包丁屋に見せる剣はない
「よう、包丁屋。まだ開いてるか」
久我さんは、半分下りたシャッターの下を、腰を屈めもせずに手で押し上げて入ってきた。後ろに、スカイラインの四人が続く。狭い店が、急に人でいっぱいになった。
「閉めるところでした」
「固いこと言うなよ。客だぜ、客」
久我さんは帳場の札を見上げて、口の端で笑った。
「一万六千五百。鷹取より高いじゃねえか。随分強気だな、包丁屋」
「その分、研ぎます」
「へえ」
久我さんは、後ろの仲間に顎をしゃくった。
仲間の男が二人、剣のケースをカウンターに置いた。それから、一昨日みわ食堂で一人だけ笑わなかった、髪を短く切った女の剣士が、少し遅れて自分のケースを置いた。
「流行ってるんだろ、あんたの研ぎ。三輪ちゃんとこのパーティが主を倒して、装備課の台で十枚斬ったって、門前町じゃその話ばっかりだ。俺のパーティのも頼むわ。とりあえず三本」
「久我さんの剣は」
「俺のは要らねえ。鷹取の上位品だ。研ぎ直しは鷹取に出す。決まってんだろ」
久我さんは、腰の派手な鞘を、ぽんと叩いた。
俺はカウンターの三つのケースを見た。開けて、中の剣を見る。どれも鷹取の量産品で、刃の地が白く曇っている。一本は刃先がだいぶ丸い。
「分かりました。お一人ずつ、裏で振ってみせてもらえますか」
店の中が、一瞬、静かになった。
それから、久我さんが笑い出した。
「聞いたか、おい。振ってみせろってよ」
仲間の男たちが、つられて笑う。
「研ぎ屋が、客を選ぶのか。客に芸をさせんのか。俺らは研ぎを頼みに来たんだぜ。金も払うって言ってんだ」
「振り方で、研ぎを変えるので」
「変えなくていいんだよ。普通に研げ。三輪ちゃんのと同じにしろ」
「灯の刀と同じ研ぎは、灯の振り方にしか合いません」
久我さんの笑いが、少し引っ込んだ。
短い髪の女の剣士が、カウンターの自分のケースに手を伸ばした。剣を取り出して、迷うように久我さんの顔をうかがう。
「久我さん、私、振るだけなら」
「浅井」
久我さんが、低い声で名前を呼んだ。浅井さんの手が止まった。
「振らなくていい。研ぎ屋に見せる剣なんか、うちにはねえよ」
浅井さんは、剣をケースに戻した。戻しながら、ほんの一瞬だけ俺の方を見た。申し訳なさそうな目だった。
俺は、三つのケースの蓋を閉めた。
「なら、研げません」
「……は?」
「振ってもらえない刃は、研ぎません。研いでも、持ち主の手に合わないので。お金はいただけません」
久我さんの顔から、笑いが消えた。
久我さんは一歩踏み出して、カウンターに手をついた。俺を見下ろす。背は、俺より頭一つ高い。
「客を追い返すのかよ、包丁屋」
「刃を追い返してるわけじゃありません。振ってもらえれば、研ぎます」
「舐めてんのか」
帳場の奥で、じいちゃんの湯呑みが置かれる音がした。じいちゃんは黙ったままだった。けれど、店の空気が少し変わったのを、久我さんも感じたらしかった。帳場の暗がりの老人を一瞥して、舌打ちをした。
「……いいよ。分かった」
久我さんは、カウンターから手を離した。仲間に顎をしゃくって、ケースを持たせる。
それから、札をもう一度見上げて、鼻で笑った。
「鷹取より高い当たりくじ、ってわけだ。三輪ちゃんたちは、たまたま当たりを引いただけだろ。研ぎ屋の当たりくじ頼みで主を倒して、いい気になってる」
そのとき、店の戸の外で足音が止まった。
「……今、なんて言いました?」
灯だった。
大学の帰りらしく、パーカーにリュックを背負っている。みわ食堂へ帰る途中で、店の中の声が聞こえたのだろう。顔が赤い。怒っているときの赤さだった。
「おっと、本人か」
久我さんは振り返って、にやりと笑った。
「聞こえたなら話が早い。三輪ちゃん、悪いこと言わねえから、刃頼みはやめとけよ。当たりくじはいつか外れる。腕がねえのに主を斬った気になってると、そのうち死ぬぞ」
「腕がないって」
灯が、一歩、店の中へ踏み込んだ。
「熊さんが盾で止めて、柚葉が目を射って、私が斬ったの。三人で倒したの。当たりくじなんかじゃ」
「灯」
俺は、灯の前に出た。
「いい」
「よくない。直くんのこと、包丁屋って」
「包丁屋は、合ってる」
灯は、口を開けたまま俺を見た。
「包丁も研ぐし。看板にそう書いてある」
灯は何か言い返そうとして、言葉に詰まって、それから悔しそうに唇を噛んだ。
久我さんは、そのやりとりを面白そうに眺めていた。
「物分かりのいい包丁屋で助かるわ。じゃあな」
久我さんは、仲間を連れて店を出ていった。
最後に出ていく浅井さんが、戸口で振り返って、小さく頭を下げた。
◇
五人が通りの向こうへ消えたあと、灯は俺の前掛けを掴んで、思いきり引っ張った。
「直くん、なんで言い返さないの」
「言い返すことがない」
「あるよ! 当たりくじって言われたんだよ。直くんの研ぎが」
「研ぎがどうかは、言葉じゃ決まらない。刃が斬るかどうかで決まる」
灯は、俺の前掛けを掴んだまま、しばらく黙った。
「……ほんとに、大将そっくり」
「二回目だな、それ」
「何回でも言う」
灯は前掛けから手を離して、ぷいと横を向いた。
俺は、久我さんが出ていった戸口を見ていた。
さっき、久我さんがカウンターに手をついたとき、腰の鞘の口が、蛍光灯の真下に来た。鞘の口の内側に、細かな擦り傷が、片側にだけ集まっていた。みわ食堂で見たときより、傷は増えている気がした。
振った最後に、強くこじる。こじるたびに刃先が片側へ倒れて、鞘に納めるときに口を擦る。
あの剣は、たぶん、鷹取の窓口で何度も寿命と言われている。そして、そのたびに新しい上位品に買い替えている。刃が駄目になるのは、刃のせいではなく、振り方のせいなのに。
言ってやった方がよかったのかもしれない。けれど、振ってもらえない人に、振り方の話をしても届かない。
「直くん?」
「なんでもない」
灯は首を傾げて、それから、店の外を振り返った。
「私、帰る。お父さんに、晩ごはん直くんの分も作ってって言っとく」
灯がみわ食堂の方へ駆けていくのを見送って、俺はシャッターを下ろした。
研ぎ場に戻り、合砥を布で拭く。指で面の厚みを確かめる。今日は三本。この石は、あと何本もつだろう。
店の明かりを落とそうとしたとき、閉めたシャッターを、外から叩く音がした。
どん、どん、と、重く、遠慮のない叩き方だった。
シャッターを少しだけ上げると、男が一人立っていた。四十代くらいの、背の高い男だった。肩に、布で巻いた長いものを担いでいる。
布の端から、槍の穂先が覗いていた。
「……閉めたところに、すまん。第六層から、今、上がってきた」
男は、低い声でそう言った。




