第13話 買い出しという名のデート
「本日の献立です!」
土曜の朝十時、商店街の入口。小森は、俺の顔を見るなり、一枚の紙を差し出してきた。
買い出しのリスト、のはずだった。
――前菜 紙コップ百個
――主菜 水色のペンキ二缶
――副菜 画用紙と、マスキングテープ
――デザート 先輩
「最後のは買えない」
「売り物じゃないのは知ってます! だから、今日は時間をかけてじっくり煮込むんです!」
何を煮込むつもりだ。俺か?
小森は料理部のエプロンこそ着ていないが、気合いだけは三ツ星の厨房みたいだった。リストを持つ手に力が入りすぎて、紙のはしがくしゃくしゃになっている。
商店街を歩きだして、最初の角を曲がったときだった。
電柱の陰に、人影が二つある。
一人は、つばの広い帽子にマスク、大きなサングラス。手にはうちわ。文字は『通りすがり』。
もう一人は、野球帽を目深にかぶった坊主頭。どう見ても大貫だ。帽子以外、何も変装していない。
……隠れる気、あるのか?
そもそも、うちわは尾行に向いていない。目立つし、文字まで書いてある。自分から「通りすがり」と名乗る通りすがりは、たぶんこの世にいない。
俺は、少しだけ考えた。
気づかないふりをして歩きつづけることもできる。でも、電柱から電柱へ、うちわを抱えて移動する姿は、どう見ても大変そうだった。荷物は多いし、手は足りないし。
だったら、呼んでしまえばいい。
「そこの、通りすがりの人」
電柱の陰が、びくりと揺れた。
「荷物が多くなりそうなんだ。持つの、手伝ってくれないか?」
「た、ただの通りすがりのファンです!」
うちわの向こうから、上ずった声が返ってくる。
「推しとリアコの接近を、遠くから見守ってるだけの……ええと、潮の満ち引き係です!」
「潮の満ち引き係って何だ」
「推しとリアコが近づくと、地球の海が動いちゃうから、それを観測する係!」
地球規模の仕事らしい。
「……で、大貫は?」
「俺は、引っぱられてきただけだ」
大貫は帽子のつばを持ち上げ、心底めんどくさそうに言う。
「朝七時に電話が来た。『尾行に一人じゃ心細い』って」
尾行に心細さを持ちこむな。
「あ、桜庭先輩!」
小森が、ぱっと顔を輝かせる。逃げも隠れもしない、正面からの笑顔。
「ちょうどよかったです! 正々堂々、勝負しましょう!」
「しょ、勝負……?」
「荷物持ち対決です!」
こうして、買い出しは四人になった。
◇
ホームセンターのペンキ売り場で、最初の衝突が起きた。
「看板の色は、オレンジがいいと思います!」
小森が、明るいオレンジの缶を掲げる。
「食欲が出る色なので! カフェにぴったりです!」
理屈は通っている。料理部らしい、まっとうな意見だ。
ところが、桜庭のうちわが、ぴたりと止まった。
「……オレンジは」
声が、少しだけ小さくなる。
「オレンジは、ちょっと。……水色がいい。推しのメンカラだから」
言い方は、いつもの推し活の声だ。でも、その前の一瞬の間が、妙に耳に残る。
オレンジに、何かあるのか?
聞こうとしたときには、桜庭はもう水色の缶を二つ、カートに入れていた。小森も「メンカラなら仕方ないですね!」と、意外とあっさり引き下がった。
二つ目の衝突は、レジを出たところで起きた。
紙コップ百個、ペンキ二缶、画用紙の束。袋は全部で三つ。
「重いものは、私が持ちます!」
小森が、ペンキの袋をつかむ。
「重いものは、愛の重さです! 好きな人の荷物は、筋トレだと思えば軽いんです!」
「推しに重いものを持たせるのは、解釈違い!」
反対側から、桜庭も同じ袋をつかむ。
「推しの手は、指さしとファンサのためにあるの! ペンキのためじゃない!」
ペンキの袋が、二人のあいだでぴんと張る。完全に綱引きだ。引っぱり合っている中身は、俺の看板の色だ。
俺はポケットから、折りたたんだエコバッグを二つ取り出した。
「予備がある」
二人の動きが、同時に止まった。
ペンキを一缶ずつ、二つのエコバッグに分ける。紙コップは小森へ、画用紙は桜庭へ、残りは俺。三人で、ちょうど同じくらいの重さになる。
「……なんで、エコバッグを二つも持ってるんですか」
「予備だから」
「なんで予備の予備まで持ってるんですか!」
「それも、予備だから」
小森は、なぜか悔しそうに笑った。
桜庭は、うちわの陰で、小さく「尊い……」とつぶやいている。
俺の荷物は、なぜか大貫が持っている。
「お前、それ俺の分だぞ」
「知ってる。暇だった」
◇
商店街の真ん中の自販機の前で、四人で一休みした。
小森はオレンジジュース、桜庭はサイダー、俺はお茶。大貫は、迷わず炭酸の強いやつを選んだ。
「そういや、うちの姉ちゃんさ」
大貫が、缶を開けながら、なんの前置きもなく言った。
「三月に、推しのグループから一人卒業して。一週間、ラーメンしか食えなかった」
「ラーメンは食えたのか」
「ラーメンだけはな。泣きながら、毎晩すすってた」
大貫は笑ったが、目は少しだけ真面目だった。
「推しが急にいなくなるのって、けっこう効くらしいぞ。姉ちゃんなんか、いまだにその話になると黙る」
隣で、ぷしゅ、と音がした。
桜庭が、サイダーの缶を開けかけたまま、止まっていた。炭酸の抜ける小さな音だけが、しばらく続いた。
「……桜庭?」
「あ、ううん。炭酸、強かっただけ」
うちわの向こうの声は、すぐにいつもの調子に戻った。
俺は、それ以上は聞かなかった。三月に卒業した、前の推し。帰り道に一度だけ聞いた話が、頭の片隅で小さく光って、また消えた。
◇
商店街の出口に着くころには、空がオレンジ色になっていた。
小森が、荷物を抱えたまま、くるりと振り向いた。
「先輩、今日はありがとうございました。すごく楽しかったです」
「ああ。こっちこそ、助かった」
「それから」
小森は、俺ではなく、桜庭のほうを見た。
「桜庭先輩。私、本気ですから」
桜庭のうちわが、ぴくりと揺れる。
「先輩が、堀田先輩を推しのままでいるなら、私は、堀田先輩の隣を取りに行きます。強火で、まっすぐに」
冗談の声じゃなかった。料理部の献立表と同じくらい、まっすぐな声だった。
桜庭は、何も言わなかった。うちわの『通りすがり』の文字だけが、夕日に照らされて揺れていた。
「じゃあ、また月曜に!」
小森は笑って、走っていった。荷物が重いはずなのに、足どりは軽かった。
残された三人のあいだに、しばらく沈黙が流れた。
「……で、俺は結局、何のために来たんだ」
大貫が、ぽつりと言った。
誰も答えなかった。
桜庭は、うちわを下ろしかけて、また上げた。
その一瞬、うちわの縁の向こうで、桜庭が商店街の奥のほうをちらりと見たのが分かった。
夕方の商店街の奥に、何があったのかは分からない。
ただ、その横顔は、通りすがりのファンの顔には、少しも見えなかった。




