百二話 すう、胃もたれしてた
「魔素が濃いのは岩が転がってきた方だね」
七巫の指示に従ってすうはギャーを走らせる。
幅広い通路には大岩の通った痕跡が刻まれていた。
床のタイルは一直線にどこまでも砕け、巻き込まれた魔物のドロップアイテムすら潰されて散乱している。
ただ天井だけは無事だ。現実の地下街ではありえないほど高い天井から、照明の白い光が広すぎる通路を静かに照らしていた。
しばらく進んだ所で、ギャーの背に揺られる杏子が声をあげる。
「あ、あそこ。すうちゃんたちがいた所ですね」
杏子が指さした先にすうも目をやる。
しかしぐちゃぐちゃになっていてよくわからなかった。
「……?」
「そうなんだ?」
「横の店が同じなので。それに魔物のドロップアイテムもこの辺から途切れてます」
言われてもすうにはわからなかった。店も食べ物が飾られていたりしない限り覚えられないだろう。
だがかなり必死に走っていた中でも杏子は周りの景色を観察していたらしい。
そして七巫はそもそも記憶がなさそうだ。錯乱していたからか。
「ま、まあ魔素が濃くなってきてるのはわかるよ」
醜態を思い出したのか七巫は誤魔化すように身を乗り出して周りを見回す。
「……それにしても本当に魔物がいないね?」
「いわに、つぶされてた、し」
「いや、ここはまだ魔物が出てなかったところだよ。ドロップアイテムもないし、店の中も無事だし」
横にあるのは壁紙も床も黒一色で統一された宝飾店や、子供用の服を専門に取り扱う洋服店など。
それらは自動ドアが砕けているだけで店内の商品は揃っている。
ただ商品は襲ってくる様子がない。
「核へ近づこうとしたら大群で襲ってくると思ったんだけどなー」
「……様子を見ているとしたら不味いですね。誘い込まれているのかも」
「いや、そもそも魔物化すらしてないんだよ。あれはダンジョンの壁とかと同じ無機物なの」
七巫は桜色の瞳をきょろりと動かす。
「魔物が出現すらしてない。これもダンジョンが不安定だからなのかな」
「……そういえば、不安定ってどういう状況なんでしょうね」
ふと呟かれた杏子の疑問に七巫は難しい顔をしていた。
「正直、よくわかんないんだけどねー。ダンジョンが合体したなんて聞いたこともないし」
「侵食型は特殊ですし、そのせいなんでしょうか」
「かもしれないね。他のダンジョンを食べ物に例えるなら、一気に詰め込まれてむせてるとか、胃もたれしてるとか」
「……ちょっと面白いですね。でもそれだと時間をかけたらダンジョンを完全に取り込んでしまうかもしれないってことでは」
「いもたれ、って?」
魔素をギャーへ送ることに集中していたすうが、食べ物の話題になって口を挟む。
魔素が濃くなってきたからかさっきから取り込むのが難しくなってきていた。
「注目するとこそこ?」
「食べ物を一気に詰め込んだり、大量に食べすぎたりすると気持ち悪くなるんです。おなかがムカムカする感じというか。それが胃もたれですね」
「ほう」
「すうちゃんはあんまり関係なさそうですけど」
三人は現状分析をしつつ、軽口を交えて緊張をやわらげていた。
すると通路の先に曲がり角が見えてくる。
左右に分かれた角を見やった七巫は「右へ」と短く伝えてきた。
「この角、私が通って来たところです。岩から逃げる時にあと二回、角を曲がりました」
「じゃあその神殿の中に核があるのかも。……中に入らないといけないのかな。だとしたらすぐに逃げられなくなっちゃう——」
不安混じりに七巫が呟き、ギャーが角を曲がった、その時。
「うっ」
すうが短く呻いてうずくまった。
「すうちゃん!?」
「どうしたんですか!?」
即座に七巫たちが寄ってきて。
そこで——すうのおなかが、大きくぐうと鳴った。
「おなかすいた……」
二人はがくっとバランスを崩してギャーの背から落ちそうになっていた。
「うぉぉいすうちゃん! いま気の抜けることやらないで欲しいかな!?」
「というか屋台のごはん結構食べてましたよね!? その前にケーキも!」
二人から責めるように詰められるすう。
だがこの状況にすう本人も焦っていた。
杏子の言う通りすうは大量におかしもごはんも食べている。
いくら色々あったとはいえすう本人はそれほど動き回ってはいない。なのにおなかの中が寂しくなっている。
——なにか、おきて、る?
自分の体に異常がある。
異常で思いつくものといえば、侵略型ダンジョンを構成する魔素がすうの体に入っていること。
魔素が濃くなったことで吸収が追いついていないのかもしれない。
すうは体に魔素感知を集中させる。
だが侵入する量こそ多くなっているものの魔素ヘビはちゃんと吸収できていた。
体自体にも魔素にも妙な変化はない。
そうだ。魔素ヘビ自体は問題ない。
問題は、魔素ヘビを吸収する時。
侵略型ダンジョンの魔素を自分の魔素へと変えた瞬間、さらにおなかが空いた。
——まずい。
すうは戦慄する。
魔素を吸収すると体が活発に動く。
そのせいで食べたものを消費してしまうらしい。
体自体に疲労はない。ただおなかだけが空く。
意識するとどんどんおなかの中に溜まっていたものがなくなっていくのを感じた。
このままだと動くことすらできなくなる。
すうの背筋に冷たいものが走った。魔素の吸収にこんなとんでもないデメリットがあるとは。
なぜ気づかなかったのか、と過去の自分を責めながら寄ってきた二人の腕をがっと掴む。
「ごはん、ない……!?」
「まだ食べるの!?」
「あんまり食べすぎるとそれこそ胃もたれするんじゃ……」
胃もたれ。
一気に、大量に食べると気持ち悪くなるという症状。
すうはそれでおなかが空くという症状に気づかなかった理由に思い至った。
すうはさっきまで自分の体が軽く感じていた。
それは——おそらく胃もたれが治ったから。
今日、すうは大量のケーキに感動して普段は食べない量をたいらげた。
そしてその後すぐに屋台で大量のごはんを買い、ダンジョン内に落ちたことで焦って一気にかきこんだ。
胃もたれを起こしてもおかしくない。今思えば少し体が重かった。
だがそれと同時に魔素の吸収を覚えたことで、どんどん消化していった。
自分の侵食を防ぐだけでなく、ギャーへの魔素を供給するためずっと大量に魔素を吸収していたから。
だから一時的に体が軽くなっていたのだろう。
普段以上の摂取と、普段以上の消費。
それが今まで奇跡的に釣り合って普段とあまり変わらない状態を保っていたのだ!
——だが、もう溜め込んだ分は消費しきってしまった。
あとはもう減るだけ。
だが魔素の吸収をやめることはできない。やめたら濃くなった魔素によりすうは即座に侵食されてしまう。
「なにか、たべるもの……!」
【ギャギャ!?】
喋る間にもどんどん空腹が増していく。魔素を吸収する速度が遅くなってきた。供給を受けているギャーも困惑した声をあげる。
鬼気迫るすうに二人もふざけているわけではないとわかったらしい。
だが二人が答えるより早く、さらに状況は変わる。
——ガシャァン!
通り過ぎた角の向こうからそんな音が響いた。
杏子と七巫は咄嗟に後ろを振り向き、それを見て叫ぶ。
「魔物……!?」
角から一気に大量の魔物が湧きだしてきていた。
これまでと同じマネキンやアクセサリーの塊など。通ってきた店にあった商品が全て、全て、全て。
幅広い通路を埋め尽くすように押し寄せてきている。
「やっぱり誘い込まれて……!? いえ、でも魔物はいなかったんですよね!?」
杏子の視線を受けた七巫は信じられないというように目を見開いていた。
「だ——ダンジョンが、魔物化を遅らせた? でも、そんなの魔素を見る人にしか意味が……」
一瞬の沈黙の後、七巫は唾を呑む。
「神桜への……対策? ダンジョンが、学習した……!?」
「すうちゃん! 戻れますか!?」
とにかく不味いことが起きている。そう理解した杏子が撤退を告げる。
だがすうはぶんと首を横に振った。
「むり! いま、もどったら、うごけなく、なる!」
後ろから迫ってくる魔物の群れはちらっと見ただけでも相当な量だ。
ギャーでも突っ切れるかはわからないし、戻ったところで残るのは空腹で使いものにならなくなったすうだけになる。
「つっきるしか、ない! でも、おなかが……」
かといってこのまま進んだとしても、道の長さによってはそのまま倒れかねない。
「……わかりました。とりあえず食べるものがあればいいんですね!」
杏子はポケットから一つのお菓子を取り出した。
「アメです! どうぞ!」
「ふぐ!?」
「うわあ豪快!?」
すうの瞳よりも大きなアメの包装を杏子は破き、すうの口の中へ入れてくる。
ころん、と大きな塊が舌の上で転がった。
最初に感じたのは上あごと舌が削れるようなざりざりした食感。だがすぐにひんやりとした甘さが広がっていく。
少し舐めていると周りの粒が溶けて、アメ本体のねっとりした濃い甘さが溶けだした。
味こそ違うがその風味にすうは覚えがある。
「……ふほ、ふ(う)?」
「ささめ玉のぶどう味です! 一気にかみ砕いちゃってください!」
律儀に解説してくれた通り、すうはガリガリとアメ玉を砕いて呑み込んだ。
食べ応えのある食感と甘さにちょっとおなかが回復する。
でもこれだけじゃたりない——と言おうとしたすうの目の前で、杏子はさらにポケットからいくつもアメを取り出していた。いくつもいくつもいくつもいくつも——。
「まだまだあります! ぜんぶどうぞ!」
「「|おおい(多い)!」」
数十個のアメが出てきたところですうと七巫が流石に叫んだ。
「どこ、しまってた、の!?」
「え、ポケットに……」
「りょうが、おかしい……!」
「なんでそんなに!?」
「施設の子たちへ配るためにたくさん持ち歩いてるんです」
「……うん」
すうたちはとりあえず黙った。
聞きたいのは『どうして持ち歩いているのか』じゃなくて『どうやって持ち歩いていたのか』だったのに。
だがこれだけあったらしばらくは持ちそうだ。
アメを一気に口へ入れて魔素の吸収を強め、すうはギャーの背を叩く。
「ふぉおまあ、ふぉふへひ!」
【ギャギャギャギャ!!】
何を言っているのかわからない命令もしっかり理解してギャーは速度をあげる。
魔物を振り切り、角を曲がって、通路の奥に見えてきたのは岩で作られた神殿だった。
岩を削りだして作ったような重厚な扉。ギャーであってもぶつかってこじ開けるのはできなさそうなほど。
だがその心配はない。
「扉が開け放たれてるんだけど!?」
「絶対罠ですね!?」
「でも、ちょうどいい!」
扉から見える通路は明るく、道幅も大きい。ギャーでも問題なく走れそうだ。
「いって!」
【ギャ!】
走る勢いのまますうたちを乗せたギャーは神殿へと飛び込んだ。




