百四話 すう、命じる
ダンジョンの核から噴き出した魔素が熱のようにすうの全身へと流れ込んでくる。
侵略する魔素ヘビとは違って、空っぽだった体を満たすような熱さ。それがもうろうとしていたすうの意識を現実へ引っ張り戻した。
はっきりとすうは目を開く。
「む……」
目の前のダンジョンの核はいつの間にか一気にしぼんでいた。
生臭く生ぬるい肉が這った棺の中はもう脈動一つなく、枯れた葉のようにボロボロと崩れていっている。
ダンジョンの核は——いや、ダンジョンそのものが、この棺の中で死んだのだ。
「おわった……」
すうはため息をついた。
ただその吐息にすら熱がこもっているようで、すうは自分の体に違和感を覚える。
魔素がずっと体の中で蠢いている感じがする。危険ではなさそうだが、ぐるぐる渦巻く熱のせいで変に気分が盛り上がるような。
なにか体を動かしたい。
何かを潰したい?
「……そんな、こひょう、みたいな」
いや、小兵でもここまで乱暴な考えはしていないだろう。
自身の思考にすうは困惑する。
「まあ、いいか……とりあえず、でよ——」
棺から出ようと踏み出したすうは、だが足に力が入らず倒れ込んだ。
崩れていく核の上へぼさっと突っ込み、灰のごとく核の一部が舞う。
「う……?」
すうのおなかからきゅう、とか細い断末魔のような音が鳴った。
「お、なか……すい、た」
そう。すうの空腹はまったく解消されていない。
今まで立っていられたのは、大量に流れ込んできた魔素で一時的に意識を紛らわせていただけだ。すうの空腹は限界に達していた。
戦いも終わった今、もう何かを食べることしかすうの頭にはない。
「アメ……からあげ……ケーキ」
おなかがすいたおなかがすいた。
なんでもいい。なにかがたべたい。
「まものでも、いい」
だがこのダンジョンに食べられる魔物はいなかった。
いたとしても倒すための体力もない。
ふるふると手足が痙攣している。体もろくに動かせない。
だけどなにかがたべたい。
「……やたい」
地上にはたくさんの食べ物があったことをすうは思い出す。
からあげ、まんじゅう、団子、アメ。
「はやく、ちじょう——かえる」
その時。
すうの右手がゆらりと持ち上がった。
すうは何もしていない。いや何かしようとはしているが、自分の意思で持ち上げたわけではない。
右手に集まるのは、魔素だ。
さっきまで全身に広がっていた魔素の熱が今は右手に集まっていてじんと熱い。
右手はそっと核へ手のひらを当てて……その時、魔素の使い方がすうの頭の中に浮かんだ。
『水族館』でギャーと目を合わせた時のようだった。
「……こう?」
右手に集まった魔素をすうは核へと流し込む。
魔素ヘビに似た動きで核に侵入し、しなびたその肉色の袋を再び膨れ上がらせる。
そして、一言——命じる。
「だせ」
その瞬間、辺りの空間に亀裂が入った。
バキバキとヒビ割れは広がり、やがてパシャァンとガラスの砕け散るような音と共に、視界の全てが砕け散り。
気づけばすうは薄暗い路地裏に倒れていた。
「あ、えっ!?」
隣には七巫とギャーを抱えた杏子が土の露出した地面へ座り込んでいる。
「ここ……地上?」
建物と建物に挟まれた道。頭上には古びた看板や配管が伸び、合間に崩れた文字の落書きがされている。
そして路地の先には明るい通りが見えていた。
がやがやと人々が行き交い、威勢のいい呼び声といい香りが漂ってくる……元中華街だ。
「戻ってこれた……帰ってきましたよ二人とも!」
杏子は歓声をあげる、が。
「あっ……なんか、川の向こうに巫陸ばあさんが……?」
「ごは……ん」
「ふ、二人ともーーっ!?」
目からつうと血を流して青ざめた七巫と、もはやおなかが鳴ることすらなくなって痙攣するだけのすう。
満身創痍の二人を見て歓声は絶叫へ変わった。
「と、とりあえずごはんと救急車!」
杏子が走り出すと同時。
突如、上から黒い巨体が降ってきた。
ドッ! と大きさからすると意外なほど軽い音を立てて、杏子の目の前にそれが着地する。
咄嗟に身構えた杏子だが、鬼の面を見て七巫のそばにいた大男だと気づいた。
「護衛さん!? でしたっけ!?」
「……」
「あの、七巫さんが大変なんです! 救急車を!」
「問題ない」
護衛さんが初めて口を開いた。
杏子が驚く間に、器用に杏子の横をすり抜けて護衛さんは七巫のそばに屈んでいた。
「枝の跡が……」
呟かれた言葉に杏子が疑問を覚える。それと同時、表通りからもう懐かしく感じる声が聞こえてきた。
「なんでいきなり護衛さんは跳んでいったの……あ、杏子」
「皆いる」
凛と潤だ。
二人は元中華街の人通りをかき分けながら裏路地へと入ってきた。
「りんちゃん、うるちゃん!」
ようやく再開できた二人に杏子は駆け寄り——だがそこで、元中華街の光景に疑問を覚えた。
「あれ……? なんで、人が?」
「人?」
さっきまで杏子たちはダンジョンへ入っていた。
この裏路地でダンジョンに呑み込まれ、さっき討伐してきたばかりだ。
普通のダンジョンなら入り口に気づかないこともあるだろう。
だが侵食型はそこらの建物を呑み込んで広がる。
七巫が核を潰そうと提案していたのもダンジョンによる被害を止めようとしたからだ。
だが目の前の元中華街に騒ぎが起こった様子は全くない。
人々は避難どころかさっきまでと全く同じ日常を送っていた。
「もしかして侵食そのものが起きてない? 不完全だったから……?」
「杏子? さっきから何言ってんの?」
「え、えぇと」
地上で騒ぎが起こっていないなら、ダンジョンが出現したと口にするのもためらわれた。杏子はどう説明しようかと頭を働かせる。
「ていうか、すうはどうしたのよ」
「あ、そうだすうちゃん! り、りんちゃん! ごはん持ってませんか!? すうちゃんがおなかすいて死にそうなんです!」
「どういうこと!? ついさっき屋台のもの色々買いあさってたじゃない!」
「え?」
「ていうかケーキもちょっと前に散々食べたのによく入るわね……」
「は、はい。いろいろと、あって……」
杏子は何かおかしいものを感じていた。
杏子たちがダンジョンへ落ちてから少なくとも数十分、一時間近くは経っているはずだ。
ダンジョン攻略としてはあまりに短いが、ついさっきというほど近い時間ではない。
それに凛たちの様子にも杏子は違和感を覚えていた。
杏子やすうが一時間近く連絡もなく姿を消して、凛はこんなに平然としているだろうか。
もっと心配するし、怒るはず。
それこそまるで、ついさっきまでここにいたかのような。
「それにしてもはぐれて五分ぐらいでしょ? それで死にかけるほどおなかすくって何?」
「え——」
きょとんとした凛に、杏子は目を見開いた。




