五十一話 すう、眠る/凛、決意する
試験に受かれば施設の状況も改善するという凛たち。
その話に違和感を覚えつつも、解決するのならいいか、とすうはカップ麵へと意識を向けることにした。
お湯につけすぎて伸びたとは言われたが、初めてのすうからすると何が変わったのかわからない。
舌をがつんと打つようなソースと、それをやわらげつつも味を追加するマヨネーズ。それらを麵に絡めすうはカップ焼きそばを堪能した。
「ごちそうさま、でした」
すうが食べ終わった時には、小兵や凛たちも食べ終わっていた。
……ただ一人、『ダンジョン味』に挑戦した潤だけが「ヤバイ」と連呼して涙目になっていたが。
カップの中の紫と灰色を交ぜたような色は何が元になっているというのか。
「じゃあ、あたしたちはこれから『水族館』のこと調べに行くんで」
「ああ、呼び留めてごめんな。応援してる」
「はい!」
食べ終わってすぐ三人はその場を去ろうとした。
ただその時。口をおさえている潤を引きずっていた凛が、すうの方を振り向いてくる。
「……あんた——」
また何か言ってくるのか。
身構えたすうだったが、凛の口からはいつものような勢いの言葉が出てこない。
少しの間、口をもごもごさせて。
「……あたしが! 勝つからね!?」
そう叫んで走り出した。
杏子が慌てて頭を下げ、引きずられる潤の「まってムリ」という泣き言を最後に、三人は去っていく。
「なん、だった、の?」
言い返すこともできなかったすうは眉を寄せていた。
だがその思考はすぐに試験のことへと変わる。
凛たちは『水族館』について調べると言っていた。
すうにもやらなければいけないことがある。
「こひょう。ぼうぐ、と、ポーション、かいに、いく」
異形トカゲに装備を壊されてからすうはずっとそれを考えていた。
異形トカゲの攻撃は三階層ボスよりもおそらく弱い。だがそんな攻撃でもレンタルの防具は壊されてしまった。
そして、あっさりと壊れた防具でも、無ければすうは死んでいたかもしれない。
さらにポーション。
腕の骨がすぐに治るような回復力。あれがあったらもっと楽に異形トカゲと渡りあえただろう。あと飲むタイプならおなかの足しにもなるかもしれない。
異形トカゲとの戦いで学んだことは多い。
お金を出すのはとても辛いが……死んでしまってはごはんも食べられない。
そんな覚悟を持って防具や消耗品の購入を口に出したすう。
だが肝心の小兵から反応がない。
「……こひょ、う?」
「んっ? ああ、ごめん。ちょっと考え事をな」
服を引っ張れば、遠くを眺めていた小兵がようやくこちらを向いた。
「かんがえ、ごと」
「大丈夫、話は聞いてたよ。すうちゃんが自分から防具や道具を買いに行くなんてなぁ」
どこか誤魔化すような小兵。考え事とはなにを、とすうは聞こうとして。
「ふあ……」
開いた口が大きくあくびをした。
それと同時に急激な眠気が襲ってくる。
「すうちゃん? 眠いのか?」
「ねむ、く……ない」
「いやふらふらじゃないか。異形との戦いも相当ヤバかったし、ポーションでも疲れは取り切れてないんだろう。いろいろ買うのは明日だな。送ってくよ」
「んん……」
否定しようとしてもまぶたはどんどん重くなっていく。
「あー、こりゃ病院まで持つかも怪しいな。——よっ、と」
「?」
体が浮き上がるような感覚と、ぬくもり。
かすかにすうが見たのは小兵の後頭部だった。
どうやら小兵に背負われているらしい。
離れようとしても体は言うことを聞かず、やがてすうの意識は落ちていく。
眠る直前に思い出したのは、なぜか、凛たちのどろりとした目だった。
〇小笠原 凛
「あたしが! 勝つからね!?」
あいつ——すうへと、捨て台詞のように裏返った声で叫び、駆け出す。
小兵さんの前でみっともないことをしてしまった、と自己嫌悪に追われながら。
やがて角をいくつか曲がったところであたしはようやく落ち着いてきて、足を止めた。
「りんちゃん!」
「杏子……」
追ってくるのは、施設でずっと一緒に過ごしてきた幼馴染、杏子。
いつもの光景だ。あたしがやらかした時にフォローをさせてしまい、輝くような金の髪を揺らして後から追いかけてくる。
今日も同じ……いや、違う? なんか焦った顔であたしの手元を指さして。
「うるちゃんが! うるちゃんがとんでもないことに!」
「え? うっわ!?」
そういえば潤を引きずっていた、と目を下ろせば、そこには土気色の顔をした潤が。
「キモチワルイ……」
「水飲め水!」
「ああっ、りんちゃんが首根っこ掴んでいくから!」
「掴んでねーわ! 腕引っ張っただけだわ! 明らかにあの謎カップ麺のせいでしょ!? なによ『ダンジョン味』って!」
「振動、ヤバイ、ムリ」
変な味のカップ麵を食べた上に、全力で走ったことで胃がやられたらしい。
普段は見た目も性格も冷静な方のくせに、どうしてああいう状況になるとギャンブルな選択肢を選びたがるのか。
水を飲ませて休ませれば割とすぐに潤は復活した。
「あ゛ー、ムリ……あの味は選ばない方がいい」
「あんた以外選ばんわ」
「小兵さんに挨拶し損ねた」
「ばーかばーか」
「リンがいきなり走り出したのも原因。五割ぐらい」
「そんなわけあるか。……二割ぐらいでしょ」
裏返った声で叫んで逃げる、とか恥ずかしいことをした自覚はあるので強く出れない。
瓦礫まみれの歩道のうち、壊れていない柵に腰掛けてふいと目を逸らす。
この辺りはまだ整備が進んでいないらしい。車道の中央に何かが踏み砕いたような跡が延々と続き、燃えたり斬られたりしたような家の残骸が残されている。
それらは全部、かつての『迷宮災害』の跡だ。
家が多いし元は住宅街だったのかも。
というか、なんでこんなところの近くにコンビニがあるのか。
なんとなしに見慣れた景色を眺めていると、隣で柵にもたれた杏子がふと口を開いた。
「小兵さんのこと、よかったんですか?」
よかったのか聞かれたらぜんぜんよくない。なんであんな別れ方をしちゃったのか。
「いや、でも一応ちゃんと挨拶はしたし。た、多分気にしてない、と思う」
「そうじゃなくて。その……小兵さんなら、助けてくれたんじゃないかなって」
……ああ、施設のことか。
足元の潤も、飲んでいた水から口を離した。こっちをうかがっているのがわかる。
「たしかに小兵さんなら、あんな施設潰すぐらいわけないかもね」
あたしたちが入ってる児童養護施設の奴らはクズだ。
子供を殴って、怒鳴って、それしか言うことを聞かせる方法を知らない。
そのくせあたしたちが探索者になった後は、少しやりかえすだけで怯えて近寄ろうとしない。
小兵さんに出会ったらそれだけで気絶するんじゃないだろうか。
「だったら——」
「でも、きっとその後の面倒までは見てくれない……見れない」
だけど力だけで解決できないこともある。
うちはあたしたち以外に八人の子供たちがいる。他の子は全員年下で、あいつらにやり返すような力がない。
だからあいつらは、あたしたちがいない間にあの子たちがどんなめにあってもいいのかと言ってくるわけだ。
それであたしたちにも言うことを聞かせようとする。
本当に、クズだ。全員足腰絶たなくなるまで殴り倒した後で魔物の前に放り出してやりたい。
だけど、できない。
「あんな場所ですら、あたしたちダンジョン孤児にはちゃんとした居場所なのよ」
あたしたちはまだいい。特例探索者としてライセンスを持っているし、アパートだって借りれるかもしれない。
でも探索者になることすらできない下の子たちはそこらの廃墟に住みつくしかないのだ。
粗末なごはんすらもらえず盗むしかなくなる。しかも、もしも警察や役所に見つかれば別の施設へ放り込まれるだけ。
そして……どこの施設も、こんなものなのだ。
一度抜け出して見てきたところでも殴られているのを見た。先生も、そんなところばかりだと言っていた。
二度の『迷宮災害』で多くの人が亡くなって、人手はいつでもどこでも足りない。
孤児の面倒を見る人だって少ない。あんなところですらないよりましになるぐらい……特に、あたしたちみたいな魔素持ちは。
魔物が近くで死んだ場合、人は魔素を吸収してしまう。
一定以上の魔素を抱えていると検査された人間は、いつか魔物になるんじゃないかと嫌がられた。十年前、出会う人たちから露骨に嫌そうな顔をされたのを覚えている。
今はそんなこともあまりないらしい。
魔素を抱えていない人間が、わざわざ探索者になってツアーみたいに魔物を倒したりするんだとか。信じられないけど。
だけど、そんなあたしたちにも希望はある。
「小兵さんは忙しいでしょ。『神迷』の攻略にずっとかかり続けてる。でも先生なら全員を面倒見てくれるのよ」
「そう、ですね」
先生。
あたしたちが特例探索者になるのを手助けしてくれて、同行者もかって出てくれた人。
「試験に受かったら先生がなんとかしてくれる。それに、ちょっと裏から手も回すし黙ってて、とか言われたしさ。小兵さんに言ったら先生まで逮捕されるかもよ」
「それは困る」
冗談のように言えば両側から小さく笑い声が聞こえてきた。
「だから私たちは試験に集中しましょ。『水族館』はかなり特殊なダンジョンだし、油断してると怪我じゃすまないわ」
「すうちゃんも怪我をしたらしいですしね」
その名前を聞いて、ついむっとした顔になってしまう。
「あいつの話はいいの!」
「りんちゃんはすうちゃんのことになると本当に意地になりますね」
「嫉妬?」
「うっさいわ!」
たしかに小兵さんから指導を受けているのは羨ましい。
だけどあたしたちにだって先生がいる。そこは別にいい。
ただ——。
「あれ? 凛たちじゃないか」
後ろの方からいきなり、聞き慣れた声がした。
慌てて振り返ると遠くから、足を引きずるように歩いてくる男性が見える。
ぼさっとした茶髪を後ろで適当にまとめ、へらりと笑うその姿——先生だ。
「どうしたんだ、この先のコンビニに行くって言ってたのに……潤? なんだか顔色が悪いけど」
「あー、潤は謎カップ麵食べただけ」
「カップ麵? それでなぜそんなことに……?」
先生、使間物衣はおっとり首を傾げ、足を引きずりながら近づいてくる。
一見頼りなさそうだがこれでも『神迷』の中層で活躍していた人だ。
ただ足を怪我したことで半ば引退しているらしい。ポーションも高くて治せないのだとか。
だからパーティーを作って中層に到達した知識でアドバイスをし、育てているという。
「先生はなんでこっちに?」
「ああ、いや、キミたちが試験に受かるための準備を、色々と」
そう言って懐から紙の束を出してきた。
「なにこれ」
「『水族館』の資料だよ」
大量の紙束は全て『水族館』についての情報らしい。あまりにも細かな文章に頭がくらくらする。
「すごい、いつの間にこんな」
「ある伝手から、ちょっとね。キミたちには必ず受かってもらいたいからさ」
にっこりと笑う先生。
その優しさが嬉しく、だが照れくさい。
「別に自分達だけでも受かりますけどね」
「りんちゃん、こんな時まで照れ隠ししなくても」
「してない!」
「ははは、そうだね。キミたちは受かるだろうし、みんな絶対に受かるとも」
なんだか変な言い方だ。
いや先生がどこか変なのはいつものことか。
「ところでカップ麵だけじゃごはんは足りないだろう。おごろうか? いつものファミレスだけどね。なにせこの足じゃそう稼げないから」
「いいですよ! むしろ——」
その先の言葉を遮るように、両側から軽く突かれた。
そうだった。言っちゃいけない。
試験に受かった後、あたしたちが先生におごるつもりだなんて。
あいつらにバレないよう貯めたお金を使い、これまでの感謝を伝えようと……その企画を、よりにもよって賭けに使ってしまったのだが。
後で本当に怒られたし反省している。
その賭けから連想し、あの女の子のことを思い出した。
すう。
あたしが負けたくない奴。
あたしたちが魔物に囲まれていた時、——常識外れな強さで、魔物を蹴散らしていた奴。
その背中がまるでかつての先生や、小兵さんみたいで。
同年代のあいつをそんな風に見てしまったのが、嫌で。
「……絶対、勝つ」
試験に受かって、下の子たちを助けて、先生に少しでも恩を返そう。
あたしは、ぐっと拳を握った。




