第4話 リアコ勢、襲来
昼休みの購買は、戦場だ。
焼きそばパンは開店三十秒で消え、メロンパンは一分ももたない。列の後ろのほうに並んだ時点で、勝負はほぼ決まっている。
俺は列の真ん中あたりで、今朝のことを思い出していた。
登校すると、桜庭の机に張り紙がしてあったのだ。
『推し本人によるファンサ 禁止』
どうやら昨日の指さしが、相当効いたらしい。
本人はうちわの向こうから、「心臓がもたないので」と小声で言っていた。
大貫いわく、「効いてる証拠だろ。攻め続けろ」。
攻めるも何も、俺は三日前に振られたばかりなんだけど。
「堀田先輩!」
いきなり、列の横から名前を呼ばれた。
振り向くと、小柄な女子が両手で弁当箱を差し出していた。
上履きの色は一年生。ショートカットで、目がまん丸で、なぜか全力疾走のあとみたいに息を切らしている。
「一年三組、料理部の小森ちさです!」
「あ、はい」
「先輩への想いを、二百度のオーブンで四十分、焼き上げてきました! 先輩の、リアコです! 付き合ってください!」
購買の列が、まるごと凍りついた。
リアコ。リアルに恋している、の略。
昨日の大貫の講義で習ったばかりの単語が、まさか翌日、本番で飛んでくるとは思わなかった。
しかも、十七年生きてきて、告白されたことは一度もない。その一回目が、焼きそばパン売り場の横で起きている。
「メロンパン、最後の一個だよー」
購買のおばちゃんだけが、何事もなかったように商売を続けていた。強い。
「えっと……ごめん。まず、なんで俺を?」
「覚えてませんか? 六月十二日、火曜日、晴れ!」
聞き覚えがありすぎる。
一昨日、黒板の前で読み上げられたばかりの日付だ。
「最後のメロンパンを、先輩が譲ってくれたんです。『俺、パンならなんでもいいから』って。あれからずっと、名前も知らない先輩のことが気になってて……」
小森は、弁当箱をぎゅっと抱えなおした。
「そしたら、クラスのグループに資料が回ってきたんです。『堀田誠のここが尊い』。読んで、あの先輩だって分かって、もう居ても立ってもいられなくて!」
資料が、学年の壁を越えて流通している。
俺の消しゴムと、まったく同じ道をたどっている。
とにかく、ここはちゃんと答えないといけない。
冗談で流していい話じゃない。
「ありがとう。でも、ごめん。好きな人がいる」
「知ってます!」
小森が、食い気味に言う。
「桜庭先輩ですよね。でも、振られたんですよね?」
「……なんで知ってるんだ」
「資料の最後のページに書いてありました。『推しの失恋を、ファン一同で支えよう』って」
あいつ、布教資料に俺の失恋まで載せたのか。
頭を抱えたそのとき、廊下の向こうから、聞き慣れた足音が猛スピードで近づいてきた。
「ちょっと待ったーっ!」
桜庭だ。うちわの文字は、今日も新作の『接触禁止』。
「推しに直接さわるのは、素手で太陽をつかむのと同じなの! お手紙とプレゼントは事務所を通して!」
「事務所ってどこだよ」
「推しは、付き合うためにいるんです!」
小森も一歩も引かない。
「推しは推すもの!」
「推しは付き合うもの!」
流派が、真っ向からぶつかった。
購買の前の人だかりが、みるみるうちに膨らんでいく。
「――ご覧ください。いま、二つの流派の縄張りが、購買の前で接触しました」
人垣を割って現れたのは、久遠寺だった。
どこから聞いていたんだ、この生徒会長は。あと、なんで動物番組なんだ。
「論点を整理しましょう。ここでは他の生徒の迷惑になります。場所を移して、公開討論とします」
◇
五分後。中庭は、満員。
入口では購買のおばちゃんが、パンの出張販売を始めていた。商魂がたくましすぎる。
ベンチの右に桜庭、左に小森。真ん中のテーブルには司会の久遠寺。
そしてなぜか時計係として、大貫が野球部のノック用ストップウォッチを首から下げている。
お前、いつ呼ばれた?
「論点は二つです。一つ、推しと付き合うことは許されるか。二つ、許されるとして、誰が付き合うのか」
二つ目の論点で、野次馬が「おお」とどよめいた。
俺の知らないところで、俺の争奪戦が正式に始まっている。
優勝トロフィーの気持ちが、いまなら少しわかる。棚に飾られる側は、だいたい意見を聞いてもらえないものだ。
「持ち時間は一人一分。では先攻、桜庭さん」
桜庭が、うちわを顔の前に掲げたまま立ち上がる。
「推しとファンのあいだには、距離があるの。地球が生き物の住める星なのは、太陽からちょうどいい距離にいるからでしょ。近すぎたら燃えるし、遠すぎたら凍る。推しもそれと同じ。距離ごと、尊いの!」
推し活に、理科の資料集を持ちこむな。
野次馬の女子から、「わかる……」とため息がもれる。
「後攻、小森さん」
「距離があったら、好きが冷めちゃうじゃないですか! 料理も恋も、熱いうちに出すんです! 私は先輩の隣で、メロンパンを半分こしたいんです!」
今度は男子から「わかる……」の声が上がる。
わかるのか? 男子も?
「二回戦。桜庭さん、反論を」
桜庭は、少しだけ間をおいた。
「……付き合ったら、いつか終わるかもしれないじゃん。でも推しなら、終わらない。好きなまま、ずっと好きでいられる」
中庭の空気が、ほんの少しだけ変わった。
冗談の声じゃなかった。少なくとも、俺にはそう聞こえた。
三月に卒業した、前の推し。昨日の帰り道で聞いたばかりの話が、頭の隅をよぎる。
小森は、まっすぐ桜庭を見て言い返す。
「終わるのが怖いから付き合わないなんて、もったいないです! 賞味期限が怖いからって、ケーキを一生冷蔵庫にしまっておくんですか!?」
桜庭のうちわが、わずかに傾いた。言い返そうとして、言葉が見つからない。そういう角度に見えた。
野次馬の拍手が、今日いちばん大きくなる。
議題が、俺の取り扱い方針から、人生の話にまで広がってきている。
たまらず、手を挙げる。
「あの、本人の意見としては――」
「本人は黙ってて!」
桜庭と小森の声が、ぴったりそろった。
もう一度、手を挙げる。
「いや、いちばんの当事者は俺――」
「本人は黙ってて!」
今度は、野次馬全員の声だった。
最後のひと押しで、司会席を見る。久遠寺は静かにうなずき、ていねいに言った。
「本人は、黙っていてください」
三方向から封じられた。俺の発言権は、この中庭のどこにも残っていないらしい。
「残り十秒」
大貫が、ストップウォッチをにらみながら読み上げる。
小森が、桜庭のほうへ一歩踏み出した。
「桜庭先輩は、堀田先輩とは付き合わないんですよね?」
「そ、そうだけど」
「じゃあ、私が付き合っても、文句ないですよね?」
中庭が、しんとした。
さっきまでの笑いが、すっと引いていく。
全員の目が、うちわの向こうの桜庭に集まった。
長い沈黙のあと、桜庭は言った。
「……推しの幸せが、いちばんだから」
声は明るかった。いつもどおりの、推し活のときの声だ。
なのに、うちわの柄を握る指が、真っ白になっている。
水色の爪だけが、やけに鮮やかだった。
小森の目も、その指に止まっていた。
勢いのよかった声が、少しだけ小さくなる。
「……そうですか」
「試合終了」
大貫が、空気を読まずにストップウォッチを止めた。
――いや、たぶん、あいつなりに読んだんだと思う。




