんと空いたように感じるのは、地神の体が大きかったからか。
あるいは目に見えないなにかが失われたからか。
三人は深くうなだれたまま一言も口をきかない。
時々かすかに鼻をすする音が響くのを耳にしながら三人のそばにいた。
しばらくしてから、最初に口を開いたのは凛だった。
「なんで残ったの」
小さな声だった。沈黙を破る力もないぐらいに。
パイプ椅子へもたれかかった凛は顔も向けてこない。
目を吊り上げて「出て行きなさいよ」と怒鳴られるかと思っていたすうは、答えるのに間が空いた。
「なんとなく」
ぴく、とうなだれた肩が揺れる。
けれどやっぱり怒鳴り出すことはなかった。
少し間を置いて再び凛が呟く。
「落ち込んでる場合じゃ、ないのよ」
すうは返事の代わりに首を傾げる。
顔をあげない凛には見えていないだろうが、独り言のように話し出した。
「すぐに立たないといけない。それで年少の子たちを迎えにいかないと。あの子たちを助けられるのはもうあたしたちしかいないんだから」
凛がのそりと椅子から背を離した。
「使間せんせ……使間が、いなくなったら……あの施設の奴らは金を稼げなくなる。自暴自棄になってあの子たちになにするかわかったもんじゃないわ。それに他の施設も探さないと……」
背筋を伸ばして椅子から立ち上がろうとする。
「もう大丈夫。こんなことで止まったりしない。諦めたりしない」
声に震えはない。
鼻をすする音も聞こえない。
うつむいているから顔は見えない。
「負けるもんか、ぜったい」
——ただ、ぽたりと床に雫が落ちた。
「——」
それを見た瞬間すうは衝動的に、立ち上がろうとした凛へ掴みかかっていた。
「あ、え!? なに……!」
肩を上から押し込んで立てなくし、凛が戸惑う間に胴へ腕を回して椅子ごと体を押さえつける。
ありていに言うと後ろから抱擁するような形ですうは凛を拘束した。
凛は一瞬呆然としていたが状況を呑み込むと暴れ始める。
「離しなさいよ! はぁ!? なんでこんなことすんの!?」
「……なんとなく」
「ふざけんな!!」
うなだれていた凛も流石に渾身の叫び声を上げた。
だがすうは決して力を緩めない。
思い出すのは階段の前で話した時のことだ。
違反者たちを報告しに戻ろうとする凛をすうは引き留めた。
戻る方がよくないことになると感じたからだ。
実際ダンジョンを進む間に凛は無理矢理でも元気を取り戻して、ボス相手にも戦えていた。あれは間違っていなかったとすうは思う。
だけど今の凛は。
――すすんだら、だめ。
もしもあのまま立ち上がらせていたら。
魔素のなくなったすうのように、その体が端から崩れてしまいそうな気がした。
「離しなさいよ!! 離せ!!」
「やだ」
凛にとってはきっと使間が支えだったのだ。
体を構成する重要なパーツの一つが使間という恩人だった。
自分の目標であり、下の子たちを助けてくれる人がそいつしかいなかった。
今の凛はそれを失っている。
叫び暴れる凛の体にはほとんど力が入っていなかった。
「離してよ……っ。あたしがやらなきゃいけないの、あたしが……!」
しかし押さえているだけだとどっちにしろ凛は壊れてしまいそうだった。小さく声が震え始めている。
だけどすうにはここからどうすればいいかがわからない。
焦っているとかたんと椅子を引く音がする。
「りんちゃん」
杏子が、凛の前に立っていた。
目元は赤くはれて瞳がうるんでいる。それでもふらついたりはしていない。
「あんず」
「杏子……こいつ、引きはがして……!」
「いいえ」
杏子はゆるりと首を横に振った。
そして片膝をつき凛の手をそっと両手で包み、硬直する凛と目を合わせる。
「りんちゃん、今は悲しんでいいんです」
「は……?」
「私は、私とうるちゃんは、ずっと前を向こうとするりんちゃんに何度助けられたかわかりません。でもこんな時にまで心を押し込めていたら……きっと、壊れてしまう」
凛の体が震えた。
「でも、あの子たちが」
「小兵さんたちに任せたらいい」
杏子の後ろから潤が顔を出した。
鼻をすすって、低くなった声で言う。
「小兵さんはきっと頼っても嫌な顔しない。地神さんは特例探索者を全員助けて、それでも怪我させたことに責任感じてた。……あの人たちなら面倒も見てくれると、思う」
「……他の探索者には気をつけろって」
「言ったのは先生。たぶん嘘をついてた。自分たちを普通の、まともな探索者と関わらせないために」
「だ、けど……」
「リンが負けず嫌いなのも、意地張ってるのも、人と衝突するのも。大体は自分や他の子を守るためで、自分たちを引っ張っていくためだってみんな知ってる」
潤もまた凛の手を取る。
「リンが今ここで立ち止まっても誰も責めない」
すうはそっと腕をほどいて離れる。
もう拘束は必要ないだろう。
「う……ぐ、ぅ」
椅子へ座り込んだ凛は押さえ込むような嗚咽を漏らしていた。
杏子たちはそんな凛を抱きしめている。
ただ辛くないわけではないのだろう。また目元に涙が滲んでいた。
「……」
恩人——すうにとっての松ノ木や小兵たちのような人々から利用される。
そんな、見たくも聞きたくもないと思っていたことが目の前で起こってしまった。
だけどすうは目を逸らさない。
見たくないだとか、可哀想だとか、そんなことを考えるのは失礼な気がした。
——そういえば、まえも、みた。
スライム時代にすうはこんな光景を目にしていた。
——あのときも、ないてた。
ボロボロになって『ダンジョン・カロリーブロック』を食べていた凛たち。
二階層であんなにも苦戦していたのに今ではボスすら倒している。
もしも使間がまともだったなら、凛たちをただ善意で助けていたなら。
ボスを倒して帰ってきた凛たちになんと言葉をかけるだろうか。
すうは少し考えて、凛たちへ近寄った。
凛の前に立って——そばにいた杏子たちごと思いっきり抱きしめる。
「え、わっ!?」
「す、すうちゃん?」
「……どうしたの」
戸惑う凛たち。だがすうもよくわかっていない。
ただこうするべきだと思ったことをして、言うべきことを言おうと思った。
「がんばった、ね」
「——」
そうだ。頑張ったのだから、褒められるべきだ。
「ずっと、すごく、がんばった。えらい」
凛が息を詰まらせる。杏子も、潤も。
「う、あ……く、あぁぁ……うああああーーーーっ!!」
目から雫がこぼれて、こぼれて、止まらなくなって。
今までお腹の奥底に沈めていたものを吐き出すように、凛たちは泣き続けた。
そして。
どれほど経ったか、ようやく凛たちが落ち着いてきたころ。
ぐう、とお腹が鳴った。
なんとすうのものではない。凛たちのものだ。
色々と吐き出したからか、あるいは単に食べていなかったのか。
顔を赤らめる凛たちへとすうは提案する。
「ごはん、たべよう」




