百五話 すう、魔物肉に惨敗する
はぐれて五分ぐらいでしょ?
明るく賑わう屋台通りを背に、薄暗い路地の中で凛がきょとんと首を傾げた。
見れば隣の潤もわずかに眉を寄せて疑問を表している。
二人の様子に杏子は目を見開く。二人と自分の間に決定的なズレを感じていた。
ただお互いの疑問と驚きを解消するより先に、杏子の足首へさわりと何かが触れた。
目を下ろせば。
「ごぉ、はぁ、ん……」
ゾンビの如く這いずったすうが、ぎょろりと杏子たちを見上げていた。
「どぉっ」
杏子と潤が肩を跳ねさせる。凛に至ってはその場から飛びのいて路地の壁に張りついていた。
「あああんたっ、なにやってんの!?」
「さ、さすがにびっくりした」
「す、すうちゃん動かないで! 今すぐごはん買ってきますから!」
「そ、れ……」
すうは震える指を潤へと向けた。
指し示すのは潤というより、潤がその手に提げている袋。
袋には串に刺さった肉のマークが描かれていて香ばしい香りが溢れている。
もう一歩も動けなかったすうはその匂いにつられて執念で這ってきたのだ。
すうが示すものを理解した杏子は潤の腕をがっと掴む。
「潤ちゃん、その袋の中にあるの食べ物ですか!?」
「ま、まあそう。串焼きだけど……」
「すうちゃんにわけてあげてください! もうおなかが限界らしいんです!」
「いやあんたそれはやめといた方が——」
「後で同じの買いますから!」
杏子は袋から串焼きを取り出し、うつぶせに転がるすうの口へと突っ込んだ。
「……!」
揚げ物に似た香ばしい香りが口の中に広がり、それだけですうの体に少し力が戻る。
すうはがぶっと串焼きにかぶりついた。
——これは。
その味にすうは目を見開く。
コショウの香りが鼻から抜けて、懐かしさすら覚える塩気が舌に染みる。
そして次に襲ってくるのは泥を噛んだようなじゃりじゃりねちゃねちゃした食感。
ぐちゃっと噴き出る腐ったような汁は香ばしさを打ち消し。
ピリピリと痺れたような痛みが口内に広がった。
——まっっずい!
「ふぅっぐ」
「すうちゃーん!?」
すうは生まれて初めて食べ物を吐きそうになった。気合でなんとか飲み込んだものの、おいしいごはんを期待していた喉が拒絶反応を起こして痙攣している。
びくびくと震えるすうに、潤は「あー……」と気まずそうにしていた。
「はずれ引いたみたい」
「はずれ!? はずれってなんですか!?」
「それロシアン魔物肉の串焼きなのよ……」
「ろしあん、って……?」
顔を歪めたすうが問う。
ロシアン魔物肉。
魔物肉の串焼きを使ったロシアンルーレット。
袋に入った串焼き十本、その中には三本『はずれ』が入っていて、それを引くと負け。
元中華街屋台通りの伝統的な度胸試しで、これをやらなきゃ元中華街を楽しんでいるとは言えない——。
「って店の人が言ってた」
「絶対適当ですよね!?」
「だと思う。でもこういう怪しいものは心が躍る……!」
「それで毎回体調崩すんでしょうが! 懲りなさいよあんた!」
「まともなもの買ってきます!」
「おか、わり」
杏子が駆けそうとした時、顔を歪めたすうが次を要求した。
その顔のすぐ横には綺麗に完食された串が転がっている。
「あんた全部食べたの!?」
「おかわ、り……!」
「わ、わかった」
鬼気迫るすうの形相に気圧され、三人で流れ作業のようにすうの口へ串焼きを運んでいく。
ぶちゅっ、ぎちゅっ、と聞いているだけでもおぞましい音を立てながら、すうはどんどん串焼きを平らげていった。
やがて紙袋が空になると、ようやくすうはゆっくりと起き上がった。とはいってもまだ頭がくらくらしてすとんと座ってしまう。
「大丈夫ですか?」
「どう、にか」
あまり頭を動かさないようにしつつ、すうは三人、特に肉をくれた潤へ頭をさげた。
「うる、くしやき、ありがとう」
「問題ない。むしろ不味いもの食べさせてごめん」
「……ほんとに、ぜんぶ、まずかった……」
「本当にごめん」
ロシアン魔物肉の中には一つとしておいしいものがなかった。
いつかおいしいものが、と期待していたすうは涙目で喉を押さえている。
「屋台の中には、ぼったくりもあるからねー。すうちゃん大丈夫?」
そんなすうへと路地の奥側から軽い調子で声がかけられた。
「ななみ」
「七巫さん、目が覚めたんですね!」
すうたちがそちらへ目をやると、大柄な護衛さんの腕にすっぽり収まった七巫が目に入る。
護衛さんが手当てしたのか、目に包帯を巻かれて隙間から瞳が見えているような状態だ。包帯にはわずかに血の跡が滲んでいる。
ぐったりと護衛さんの腕に体を預けているものの、声の調子は思ったより元気そうだった。
ただそれは血を流して倒れている状態を見ていたすうたちだからそう思えるだけだ。凛たちからすると重症にしか見えないようで、凛が一気に表情を険しくした。
「誰にやられたの!?」
「誰にっていうかー、ちょっとダンジョンに挑んでて」
「今はふざけてんじゃないわよ!」
「待ってマジで本当だから……っ」
青筋を立てる凛に七巫はばたばた体を動かそうとして、目が痛んだのかすぐ大人しくなる。
その反応に冗談ではないと理解したのか凛はすうたちの方へ目を向けてくる。
「ほんと」
「はい。私とすうちゃんと七巫さんはさっきまでダンジョンへ取り込まれていました」
「……『大量発生』のダンジョンが出た、ってこと? 待って、じゃあこんな人の多い場所にダンジョンがあるの!? 話してる場合じゃ——!」
「だいじょう、ぶ。もう、とうばつした」
「は!?」
凛の声が裏路地にこだました。




