節が、斬れた
翌朝、協会の国府台支部の前は、出勤前の会社のビルみたいに人でごった返していた。
門の隣に建つ建物の一階が、受付と買取所になっている。受付の列に並ぶ探索者たちは、剣や槍をケースから出して肩に担ぎ、コンビニの袋を提げて欠伸をしている。俺がここへ来るのは、十五のとき以来だった。
「直くん、こっち」
灯が手を振っていた。隣に、二人いる。
「紹介するね。熊さんと、柚葉」
「熊谷っす。灯の大学の先輩で、盾やってます」
熊のような、というのがそのまま当てはまる大きな男だった。背中に、俺の背丈ほどもある大盾を背負い、腰に迷鋼の手斧を下げている。人の好さそうな垂れ目で、俺を上から下まで見た。
「研ぎ屋さんが、潜るんすか」
「見るだけです。刃が斬るところを」
「へえ……」
熊谷さんは、よく分からないという顔で頷いた。
もう一人は小柄な女の子で、弓と矢筒を背負っていた。前髪が長く、目元が半分隠れている。
「古賀。弓」
それだけ言って、古賀さんは灯の腰の刀をじっと見た。
「灯。刀、なんか違う」
「分かる? 直くんが研いでくれたの」
「ふうん」
古賀さんは俺を一度見て、それきり口を開かなかった。
俺の探索者証はE級だ。E級が入っていいのは、目安では第二層まで。灯が受付で同行届という紙を書いた。上の等級のパーティのリーダーが届けを出せば、下の等級の者も同行者として下の層へ入れる。そのかわり、同行者に何かあれば、届けを出したリーダーの責任になる。
「いいのか、灯。俺、戦えないぞ」
「知ってる。後ろにいて。熊さんの後ろが一番安全だから」
熊谷さんが、大盾を背負い直して笑った。
◇
門をくぐり、石の階段を下りると、空気がひやりと湿った。
ダンジョンの中は、思っていたより明るい。壁の石そのものが、ぼんやりと青白い光を帯びている。第一層は、十五のときに一度だけ歩いた。スキルが体に現れたのも、この入口の近くだった。
第一層と第二層は、三人とも足を止めなかった。大鼠を熊谷さんが盾で払い、飛んでくる甲虫を古賀さんが矢で落とす。灯は刀を抜きもしない。
俺は三人の後ろを歩きながら、ときどき壁に手を置いた。ざらりとした、粗い石だった。
「研ぎ屋さん、俺の手斧、鷹取に出したら一回いくらだと思うっす?」
第二層の長い通路で、熊谷さんが振り返らずに聞いてきた。
「一万一千円ですよね」
「そうっす。で、俺ら三人で一日潜って、魔石が六万とか、いい日で九万。三人で割って、二万ちょっと。そこから研ぎ直しと、矢と、薬と、交通費と」
「学費の足しになるくらい」
古賀さんが短く言った。
「それっす。割に合うか合わないか、ぎりぎりのとこで、皆やってるんすよ。だから主の魔石が欲しいんす。あれ一個で、二十万は超えるって聞くんで」
熊谷さんは大盾の縁を指で叩いた。
「俺は就職したら辞めるつもりっす。灯は、親父さんの刀だから、続けたいって」
「熊さん、そういうこと今言わなくていいから」
灯が前から言った。耳が赤かった。
第三層への階段を下りると、空気が変わった。
湿り気が増して、どこかで水の滴る音がする。通路の幅が広くなり、天井が高い。壁の光は少し暗く、青というより灰色に近い。
「ここから、大百足が出るっす」
熊谷さんの声が、少しだけ低くなった。
大百足は、俺の腕を三本並べたほどの太さがある百足で、体は硬い甲殻の節が連なってできている。第三層より下の魔物は、体の表を魔素の膜がうっすら覆っていて、刃を滑らせる。探索者はそれを「守り」と呼ぶ。大百足は、その守りに加えて節が硬い。
「いつもは、熊さんが止めて、私が節の継ぎ目を何回も叩いて、削っていくの。継ぎ目がちょっとずつ割れてきたら、そこに突き込む」
「時間かかる。矢も無駄になる」
古賀さんがぼそりと付け足した。
通路の先の暗がりで、乾いた音がした。硬いものが石の床を擦る、かさかさという音。
天井の近くを、黒い影が這ってくる。
大百足だった。思っていたより大きい。節の一つ一つが、俺の手のひらより広い。
熊谷さんが大盾を構えて前へ出た。百足が天井から落ちてきて、盾に頭からぶつかる。重い音。熊谷さんの足が、石の床を半歩ずり下がる。
「灯!」
「うん」
灯が盾の脇から踏み込んだ。
刀が斜めに振り下ろされる。
百足の胴の、硬い節の真ん中に、刃が入った。継ぎ目ではない。節の甲殻の、一番厚いところだった。
刃は止まらなかった。甲殻ごと、中の肉ごと通り抜けて、灯の刀は振り下ろしたところで止まった。
大百足は、二つになって床に落ちた。
前の半分がしばらく脚を動かして、それから静かになった。
灯は、振り下ろした格好のまま固まっていた。
自分の刀を見る。それから、床の二つの百足を見る。それからもう一度、刀を見る。
「……え?」
熊谷さんが、盾を構えたまま口を開けていた。開けたまま、盾をゆっくり下ろした。
「灯。今の、継ぎ目じゃなかったっすよね」
「……違う。真ん中、斬った」
「真ん中は、斬れないんすよ」
「知ってる」
「知ってるっすよね」
二人は、同じことを確かめ合うように言い合った。
古賀さんは弓を背に戻すと、すたすたと百足の死骸のところへ行ってしゃがみ込んだ。前髪をかき上げて、切り口を覗き込む。指先で、甲殻の断面に触れる。
「断面、きれい。砕けてない。斬れてる」
顔を上げて、俺を見た。
「研ぎ屋さん。何したの」
「研いだだけです」
「研いだだけで、こうはならない。鷹取の研ぎ直し、灯の刀、去年から何回も出してる。私、知ってる」
俺はそれには答えずに、灯のそばへ行った。
「灯、刀を見せてくれ」
灯は、まだ半分ぼんやりした顔で、刀を差し出した。
俺は刃を光にかざした。青灰色の壁の光の下で、刃の地を切っ先から刃元までなぞる。
欠けは出ていない。曇りも、ほとんど戻っていない。百足の守りに触れたあたりに、ごく薄い白い靄が一筋だけ乗っている。
ただ、刃先の片側に、ほんのわずかな擦れがあった。
「最後、ちょっとこじったな」
「えっ。……あ、うん。癖で」
「蛤刃にしといたから欠けてない。でも、こじらなくていい。今みたいに斬れるなら、振り抜くだけで通る」
灯は刀を受け取って、刃を見つめた。
「直くん、これ、ずるい」
「何が」
「ずるいよ。だって、私、三回も逃げたのに」
灯は笑おうとして、うまく笑えない顔をした。熊谷さんが、その頭を大きな手でぽんと叩いた。
それから第三層を歩く間に、灯は大百足をもう二匹、同じように斬った。三匹目のときには、もう刃をこじらなかった。刃が節の甲殻を通り抜ける音は、三度とも同じ、短く澄んだ音だった。
研ぎ屋の耳には、いい音だった。
第四層への階段が見えてきたところで、灯が立ち止まった。
階段の下から、生ぬるい風が上がってくる。獣の匂いが混じっていた。
灯は刀の柄を握り直して、階段の暗がりを見下ろした。
「……主、今日、行ける気がする」




