第1話 推しに告白したら解釈違いだった
「好きです。付き合ってください」
放課後の教室で、俺は人生初の告白をしている。
相手は桜庭ゆあ。クラスでいちばん明るいギャルで、たぶん、この学校でいちばん俺のことが好きな女子だ。
根拠なら山ほどある。毎朝「おはよ。今日も堀田で光合成させてもらうね」と声をかけられる。意味はわからないが、好意だけは伝わってくる。
体育のたびに、手作りのうちわを全力で振られる。
先月の誕生日には、机に俺の写真とロウソクが並んでいた。祭壇かと思ったら、祭壇だった。
ここまでされて「好かれていない」と思える男子がいたら、ぜひ連絡してほしい。
桜庭は、俺の言葉を最後まで黙って聞いていた。
それから、いつものうちわを、すっと顔の前に持ち上げた。
表にはピンクの丸文字で、こう書いてある。
『こっちは見なくていい』
うちわの向こうから、震える声がした。
「……解釈違いです」
「……え」
「推しはね、太陽なの」
「は?」
「太陽に告白された惑星の気持ち、考えたことある? 燃えるんだよ。軌道ごと」
推し活に天文学を持ちこむな。
待ってほしい。推し? 太陽? 誰が?
「堀田誠が。私の、推し。つまり、私の太陽」
俺だった。しかも、恒星だった。
「付き合ったら、推しが『彼氏』っていう名前の、ただの人間になっちゃうでしょ。それ、ユニコーンを捕まえて、馬小屋に入れるのと同じだから」
「俺、ユニコーンだったのか」
「たとえ話! 推しは推すもの。付き合うものじゃないの。これ、推し活の第一法則だから」
法則まであるのか。しかも、物理の顔をして。
「いや待って。毎朝のあいさつも、うちわも、誕生日の祭壇も……あれ全部、好きってことじゃないのか」
「好きだよ?」
「だよな!?」
「推しとして」
膝から崩れそうになり、机の角でどうにか踏みとどまった。
推しとして。
その五文字で、俺の三か月分の勘違いは、きれいに棚へ分類されてしまった。棚の名前は「推し活」。
「……じゃあ聞くけど。俺がもし、ほかの誰かと付き合ったら?」
ささやかな反撃のつもりだった。
うちわが、ぴたりと止まる。
「全力で祝う。式場の最前列で、ペンライト振る」
「式場まで行くのかよ」
「太陽が誰かを照らしてるのは、いいことだから。……たぶん泣くけど」
「泣くのかよ」
「うれし泣きだし!」
語尾が、ちょっとだけ裏返った。
「ごめんね。でも、今日のことは一生忘れない。推しから告白された日。できれば教科書に載せたい」
「載せるな。日本史の資料集の横に並べるな」
桜庭は、うちわの陰でこくこくと何度もうなずいた。
顔は見えないけれど、耳の先まで真っ赤なのは丸見えだ。
なんで照れてるんだ。いま振られたの、俺のほうだよな?
しかも俺は俺で、その赤い耳をかわいいと思っている。理由なら知っている。悔しいけど、好きだからだ。
念のため言っておくと、俺は太陽どころか、推されるような男子でもない。
帰宅部で、成績は真ん中。顔は、親戚の集まりで「優しそう」としか言われない顔。
特技は消しゴムを二個持ち歩くことで、忘れたやつに一個貸せるから、これがわりと役に立つ。
桜庭のほうは、いつだってクラスの真ん中にいる。
誰の話でも目をきらきらさせて聞くから、話しているほうがつい長くなってしまう。俺が好きになったのも、たぶん、あの目のせいだ。
その目が、俺の前でだけ、うちわの向こうに隠れる。
そんな彼女が俺のどこを推しているのか、三か月たっても見当すらつかない。
「あ、でも安心して」
桜庭が、うちわを少しだけ下げた。
目が見える――と思った瞬間には、もう上がっている。反射神経が、完全に運動部のそれだ。
「振ったからって、推し活はやめないから。むしろ明日から、第二形態に入るから」
「第二形態?」
「推しが失恋したら、ファンが支える。それが宇宙の釣り合いだから!」
いや、振ったの君だよな?
マッチポンプという言葉の正しい使い方を、俺はいま、身をもって学んでいる。
「じゃ、また明日。今日も存在してくれてありがと!」
上履きの音が、ぱたぱたと廊下の向こうへ遠ざかっていく。
入れ替わりに、教室の後ろの掃除用具入れがきしんだ。
中から出てきたのは、野球部の大貫だ。坊主頭に、ちりとりの跡がくっきりついている。
「……見てた?」
「最初から最後まで。モップと一緒に」
なんでそこにいるんだ、と聞く前に、大貫は「部活の前に昼寝してた」と言った。
掃除用具入れで寝るな。せめてロッカーにしろ。
「てか、桜庭の推し活、女子のあいだじゃ前から有名だったぞ。知らなかったの、たぶんお前だけ」
大貫はそこで腕を組み、ぼそりと言った。
「姉ちゃんが言ってた」
「急に何の話だ」
「『推しに告られたファンは、その場で一回死ぬ。そして翌朝、強くなって生き返る』」
野球部の坊主頭から、いちばん聞きたくない格言が出てきた。
「……強くなって、どうなるんだ」
「知らん。姉ちゃんは翌朝、ライブのチケットを三公演ぶん取ってた」
大貫は気の毒そうな顔で、俺の肩にぽんと手を置いた。
「まあ、元気出せよ。振られたけど、ファンは一人も減ってないんだから」
「慰め方が独特すぎるだろ」
俺たちは無言のまま、教室の真ん中で顔を見合わせた。
◇
帰り道、俺は三か月分の証拠を、頭の中で一つずつ並べ直した。
毎朝の光合成。推し活の棚へ。
体育のうちわ。推し活の棚へ。
誕生日の祭壇。どう考えても推し活の棚の、いちばん上の段へ。
音もなく、全部きれいに片づいていく。ここまで片づくと、いっそ気持ちがいい。いや、よくない。
逆に、恋愛の棚に残ったものはあるんだろうか。
あった。一つだけ。
さっきの、真っ赤な耳だ。
あれだけは、どの棚に入れればいいのか、まるでわからない。
家に着くなり、俺は制服のままベッドに倒れこんだ。
代わりにスマホで「解釈違い」を調べてみる。
――作品や人物について自分が抱いている解釈と、公式や他人の描き方が食い違うこと。
なるほど。つまり俺は、俺自身の解釈と食い違ったらしい。
俺って何なんだ。公式じゃないのか。太陽じゃなかったのか。
寝返りを打つと、押し入れのふすまが少しだけ開いていた。
奥に、うちわが一本、立てかけてある。
半年前の三月、放課後の空き教室で拾ったものだ。
持ち主は、いまも見つかっていない。
あの日、そこで泣いていた女子の顔を、俺は見ないようにした。
泣き顔なんて、知らない男子に見られたくないに決まっているから。
うちわには、ピンクの丸文字でこう書いてある。
『こっち見て』
……そうそう。うちわって、本来はこういうものなんだよ。
俺はふすまを閉めて、ついでに目もつぶった。明日のことは、明日考えればいい。
このときの俺は、桜庭ゆあの「第二形態」を、まだ甘く見ていた。
その答えは翌朝、俺の席に座っていた。
等身大の、俺だった。




