百九話 すう、『寂しい』を知る
■病院の地下 検査施設内
「つ、かれ、た……」
元町・三宮から帰ってきたすうは、真っ白なベッドへばたりと倒れ込んだ。
しばらくそのまま体の力を抜いていたが、そのまま眠ってしまいそうになって慌てて起き上がろうとする。
しかし結局起きる気力はなくごろりと寝返りをうった。
目に映るのは検査施設の中の一室、全てが白で構成された無機質な部屋。
置いてあるのはベッドと、机と椅子のセット。ごく狭いトイレとシャワー室が一つずつ。
最初は緊張したこの施設も、いまやすうにとっては快適な住処だ。なんなら一番落ち着く場所かもしれない。
なにせ何もしなくてもごはんを貰えるし、一人でいると魔物バレも気にしなくていいのだから。
「ただいま」
そう呟けば帰ってきた実感が湧いてくる。
すうは細く長く息を吐きだした。
「きょうは、たいへんだった……」
元はケーキを買いに出かけただけだった。
だというのにダンジョンへ取り込まれたり、七巫と出会ったり。
すうは今日のことを振り返る。
——ななみは、だいじょうぶ、かな?
元町・三宮で出会った少女。
すうと同じく魔物であるらしく、人間社会での先輩だ。木の根が出ていたからきっと種類は木の魔物とかだ。怪我は問題ないのだろうか。
——ギャーも、たくさん、がんばってくれ、た。
ギャーはずっとすうたちを乗せてダンジョンを駆け抜けてくれた。最後はぐったりしていたけど、魔道具さえ無事なら召喚獣は回復するらしくほっとした。
検査施設内には魔道具を持ち込めなかったからここにはいない。でも明日は何かおいしいものを食べさせてあげよう。
——りんたちと、かんこう、できた
途中で邪魔は入ったが楽しかった。みんなで何のケーキを食べるか選んだり、最後に少しだけ屋台を回ったり。……ロシアン魔物肉? そんなものは記憶から消えた。消した。
——ダンジョンは……もう、でないらしい、けど。
もう『大量発生』は収まるらしい。だが侵食型がどうしてすうを狙ってきたのかはわからないままだ。いや、本当にすうを狙っていたのか。あるいは七巫を狙おうとして間違えてすうを襲った?
——ななみに、あった、ら、きいて、みる……。
——あのアメ、おいしかっ……。
——あしたは……。
今日のことを思い返していると、うつらうつらと瞼が降りてきて——。
「ねちゃ、ダメ!」
夢の世界へ旅立ちそうになったすうは自分の頬を思い切り叩いた。
じんじん染みる痛み。目の端に涙が浮かんできた。
「ねたら、あしたになる」
痛みを感じながらすうは気持ちを吐き出すように言う。
「あしたは、こひょうが、いなくなる……」
こちらへ帰ってくる前のことだ。
七巫と別れたすうたちは神桜の事務所へ戻って、大量の豚まんを食べながら小兵の帰りを待った。食べていたのはほとんどすうだけだったが。
豚まんは先に食べた肉まんより小さいサイズのものだった。
一口でも食べられる大きさで、皮も薄くすぐに餡へ到達する。餡もとろりとしたものではなく、食べ応えのある肉団子のような固さ。
違いは多いが、どちらもおいしいことだけは共通していた。
そうしてすうが豚まんを味わっていると、小兵は急いで帰ってきた。
『神桜』のメンバーからあらかたの事情を聞いたらしい。とても心配した様子の小兵に、すうたちは照れたり恐縮したり大雑把な治療が始まりそうになって悲鳴を上げたりしたが、とにかく無事を喜ばれた。
ただ問題はそこからである。
ぽつりと小兵がこう言ったのだ。
『明日から調査で離れるって時に、縁起が悪いな』
その発言にすうは固まった。
『ちょう、さ? ……はなれ、る?』
『うん? すうちゃんには先に言ってただろ。ほら、特例探索者の試験を受ける前。大きな調査の任務があるから私は同行者を引き継いで離れる、みたいなこと。まあ無事に探索者になったから引き継ぎはないけど——』
途中から小兵の言葉が耳に入らないほどすうは衝撃を受けていた。
「むうう」
ベッドを転がりながらすうは唸る。
たしかに、言われた。調査に行くと言われていた。思い出した。
なんなら当時のすうは小兵が苦手で、いなくなるならそっちの方がいいと考えていた気がする。というか今でも大雑把なところは苦手だ。
なのに、なぜだか。
——もやもや、する。
唐突に伝えられたから?
いや、忘れていたのは自分だ。自分が悪い。
今日は色々あったからその疲れが溜まっているだけ?
体の疲れとは違う気がする。
「……ぬぐぐ」
胸の周りにもわもわしたものが纏わりついている。
かといって胸に触れても何が起こっているのかわからない。
じっとしていられずベッドで転がっている時だ。
こんこん、と部屋のドアがノックされた。
検査施設の職員は勝手に入ってくる。こうやってノックをする人物は限られていた。
「どうぞ」と返事をするとそっとドアが開けられて、無表情な女性の顔が覗く。
「すうちゃん、こんばんは」
「こんばん、は」
訪問してきたのは松ノ木だった。
いつも通りの鋭い目がベッドに寝転ぶすうを捉えると、その眉がほんのわずかに下がった。
「すみません。もうおやすみの時間でしたか」
「ううん。……ねたくない、から」
起き上がるのは面倒だが、寝るのは嫌だ。
行儀悪く寝転がったまま言うすうに、松ノ木は気づかわしげだ。
「今日は大変でしたね。なにか嫌なことがあったりしましたか?」
「いや……とは、ちがう。でも……」
どう言ったらいいのかわからない。
悩むすうを松ノ木はじっと見ていた。だがやがてすうの隣にやってきてベッドへこしかける。
「じゃあ少しお話しをしませんか?」
「はな、し?」
「今日あったことや、今感じていることをどんな形でもいいから言葉にしてみてください。少しでも誰かに伝えてみると、すっきりすることもありますよ」
「……ん」
頷きつつも、すうは枕で顔を隠す。
松ノ木の方を見ながら話すのはなんとなくむずがゆくてできなかった。松ノ木も何も言わなかったので、すうはそのまま今の気持ちを語りだす。
小兵に離れると言われたこと。
それに衝撃を受けたこと。
それから胸がもやもやすること。
そんなことを断片的に、遠回りしながらぽつぽつとすうは語った。
長くなった話を松ノ木は全て聞いてくれた。そして穏やかに口を開く。
「すうちゃんは寂しいんですね」
「……さび、しい?」
枕をずらしてすうは松ノ木を見上げた。
言葉は知っている。病院を行き来する時にもたまに聞いた。
「どういう、こと?」
「えぇと、そうですね。当たり前にあったものが欠けてしまった、満たされなくなってしまった。……そういう気持ちを抱いているんだと思います」
欠けてしまった。
満たされない。
それはつまり——。
「おなかが、すいてるのに、たべられない、みたい、な?」
「……そう、ですかね? いえ、すうちゃんにとってはそれが一番近いのかもしれません……?」
松ノ木の肯定は曖昧だったがすうは気にせず呟く。
「……さびしい」
意味を理解して口に出せばその言葉はすとんと胸に落ちた。
当たり前に一緒にいた小兵と離れるのが、すうは寂しい。
いつもみたいに別れるのとは違う。小兵は調査へ出かけて会えなくなる。いつ帰ってくるのかもわからなくて、ダンジョンに入るのも次からは一人だ。
隣に小兵はいない。
「……」
すうは枕を顔に押しつけた。
寂しいという言葉を知った。それだけなのに、漂っていたもやもやは急に氷のように冷たくとがってすうの胸を突き刺している。
すうは思う。これなら『寂しい』なんて知らない方がよかったんじゃ、と。
そもそもすうが自分の気持ちをわかったところで小兵が留まるわけではない。自覚した分辛くなっただけだ。
「自覚することは大事ですよ」
そんなすうの想いを見透かしたように松ノ木が穏やかに言った。
「自分の気持ちがわからないと向き合えません。向き合えないと、ずっと心の奥に残り続けます」
「……むきあう。どうやっ、て?」
「そうですね」
枕の下にあるすうの頭を松ノ木の手がそっと撫でてきた。
「寂しい時は、相手に寂しいと伝えるとか」
「……でも、こひょうは」
「調査へ行かなくなることはないでしょうね。でも口に出すだけですっきりすることもありますよ」
「……」
「それに——小兵さんもすうちゃんと別れるのは寂しいんじゃないでしょうか」
すうは顔に枕を押しつけたまま松ノ木の方を向く。
「……ほんと?」
「ほんとです」
顔は見えないが、松ノ木の声は微笑んでいるようだった。
その後いくつか話してから松ノ木は帰った。
静かになった部屋の中はなんとも『寂し』くて、すうは誤魔化すように一人で思考を回す。
寂しいと伝える。
小兵に? 離れると寂しいと、直接?
「……うぬ」
ただ、それはそれで変な気分になる。さっきまでようなもやもやとは違うが、じっとしていられずじたばたしたくなる感じ。
この感情がなんなのかも聞いておけばよかった。
考え始めると寝ていられない。
あれほど面倒だったのにばっとベッドから起き上がり、すうは部屋の中をうろつき始めた。
するとふと思いつく。
「まものって、うちあけ、る?」
七巫のように、いつか打ち明けられたらと思っていた。
だったら今この時がちょうどいいのかもしれない。このまま離れたらいつ会えるかもわからないのだ。
ついでに寂しいとも伝えよう。あくまでついでに、さらっと。
そう考えるとこのむずがゆい気持ちもマシになる気がした。
「ななみ、みたいに」
打ち明けたら、受け入れてくれるかも。
「あしたは、こひょうに……」
先輩を心の支えにしてすうは眠りにつく。
結局それから数時間ほどは眠れなかったが。




