第2話 布教用の資料が分厚すぎる
「え、堀田が二人いる」
「どっちが本物?」
「座ってるほう……いや、片方は板だな。段ボールだ」
朝の教室は、俺の席を中心にざわついていた。
段ボールでできた、等身大の俺。
写真は、学校のホームページに載っていた去年の体育祭のものだ。背景はきれいに切り抜かれ、なぜか右手でピースまでしている。
俺の記憶に、ピースをした覚えは一度もない。
首から下げた札には『本人不在時の代理』とある。不在じゃない。本人は、いま目の前に立っている。
「おはよ。今日も堀田で光合成――あ、本体」
振り返ると、桜庭がうちわを顔の前に掲げていた。今日の文字は『布教中』。
「本体って言うな。なんだこれ」
「推しの席が空いてるのは、日食と同じなの。せめて代理の太陽を置かないと、クラスが冷えちゃうでしょ」
「段ボールの太陽で、教室は温まらない」
「それに、本体と並べば連星になるし」
「連星になるな」
供給どころか、俺の居場所が半分になっている。
「撤去する」
「あっ、待って待って! 公式の許可なく撤去されるのは困る!」
「公式は俺だ」
「……あ」
桜庭が、うちわの向こうで固まった。考えたこともなかった、という顔をしている。見えないけど、たぶんそういう顔だ。
「じゃ、じゃあ、本人のご希望ってことで……掃除用具入れに、お引っ越しで」
ところが、等身大の俺は掃除用具入れより背が高かった。
入れるには、膝のところで折るしかない。自分の膝を自分の手で折る経験は、思っていたより心にくるものがある。
ばきっ、という音に、桜庭が「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
パネルを押しこむと、すぐ横から抗議の声がした。
「おい。そこ、俺の場所なんだけど」
「お前の場所でもないんだよ」
大貫は、昼寝場所を段ボールの俺に奪われて不満そうだった。知るか。
チャイムと同時に、担任の江口先生が入ってきた。三十代、いつも眠そう。出席簿で肩をとんとんたたきながら言う。
「はい、ホームルーム。今日は文化祭のアンケートを――」
「先生、五分ください」
桜庭が、まっすぐに手を挙げていた。
「議題は、『堀田誠について』です」
教室が、水を打ったようにしんとする。
江口先生は眠そうな目のまま、桜庭と、俺と、掃除用具入れを順番に見た。
「……推し活?」
「推し活です」
「五分ね」
「通るのかよ!」
「堀田。若者が推しを語ろうとしているのを止める大人はね、だいたい、自分の青春に帰り道を教えてもらえなくなるのよ」
意味はわからない。わからないけど、絶対に止めないという強い意志だけは伝わってきた。
あとで聞いたら、江口先生も学生のころは、舞台俳優の出待ちをしていたらしい。同志に甘すぎる。
前の席から、紙の束が回ってくる。
A4の両面印刷で、ホチキスが三か所。表紙には『天体観測記録・堀田誠のここが尊い 全五章』とある。
布教用の資料が、分厚すぎる。しかも、天体扱いが続いている。
黒板の前に立った桜庭は、うちわを顔の前でぴたりと固定して、話しはじめた。
「第一章。堀田誠は、消しゴムを二個持っている」
それなら知っている。なにしろ昨日、本人が自分の口で言ったばかりだ。
「ポイントは、貸すときの言い方。『予備だから』って言うの。予備だから、返さなくていいってこと。借りたほうが気をつかわないように、そこまで考えて言ってるんだよ。わかる? 消しゴム一個に、思いやりが二個入ってるの」
そこまでは考えていない。……いや、少しは考えている。なんでバレてるんだ?
すると、窓際の男子がぽつりと言った。
「……あ、俺、それ借りたことある」
「私も。数学の小テストのとき」
「俺、まだ返してねえわ」
「返せよ」
思わず口をはさんだが、証言は止まらない。「俺も」「私も」と次々に手が挙がり、気づけばクラスの三分の一が、俺の消しゴムの借り主だった。
俺の消しゴム、そんなに出回ってたのか? もはや流通している。
「第二章。雨の日の、傘立て」
桜庭の声が、少しだけ静かになった。
「昇降口の傘立てに、骨の曲がったビニール傘が残ってることがあるでしょ。堀田は、あれを毎回まっすぐに直して、また戻してるの。誰の傘かもわからないのに。しかも、直したことを誰にも言わない」
うちわが、ほんの少しだけ傾いた。
「太陽ってね、毎朝ちゃんと昇るのに、一回も名乗らないの。『太陽です』って言わないでしょ。堀田の傘も、それと同じ」
教室が、もう一度静かになった。
今度は、さっきとは違う種類の静けさだった。
「……あの傘、勝手に直ってると思ってた」
誰かがつぶやいて、何人かがうなずく。
顔が、じわじわ熱くなってくる。誰にも言わなかったのは、言うほどのことじゃないからだ。それを黒板の前で、天体のたとえまで添えて大事そうに話されたら、困る。
「第三章から第五章は、時間がないので早回しで!」
桜庭が、ここぞとばかりにうちわを振り回した。
「体育館のモップは、全部同じ向きにかけて帰る! 日直が忘れた日は、黒板の日付をこっそり直す! 購買の最後のメロンパンを、後ろの一年生に譲る! 六月十二日、火曜日、晴れ!」
「日付まで覚えてんの!?」
クラス全員の声がそろった。俺は机に突っ伏した。もう顔を上げられない。
「なお、次回の観測……じゃなくて現場は、来週の校内持久走大会です。沿道でうちわを振る『うちわ隊』、ただいま募集中!」
現場って言うな、ただの体育の行事だ。
ところが、教室のあちこちで、女子の手がちらほらと挙がった。三人、四人、五人。消しゴムの借り主と傘の件を聞いたあとだと、断る理由が見つからないらしい。
布教が、目の前で実を結んでいく。
「以上、私の推し、堀田誠でした。ご清聴ありがとうございました!」
ぱちぱちと、拍手が起こる。
わりと本気の拍手だった。前の席の男子が振り返って、「お前、いいやつだったんだな」と言った。
こいつ、昨日までは俺のことを「堀川」と呼んでいた。
布教、恐るべし。
「あ、それと」
桜庭が、『布教中』のうちわを高々と掲げた。
「同担は拒否なので。そこんとこ、よろしく」
一拍おいて、クラス全員がつっこんだ。
「布教しといて!?」
しかも、そのうちわを掲げたまま言うな。
そのときだった。
教室の後ろの戸のほうから、静かな声が聞こえた。
「――ご覧ください」
クラス全員が、いっせいに後ろを振り返る。
戸口に、アンケート用紙の束を抱えた女子が立っていた。
久遠寺しずく。二年の、生徒会長。
全校集会で彼女がマイクの前に立つと、体育館が一度だけ静かになる。学校一の美少女という呼び名を、大げさだと言う生徒は一人もいない。
その生徒会長が、動物番組のナレーションみたいな声で、淡々と続けた。
「いま、語り手の耳が、うちわの縁から赤くはみ出しています。うちわの角度は、およそ十五度。これは、好きなものを語り終えたときにだけ観察される角度です」
何の番組が始まったんだ。
「……失礼しました。生徒会のアンケートを回収に来たのですが、最初から、聞いてしまいました」
久遠寺は、表情を一つも変えずに一礼した。
「布教、されました」
教室が、どよめいた。
学校一の美少女が、うちのクラスの戸口で、俺の名前の書かれた資料を抱えている。誰がどう見ても、朝のホームルームで起きていい出来事じゃない。
男子の何人かが、俺と久遠寺を交互に見て、口を半開きにしたまま固まっていた。
久遠寺はそのまま、黒板の前の桜庭に向かって、深々と頭を下げる。
「同担として、よろしくお願いします。桜庭さん」
桜庭のうちわの柄が、みしりと鳴った。
「……し、新規さん、いらっしゃい」
布教、大成功。
なのに桜庭の声は、どう聞いても大失敗のそれだった。




