五十五話 すう、『現代ダンジョン』を駆ける
低い音を立てて開かれた扉の中へ、すうは一歩踏み込んだ。
ひやりとした空気が体を包む。同時に背後の扉が閉まって辺りが暗くなった。
「……」
目を凝らせば見える程度の暗闇。なんならすうは目を閉じても歩くのに支障がない。
だが一応警戒しつつ歩いていく。
すると数歩目で突如、天井から灯りがついた。
すうが目を細めつつ天井を見上げれば、そこには小さな照明がついている。
そう、照明だ。
自然的な光源ではない。人の建物にあるものと同じような電球が通路の天井に設置されている。
一つ目を皮切りに道しるべの如く照明が灯っていく。通路の真ん中を照らすだけの弱い光だが、それで通路の全貌が見て取れた。
「……ダンジョン?」
その光景を見たすうは、歩きながらも首を傾げた。
目の前に続くのは、病院や管理施設に似た人工的な廊下だった。
まだここは管理施設内なのかと疑うほどに、さっきまでの光景と変わらない。
だが確かにここはダンジョンなのだ。
「『げんだい、ダンジョン』」
すうは小兵から聞いた名を呟いた。
『現代ダンジョン』。
ここ二年ほどで新たに出現したダンジョンには、そう呼ばれるものがある。
『神迷』のような初期に現れたダンジョンには自然の地形が多い。人工物があっても、古代や中世を元にした家屋、あるいは要塞や城などだった。
しかし『現代ダンジョン』には、それらに代わってビルのような建物や駅などの施設、あるいはそれら全てを含めた町そのものが再現されているらしい。
場所が違えば戦い方も変わる。昔のダンジョンに慣れた探索者が苦戦することも珍しくないようだ。
すうもまた、気をつけるように忠告されていた。
二人並ぶと狭くなるような通路を、見回しながらすうは歩いていく。
真ん中が弱く照らされているせいで、端はむしろ暗くて見にくかった。
「……これが、すいぞく、かん」
右の壁は透明な壁に水が満ちる——水槽になっていた。
わずかに青く光る水の中を小さな魚が泳いでいる。
この通路で魔物が出てくることはないと聞いているすうは、最低限の警戒はしつつもついそれに顔を近づけて眺めてしまう。
「やきざかな……」
今朝の献立を思い出したすうが呟くと、ぴゅっと魚の群れが逃げた。
左側の壁には、魚の絵と文字が書かれたプレートが飾られている。
ただ水槽内にいる魚とはだいぶ形が違っていた。
やがて通路を曲がると、その向こうにあるものにすうは目を見開く。
「おおきい……」
そこは、広場に集まっていた特例探索者が全員入っても到底埋まらない、大きな空間。
上から青い光でぼんやり照らされたその部屋の壁は、全面が水槽になっていた。
小さなものから、二階層の魔物よりも巨大なものまで、大量の魚たちが泳いでいる。床に立っているのにまるで水の中にいるかのような光景だ。
「すご、い」
すうは水槽に目を奪われる。先に入った特例探索者たちも、水槽に触れて騒いでいる者たちがいる。
だがそんな中、ひそやかな話し声を捉えたすうはハッとそちらを見る。
よく見ると、巨大水槽にはいくつか道が作られていた。水槽そのものをぶち抜いてそのまま奥へと伸びているらしい。
そんな通路の一つに、先に入っていた特例探索者のパーティーが一つ入っていっている。一人が二人を引っ張っているような状態だ。
「な、なんでそんな焦ってるの」
「最後の奴が入ってきてから試験開始って言われただろ! つまり今はまだ試験が始まってないってことだ。先に動いたやつが得するんだよ、今からなるべく地図の評価稼ぐぞ!」
「……!」
口調は強いものの、他のパーティーに伝えたくないのか声は小さい。すうの耳でも無ければ聞こえないだろう。
彼らはすぐ通路の奥に消えて行った。
「なる、ほど」
すうは感心する。
試験内容には書いていなかったが、地神のやりそうなことだ。そういえば水槽に見惚れている者たちを数えても、先に入った特例探索者より少なく感じる。
「みてる、ばあいじゃ、ない」
ボスを倒すのだ。
彼らよりもずっと急がなければならない。
すうは頬を軽くたたいて気合を入れ、目を閉じた。
それと同時に後ろから人の気配を感じる。
「あ? おい、出口のところで止まってんじゃ……」
「おい、こいつさっき魔道具もらってた奴じゃないか?」
「……あー、コネ女」
嘲笑うように声が響く。
「なんでこんなとこで止まってんだ? まだ魔物も出てきてないぞ」
「水槽にビビるぐらいならさっさと帰れよ」
「——うん」
すうは頷き、目を開く。
「ははっ、うん? うんって言ったぞこいつ!」
「マジで何しに来たんだよ、おい!」
後ろからの笑い声を受けながら、すうは通路の一つへと体の向きを変え。
「もういいよ、そこどけ——」
伸ばされた手が肩へ触れようとした瞬間、地を蹴った。
ボッ! と、無風の空間へ風が吹く程の勢いですうは駆ける。
「うわ!? は? 消え——」
声が言い終わるより早く、すうは通路の奥へと跳んだ。
「?」
後ろの人間から話しかけられていた気がする。
だが凛たちでも、『地神』とか『黒炎』とか言ってたやつらの声でもなかった。気のせいだろうとすうは切り捨て、前方に集中する。
通路に入るとそこにもう水槽はない。
入り口近くと同じく人工的な薄暗い廊下が続くだけだ。ただ幅は人が十人横に並べるぐらいの広さになっていた。
「む」
通路を駆けて少しすると、すうは妙なものを前方に見つけた。
『順路→』
そう書かれた看板が、道の真ん中に立っているのだ。
ただその矢印はどう見ても壁の方を指していた。
「ふん」
すうは無視して看板の横を駆け抜ける。
だがどんどん看板は増えていく。
『順路←』『逆路↑』『順路⇔』『↑→路』『路?に』
床に、壁に、天井に。
だがどれもこれも滅茶苦茶だ。矢印の向きどころか文字すら崩れ、反転していたりそもそも読めないものもあった。
「これが、わなもどき」
すうは教えられたことを繰り返した。
『現代ダンジョン』は、こういった文字で人間を騙そうとする罠とも言えない罠がある。
そもそもダンジョンが提示する表記に従ったりしないため大抵効果はない。
だが人が理解しやすい文字で書かれているだけに、騙されそうになることもある。
そしてダンジョン側が罠として設置しているのか、単に文字を真似ているだけなのかわからない。
だから罠もどきなのだと。
「うっとう、しい」
すうにも効くことはない。ただ視覚的には面倒だ。
すうは再び目を閉じた。
視覚を封じて鋭敏になった感覚が、『神迷』よりも少し弱い、『水族館』の魔素の流れを感じ取る。
「やっぱり、このつうろ、が、いちばん、こい」
魔素の濃さと薄さからダンジョンの奥に至る道を割り出すこの技術——魔素感知は絶好調だった。
命名は昨日の小兵の言葉からである。
魔道具の確認のため『神迷』へ潜った時。
『だいたいの、かんかく、で、みち、わかるように、なった』
『ものすごいセンサー積んでるな、すうちゃん』
魔素のことはぼかして伝えたらそう言われたのを、気に入ってつけたのだ。
『水族館』でも魔素感知の精度は落ちていない。そのまま走り抜けようとすると、引っかかる反応があった。
「む、まもの」
通路を一つ曲がれば、そこに大きな部屋と、魔物の反応がある。
「ちょうど、いい。——ギャー」
すうは右腕につけた腕輪を意識し呼びかけた。
『ぎゃっ』
ぴょこっと姿を現したのは召喚獣である小さなホームガード。
「まどうぐ、ためす」
『ぎゃ!』
一つ鳴くと同時、バキバキと音を立てすうの手から先が両刃の剣の如き、生物的な脈動をする爪へと変貌していく。
【雑器】もどき——否。
「【異形器】、きどう」




