研がない刃
一番に暖簾をくぐってきたのは、大学生くらいの男の二人組だった。灯の検査を見物していた中に、いた気がする。
「D級の、二人でやってます。短剣なんですけど、迷鋼の。三輪さんの話聞いて、どうしても」
二人は、同じ鷹取の量産品の短剣を、同じケースに入れて持っていた。買ったときに揃いで選んだのだという。
「じゃあ、裏で振ってみせてください。お一人ずつ」
「え、二人とも? 同じやつですよ」
「同じ刃でも、持ち主が違えば研ぎが違うので」
二人は顔を見合わせて、裏の路地へ回った。
先に振ったのは、背の低い方だった。短剣を逆手に持ち替えるでもなく、まっすぐ前に構えて、鋭く突き出す。突いて、引く。突いて、引く。脚の運びが軽い。
次は、背の高い方。同じ短剣を、手首の返しで横に払う。斬るというより、撫で斬りに近い。払って、返して、また払う。
「ありがとうございます」
俺は二本の短剣を並べて、刃を見比べた。
突く方の短剣は、切っ先が丸く潰れていて、刃の腹はほとんど傷んでいない。払う方の短剣は、切っ先は無事で、刃の中ほどから元にかけて、細かな擦れが一面に広がっていた。
「突く方は、切っ先を細く立てます。刃の腹は触らない。払う方は、切っ先はそのままで、刃の中ほどを薄く。払って引く刃は、薄い方がよく入るので」
「同じ短剣なのに、別の研ぎ方……」
背の高い方が、感心したように言った。背の低い方は、二本の刃をしげしげと見比べていた。
「今まで、研ぎ直しに出しても、二本とも同じ顔で戻ってきてました」
「機械は、指示書の寸法に削るだけですから」
一本ずつ、一時間ずつかけて研いだ。研ぎ上がった短剣を持って、二人は裏の路地で、空を相手に何度も突いたり払ったりしていた。帰り際に、二人揃って頭を下げた。一万六千五百円を二本分。財布から出すとき、二人とも一瞬だけ顔が引きつったのを、俺は見ていた。
それでも、二人は札の値段には一言も触れなかった。
◇
次の客は、朝から店の前で待っていた三人目、一昨日、買取所の前で煙草を吸っていた男だった。
C級だという。三十がらみで、日焼けした顔に無精髭。迷鋼の長剣を、ケースから出しもせずにカウンターに置いた。
「急ぎで頼む。明日、潜るんだ」
「振ってみせてもらえますか」
「は?」
「研ぐ前に、どう振ってるか見たいんです」
男は、帳場の札を見て、俺を見て、面倒くさそうに息を吐いた。それでも、裏の路地へは来てくれた。
長剣を構え、大きく振りかぶって、振り下ろす。力強い振りだった。
ただ、振り下ろした剣を、男は地面すれすれで止めなかった。剣先が、路地のコンクリートを、がつんと叩いた。
「あ」
男は、少しばつの悪そうな顔をした。
「悪い。癖で。ダンジョンじゃいつも、こう、最後まで振り切るんだ」
俺は剣を受け取って、刃を見た。
欠けは、刃の先の方に、点々と並んでいた。欠けの縁が、粗い。魔物の甲殻や骨に当たった欠けは、もっと滑らかに崩れる。これは、硬くてざらざらしたものを、真上から叩いた欠けだ。
「この刃、魔物より、床を斬ってますね」
男は、ぽかんと口を開けた。
それから、腹を抱えて笑い出した。
「床か。床かよ。そうか、ダンジョンの床か」
「振り切るのはいいと思います。ただ、最後に床まで届くと、刃が負けます。床の石は、魔物より硬いので」
「まいったな。研ぎ直しに出すたびに、すぐ欠けるって文句言ってたんだ。窓口の兄ちゃんに、寿命が近いですねって言われてな」
男は無精髭をざりざりと撫でた。
「振り方、直すよ。床は斬らねえ。……で、研いでくれるか」
「研ぎます」
欠けを荒砥から均し、中砥で整え、合砥で仕上げた。合砥の面は、今日だけでまた目に見えて減った。
男は研ぎ上がった長剣を受け取ると、裏の路地へ出て、一度だけ振った。今度は、剣先が地面の手前で、ぴたりと止まった。
◇
昼過ぎ、大学の帰りに灯が顔を出した。
灯は暖簾をくぐるなり、帳場の後ろの札を見上げて、目を丸くした。
「一万六千五百円!」
「昨日、決めた」
「直くんが? 直くんが自分で値段つけたの?」
「戸川さんと剛さんに、安すぎるって言われて」
「お父さん、ずっと言ってたもんね」
灯はなぜか嬉しそうに、札の俺の字を指でなぞった。それから急に真面目な顔になって、財布を出した。
「じゃあ、私の刀の分、差額払う。一万三千二百円」
「いらない。あれは三千三百の札で研いだ」
「でも」
「札は研ぐ前に決まってた。後から変えたら、札の意味がない」
灯は財布を握ったまま、しばらく俺を睨んでいた。それから、ふっと笑った。
「直くん、頑固なとこ、大将にそっくり」
帳場で、じいちゃんが咳払いをした。
◇
夕方、店じまいの少し前に、もう一人、客が来た。
二十代の後半くらいの男で、鷹取の上位品の剣を提げていた。剣をカウンターに置くと、札を一瞥して、財布から一万円札を二枚出した。
「釣りはいい。明日の朝までに」
「振ってみせてもらえますか」
「は?」
男は、さっきの客と同じ顔をした。けれど、続きは違った。
「研ぎ屋に見せる必要はないだろ。研ぐのはそっちの仕事だ。俺の振り方は関係ない」
「関係あります。振り方で、刃の形を変えるので」
「変えなくていい。普通に研げ」
「普通の研ぎなら、鷹取の窓口でやってもらえます」
男は、眉をしかめた。
「客を選ぶのか、研ぎ屋が」
「振らない人の刃は、研ぎません」
しばらく、男は俺を睨んでいた。俺は目を逸らさなかった。
男は、一万円札を財布に戻し、剣を掴むと、何も言わずに出ていった。暖簾が大きく揺れた。
店の中が、静かになった。
帳場で、じいちゃんが湯呑みを置く音がした。
「それでいい」
じいちゃんは、俺の方を見ないまま言った。
「研ぎ屋が客を選んでるんじゃねえ。刃が客を選んでるんだ。振る手を見せねえ奴の刃は、研いでも、その手に合わねえ。合わねえ刃を渡すくらいなら、研がねえ方がいい」
「……うん」
「今の奴は、そのうちまた来る」
「なんで分かるの」
「研ぎ直しの窓口に、あの剣を出したって、斬れるようにはならねえからだ」
じいちゃんは、ふん、と鼻を鳴らして、帳面を閉じた。
今日研いだのは、三本だった。迷鋼の札で研いだ最初の日にしては、悪くない。合砥の減り方だけが、気になった。
シャッターを半分下ろしたところで、門前通りの向こうから、話し声が近づいてきた。
五人組だった。先頭を歩く背の高い男の、派手な装飾の鞘が、通りの街灯を照り返していた。
スカイラインの、久我さんだった。




