百六話 すう、約束する
薄暗い路地の中、混乱する凛をなだめてすうたちは凛と潤へこれまであったことを話した。
「えー……………………つまり、あんたらは」
全てを聞き終えた凛は、空を仰ぎ、地へ俯き、たっぷり時間をかけて思考を纏めていた。
「いきなり出現したダンジョンに取り込まれて、しかもそのダンジョンは侵食型で、他のダンジョンと変に融合してて、不完全で弱いから倒せるかもって核を偵察しにいったら、なし崩しで討伐することになった……って?」
「だいたい、そう」
簡潔なまとめにすうが頷けば、凛は自分を落ち着けるように深く息を吸い、吐いた。
そしてゆっくり口を開く。
「なにやってんのよあんたら!?」
ただ結局出てきたのは叫び声だった。落ち着き切れなかったようだ。
「だから、ダンジョン、とうばつ」
「知ってんのよそんなこたぁ!」
「あの、りんちゃん! 気持ちはわかりますけどもう少し声をおさえて……!」
いきり立つ凛を杏子が止めに入った。その目は表の屋台通りをちらちら伺っている。
ダンジョンの話が外に漏れないか心配なようだ。
「大丈夫だよー。声も姿も外からは見えてないから」
そんな杏子へ路地の奥側にいる七巫が声をあげた。
護衛さんの腕に抱えられたままのそりと七巫は手を掲げる。その手が摘まんでいるのは風鈴と鐘を足して二で割ったような道具だ。
七巫が軽く手を揺らせばりん、と澄んだ音が鳴る。
同時に表通りの喧騒が聞こえてこないことにすうたちは気づいた。
「【隠れ鈴虫】。ほらケーキ屋の前で使った気配を薄める魔道具だよ。これがあれば凛ちゃんがいくら大声出しても大丈夫!」
「太鼓判押されたら逆に出しづらいわ……!」
親指を立てる七巫に対し、青筋を立てる凛。
「あたしだって別に叫びたくて叫んでるんじゃないんだけど! ていうか潤、あんたはなんか言うことないわけ!?」
「自分より混乱してる人がいると落ち着く」
「なんか腹立つわね!」
しかしそこで自分以外の誰も騒いでいないことに凛は気づいたようだ。
納得できない顔をしつつも大きく息を吐いた。
「はあ……とにかく、無事でよかったわ」
すうたちへ向けられた目には安堵が見えた。
さっきまで怒鳴っていたのは、すうや杏子が危ない目にあっていたことへの心配で感情が昂っていたのだろう。
杏子は微笑んで受け止めているが、すうはその視線がむずがゆくなんとなく目をそらしてしまった。
「でも、おかしい」
場が落ちついたところで切り出したのは潤だ。
「すうたちがダンジョンにいた時間と、自分たちが地上で過ごした時間が合わない」
「む?」
「らしいね」
すうはよくわからず首を傾げたが、七巫は間を開けずに応じた。
「治療されてる時に護衛さんから聞いたよ。地上から消えた私たちは五分足らずで戻ってきたって。凛ちゃんたち二人はこれまで何してた?」
「自分はロシアン魔物肉を買ってた」
「あたしは潤が無駄にいくつも買おうとするから引きずり戻してたわ」
ロシアン魔物肉の名を聞いただけですうはうべぇと舌を突き出した。
「だけど護衛さんがいなくなってたから合流場所がわからなくなってたのよ。その後ちょっとだけ探してたら、護衛さんが上から路地の中に飛び降りたから、それを追ってきて——で、こうして合流した」
凛たちのこれまでを聞いたすうはようやく潤の言っていたことを理解する。
「それだけ、なんだ」
「はい、明らかに時間がズレてるんです。聞いたこともない現象ですけど……これもあのダンジョンが不完全だったからなんでしょうか?」
「わかんないねー」
七巫が目を細めた。
「いきなり出現して人を取り込むダンジョン、不完全な合体、それに時間のズレ——どれも私は聞いたこともない現象だし。一応、魔素的には他のダンジョンとそこまで変わってたわけじゃないと思うんだけど」
包帯の上から目元を掻いている姿はどこか苛立ちが感じられた。
「なな、み?」
「んっ? あー」
その様子にすうが声をかけると七巫はぱっと笑顔を纏う。
「でも悪いことばっかりじゃないねー! 少なくとも地上にはなんの被害もなかったみたいだし!」
びしっと七巫が指さしたのは賑わう屋台通りだ。
すうもそちらへ顔を向けて頷く。
「……よかった」
「ですね」
すうたちが核へと向かったのは地上の被害をおさえるためだ。
最初からなんの問題も起きていないというのは最上の結果だった。
——ほんとに、よかった。
胸の内でもう一度、すうは呟いた。
すうは今回のダンジョンの発生は自分のせいだと考えていた。
誰かがダンジョンの被害に遭ったら、という心配をずっと抱いていたのだ。
一応今回の問題は解消された。
しかし地上にいてもダンジョンに襲われる、という前例もできてしまった。しかも人を巻き込んでしまうかもしれないという懸念つきで。
元町・三宮は特別らしいのはすうも聞いている。それでも、もし同じことがあったらどうしようか——。
「さらにもう一ついいことがありまぁす!」
考え込みそうになったすうは七巫の叫び声で我に返る。
見れば七巫はぐっと拳を突き出していた。
「今回の『大量発生』はたぶんもう終わります!」
その発言にすうも含めた全員が目を丸くする。
「どういうこと!?」
「侵食型と普通のダンジョンが二つ一気に出たでしょ? そのせいか辺りの魔素の巡りが一気に落ち着いてるんだよね。ふぅー怪我の功名ぅー!」
口調はふざけているが七巫は心底から嬉しそうだ。抱えられたままばたばたと手足を振り回している。
「こうしちゃいられないね! ちゃんと町全体を見て確認しないとおぼぁっ!」
「ななみ!?」
七巫がぐっと目を凝らした瞬間、その目と口から血が飛び散った。護衛さんが即座に七巫を地面へ降ろして目の手当てを始める。
凄惨な光景に凛たちも慌て出した。
「あんた無駄に動くんじゃないわよ!?」
「きゅ、救急車はまだですか!?」
「ポーションとか屋台に売ってない?」
「おごご……だ、だいじょうぶ……」
目から血を流したままにこぉ、と七巫は笑った。
「喋るな」
だがその顔を押さえつけて護衛さんが声を発した。鬼の面がすうたちの方へ向く。
「神桜には専属医がいる。病院へ搬送する必要はない。そしてポーションは使えない。巫女には効果がない」
低い声は流暢に、端的に説明を果たした。
その間に七巫の顔は完全に包帯で覆われていた。口元も鼻もミイラのようにぐるぐる巻きで、息ができているのか心配になる。
ただ護衛さんは気にしていないのかそのまま七巫を抱え直した。
「こちらは屋敷へ帰る。そちらはどうする」
「どうする、って」
流れるように聞かれて戸惑う凛たち。
そこで七巫がバンバンと護衛さんの腕を叩いた。腕の中の七巫を見下ろした護衛さんは、どこか面倒そうに口元の包帯を緩めていく。
「ぶあっ! 殺す気か!?」
「死なんだろ」
ぜえぜえと息をする七巫は護衛さんをひと睨みしてから、すうたちへ手を振ってくる。
「ごめん、屋敷に戻らないといけなくなっちゃった。観光途中なのに」
「いやいいわよ……そんな状態で観光案内しろとか言わないから。てか杏子たちも疲れてるでしょ?」
「そ、そうですね。ちょっとしんどいです」
「ダンジョンが出たって知ってて観光は続けられない」
三人に言われて七巫は苦笑した。
「それもそっかー。あ、一応今回のことはこっちからダンジョン管理局に報告しておくね! 杏子ちゃんとすうちゃんは聞き取りに呼ばれるかも」
「また、ききと、り……?」
「あはは……頑張りましょう」
反射的に顔を歪めたすうの肩にそっと杏子が手を乗せる。
「それと小兵さんにも連絡しておくよ! 侵食型がいなくなったから、他のダンジョンもすぐに討伐しなくてよくなったって。事務所で待ってたらすぐに帰ってきてくれるんじゃないかな」
そう言いきって用事は終わったのか、七巫は護衛さんの腕に体を預ける。
そして再び軽く手を振った。
「じゃあ、またね」
その言葉を最後に護衛さんがどっと地を蹴って跳んだ。
一気に建物の屋根までのぼった巨体は、建物の上を駆け抜けてすぐに見えなくなった。
それを見送りつつ、すうは少しだけ残念な気持ちを抱く。
同じ魔物同士、もう少し話したいことがあった。なにをというわけではないが、何かを。
ただ一生の別れでもない。三宮へ来たらまた会えるだろう、とすうは考えて——。
『すうちゃん』
その時、いきなり耳元で七巫の声と気配がした。
すうは咄嗟に後ろを向く。だがそこには誰もいない。そして凛たちにも聞こえていないようだ。
『三日後、屋敷に来て。他の子にはないしょでねー。
大丈夫なら頷いて』
すうは慌てて少しだけ首を上下させる。
『約束ね』
気配は嬉しそうに言って消えた。
恐らく何らかの魔道具の効果だったのだろう。呆然としていたすうは、やがて気を取り直してちょっと笑った。
「みっかご……」
思ったより早い再会になりそうだ。
「なんか言った?」
呟いたすうの声を聞き取った凛が見上げていた顔を下ろす。疑問の目にすうは首を横に振った。
「ううん、なにも」
「そ。じゃあ帰りましょうか。神桜の事務所で待っててもいいっぽいし」
杏子たちも頷いて路地から出ようとする。
が、そこですうははっと自分の状態に気づき声をあげた。
「まって! ごはん、たべていきたい!」
「なによいきなり。もう観光はしないって言ったでしょ」
「したが、おせん、されてる……!」
すうの舌にはまだ魔物肉のえぐみ、苦み、臭みの全てが色濃く残っていた。
「ああ……まあ、そうね。あれはね」
「少しだけなにか買っていきましょうか」
「ほんとごめん」
この後、なんだかんだと全員で豚まんを数十個買って帰ることになるのだが、それはまた別の話。
すうたちが豚まんを買っていたころ。
七巫は護衛さんに抱えられて屋敷までの最短距離を進んでいた。
建物の屋上や屋根の上という道ともいえない道。だがそんな場所を駆けながら腕の中にいる七巫はほとんど振動を感じていない。
ともすれば眠ってしまいそうなほど落ち着く環境で、七巫はうとうとしながら笑う。
「ふふふ、約束しちゃった……」
初めて出会った同族。
もう少し話したいと思って、どきどきしながら持ち掛けた約束に、すうはしっかりと頷いてくれた。
様子が変わった七巫に何をしているのかなどと護衛さんは聞かない。
ただふと口を開いた。
「七巫」
「んー?」
夢見心地に返事をした七巫は。
「『真世党』がいた」
冷たく、鋭く、目を細めた。




