百三話 すう、核を潰す
神殿の入り口から真っ直ぐ続く通路には、床から天井までよくわからない記号がびっしりと刻まれていた。
理解できないし、そもそもダンジョンなのだから適当な文字を真似ただけかもしれない。
だがわからないが故に、それは神秘的な触れがたさを持っていた。
——そしてそんな神秘的な空間にはどたばたした足音と叫び声が響いている。
「お゛わ゛―っ!? 来てる来てる魔物が迫ってるー!」
「追いついたものは私が対処しますから! 七巫さんは前だけ見ててください!」
「ふぉひはふ、はあふ」
【ギャギャ!】
神殿内へ飛び込んだすうたちはギャーに乗ったまま通路を駆け抜けていた。
ギャーの頭側に道案内の七巫。
胴体には魔素を供給するすう。
尻尾側に魔物の対処をする杏子、という構図だ。
道は幅広で大きなギャーの体格でもギリギリ問題ない。
逆に後ろの魔物の群れは数が減っていた。三宮地下街よりも狭い道幅に大量の群れは入り切らなかったらしい。
だが詰め寄せる後続に押されているのか速度は上がっていた。
一体一体はギャーが軽く尻尾を振るえば吹き飛ばされる程度の強さ。宙を飛んでくるものもいたが、それらも杏子がドロップアイテムから取ったハサミであっさり叩き落とせる。
ただ追いつかれればその圧倒的な量に呑み込まれるだろう。
転んだ同族を踏みつぶして迫る狂気的な行進に、杏子は頬を引きつらせて叫ぶ。
「核はこの神殿の中でいいんですよね!?」
「そ、それは間違いないよ! このまままっすぐ——すうちゃんストッープ!!?」
「のあっ!?」
七巫の叫び声で、魔素を取り込むのに集中して俯いていたすうは跳ねるように顔をあげた。
「ま、前! 壁がある!!」
「ええ!?」
後方の杏子が驚き振り向く。
だがすうは眉を寄せた。
「なんのはな、し!?」
だがすうの目に映っているのは壁どころか通路の出口。
その向こう側には石柱の並び立つ大広間が覗いている。
「ふつうに、みち、つづいてる!」
「ええ!? いやどう見ても真っ黒な壁が……」
途中で何かに気づいたように七巫が口を止めた。すうもまた思い至る。
魔素だ。
七巫は魔素が見える。
先にある真っ黒な壁というのはおそらく、ありえないほど濃厚な魔素の塊。
そんな量の魔素を発するものが先の大広間にある。
それこそが核なのだろう。
「つっこむ!」
【ギャ!】
ギャーが一鳴きすると同時、通路から飛び出した。
大広間は想像よりずっと広大だった。
ギャーのどたどたいう足音も魔物の群れがなす地響きも、広い空間へと反響せず消えていく。
石造りの床はどこまでも続き、太い石柱が一定の間隔で並んでいる。石柱は高い天井へと伸びているものの、途中から闇に溶け込んでどこまで続いているのかもわからない。
床にも柱にも荘厳な装飾と模様が刻まれていて、神秘的な雰囲気がより増していた。
切羽詰まっているすうですら芸術的な光景に目を奪われたほどだ。
だが次の瞬間、すうは全身にずんとのしかかるような重圧を感じた。
「うぐぁっ!?」
同時に七巫ががくんと仰け反る。
「なな、み!?」
ギャーから落ちそうになった体をすうは咄嗟に受け止める。
しかし七巫は自分が落下しかけたことにも気づいていないようだった。
目を強くおさえた七巫は絞り出すように呟く。
「目が、痛い……! なにこれ……!?」
閉じた七巫の目からつうと涙がこぼれた。
まさか、とすうは驚愕する。あまりの魔素の濃さで目がやられたのか、と。
驚きようからして七巫も初めてのことなのだろう。
すうもまた周囲の魔素の圧力を感じていた。
侵入してこようとする魔素が爆発的に増加している。アメをどれだけ食べても吸収が追いつかない。
なんなら魔素を感知できない杏子すら空気が重くなったのには気づいているようだ。
「絶対ここに核がある……!」
目を強く瞑りながらも断言する七巫。
その指が震えながらも前へと向けられた。
「あっち……あそこが、一番魔素が濃い……!」
指し示すのは、通路を出てそのまままっすぐ進んだ一番奥の壁際。
そこにあるのは壁一面を埋める巨大な、しかし何が描かれているかわからないようなボロボロの壁画。
その手前には数十段の石段と——最上段に置かれた、石造りの棺。
石柱の群れの中だと小さく見える棺だが、実際はすうを軽く越える大きさだ。
——あのなか、に!
広間に他の場所へ続くような通路はない。
すうは最後のアメを一気に口へ放り込んだ。満足に味わうこともできないのをもったいなく感じながらもかみ砕いて呑み込む。
「だっしゅつ、したら、ちゃんとたべる!」
叫び、すうはこの大広間で吸収した魔素全てをギャーへとぶち込んだ。
「あんず、つかまって! ギャー、とつげき!」
【ギャギャガガガガ!!】
ギャーが全身に力をこめて爆発的に駆け出した。
「わああ!?」
しがみついていたすうたちすら放り出されそうになるような加速だ。どんどん後ろの魔物との距離が離れ、ぐんぐん石棺へと近づいていく。
ただ速度に比例してすうのおなかも空っぽになっていく。
元から消費が大きかったところに大広間のありえない魔素の濃さ。
もうアメを食べても空腹を紛らわせることすらできない。
だがその甲斐はあった。もう石棺までは目と鼻の先だ。あとは階段をのぼるだけ——と、すうがそう考えた時。
——ズゥン、と。
石段のそばにある石柱の陰から突如、巨大な人型が現れた。
「——ゴーレム!?」
絶叫染みた杏子の声。
大広間を震わせるような足音を響かせて出てきたのは巨大な石像の魔物、ゴーレムだった。
手に柱のような大きさの剣を持ったゴーレムは、ぎしりとすうたちへ顔を向けてくる。
「なんで……!」
ゴーレムの体は石柱に隠れられるほど細くも小さくもない。
いくらすうが空腹でも見落とすはずがなかった。
だがゴーレムを睨んだすうは気づく。ゴーレムの体は石柱そのものから生成されていた。
今この時、すうたち侵入者を排除するために作られたのだ。
巨象はその体躯に見合った柱のような剣を振りかぶった。
その動きは鈍い。だが近くに振り落とされただけでも床は砕け、岩のような礫がすうたちに襲い掛かるだろう。
そして少しでも時間を稼がれるとすうは空腹で倒れ、後ろから迫る魔物に呑み込まれてしまう。
「……っ!」
空腹と命の危機ですうの思考が加速する。
しかし何を考えてもこの状況を打破するような手段はなかった。
「こんなに大きい魔素なら、流石に見える!」
だがその時、すうに抱えられていた七巫が起き上がる。
僅かに血のにじむ涙を流しながらゴーレムを見据えた。
「最後の、魔道具……!」
その手にはあの大岩と対峙した時と同じくいくつもの魔道具が握られている。
「あと、よろしく……」
その全てをゴーレムへと投擲。魔道具の一つの効果なのか、力の入っていない投げ方でも矢のように突き進んでいく。
それと同時に七巫は崩れ落ちた。
七巫を慌てて抱きかかえ、すうと杏子は身構える。また大岩を吹き飛ばしたような爆発が起きると思ったのだ。
だが起こったのは爆発でも衝撃波でもなく——消失だった。
ゴーレムの胸の辺りへと魔道具が着弾した瞬間、ぼきゅ、と。
軽くすら思える音を立てて、巨大な像の上半身が一瞬で消え去ったのだ。
「えぇ……?」
杏子の呆然とした声がその場の全員の心境を表していた。
ギャーですら口を開けて唖然とする中、最初に我に返ったのはすうだ。空腹のせいでぐらりと頭が揺れて、それが逆に刺激になった。
「ギャー……はやく」
緩んでいた速度を再び上げてギャーは階段をのぼり始める。
【ギャー……!】
しかしその途中、ギャーの足ががくんと崩れかけた。
これまで走りづめだったことで疲れが出たのか、と考えて、すうは自分で否定した。
——もう、まそ、が。
さっきから魔素の供給ができていない。吸収するのも限界でギャーへと回す余裕がなかった。
間に合うかどうか。すうのおなかはもう鳴ることもなくなった。頭がぼんやりし始めてきた。すうはうずくまる。
その時、ぐにゃりと腕が形を変えた。
「う……!?」
吸収する力が弱って魔素ヘビが侵入し始めていた。大広間の濃い魔素を処理しきれていない。
ずるりと七巫を取り落としそうになる。
「わぁ!? 七巫さん、すうちゃん!? 大丈夫ですか!」
すんでのところで後ろから杏子が七巫を掴み、引き寄せた。
うずくまったすうにも心配の声をかけてくる。
「すうちゃん? それ……」
だがすうは声を返す余裕もない。
——みられ、た? みられて、ない?
大岩が迫ってきていた時はおそらく七巫が何かしらの隠蔽をしていた。
今は何も隠すものがない。
【ギャギャ!!】
曖昧な思考が焦りに染まり出した時、ギャーが体に力をこめて鳴いた。
かと思うと石段ばかり見えていた視界が唐突に開けた。
最上段へ着いたのだ。
そしてすぐ目の前にはなんの装飾もない簡素な石棺があった。
ただ中身は見えない。上から石造りの蓋がされている。
「ギャー……!」
【ギャガガガ……!】
すうの意図を汲み、ギャーは階段をのぼり切った勢いのまま棺の蓋へとぶち当たった。
ゴォン! と重い音を立てて棺の蓋がズレて——それを最後に、ギャーの巨体が溶けるように消える。
『ぎゃ……』
「……!」
「きゃあ!?」
ギャーの体がいつもの姿に戻り、【異形器】の腕輪と分離する。
そしてギャーに乗っていたすうたちも放り出された。
「みんな……!」
ただ一人、力の残っている杏子が最初に石段へ着地。
気絶している七巫をしっかり抱え、ギャーをキャッチし、【異形器】を回収し——。
「すうちゃん!」
だがすうだけは吹っ飛んでいない。
一体どんな意図を持ったのか。
ギャーは最後に尻尾ですうを掴み、石棺の中へと放り込んでいた。
「ふ、う……」
立ち上がっても頭をぶつけないぐらい深く大きい石棺の中。
すうはダンジョンの核と相対する。
蓋が開いた部分からわずかに光が差し込み、見えたのは肉色の袋だった。
石棺の底からつぼみのように生えた袋は、どくんと脈打っていて、少し生臭い。
まるで心臓……いや。
「いぶくろ……」
ぼんやりと、食べ物を消化するための臓器をすうは連想した。
だが曖昧な思考でも呆けている場合ではないことはわかる。
すぐにこの核へとどめを刺さなければいけない。
だがこんな状態では拳で殴ってもろくにダメージを与えられないだろう。
そう考えた時、きらりと差し込む光を反射するものがあった。
杏子が持っていたドロップアイテム……片刃のハサミが、都合よく足元に落ちている。
「……」
それにどこか思考の片隅で怪しさを感じながらも、すうはハサミを掴み、ふらりふらりと核へと近づいて。
そして全身で倒れ込むように核へと突き刺した。
パァン! と。
肉袋はあっけなく内側から弾けて崩れ、同時にすうの中に大量の魔素が流れ込んできた。
さっきまですうの体を侵略していたものと同じ魔素。
だがもうすうは脅威と思わない。
核へとハサミを突き立てた瞬間に、ダンジョンが崩壊するのだと理解していた。
ようやく終わった、という安堵の中で。
すうはふと、この棺の奥にあった壁画を思い返していた。
元々の部分が残っていないぐらいボロボロな絵。
もし完全に残っていたとしても、ダンジョン特有のぐちゃぐちゃな形になっていたかもしれない。
だが。
——たたかって、た。
すうは、その消えかけた絵をなぜか判別できた。
その絵は左右に一つずつなにかを描いていた。
なにかは互いに戦っているようだった。
その、なにか(・・・)の姿は。
——おおきな、あな、と。
——おおきな、……まるい、みず?




