↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/12

研ぎ屋のお兄さん

 主のいなくなった階段を、灯たちは一段ずつ下りた。


 下りきったところの壁際に、腰の高さほどの黒い石が据えてある。記録石だ。探索者証をかざすと、どの層まで来たかが協会に残る。


 灯が、震える手で探索者証をかざした。石の表に、淡い光が一度だけ走った。


「……第五層」


 灯は、光の消えた石をしばらく見つめていた。熊谷さんと古賀さんも続けてかざし、最後に、灯が俺の背中を押した。


「直くんも」


「俺は同行者だぞ」


「同行者も記録されるの。かざして」


 言われるまま、E級の探索者証をかざした。十五のときに一度だけ使って、財布の奥に入れっぱなしだったカードだ。石が光った。E級の研ぎ屋が、第五層に立った記録が残った。


 階段の先には、第五層の通路が暗く続いていた。今日はここまでだと、灯が言った。誰も反対しなかった。


 戻る前に、俺は階段の脇の壁に手を置いた。


 第一層や第三層の壁とは、手触りが違った。ざらつきがなく、きめが細かい。指の腹に吸いつくような、締まった石だった。


 手の中で、何かが小さく反応した気がした。研ぎ場で砥石に刃を当てたときに似た感覚だった。


「直くん、置いてくよ」


「今行く」


 俺は壁から手を離した。そのときは、それ以上考えなかった。


 ◇


 地上に戻ったのは、夕方だった。


 協会の一階の買取所は、探索帰りの人で混んでいた。カウンターに魔石を並べ、職員が秤に載せ、伝票を切る。ここで換金して、ようやく一日の稼ぎになる。


 熊谷さんが、カウンターに主の魔石をごとりと置いた。


 若い男の職員が、伝票を書く手を止めた。魔石を見て、熊谷さんの胸の探索者証を見て、もう一度魔石を見た。


「……少々お待ちください」


 職員は奥へ引っ込み、すぐに年配の女の人を連れて戻ってきた。女の人は魔石を手に取り、裏返し、光にかざした。


「第四層の主ですね。どなたが仕留めました」


「パーティで。とどめは、三輪です」


 熊谷さんが灯を指した。灯は、なぜか俺の後ろに半分隠れていた。


「D級のパーティで、主を」


 女の人の声は大きくなかった。けれど、周りの列に並んでいた探索者たちが、一斉にこっちを見た。


「背の皮は、どう抜いたんですか。魔法の方は、いらっしゃらない編成ですよね」


「斬りました」


 灯が、俺の後ろから小さな声で言った。


「背中を、上から。一回で」


 女の人は、灯の腰の刀に目を落とした。


「拝見しても」


 灯が刀を鞘ごと差し出す。女の人は少しだけ鞘から抜いて、刃の地を見た。それから、刃元の銘を見て、首を傾げた。


「鷹取の、ずいぶん古い型ですね。……なのに、新品より地が澄んでいる」


「研いでもらったんです」


「鷹取の研ぎ直しで、こうはなりませんよ」


「町の研ぎ屋さんで」


 列のどこかで、誰かが言った。


「研ぎ屋? 町の?」


「門前通りに、研ぎ屋なんかあったか」


「あの古い店だろ。包丁の」


 ざわめきが、列の後ろへ伝わっていく。灯は俺の袖を引っ張って、少しだけ胸を張った。


「この人です。研ぎ屋のお兄さん」


 視線が、一斉に俺に集まった。俺はどこを見ていいか分からなくて、カウンターの秤を見ていた。


 主の魔石は、二十五万円になった。熊谷さんは、受け取った封筒の中身を三人で分けると、自分の分をそのまま俺に差し出した。


「研ぎ屋さんの分っす」


「研ぎ賃はもうもらってる。三千三百円」


「三千三百円で、二十五万の主は倒せないっすよ」


「研ぎ賃は研ぎ賃です」


 熊谷さんは困った顔で灯を見て、灯は呆れた顔で俺を見て、古賀さんは「頑固」とだけ言った。


 ◇


 みわ食堂の暖簾は、夕方の客で揺れていた。


 カウンターの奥の厨房で、剛さんが鍋を振っている。灯の父親だ。五年前に第六層で膝を壊して探索者を辞め、灯のお母さんの恵子さんがやってきたこの店の厨房に入った。


「お帰り、灯。……おう、直じゃねえか。帰ってたのか」


「昨日」


「クビになったんだって? 恵子から聞いた。まあ座れ、食ってけ」


 灯が、カウンター越しに刀を差し出した。


「お父さん。これ、見て」


 剛さんは、鍋を火から下ろして、手を前掛けで拭いた。刀を受け取って、鞘を払う。


 その手が、止まった。


 剛さんは、黙って刃を見ていた。厨房の灯りの下で、刃を少しずつ傾ける。切っ先から刃元まで、一度。もう一度。


「……寿命って言われたんだぞ、これ」


 低い声だった。


「俺が現役のころから、何十回、鷹取に出したか分からねえ。出すたびに、少しずつ斬れなくなって。最後は、もう寿命ですって。灯にも、そう言われたって」


「辰さんに頼んだことも、あるんだ。昔、一度だけな」


 剛さんは刀を見たまま言った。


「迷鋼は研がねえ、って断られた。工場の機械で削られた刃は、俺の砥石が泣くってよ。だから、ずっと鷹取だった。研ぎ直しはメーカーに出すもんだって、皆そう思ってたしな」


「直くんが研いでくれたの。それで、主、斬った」


「主を」


「一回で」


 剛さんは刀から顔を上げて、灯を見て、それから俺を見た。何か言いかけて、やめて、刀を鞘に納めた。


「……直。今日の飯は、俺の奢りだ」


 剛さんはそれだけ言って、鍋を火に戻した。肩が、少し震えていた。


 恵子さんが、俺の前に生姜焼きの定食を置いて、目尻を拭いながら笑った。


「直ちゃん、おかわりしてってね」


 ◇


 店に戻ると、じいちゃんは帳場で番茶を飲んでいた。


 昨日と同じ格好、同じ湯呑みだった。


「ただいま」


「おう」


「斬れたよ。主の背中、一太刀で」


 じいちゃんは湯呑みを置いて、立ち上がった。俺の方を見ないまま、背中を向けて、店の奥の階段へ歩いていく。


「そうか」


 それだけ言って、二階へ上がっていった。


 階段の途中で、じいちゃんの足音が一度だけ止まったのを、俺は聞いていた。


 研ぎ場の研ぎ桶には、昨日の研ぎ汁が、灰色のまま沈んでいた。俺は水を替えて、砥石を並べ直した。


 じいちゃんの中山の合砥を、両手で持ち上げて、横から眺める。


 昨日一本研いだだけで、面が少し減っていた。迷鋼は硬い。包丁を十本研ぐより、迷鋼の刀を一本研ぐ方が、石は減る。それに、曇りを抜くたびに、石の方も何かを吸い取られているような手応えがあった。


 この石は、もう長年使われてきて、指一本分ほどの厚みしか残っていない。京都の天然の合砥は、今はいい物ほど手に入りにくい。


 この調子で迷鋼を研ぎ続けたら、この石はいつまでもつだろう。


 考えかけて、やめた。まだ一本研いだだけだ。


 ◇


 翌朝、シャッターを開けると、店の前に二人立っていた。


 熊谷さんは手斧を胸に抱え、古賀さんは矢筒を抱えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。