百十話 すうと、小兵
明けて翌日。
「ぬぁー……」
結局あまり寝付けなかったすうは目をしょぼしょぼさせながら病院から出た。
自動ドアをくぐると同時、照りつける朝日が染みてぎゅっと瞼を閉じる。
それと同時にすぐ目の前から笑いを含んだ声がかけられる。
「よう、すうちゃん。寝起きか?」
「む」
すうは目を見開く……ことはできずうっすらと開けて、眉をひそめることで驚きを表す。
相変わらずすうより小さい背の小兵が、快活に手を挙げていた。
小兵がここに来ること自体はすうも知っていた。調査へ出発する前に病院へ寄ると前日に聞いている。
それを待ち構えるため早く起きようとしていたのだが、結局小兵の方が早くついてしまったらしい。
松ノ木が起こしてくれないと間に合わなかっただろう。
その松ノ木もここにはいない。気遣ってか二人だけにしてくれた。
「ふぁ……おは、よ」
「はは、おはよう」
挨拶より先にあくびが出てしまった。
笑いをこらえるような小兵の視線からすうは顔を逸らす。ただ横目でちらりとその姿を伺った。
小兵の様子はいつもと変わらない。色々と考えていたすうとは違って。
むっとする気持ちを腹の底に押し込んですうは口を開く。
「こひょう、きょうで、……おわかれ」
「最後の別れみたいだな。調査が終わったら普通に戻ってくるぞ」
それでも、しばらくはお別れだ。
出会ったことで少し消えていたもやもや……寂しさがまた纏わりついてくる。
「こひょう……はなしたい、ことが」
もやを振り払うように強引に続けようとするすう。
ただそこで周りの人通りに気づいた。
まだ朝とはいえ病院へ足を運ぶ人はそれなりに多い。出入りする人々はことさらすうたちを見たりはしないが、魔物の話をできるような雰囲気ではなかった。
「……ふたりで、はなしたい。どこか、ばしょ……」
すうは勢いを無くしてぼそぼそと言う。
話す内容ばかり考えて、話すための場所を考えていなかった。
すうが焦りを募らせていると小兵は「ふむ」とわずかに考えた。
「話せる場所が欲しいんだな? じゃ、ちょうどいいしあそこに行くか」
「?」
つれてこられたのは、オレンジ色の壁が目立つファミリーレストラン——ウマイゼリヤだった。
しかもショッピングモールの中、すうが初めて訪れた店と同じところだ。
「なん、で……?」
奥の席へ案内されたすうは困惑たっぷりに呟く。
どうして話をするのにマイゼがちょうどいいのか。
たしかにまだ朝だからか人は少ない。しかし席同士は近いし、ないしょで話をするのには全く向いていなさすぎる。
「しばらくとはいえお別れだしな。一緒にごはんを食べようと思ってさ。あとすうちゃんなら食べ物のある場所の方が話もしやすいかなって」
まるでごはんさえあればいつでも上機嫌と言われているようだ。普段ならその通りなのですうは何も言い返せなかった。
「そもそも注文まで済ませてから出る疑問じゃないだろう」
「だって、ごはんがおいしそう、だから……」
たしかにすうは席についてすぐ注文した。でもおいしそうだから仕方ないのだ。
「しかし久しぶりだけど注文の仕方は覚えてたんだな」
「とうぜん」
からかいまじりの言い方にとつんと返す。
聞き取りで『神迷』と病院を行き来していた時に松ノ木と何度か来ていたのだ。
ただ小兵と来るのはまだこれで二度目だった。
「お待たせしました」
そんな話をしているうちにごはんが来た。
モッツァレラピザはすうの方へ、ハンバーグとパスタが小兵の方へ並ぶ。
皿一杯に広がる生地はほのかに暖かく、トマトとチーズの食欲を刺激する香りが漂ってきた。
なぜ朝からピザなのか。最近すうがハマっているからだ。
いやマイゼのメニューは全部好きだがなんとなく何度も頼んでしまう魅力がある。どこにそれほどの魅力を感じるのか突き止めるため今日もすうはピザを頼む。
「いただきま——じゃなくて!」
ピザカッターへ伸ばした手をすうは逆の手でつかんで無理やり止めた。
今日は、違う。今日ばかりはメインはごはんではなく、話の方だ。
「食べないのか?」
「……ん。まだ、たべない」
「こんなにおいしいのに」
目の前でこれ見よがしにハンバーグを切り分けて口に運ぶ小兵。
「んーーーっ!!」
全力で抗議の声をあげれば小兵は口元を押さえて肩を震わせている。
ただ、やがて。口に入れたハンバーグを呑み込むと真面目な顔になった。
「話があるんだったな」
唐突な切り替えにすうは怯む。
「そ……そう。わたしの、こと、について」
「すうちゃんの? そういえば昔の話は聞いたことなかったな」
当然だった。すうの昔は魔物としての生だ。
元がスライムであることも、魔導具で人型になったことも、誰にも話すつもりなどなかった。というより知られたら終わりだとしか考えていなかった。
それを今日、伝える。
「じつは」
周りを気にして小さな声ですうは呟く。
——わたしは、まもの。
そう、口にする——つもりだった。
「ん?」
「——」
だが声が出ない。
口を動かしてもひゅうと息が抜けていく。心臓がどくんと跳ねた。
体に氷の棒が差し込まれたかのように全身から冷たい汗が滲み始める。
「わたし、は……」
すうの言葉を遮っているのは、恐怖だった。
口を開こうとすると頭の中にいるもう一人の自分が先に喋り出すのだ。
——魔物と打ち明けて本当に大丈夫か。
——討伐されるんじゃないか。
大丈夫。松ノ木だって小兵がすうと別れるのは寂しいと言っていた。
もしすうが魔物だと打ち明けても、即座に殺すなんてしない、はず。
——でも、そうだとしても。
——ころされなくても。
——きらわれ、たら?
すうはようやく気づいた。
もやもやの中にある、もう一つの感情に。
討伐されるのは嫌だ。
だけどそれは、死ぬことそのものじゃなく。
小兵や、松ノ木。凛たちのような、近しい関係の人たちの心が、完全に離れていってしまうこと。
嫌われること。拒絶されること。——一人になってしまうことが、怖い。
打ち明けようとした口は完全に閉じてしまった。
小兵の顔を見ることすらできず、すうはテーブルへと視線を落としてしまう。視界の端に映るピザすらもう魅力的に思えない。
「すうちゃん」
突然、小兵の方から声をかけてきた。
びくっとすうの体が跳ねる。それでも顔はあげられず、耳だけを傾ける。
「実は私からも話があるんだよ。ほらほら、顔あげて」
「……?」
いつも通りの声に少し安心感を覚えて、すうはちょっとだけ顔をあげた。
すると見下ろしてくる小兵と目があう。
「最初に会った時からずっと思ってたんだ。すうちゃんは、変わってるよな」
その言葉にすうは固まり。
「別の世界から来たというか——。
——人間っぽくないというか」
続く発言で心臓も、頭も、止まってしまったかのような衝撃を受けた。
見下ろしてくる小兵の目。
その奥に宿るのは、最初に出会った時……ダンジョンから出てきた時と同じ、底知れない威圧感。
「最初……いや、二回目か。病院で出会って、ダンジョンに連れて行った時かな。腕が取れてるのに痛がるそぶりも見せないし、傷口も変だった。行動も怪しいし、何か企んでるんだろうと思ってたよ……殺そうかと、考えたこともある」
じわりと、すうの視界がにじむ。
それは恐怖によるものだろうか。殺されるから?
いいや殺されることそのものよりも。
小兵に……小兵は、すうを殺してもいいと思っている。
その事実が何よりもすうの心を穿って――。
「でも今はもう違う」
だが、すうの頭にそっと手が乗せられた。
温かいその手にすうは目を見開く。
「だって君はずっと人を助けようとしたもんな」
見開いたその視界に映るのは、大事なものを見つめるような小兵の顔。
「『水族館』の試験で探索者が襲ってきた時も殺さなかった。凛ちゃんたちが泣いてた時は寄り添った。今回のダンジョン討伐だって地上の人を守ろうとしたんだろう? ……君は私よりずっと優しくて、いい子だ」
だから、と。
小兵の手がすうの頭を優しく撫でる。
「話したいことがあるって言ってたよな。すうちゃんが伝えたいと本当に思うならいつでも聞くよ。でももしそうじゃないなら――隠し事をしてるとか、罪悪感があるとかなら気にしなくていい」
「別れる前にちゃんと言おうと思ったんだ。君が何であっても、私は気にしない。君は探索者で——」
珍しく、頬を少し赤くして、照れたように笑う。
「初めての、大事な、私の弟子だ」
その、一言。
その一言で——すうの胸を渦巻いていたもやもやは晴れた。
——だいじ、な。
――だいじな、でし。
すうはずっと考えていた。
小兵にとって、すうはなんなのか。
それが、今、はっきりと言われた。
ぽた、と机に水滴が垂れる。
「おっ、と。すうちゃん?」
「だい、じょうぶ……」
抱えていた不安が溶けだしたかのように、すうの目から涙がこぼれ続ける。
今まで抱えていたものの大きさを表すかのように、ぼろぼろと。
「だいじょうぶ……」
それでもすうは笑っていた。
すうはピザを一切れ、口へと運ぶ。
さくっとした生地に、濃いトマトソースとあっさりした味わいのチーズが溶けあっている。とてもおいしい。
笑みを浮かべながら二切れぐらい味わったところで、食べる手を止めてすうは小兵へ顔を向けた。
「はな゛し……」
「めっちゃ鼻声だぞすうちゃん」
差し出されたティッシュで鼻を噛んで、もう一度口を開く。
「はなしたい、っていった、けど」
「うん」
「もうすこし、まって」
「わかった」
小兵は僅かに微笑んで頷いた。
自分の秘密を打ち明けるのはやめることにした。
なんとなくもうそういう雰囲気でもない、というのもある。しかしもともと離れることへの寂しさから、思考が暴走していたとすう自身感じている。
人の体になってから、この感情というものに振り回されてばかりだ。
寂しさや不安は小兵からの言葉で消えた。
ただいつか伝えようという想いは消えていない。
もっと堂々と、ちゃんと伝えられる時が来たら……それがどういう時か、すうにもまだわかっていないけれど。
とりあえずすうはピザをもう一切れ食べる。
「ああ、そうだ。もう一つ言っとかないといけないことがあった」
「む?」
「すうちゃんが人を助けるのはいいことだ。でも、中にはとんでもないことをしてくる奴らもいる」
「だからまあ、自分の体を一番に考えてな。――特に、異世界とか言ってくる奴らには気をつけて」




