十三話 すう、体が崩れる
すうの腕が取れた。
土が砕けるようにぼろりと、肩のあたりから崩れたのだ。取れた腕は松ノ木と手を握ったままぶらんと垂れ下がる。
病院の自動ドアの手前で、それを呆然と見ていたすうと松ノ木。
瞬きを一つした後、二人の顔にぶわっと汗が噴き出した。
「すっ、すすすすっ、すうちゃ――」
「なっ、なにこれっ!?」
パニックになる松ノ木。
すうも慌てていたが、松ノ木より少し冷静だった。腕は取れたものの痛みは感じないのだ。
ただ自然と、当たり前のように体が崩れていく。
不可思議な現象。だがすうはもしかして、とこうなった原因に思い至る。
(魔素が、ないから?)
すうはどうにかダンジョンへ入ろうとこの数日でダンジョンについて調べまくった。
抜け穴は見つからなかったが、自分の住んでいた場所がどういうものかについてはある程度知っている。
ダンジョンは未知の物質、魔素を生み出す。
この魔素は魔物の体を構成するのに最も重要なものらしい。魔素が尽きた魔物は、体に全く傷を負っていなくとも体が崩れて死ぬ。
魔素の豊富なダンジョンの中では見ることのない現象だ。
だが地上に魔素はない。
魔物は地上で生きられないのだ。
例外は『迷宮災害』の時ぐらいだった。
魔素がダンジョンから地上に放出され、それを追うように魔物が溢れ出たという。だが地上に出てきた魔物はどれだけ長くとも数か月で崩壊して死んでいったそうだ。
人間に変化したとはいえ、すうは魔物だ。
魔素が無くなれば――体が砕けるのでは。
すうは戦慄する。
意識してしまうと、ぼんやり感じていた倦怠感が一気に襲ってきた。全身が重く、息が荒くなる。
今すぐにダンジョンへ戻らなければこのまま全身が崩壊して死んでしまう。
だというのに、すうは年齢が引っかかってダンジョンに入れないのだ。
というかそもそも体が崩れた時点で魔物認定かもしれない。
地上に来てから何度目かの死の予感がすうの頭をよぎる。ごはんを食べたいだけなのに、どうして自分にはこんなに問題が降ってくるのか。
「いえ、私が取り乱していてはいけません……!」
嘆くすうの頭の上で、松ノ木が我に返ったのか受付へ叫ぶ。
「すみません! 今すぐポーションと手術の準備をしていただけませんか!」
鋭い眼光(いつも通り)を取り戻した松ノ木の要請に、受付側も迅速に用意をし始めていた。
「すうちゃん、大丈夫です。ここはダンジョンに最も近い病院。探索者の大怪我を担当することが多いので腕ぐらいくっつきますからね」
松ノ木はすうの前に跪いて目線を合わせてくる。
だがそれは応急処置にもならない。ダンジョンに行かなければ意味はないのだ……と、そこですうは思案する。
「……」
「すうちゃん?」
目を合わせてくる松ノ木は、体が崩れているすうを魔物だと疑ったりしていない。腕の中には欠け落ちて崩れていくすうの腕が丁寧に抱えられていた。
松ノ木なら、ダンジョンへ行きたいと言えば連れて行ってくれるのではないか。
普通なら絶対に拒否されるだけだ。しかし松ノ木なら、自分の意思を尊重してくれるかもしれない。
松ノ木とすうはここ数日もずっと一緒にいた……はず。ごはんとダンジョンに気を取られてちょっと曖昧ではあるが。
ただ困ったことが無いか、不便なことがないかと何度も足を運んでくれていたのは覚えている。
そしてもし魔物だとバレても……松ノ木ならいきなり討伐しにくることはないかもしれない。
すうは決意して松ノ木の目を見返した。
「まつのき、さん」
「はい。なんでしょう?」
「わたしを、ダンジョン、へ連れてって」
緊張と共に祈るような気持ちで言う。
松ノ木の目が見開かれた。だが否定されたりはせず、すうの意図を組もうとするように見つめてくる。
やがて松ノ木はそっと、砕けていない方のすうの肩に触れてくる。
そして全てを理解したように目を伏せた。
「すうちゃん、まだ最後の場所を選ぶ必要はありません」
「ちがう!」
理解されていなかった。
「しぬき、なんてない、から!」
「さ、最期は故郷のダンジョンで、という意味だったのかと」
「ちがくて! ダンジョンへ、行きたい、だけで……!」
理由は説明できずしどろもどろになる。この間にも頬が崩れ四肢の細部が少しずつ砕けていっていた。
しかし松ノ木は今度こそ、すうが説明できないことまで理解してくれたようだ。
「とにかくダンジョンへ行きたい、と。……わかりました。確かに、ダンジョン内の方がポーションの効き目も高くなります。腕が取れるような重体なら緊急事態として入ることもできるでしょう。ここからなら車で……」
何も聞かずにダンジョンへ入る準備を進めてくれる。
やっぱり頼ってよかったのだ。すうの顔にぱっと希望の笑みが浮かぶ。
「いえ、それだとダンジョンの受付で止められますかね……あの人なら顔パスでいけるでしょうか」
松ノ木は懐から携帯を取り出し操作し始めた。
電話をかけているのだろう。電話も携帯もすうは知っている。ダンジョンでも何度か見たことがあった。
ただ「あの人」とは誰なのか。
すうが疑問を抱いた、その時。
ジリリリリ!!
自動ドアの外から甲高いアラームのような音が響いた。
すうと松ノ木が顔を上げれば、自動ドアが開いて一人の女性が病院へ入ってくる。
その人物を目にしてすうは固まり、松ノ木が驚いたようにその名前を口にした。
「小兵さん!」
「松ノ木?」
呼ばれた女性、小兵が首を傾げる。
あまり手入れのされていなさそうな黒髪が揺れて肩にかかり、赤みがかった黒い目が丸く見開かれていた。
小兵。
すうが人間に変化する時、参考にした人間。
特徴的なのは女性にしても低い身長だ。すうと同じぐらいで、顔つきも幼いせいで子供のように見える。
だが外見とは裏腹に、探索者の中でも最も強く近寄りがたいとすうが感じた者であり――すうが地上に来た際、取り囲んできた者の一人でもある。
「なんで松ノ木が病院に来てるんだ。事故にでもあったか?」
手を振り小兵が近寄ってくる。
固まっていたすうは慌てて松ノ木の後ろへ隠れた。
囲まれた時の威圧感を思い出したのだ。あの時がすうにとっては最大の命の危機であり、小兵は最大の脅威だった。
隠れたすうの背に松ノ木がそっと手を回してくる。その感触に思わずほっとする。
だが直後。
すうはぐいと背中を押されて小兵の前に立たされた。
「小兵さん。この子をダンジョンへ連れて行ってあげてくださいませんか」
「えっ……えっ!?」
安心が一瞬で砕かれすうは大混乱に陥るすう。
同じぐらいの身長が災いして小兵とちょうど目が合ってしまい、びしりと固まった。その衝撃で体に更なるひびが入った気がする。
「いきなりなんの話……は!? 腕が取れてる!?」
小兵は今ようやくすうの腕に気づいたようだ。
「いきなりこの子の体が砕け始めたんです。原因がわからないので、ダンジョンへ入ってポーションを使っていただけませんか」
「病院じゃ対処できないんだな? わかった。ポーション代はそっち持ちだぞ」
「もちろん」
二人が頷き合う中、すうはまだ自分がどうなるのかわからず視線を右往左往させている。
すると小兵が進み出て、松ノ木からすうの腕を受け取った。
そして目線を合わせ(元から合っているが)にっこりと笑ったかと思うと、いきなりひょいとすうの体を横抱きに抱えた。
「!?」
「抱えやすいように体はちょっと縮めてくれ」
何か言われたがすうは聞いていない。苦手な相手から反応できない速度で拘束され、身を縮こまらせることしかできなかった。
ただそれが結果的に言う通り動いたようになってしまう。
「うん、そうそう」
小兵はそのまま自動ドアを潜り。
「じゃあ行くぞ」
気楽な声と共に——跳んだ。
「!!??」
家の屋根を軽く越えるような高さへ一瞬で小兵は浮き上がる。
一度ふわりと着地するかのように空を踏んだかと思うと、そのまま恐ろしい速度で横にかっ飛んだ。
ごうと風が髪をかき乱し、視界の端に映っていた病院が一瞬で遥か後方に過ぎ去っていく。
恐らく魔道具か何かの力だろう。
速度の割に風の勢いはそうでもなく、すうの体は小兵の腕でがっちり固定されている。落ちる心配はない。
「――!」
だがすうは後に語る。
『あんぜん、と、あんしん、は、ちがう』
要するに「無事とわかっていても高速で空を飛んで怖くないわけがないでしょ」ということである。
だがその恐怖特急のおかげで、元々病院と近いこともありダンジョンまではすぐだった。
一分とかからず小兵たちは洞窟の形をしたダンジョンへ到着した。ただその短い時間ですうの頭はぐらぐらと揺れて吐きそうになっていたが。
「緊急事態だ。通してくれ」
「小兵さん!? わ、わかりました!」
受付も小兵の権限でほとんど素通りになり、ぐったりしているすうは抱えられるまま、ダンジョンの階段へと突入する。
——その瞬間、すうは強烈な視線を感じた。




