矢じりも研げる?
「研ぎ屋さん、俺の手斧も、見てほしいっす」
熊谷さんは、手斧を両手で捧げ持つようにして差し出した。大きな体を少し丸めて、職員室に用事のある生徒みたいな顔をしている。
「昨日の灯の見ちゃったら、もう鷹取には出せないっす」
「私も。矢じり」
古賀さんは矢筒をカウンターにどさりと置いた。
帳場のじいちゃんが、湯呑みの陰から二人を眺めている。何も言わないが、追い返しもしない。
「じゃあ、裏で振ってみせてください」
「振る?」
「研ぐ前に、どう使ってるか見たいんです」
熊谷さんは、灯から聞いていたらしい。「あ、それっすね」と嬉しそうに言って、裏の路地へ回った。
◇
熊谷さんの振り方は、灯とはまるで違った。
大盾を左手に持つつもりで、体を半身に構える。盾の陰から手斧を振り上げ、斜めに、叩きつける。斬るというより、割る振りだった。振り下ろした先で、手首を返さずに、そのまま腕ごと止める。
「いつも、こうっす。盾で止めたやつの頭とか、脚の付け根とかに、上から」
「もう一回、いいですか」
二度目を見て、俺は手斧を受け取った。
刃元のあたりが、潰れたように丸くなっている。欠けというより、刃先がめくれて、押し潰された跡だ。硬いものに、刃の根元で叩きつけ続けると、こうなる。
「熊谷さん、刃の根元で当ててますよね。先じゃなくて」
「え、そうっすか」
「盾の陰から振るから、相手が近いんです。近すぎて、刃の根元しか届かない。根元ばっかり当たるから、根元だけ潰れてる」
熊谷さんは、自分の手斧の刃元をまじまじと見た。
「……言われてみれば、先の方、全然汚れてないっすね」
「先の方が、ほとんど新品のままです」
この手斧には、灯の刀と逆の研ぎがいる。
刃の角度を、少し立てる。薄く鋭くするより、叩きつけても潰れない、頑丈な刃先にする。根元の肉は厚めに残して、潰れたところだけを荒砥で均す。合砥は、最後の仕上げにほんの少しだけ。
研ぎ場で研いでいると、熊谷さんが後ろから覗き込んできた。
「研ぎ屋さん、研ぐとき、ずっと黙ってるんすね」
「刃の話を聞いてるんで」
「刃の話」
「どこに曇りが溜まってるか、手に来るんです」
熊谷さんは、分かったような分からないような顔で、うんうんと頷いた。
研ぎ上がった手斧を渡すと、熊谷さんは裏の路地で一度振って、それから刃を見て、目を丸くした。刃元の潰れが消え、刃の地が、根元から先まで同じ色に澄んでいる。
「先っぽまで、全部同じ顔になってるっす」
「次から、盾を半歩引いて、間合いを空けてから振ってください。先で当たります。根元ばっかりだと、また潰れる」
「了解っす」
◇
古賀さんの矢じりは、二十本あった。
迷鋼の量産品の矢じりで、一本一本に、やすりを当てた跡がある。
「自分で整えてたんですか」
「研ぎ直しに出すと、矢じり一本でも一本分取られる。だから、やすり」
古賀さんは裏の路地で、弓を引く真似をしてみせた。矢はつがえない。引いて、狙って、放す。それだけの動きを、何度か繰り返す。
「当てる所は」
「目。関節。継ぎ目。硬い所には当てない。当てても弾かれるから」
「じゃあ、突き刺さる角度だけ揃えればいい」
矢じりは、刃物というより錐に近い。刃を付けるより、先端の角度と、刺さったあとに抜けにくい返しの形を揃える方が大事だ。
俺は小さな仕上げ用の砥石を手に持って、矢じりを一本ずつ研いだ。やすりで不揃いに削れていた先端を、同じ角度に揃えていく。二十本とも、指先でつまんで、光にかざして、先端の線が一本の針のように細く通っているのを確かめる。
研ぎ上がった矢じりを並べると、古賀さんがしゃがんで、一本ずつ手に取った。前髪をかき上げて、先端を光にかざす。
しばらく黙っていた。
「……やすりより、ずっと」
古賀さんは、矢じりを見つめたまま言った。
「先が、全部同じ。どれ引いても、同じ所に飛ぶ。そういう顔してる。研ぎ屋さん、これ、どうやって揃えたの。手で? 一本ずつ? やすりじゃなくて、石で? 石の方が先が揃うの? なんで?」
古賀さんがこんなに長くしゃべるのを、俺は初めて聞いた。熊谷さんも初めてだったらしく、横で口を開けていた。
◇
昼前、みわ食堂から、剛さんが岡持ちを提げてやってきた。
「直、昼だ。辰さんの分も」
剛さんは帳場に定食を二つ並べると、料金の札を見上げた。じいちゃんの手書きの札。包丁千百円。刀剣三千三百円。
「おい、直」
「うん」
「まさか、熊谷の手斧と古賀ちゃんの矢じりも、この札でやったのか」
「手斧は鉈と同じ。矢じりは小さいから、包丁と同じ」
「安すぎるだろ、直」
剛さんは、札を指で叩いた。
「鷹取は一万一千だぞ。それで、灯の刀は寿命だって突っ返されたんだ。お前の研いだ刀は、主を一太刀だ。一万一千の刃と、三千三百の刃が、逆さまになってるじゃねえか」
「札がそうなってる」
「札は辰さんが包丁のために書いたんだろうが」
じいちゃんは、帳場で定食の蓋を開けながら、黙って味噌汁をすすっていた。札の話には、口を挟まなかった。
俺も、札を変える気はなかった。値段のことなんか、考えたことがなかったのだ。工場では、一本研いでいくら、という考え方をしたことがない。時給で立って、時給で帰るだけだった。
◇
昼過ぎ、研ぎ終わった手斧と矢じりを持って、熊谷さんたちと一緒にみわ食堂へ行った。灯が、大学の講義を終えて、そこで待っていた。
四人でカウンターに並んで、遅い昼の定食を食べていると、店の戸が開いた。
入ってきたのは、五人組の探索者だった。
先頭の男は、二十代半ばくらい。背が高く、腰に鷹取の上位品らしい細身の剣を下げている。剣の鞘の装飾が、門前通りでは見ない派手なものだった。
「お、いたいた。三輪ちゃん」
男は、カウンターの灯に気づいて、にやりと笑った。
「聞いたぜ。主、倒したんだって? D級のパーティで」
「……久我さん」
灯の声が、少しだけ硬くなった。
スカイラインのリーダーの、久我さんだと、熊谷さんが小声で教えてくれた。C級の五人組で、国府台では中堅のパーティだという。
「どうやったんだよ。まさか、背中を斬ったなんて言わねえよな。俺らのパーティでも、あそこは避けて回るのに」
「斬りました」
「へえ」
久我さんは、わざとらしく眉を上げた。それから、仲間の方を振り返って笑った。
「町の研ぎ屋に研いでもらったって噂、本当かよ。研ぎ屋の当たりくじ頼みだろ、それ」
仲間の何人かが、つられて笑った。一人だけ、髪を短く切った女の剣士が、笑わずに久我さんの横顔を見ていた。
久我さんの目が、灯の隣の俺に止まった。俺の前掛けを見て、研ぎ汁で荒れた指を見て、鼻で笑う。
「で、あんたがその研ぎ屋? 包丁屋に剣が分かるのかよ」
灯が椅子から腰を浮かせかけた。俺は灯の袖を軽く引いて、座らせた。
言い返すことは、何もなかった。俺が見ていたのは、久我さんの腰の剣だった。
鞘の口に、細かな擦り傷がある。剣を納めるたびに、刃の同じ所が鞘の口を擦っている跡だ。刃が片側に倒れていなければ、あんな擦れ方はしない。
この人は、振った最後に、こじる。
灯と同じ癖だ。たぶん、灯よりずっと強く。
俺は何も言わずに、味噌汁をすすった。
久我さんは、言い返されないのがつまらなかったらしく、舌打ちをして奥のテーブル席へ歩いていった。
灯が、俺の袖を引っ張り返して、小声で言った。
「直くん、なんで黙ってるの。悔しくないの」
「別に」
「別にって」
そのとき、灯のスマートフォンが鳴った。画面を見て、灯は眉を寄せた。
「……鷹取の窓口からだ」
灯は電話に出て、しばらく相手の話を聞いていた。それから、電話を耳から離して、俺の方を向いた。
「直くん。鷹取の窓口の人が、私の刀、もう一回見せてって」




