↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
13/15

第13話 買い出しという名のデート

「本日の献立です!」


 土曜の朝十時、商店街の入口。小森は、俺の顔を見るなり、一枚の紙を差し出してきた。


 買い出しのリスト、のはずだった。


 ――前菜 紙コップ百個


 ――主菜 水色のペンキ二缶


 ――副菜 画用紙と、マスキングテープ


 ――デザート 先輩


「最後のは買えない」


「売り物じゃないのは知ってます! だから、今日は時間をかけてじっくり煮込むんです!」


 何を煮込むつもりだ。俺か?


 小森は料理部のエプロンこそ着ていないが、気合いだけは三ツ星の厨房みたいだった。リストを持つ手に力が入りすぎて、紙のはしがくしゃくしゃになっている。


 商店街を歩きだして、最初の角を曲がったときだった。


 電柱の陰に、人影が二つある。


 一人は、つばの広い帽子にマスク、大きなサングラス。手にはうちわ。文字は『通りすがり』。


 もう一人は、野球帽を目深にかぶった坊主頭。どう見ても大貫だ。帽子以外、何も変装していない。


 ……隠れる気、あるのか?


 そもそも、うちわは尾行に向いていない。目立つし、文字まで書いてある。自分から「通りすがり」と名乗る通りすがりは、たぶんこの世にいない。


 俺は、少しだけ考えた。


 気づかないふりをして歩きつづけることもできる。でも、電柱から電柱へ、うちわを抱えて移動する姿は、どう見ても大変そうだった。荷物は多いし、手は足りないし。


 だったら、呼んでしまえばいい。


「そこの、通りすがりの人」


 電柱の陰が、びくりと揺れた。


「荷物が多くなりそうなんだ。持つの、手伝ってくれないか?」


「た、ただの通りすがりのファンです!」


 うちわの向こうから、上ずった声が返ってくる。


「推しとリアコの接近を、遠くから見守ってるだけの……ええと、潮の満ち引き係です!」


「潮の満ち引き係って何だ」


「推しとリアコが近づくと、地球の海が動いちゃうから、それを観測する係!」


 地球規模の仕事らしい。


「……で、大貫は?」


「俺は、引っぱられてきただけだ」


 大貫は帽子のつばを持ち上げ、心底めんどくさそうに言う。


「朝七時に電話が来た。『尾行に一人じゃ心細い』って」


 尾行に心細さを持ちこむな。


「あ、桜庭先輩!」


 小森が、ぱっと顔を輝かせる。逃げも隠れもしない、正面からの笑顔。


「ちょうどよかったです! 正々堂々、勝負しましょう!」


「しょ、勝負……?」


「荷物持ち対決です!」


 こうして、買い出しは四人になった。


 ◇


 ホームセンターのペンキ売り場で、最初の衝突が起きた。


「看板の色は、オレンジがいいと思います!」


 小森が、明るいオレンジの缶を掲げる。


「食欲が出る色なので! カフェにぴったりです!」


 理屈は通っている。料理部らしい、まっとうな意見だ。


 ところが、桜庭のうちわが、ぴたりと止まった。


「……オレンジは」


 声が、少しだけ小さくなる。


「オレンジは、ちょっと。……水色がいい。推しのメンカラだから」


 言い方は、いつもの推し活の声だ。でも、その前の一瞬の間が、妙に耳に残る。


 オレンジに、何かあるのか?


 聞こうとしたときには、桜庭はもう水色の缶を二つ、カートに入れていた。小森も「メンカラなら仕方ないですね!」と、意外とあっさり引き下がった。


 二つ目の衝突は、レジを出たところで起きた。


 紙コップ百個、ペンキ二缶、画用紙の束。袋は全部で三つ。


「重いものは、私が持ちます!」


 小森が、ペンキの袋をつかむ。


「重いものは、愛の重さです! 好きな人の荷物は、筋トレだと思えば軽いんです!」


「推しに重いものを持たせるのは、解釈違い!」


 反対側から、桜庭も同じ袋をつかむ。


「推しの手は、指さしとファンサのためにあるの! ペンキのためじゃない!」


 ペンキの袋が、二人のあいだでぴんと張る。完全に綱引きだ。引っぱり合っている中身は、俺の看板の色だ。


 俺はポケットから、折りたたんだエコバッグを二つ取り出した。


「予備がある」


 二人の動きが、同時に止まった。


 ペンキを一缶ずつ、二つのエコバッグに分ける。紙コップは小森へ、画用紙は桜庭へ、残りは俺。三人で、ちょうど同じくらいの重さになる。


「……なんで、エコバッグを二つも持ってるんですか」


「予備だから」


「なんで予備の予備まで持ってるんですか!」


「それも、予備だから」


 小森は、なぜか悔しそうに笑った。


 桜庭は、うちわの陰で、小さく「尊い……」とつぶやいている。


 俺の荷物は、なぜか大貫が持っている。


「お前、それ俺の分だぞ」


「知ってる。暇だった」


 ◇


 商店街の真ん中の自販機の前で、四人で一休みした。


 小森はオレンジジュース、桜庭はサイダー、俺はお茶。大貫は、迷わず炭酸の強いやつを選んだ。


「そういや、うちの姉ちゃんさ」


 大貫が、缶を開けながら、なんの前置きもなく言った。


「三月に、推しのグループから一人卒業して。一週間、ラーメンしか食えなかった」


「ラーメンは食えたのか」


「ラーメンだけはな。泣きながら、毎晩すすってた」


 大貫は笑ったが、目は少しだけ真面目だった。


「推しが急にいなくなるのって、けっこう効くらしいぞ。姉ちゃんなんか、いまだにその話になると黙る」


 隣で、ぷしゅ、と音がした。


 桜庭が、サイダーの缶を開けかけたまま、止まっていた。炭酸の抜ける小さな音だけが、しばらく続いた。


「……桜庭?」


「あ、ううん。炭酸、強かっただけ」


 うちわの向こうの声は、すぐにいつもの調子に戻った。


 俺は、それ以上は聞かなかった。三月に卒業した、前の推し。帰り道に一度だけ聞いた話が、頭の片隅で小さく光って、また消えた。


 ◇


 商店街の出口に着くころには、空がオレンジ色になっていた。


 小森が、荷物を抱えたまま、くるりと振り向いた。


「先輩、今日はありがとうございました。すごく楽しかったです」


「ああ。こっちこそ、助かった」


「それから」


 小森は、俺ではなく、桜庭のほうを見た。


「桜庭先輩。私、本気ですから」


 桜庭のうちわが、ぴくりと揺れる。


「先輩が、堀田先輩を推しのままでいるなら、私は、堀田先輩の隣を取りに行きます。強火で、まっすぐに」


 冗談の声じゃなかった。料理部の献立表と同じくらい、まっすぐな声だった。


 桜庭は、何も言わなかった。うちわの『通りすがり』の文字だけが、夕日に照らされて揺れていた。


「じゃあ、また月曜に!」


 小森は笑って、走っていった。荷物が重いはずなのに、足どりは軽かった。


 残された三人のあいだに、しばらく沈黙が流れた。


「……で、俺は結局、何のために来たんだ」


 大貫が、ぽつりと言った。


 誰も答えなかった。


 桜庭は、うちわを下ろしかけて、また上げた。


 その一瞬、うちわの縁の向こうで、桜庭が商店街の奥のほうをちらりと見たのが分かった。


 夕方の商店街の奥に、何があったのかは分からない。


 ただ、その横顔は、通りすがりのファンの顔には、少しも見えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。