寿命のはずの刀
みわ食堂を出て協会の方へ歩いていると、二度、呼び止められた。
一度目は、買取所の前で煙草を吸っていた三十がらみの男だった。
「三輪さんとこの子だろ。主、斬ったって」
「はい」
「研ぎ屋に研がせたってのは本当か。どこの研ぎ屋だ」
灯が俺を指さすと、男は俺の前掛けをじろじろ見て、それから腰の剣に手をやった。
「俺のも見てくれるか」
「店に来てもらえれば。門前通りの、坂井刃物研ぎです」
「あの古い店か。……分かった」
二度目は、灯と同じくらいの年の女の子の二人組で、二人とも灯の大学の後輩らしかった。主の話を聞きたがって、灯が「あとで、あとで」と手を振って逃げた。
「昨日の今日で、もう広まってる」
「買取所で騒いだからな」
「騒いだのは私じゃないもん」
灯は口を尖らせたが、どこか嬉しそうだった。
◇
鷹取重工の研ぎ直しの窓口は、門前通りの協会寄りの角にある。
ガラス張りの小さな店で、白い壁に鷹取の青い社章が大きく描かれている。入口の脇には新品の剣の写真を貼った看板が立っていて、「迷鋼の刃にも寿命があります。研ぎ直し十回を目安に、お買い替えを」と書いてあった。
灯は、その看板の前で一度立ち止まって、看板を睨んだ。
「これ、この前来たときも見た。見ながら、もう駄目なんだって思ってた」
「入るぞ」
「うん」
自動ドアが開くと、カウンターの向こうで、俺と同じくらいの年の男の店員が立ち上がった。紺の制服の胸に、鷹取の社章のバッジ。
「三輪様、お待ちしておりました。わざわざすみません」
店員は、灯の後ろの俺に目を向けて、少し首を傾げた。
「そちらは」
「付き添いです」
灯が刀袋をカウンターに置き、店員が白い手袋をはめて、刀を抜いた。
店員の手が、途中で止まった。
照明の下で、刃の地が澄んでいる。研いだ日より、むしろ主を斬って少し落ち着いた、使い込んだ刃の顔になっていた。
「……失礼ですが、先日、こちらで寿命と申し上げた刀ですよね」
「はい」
「どちらで研ぎ直しを」
「町の研ぎ屋さんです」
店員は刃元を覗き込み、鷹取の銘を確かめた。銘は確かにある。刀を傾けて、刃の地を見る。もう一度傾ける。顔を近づけて、刃先を見る。
「……手で、ですか?」
店員は、灯ではなく俺を見て聞いた。
俺は頷いた。
店員はしばらく黙って刃を見ていた。研ぎ直しの窓口に立っている人間だ。毎日、工場から戻ってきた刃を客に返している。機械で研いだ刃がどういう顔をしているかは、俺と同じくらいよく知っているはずだった。
「この刀の、研ぎ直しの記録、ありますよね」
俺が言うと、店員は少し驚いた顔をして、カウンターの端末を叩いた。画面を覗き込む。
「ええ。お父様の代から、二十回以上、ご利用いただいています」
「指示書には、毎回、何ミリ落とすって書いてありました?」
「え?」
「工場に回す研ぎ直しの指示書です。刃を何ミリ削るか、書いてありますよね」
店員の目が、画面と俺を行き来した。
「……それは、工場の方で判断しますので、窓口では」
「そうですか」
俺はそれ以上聞かなかった。聞いても、この人は知らない。窓口に届くのは、研ぎ上がった刃と、伝票だけだ。工場の課長室で、誰が何を口で言っているかは、どこにも書かれていない。
店員は、刀をそっと鞘に納めて、両手で灯に返した。それから、決まった言葉を読み上げるように言った。
「当社の刀を当社以外で研ぎ直された場合、品質の保証の対象外となりますので、ご了承ください」
「はい。分かってます」
灯は、きっぱりと言った。
「あの、少々お待ちいただけますか」
店員は、奥の事務室へ引っ込んだ。ドアが半分開いたままで、受話器を取る音がした。
声を落としているつもりらしかったが、狭い店だった。
「……はい、国府台の窓口です。寿命の判定をした三輪様の刀が……ええ、他所で研がれて……手で、だそうです。それが、新品より……はい。関東研磨の方に、確認を……」
しばらく間があった。
「……坂井? いえ、お名前はまだ……若い男性で、研ぎ屋だと……」
俺の名前が出た。
電話の向こうの誰かが、俺の名前を言ったのだ。
関東研磨工場には、俺のことを知っている人間しかいない。ラインの同僚か、班長か、事務の人か。それとも、課長か。
灯が、俺の顔を見上げていた。
「直くん、今の」
「うん」
「直くんの名前、出たよね」
「出たな」
店員が戻ってきて、愛想笑いを貼りつけたまま、俺たちに頭を下げた。
「お待たせしました。本日は、わざわざありがとうございました」
それだけだった。
◇
窓口を出て、門前通りを歩きながら、灯はずっと黙っていた。
協会の前を過ぎ、みわ食堂の暖簾が見えてきたところで、ようやく口を開いた。
「ねえ、直くん。さっきの、何ミリ削るかって、何」
俺は少し迷ってから、話した。
「工場で、研ぎ直しの指示書に、刃を何ミリ落とすか書いてある。それとは別に、課長が口で、もう少し余分に落とせって言うんだ。調整、って呼んでた」
「余分に削ったら、どうなるの」
「刃が早く痩せる。痩せた刃は、曇りが早く戻る。斬れなくなるのが早くなって、研ぎ直しに出す回数が増えて、そのうち、寿命ですって言われる」
灯の足が止まった。
「……それ、わざとってこと?」
「工場は、研ぎ直しの件数と、そこから買い替えた件数で評価されるんだって。課長が言ってた」
「直くんは」
「断った。三回。三回目で、クビ」
灯は、しばらく俺の顔を見ていた。それから、自分の腰の刀の柄に手を置いた。
「お父さんの刀、二十回以上だって。二十回以上、余分に削られてたかもしれないんだ」
「全部がそうかは分からない。調整を始めたのは、今の課長になってかららしいから」
「でも、寿命って言われた」
灯の手が、柄を握りしめていた。主の前で、指が白くなっていたときと同じ握り方だった。
「……悔しい」
「刀はまだ生きてる」
「知ってる。だから悔しいの。直くんが研いでなかったら、私、新品を買うお金なんかなくて、この刀を寿命だって思ったまま、探索、辞めてたかもしれない」
灯は、ふうっと長く息を吐いて、柄から手を離した。
「直くん、なんで黙ってクビになったの。そんなの、言えばよかったのに」
「誰に」
「……誰にだろ」
灯は困った顔をして、それから笑った。少しだけ泣きそうな笑い方だった。
「口で言われただけだから、どこにも残ってない。俺が騒いでも、課長は、そんな指示はしてないって言うだけだ」
「ずるいね、そういうの」
「ずるいな」
みわ食堂の前で、灯のスマートフォンが短く鳴った。今度は電話ではなく、メールだった。
画面を見て、灯の顔がぱっと明るくなった。
「協会の装備課から。C級の審査の前の、装備の検査の日程だって。第五層の記録、ちゃんと届いてる」
「よかったな」
「うん。それでね」
灯は画面を俺に向けた。
「検査、試し斬りの台だって。直くんも来て」




