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第14話 布教の副作用

 昇降口の掲示板に、俺が二人いた。


 左には、七五三の羽織袴で、千歳飴を剣みたいに構えてピースをしている五歳の俺。


 右には、白いシャツに水色のネクタイで、少しぎこちなく笑っている十七歳の俺。


 あいだには、太い丸文字で、こう書いてある。


 『推しの成長記録 二年四組 堀田誠カフェ 文化祭当日、開店』


 ポスターの総監修は、もちろん桜庭だ。写真の提供は、公式ショップ堀田家の店長。つまり菜々だ。俺の過去と現在が、家族とファンの共同作業で、全校に公開されている。


「……成長記録って何だ。俺は朝顔か?」


 思わず声に出すと、後ろから「あ」と声がした。


 振り向くと、知らない一年生の女子が三人、こっちを見て固まっていた。


「ほ、本物……」


「ポスターの、右のほう……」


「左のほうの、大きくなったやつ……」


 俺は、自分のポスターの前で、自分の現物として観察されていた。


 ポケットのスマホが震える。菜々からだった。


『ポスター、反響どう? 在庫、追加しようか?』


 在庫って、写真のか。それとも、俺のか?


 ◇


 その週、俺の毎日は、頼みごとでできていた。


 月曜の昼休み。廊下で、一年生の女子に呼び止められる。


「あの、文化祭のファンサセット、予約できますか! 指さし、三回ぶん!」


「まだ開店してないし、予約制でもない」


「じゃあ、当日いちばんに並びます!」


 一年生は、手帳の十一月十四日の欄に『指さし×3』と書きこんでから帰っていった。


 俺の指さしが、他人の手帳に予定として載っている。歯医者の予約と同じ欄に。


 火曜の朝。三年生の男子が、受験の参考書を抱えて、教室の前で待っていた。


「堀田くん。予備の消しゴムを、お守りに一個だけ譲ってもらえないか。いつも予備を持ってる堀田くんの消しゴムなら、本番でも消し間違えない気がするんだ」


 消しゴムは、消し間違えないための道具じゃない。消すための道具だ。


 でも、目があまりにも真剣なので、水色のケースごと一個渡す。三年生は、それを両手で受け取って、深々と頭を下げた。


 俺の予備が、ついに受験に出陣した。


 ◇


 困ったことに、頼みごとには、もう一種類あった。


 期待だ。


 同じ火曜の二時間目。数学の小テストが配られた瞬間、俺は筆箱の中身に気づいた。


 消しゴムが、ない。


 予備は、けさ受験に出陣した。本体は、たぶん家の机の上で寝ている。筆箱の中では、シャーペンが一本、心細そうに転がっているだけだ。


「……ごめん。消しゴム、貸してくれないか」


 隣の席の女子に、小声で頼む。


 その子は、自分の消しゴムを差し出しながら、信じられないものを見る目で俺を見た。


「あの『予備の先輩』が……消しゴム、借りてる……」


 借りる。普通に借りる。高校二年生なので。あと、同じクラスなのに、なんで一年生の呼び方なんだ?


 なのに、その子はちょっとがっかりした顔をしている。ポスターの右のほうの俺は、たぶん、消しゴムを忘れないのだ。


 斜め前の席で、桜庭の手が、筆箱のふたを開けかけて、止まった。


 ふたは、そのまま静かに閉じられた。


 写真部が「堀田誠ブロマイド」を売っていると聞いたのは、その日の放課後だった。一枚五十円。売れ行きは、好調らしい。


 五十円の俺は、きっと消しゴムを忘れないし、小テストで青ざめたりもしない。


 本物のほうだけが、ちょっとずつ置いていかれている。


「お前さ、最近ずっと笑い方が営業だぞ。コンビニの新人みたいな顔してる」


 帰り道、大貫が、自転車を押しながらぼそりと言った。


 ひどい言われようだ。でも、たぶん当たっている。今日だけで、知らない誰かに何回「ありがとう」と言ったか、もう数えられない。


「疲れたら、言えよ」


 大貫はそれだけ言って、坊主頭をかいた。


 ◇


 その騒ぎを、いちばん必死に止めようとしていたのは、桜庭だった。


 水曜の昼休み。今日のうちわの文字は『肉眼禁止』。


「推しを肉眼で見るのは禁止! 観測は、この日食グラスで!」


 廊下の真ん中で、桜庭が段ボール箱を抱えて叫んでいる。中には、厚紙の日食グラスがぎっしり詰まっていた。


「どこで手に入れたんだ、それ」


「通販。五十個」


 推し活の資金が、日食グラスに消えている。


「推しの半径三メートルは、大気圏なの! 入ると燃え尽きちゃうから、外側から見て!」


 日食グラスを渡された一年生たちは、真っ黒なグラスをかけたまま、素直に三メートル下がる。そして、そのまま俺のまわりをゆっくり回りはじめた。なんで回る?


 ところが、日食グラスを配れば配るほど、人は増えていった。


 通りかかった生徒が「何の儀式?」と足を止める。足を止めた生徒にも、日食グラスが配られる。グラスをかけた生徒は、なぜか全員、俺のほうを見上げる。


 気づけば廊下は、真っ黒な眼鏡の観測隊でいっぱいだった。推しを守るはずの日食グラスで、推しが天体ショーになっている。


 その大気圏を、小森がまっすぐ突っ切ってきた。両手で、小さな紙箱を抱えている。


「小森さん、日食グラスを――」


「リアコに、日食グラスはいりません!」


 小森は、桜庭の前で一度だけ足を止め、きっぱりと言った。


「恋は、肉眼でするんです! 目が焼けても、焼きつけるんです!」


 紙箱が、俺の手にどんと乗せられる。


 開けると、消しゴムの形をしたクッキーが一枚入っていた。白いアイシングで、ていねいに『予備』と書いてある。


「先輩が消しゴムを借りたって、一年のグループで回ってきたので! 食べられる予備です。消せないけど、元気は出ます!」


 俺の消しゴム事情が、一年生のあいだで速報されている。誰だ、流したのは。


 桜庭のうちわが、小さく揺れた。


 よく見ると、うちわの内側で、桜庭自身も日食グラスをかけていた。うちわと日食グラスの二重防御だ。そこまでして、肉眼で見ないのか?


 ◇


 放課後。準備の手を止めて、俺は桜庭の机のほうを見た。


 桜庭は、残った日食グラスを箱に戻しながら、スマホを机に伏せようとしていた。


 その画面が、ぱっと光った。


 ――LUMINA公式 重大発表のお知らせ


 見るつもりはなかった。でも、伏せる前の一瞬で、通知の文字が目に入ってしまった。


 ルミナ。聞いたことのない名前だ。


 桜庭は、画面を見て、ほんの一秒だけ動きを止めた。


 それから、通知を開かずに、スマホを裏返した。


「桜庭?」


「……なんでもない」


 うちわの向こうの声は、少しだけかすれていた。


「ねえ、堀田。推しがね、みんなの空になっちゃった」


 桜庭は、日食グラスを一枚ずつ重ねながら言った。


「空って、誰のものでもないでしょ。みんなが見上げられて、みんなが自分の空だって思える。それって、すごくいいことなのに」


 重ねる手が、途中で止まった。


「私が布教しすぎたせいで、推しが、遠くなっちゃった」


 何か言おうとして、言葉が見つからなかった。遠くなんかない、と言えば嘘になる。ポスターの右のほうの俺は、俺から見ても、ちょっと遠い。


 ◇


 推しの前でなければ、私はうちわを持たない。


 だから生徒会室には、手ぶらで入った。


「日食グラス、回収してきたの。生徒会の備品にしてもらえない?」


 会長は、書類に判を押す手を止めて、箱と私の顔を順番に見た。


「承ります。……本題は、別にありますね」


 会長の観測、こわい。


 私は、箱を机に置いて言った。


「文化祭が終わったら、推し活を卒業する」


 会長のペンが、止まった。


「推しは、もう私が推さなくても、みんなに見つけてもらえる。だから、あしたから準備には行かない。少しずつ、離れる練習をするの。いきなりいなくなるのって、けっこう効くから」


 それは、私がいちばんよく知っている。


 ポケットのスマホが、まだ少し重い。重大発表のお知らせは、開いていない。重大発表は、いつだって、誰かがいなくなる知らせだったから。


「だから、お願い。堀田には言わないで」


 会長は、長いあいだ黙っていた。それから、『語録』と書かれたノートを、静かに閉じた。


「言いません。生徒会長は、約束を守ります」


「ありがと」


「ただし、一つだけ訂正します」


 会長は、壁の行事予定表を指さした。


「生徒会の規定では、全クラスの片づけの完了報告がそろうまでが、文化祭です。遠足と同じです。例年、どこかのクラスが一週間遅れます」


「……つまり?」


「今年の文化祭が終わるのは、十一月二十日、金曜日の放課後です。それまでは、桜庭さんは、まだ推し活中です」


 十一月十四日のつもりだった。六日も延びた。


 なんで延ばすの、と聞こうとして、やめた。判子を持つ会長の手が、少しだけ震えていたから。


 生徒会室を出ると、廊下の掲示板に、あのポスターが貼ってあった。


 右のほうの堀田が、少しぎこちなく笑っている。


 閉店まで、あと十六日。


 それまでは、ちゃんと推す。遠くからでも、最後の一日まで、全力で。

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