五十四話 すう、試験突入
バスが『水族館』に到着した。
ふらふらになりながら降りたすうはすぐに物陰へと移動して、背負っているバッグからポーションを取り出し、一気にあおった。
甘みのある液体を飲み干せば、胃と頭がぐるぐるする感覚がぱっと晴れていく。
「あ゛―……きいて、きた」
ヤバい薬をキメているようだが、このポーションはしっかり国から安全性を保障されたものだ。
シャロウ・ポーション。
浅層から入手した、あるいは浅層の素材から作られたポーション全般をこう呼ぶ。一本が一回分で、軽い傷や酔いなら一瞬で治る優れもの。
その価格は最低でも千円。すうのファミレス換算だとかなり高い。しかし人類の技術でも製造できるようになってから、かなり安くなった方なのだという。
「もったい、ない……けど、しょうが、ない」
ダンジョン突入前に千円、もとい貴重な回復薬が消えた。しかしあんな体調ではまともに戦えないから仕方ない。
すうはそう自分を納得させた。
もっと安価な酔い止め薬も普通にあることをすうは知らない。
「バッグも、べんり」
手のひらに収まる大きさの空き瓶を戻し、バッグを背負い直す。
すうの背を覆う大きさの黒いバッグは小兵と選んだ探索者向けのもの。
アイテムボックスとは比べ物にならないが、見た目よりずっと物が入る。そして頑丈さも相当なもので後ろから攻撃を食らったとしても防具がわりになるほど。
さらに激しく動いても邪魔にならず、かつ中のものも崩れにくい。ドロップアイテムの収集にも役立つ一品らしい。
定価八万八千円。
高価ながら便利ですうも気に入っている。なにより大量にごはんとポーションを詰め込めたのが素晴らしい点だ。
「あ、もどらない、と」
もう少しで試験が始まる時間だ。
建物の陰から集合場所の広場へとすうは向かう。
三角屋根の管理施設、その前にある広場には数十人の特例探索者が集まっていた。
「……」
すうは目を閉じて天を仰ぐ。
思っていた以上の人の群れ。バスに乗っていた数の倍近くいる。
ポーションで治した気分の悪さがぶり返してきそうになりながら、そっと集団の端に立った。
みんな集中しているのか、幸い話しかけられることはない。
「おいおい、こんなに多いのは初めてだな。この『黒炎』のシュンを見に来た、ってわけじゃあなさそうだが……?」
「ふっ、才あるものが集まる時代は突如として訪れるものさ。この『紫電』のアキラがそうであるように」
「やれやれ、僕らも注目の世代、か……ん? あの白髪の子は」
すうは即座に人混みへ紛れた。
「しけん、に! しゅうちゅう、しろ……!」
低く呟きつつ人の間を通って三人の視線から逃れるすう。
だがふと視線を感じた。まさか見つかったのかと振り向けば——少し離れたところに、凛たちがいた。
「む」
すうは足を止めた。
こちらを見ているのは凛だけだ。またつっかかってくるのか。でもあの三人よりはマシかもしれない、などと考えながら身構えていると。
「——」
ふいと視線を逸らされた。
「?」
最後に宣言でもしてきそうなものなのに。
凛の反応に首を傾げていると、人混みの前の方から覚えのある声が聞こえてきた。
『時間だな。——ただいまより特例探索者用浅層探索ライセンス取得試験を行う』
広場に響き渡るほど大きく、ぼやけた音。
凛から目を離しそちらを向けば、広場に設置された台の上に、嫌味な顔の太った男が立っていた。すうは反射的に顔をしかめる。
『俺は今回試験官を務める、地神禰福だ』
地神が名乗った瞬間、辺りがざわついた。
「地神さんだ」「本物?」「兵庫の英雄の一人」「この『地神』スクラが憧れる男……!」
集中していたものも緊張していたものも変なやつも全員が興奮している。
「えい、ゆう?」
激しく似合わない呼び名に困惑していると、地神が再び口を開く。
『静かに。俺の名などどうでもいい。キミたちはこれから、命がけの試験を受けるのだからな』
冷たく言い放つ地神に特例探索者たちが静まった。
『試験の内容は事前に発表しているが、概要だけもう一度繰り返そう。試験はここ『水族館』で、八時間行われる。試験において評価点となるのは『地図作成』『ドロップアイテム回収』『魔物討伐』。そしてはっきり言うが、今までと違い『魔物討伐』の評価は低く、地図やドロップアイテムに関係する評価が高くなっている』
静かにと言われたにも関わらず再び特例探索者たちがざわついた。
評価する点が変わったのは知っているのだろうが、改めて実感したらしい。
『昨今の探索者たちの事情を鑑みての変更だ。より強い魔物を討伐したとしてもドロップアイテムを回収しなければそう評価は高くならない。帰ってこれない場合も同じくだ』
周りの意見を聞き取った限り肯定も否定もある。ただすうとしては意外なことに、否定の方が多いようだ。
そんな用意はしてないとか、今回で決めないといけないとか、そんな声が多い。
『そして、もう一つ。中に入ってしまえば見張るような人員はおらず、試験が終わるまで救助もない。特に』
一瞬、地神の目がすうを向いた気がした。
『ボス部屋に入ってしまうと死ぬまで出られない。故に自分の力を見誤るな、命は大事にすることだ。なに、失敗してもキミたちには次がある。ないものもいるが、まあ十五歳になってから取ればいいだけの話だ』
そう言った地神の顔は嘲笑うようだった。
興奮していた彼、彼女らもさすがに視線が鋭い。
「そんなの、ない」
誰が呟いたのか、そんな声が聞こえてきた。
ふとすうは凛たちをちらりと見る。
凛たちに次はあるのだろうか。
『それでは全員、ダンジョンへと入れ。最後の者が入ってから試験を開始する。……ああ、そうだ。魔道具を使うものは受付で預かっているので、突入前に取りに行くことだ』
地神が思い出したように言って台から降りると、特例探索者たちは顔を見合わせつつ、誰ともなしに動き始めた。
三角屋根の管理施設の待合室は『神迷』より狭かった。
数十人の特例探索者が入るとぎゅうぎゅうになってしまうぐらいだ。
「ふぐぐ……」
少しずつ進む人の群れにもみくちゃにされ、吐き気すらしはじめるすう。
だがやがて受付に辿り着いて探索者ライセンスを見せると、対応する女性が目を見開く。
「ああ……すうさん、ですね。魔道具をお預かりしています」
「え!?」
声をあげたのはすうではない。後ろに並んでいる特例探索者たちだ。
「特例で魔道具!?」
「あんなちっちゃい子が?」
「驚くことか? 親に買ってもらったんだろ」
「ああ、そういう……くそ、羨ましい」
バッグに守られた背中へ突き刺さる大量の視線にすうは縮こまっていた。人から注目されると見張られているようで恐ろしいのだ。
受付の奥へとひっこんだ女性に早く戻ってきてと祈っていると。
「小笠原凛さんですね。魔道具をお預かりしています」
隣の受付に、いつの間にか凛が立っていた。
すうより頭半分は高いところにある顔を思わず見上げると、じろりと睨み返される。
「なに?」
大人しい反応に、すうはまた首を傾げる。すうが魔導具を持ちこんだとなったら、どこで手に入れたのとか、小兵さんに買ってもらったんじゃないでしょうねとか、それぐらい言ってきそうだというのに。
そしてもう一つ、すうは気になることがあった。
「……まどうぐ、もってた、の?」
少なくとも最初にあった時はそれらしいものを持っていなかった。
この数日ですうのように手に入れたか、それとも貯めたお金で買ったのか。それが少し気になったというだけ。
ただ凛はなぜか、ぎりと歯を噛みしめた。
どこか納得のいかなそうな表情で口を開いたその時、ちょうど女性がすうの魔道具を持ってくる。
「【異形器】と【隠れ蓑】の二つでよろしかったでしょうか」
「あ、はい」
魔道具を受け取るとすぐに人混みに流されてしまい、その言葉は聞けなかった。
待合室の端で二つの魔道具を身につけ、すうはダンジョンの入り口に作られた重厚なゲートの前に立つ。
探索者ライセンスを近くの機械へかざせば、出入り口のゲートが重い音を立てて開いた。
「やる、か」
凛が何を言おうとしたのか。
気になりつつも、すうは試験へと集中することにした。
どちらにしろ試験後には勝負がつく。
その時に顔を会わせることになるだろう。
すうはダンジョンの中へと一歩、足を踏み入れ——そうして、長い長い試験が始まった。




