十八話 すう、覚醒する
おなかがすいた。
人の体になって初めての飢えは新鮮に激烈にすうの脳を満たしていく。
思考は食欲に染まり、食欲を満たすために必要なものだけを洗い出していった。
なぜ自分は『ダンジョン・カロリーブロック』を食べないことにしたのか。
ファミレスの代わりなどと思われたくないからだ。
なぜまだファミレスへ行けていないのか。
色々あったが、今の問題は「お金がないから」に尽きる。
なぜお金がないのか。
魔物を倒せていないからだ。
「まもの、を、たおせば……かいけつ」
結論は変わらない。ただ意志の強さだけが違っていた。
ぱさりと髪の毛がほどけた。
ダンジョンへ来る前、松ノ木がまとめてくれたものだ。だが今はそれを想う気持ちも飢えで塗りつぶす。
起き上がろうとすると、ちょうど指先に剣の柄が触れた。同じところに飛ばされていたらしい。
剣を握って立ち上がる。
見れば、さっきのスライムがすうの方へ近寄ってきていた。
何かが近づけば逃げる。攻撃されたら飛びかかる。シンプルな行動原理しか持たないスライムは、すうの様子など気にしていない。
すうの目に宿るギラギラとした飢えを知ることもない。
あと数秒でスライムはすうにまた体当たりを仕掛けてくるだろう。
対してすうは体も満足に扱えていない。剣を振って当たったとして、叩き落とせるかも怪しい。
疲労は溜まって、何度も攻撃され転んで全身が痛い。おなかがすいた。
迫る敵、疲労、痛み、飢え。
追い詰められているという認識が、すうの全感覚を「体を制御する」という一点に集中させた。
人の視線も小兵の存在も消える。
意識するのはただ剣を振るう動きだけ。
人の姿での試行錯誤と、スライム時代の経験を、取り出し、交ぜて、馴染ませる。
やがてスライムが体を波打たせ、すうの胴体へ突撃してくる。
それに対してすうは回転しながら踏み出した。
ぎゅるりと勢いをつけ、両手で剣を握り、全力で振るう。
飢えによる集中力の全ては、転ばないことと、スライムの位置を見誤らないことに払われた。
そうして振るわれた刃は――勢いよく跳んできたスライムの体を、真正面から捉えた。
ドバン! と破裂音を立ててスライムの体が飛び散る。
一撃でスライムは死んだのだ。
「いったい、め」
回転しながら勢いをつけて威力を増す。スライム時代によく使っていた戦い方だ。
だが体の制御が全く追いついていない。二階層の洞窟を縦横無尽に跳ねまわった時とは比べ物にならなかった。
恐ろしく集中して、その程度の動き。
ギリギリと歯を噛みしめ次の獲物をすうは探す。すぐに慣れる、慣れてみせる。
体中へかかったスライムの液体を拭い、歩き出そうとした。
その時だ。
すうは顔に張りついた液体から、自分の体に流れ込んでくる微弱な力を感じた。
「……まそ」
それは体が砕けた時、ダンジョンへ踏み込んだ瞬間に感じたものと同じだ。
魔物を倒すと魔素が体に取り込まれるのだったか。すうはダンジョンについて調べたことを思い出した。
全身の液体から魔素が流れこんできて自分の中の魔素に合流していく。
集中が高じてか、その様子がよくわかった。
そして魔素は自分の体だけにあるのではない。
立っている地面に、生い茂る草に、吹く風にすら感じられる。
さっきまでとは全く違う感覚。人の体になった時にも似た、異質な刺激。
顔の液体を拭いきって目を開ければ――世界が違って見えた。
青空の下、どこまでも続く草原。その全てが輝くかのような力の奔流でできている。
ずっと過ごしていたダンジョンの、本当の姿を目の当たりにした。
だがすうが目を奪われたのは雄大な姿にではない。
草原の中にぽつぽつといる魔素の塊だ。
あちこちにいる塊は魔物だった。全身を魔素で構成されている魔物はダンジョンの中でも目立っている。
「みつけや、すい」
今のすうにとって重要なのは、ただ魔物を見つけて狩ることのみ。
なぜ魔素を再び感じ取れたのかも置いて魔物を数え始める。
右奥に一体、ずっと横に一体、そして……背後に一体。
見てはいない。
ただ魔素の気配で把握できた。
魔物が後ろにいることも、それが大カタツムリという魔物であることも。
反射的にすうは振り返る。
ただ少し遅かった。大カタツムリは既に体の横側をすうに向け、攻撃態勢に入っている。
むにむにと体をうごめかせ、すうの胸元ぐらいまである巨大な殻をぶんと叩きつけてくる。
不意打ちだ。どれだけ集中していてもすうは体を使いこなせていない。
よけられない――はずだった。
すうはとっとっ、と軽く二歩下がる。それだけで振るわれた殻は届かず、すうの目の前で停止した。
いままでにない軽快な動きだった。
すうは目を見開く。瞳に映るのはすぐ前にある殻ではなく、そこに蠢く魔素の流れだった。
大カタツムリにも、自分にも、流れはある。
流れを感じれば攻撃が届かないとわかり、流れに逆らわないことを意識すれば体は驚くほどスムーズに動いた。
更にすうは前へと踏みだし、跳ぶ。引き戻されようとする殻の上を転がるように飛び越え、剣を逆手に持ち替えた。
勢いそのまま、すうは体ごと倒すようにカタツムリの頭へ剣を押し込んだ。
くたりとカタツムリの体が崩れ落ちる。
二体目の討伐はあまりにあっさりと終わった。
急激な変化に流石のすうも少し戸惑いを感じて——また、お腹が鳴った。
「……!」
その瞬間すうは全ての違和感を頭の彼方に捨てて駆け出した。
おなかがすいた。
空腹が何よりすうには耐えられない。
草原を疾走する。草に足が絡んでこけていたすうはもういなかった。
一番近くにいたスライムへと一直線に迫る。ただすうの身長でも、足元にいるスライムには剣が届きにくい。
すうはあえて思いっきり体勢を崩した。地面と平行になるほど体を傾け、回転しながら剣を振るう。横から見れば車輪のような形だ。
すう車輪に巻き込まれたスライムは体を弾けさせて息絶えた。
ぐんと起き上がり体勢を整えてすうは再び走る。
スライム、大カタツムリ、ホーンラビット。
どんな相手も駆けるまま鎧袖一触に切り裂いていく。もはや一階層の魔物は相手にならなかった。
だが量が少ない。走り続けてもまだ十体も倒せていなかった。
二階層ならもっと多いのに。
かつてを思い出して内心で愚痴る。同時に、そうすればいいのだと気づいた。
「にかいそう、いく」
行けるかどうかは論じるに値しない。
すうはまだ地上よりダンジョンで過ごした日の方が多いのだ。場所は覚えていた。
すぐ二階層へ降りる階段に辿り着き、飛び降りる。
「えっ、ちょ——」
階段のそばにいた人間が何か言ったが、すうの意識には残らなかった。
小兵のように高速で階段を降りて、着地。
現れたのは薄暗い洞窟だ。
懐かしい二階層。
だがすうは郷愁など覚えず、ぎょろりと目を動かして周りを伺う。
魔物の気配は床から天井まで一階層より遥かに多い。
「ふ、ふふふ」
すうは笑い声を漏らす。
魔物がいて嬉しい――と言う意味ではない。
お腹がすきすぎて腹が立ってきただけだ。キレ笑いである。
「もっと、もっと……!」
二階層ならさらに稼げるお金は増えるはず。
すうはファミレスと、さらに『ダンジョン・カロリーブロック』に想いを馳せる。
そうだ、とすうは思いついた。
まず、ファミレス。そしてデザートに『ダンジョン・カロリーブロック』を食べよう。
ファミレスの代わりではない。
ごはんの後の、更なるごはん。——『ぜいたく』。
『ダンジョン・カロリーブロック』はそれだ。
「食べる……食べて、やる……!」
そう、これはファミレスへの宣戦布告である。
魔物たちをロックオンしてすうは叫ぶ。
「おまえらの、いのち、が、ファミレス、だッ!!」
何を言っているのか自分でもわからなくなってきたが、とにかくすうのテンションは上がった。
かつて二階層を蹂躙したスライムが、人の姿となって再び駆ける。




