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第12話 推しの衣装は誰が決める

 被服室に入った瞬間、俺はメジャーを持った二人の女子に包囲された。


「肩幅、四十三」


「腕、五十八」


「首まわり、三十七」


 衣装係の二人が、手早く俺を測っては、手元の紙と見比べていく。手芸部の二人で、文化祭の衣装を毎年まかされているらしい。


「……すごい。総監修の指示書、ぜんぶ一センチ以内で合ってる」


 合ってるのか? ますます怖い。


 その総監修は、被服室のいちばん奥の机にいた。


 ただし、俺に背中を向けて。


 今日のうちわの文字は『試着は心の目で』。うちわを机に立てかけたまま、右手にスマホを掲げ、画面をじっと見つめている。


「……桜庭。なんで背中向けてるんだ」


「画面越しなら、太陽も直視できるの。日食グラスと同じ原理」


 スマホのインカメラに、俺が小さく映っていた。背中で指示を出す総監修。前代未聞だ。


 ところが衣装係の二人は、そんな総監修にもう慣れているらしく、スマホの画面に向かって「ネクタイ、どうします?」と普通に相談していた。適応が早すぎる。


「俺は日食じゃない」


「推しは、肉眼で見ちゃいけないの。目が焼けるから」


 背中から、真顔の声で返ってくる。真顔かどうかは見えないけど、声が真顔だ。


 ◇


 衣装合わせは、最初から暴走した。


 一着目は、王子様風。金の肩章に、赤いマント。衣装係の二人が「去年の演劇部の残りです」と言いながら、俺の肩にマントをかける。


 鏡の中に、ものすごく居心地の悪そうな王子が立っていた。


「却下」


 スマホの画面を見たまま、桜庭が言った。


「推しは、王子じゃないの。王子は、お城に住んでるから遠い。推しは、隣の席にいるから尊いの」


 衣装係がうなずき、マントを外す。


 二着目は、執事。黒い燕尾服に、白い手袋。


「却下」


「早いな」


「推しに、人に仕える服を着せるなんて……宇宙の上下が逆さまになる」


 そんなに壮大な理由で却下されるのか、燕尾服?


 三着目を取りに行った衣装係が、なぜか大きな箱をかかえて戻ってきた。


「演劇部の倉庫に、こんなのもありました」


 出てきたのは、銀色の宇宙服だった。


 ヘルメットまでついている。


 スマホの画面の向こうで、桜庭が息をのむ音がした。


「……ちょっと、いい」


「いいのかよ」


「推しが、本当に宇宙に行ける……」


 うっとりした声だった。宇宙服を着た俺を、宇宙に送りだすところまで想像しているらしい。


 ところが、ヘルメットをかぶせたところで、桜庭はきっぱり言った。


「……でも、却下。顔が見えないから、だめ」


 顔が見えないから、だめ。


 俺は、ヘルメットの中で思わず黙りこんだ。


 どの口が言うんだ。いや、どのうちわが言うんだ?


 机の上には、桜庭の顔を毎日隠している『試着は心の目で』が、何食わぬ顔で立てかけられていた。


 ◇


 そこへ、被服室の戸がノックされた。


「生徒会です。衣装の安全確認に参りました」


 久遠寺が、許可印とノートを手に入ってくる。


 ヘルメットを外した俺には目もくれず、まっすぐ桜庭の背中のほうへ歩いていった。


「本日の総監修の判断は、王子・却下、執事・却下、宇宙服・保留ののち却下。いずれも理由が明快です。許可します」


 ぽん、と書類に印が押される。


 その横で、久遠寺の手が、ノートにさらさらと何かを書きこんでいた。


「……いま、何書いた?」


「『推しは、隣の席にいるから尊い』。本日の語録です」


「メモしないで!」


 桜庭が、スマホを持ったまま叫んだ。


 生徒会長の手は、止まらなかった。


 ◇


「じゃあ、総監修。最終的に、何を着せるんだ」


 俺が聞くと、桜庭はようやくスマホを下ろし、鞄から一冊のノートを取り出した。


 表紙には、ピンクの丸文字で『観測記録』とある。


「根拠は、ここにあるの」


 桜庭は、背中を向けたまま、ページを一枚めくった。


「六月二十日。堀田、白いシャツの日は、いつもより姿勢がいい」


 え。


「七月八日。水色の傘をさしてた日は、なんだか機嫌がいい。たぶん本人は気づいてない」


 え、え。


「だから、白いシャツに、水色のネクタイ。それが、推しがいちばん推しらしく見える組み合わせ」


 衣装係の二人が「なるほど」と手をたたき、さっそく白いシャツと水色の布を取りに走っていった。


 俺は、桜庭の背中の後ろから、そっとノートをのぞきこんだ。


 びっしりだった。


 日付と、天気と、俺のこと。


 ――七月三日、くもり。傘立ての傘を直す。直したあと、ちょっとだけ得意そう。


 ――九月十二日、晴れ。くしゃみ二回。予備のティッシュを、自分が使う前に隣の人に渡す。


 ――十月一日、雨。購買のパン、今日は二番目に好きなやつ。


 二番目に好きなやつまでバレている。


 ページの端には、ところどころ、小さな太陽の落書きがあった。


 誰にも見られていないと思っていた時間の、ほとんど全部が、このノートの中にあった。傘のことも、くしゃみのことも、パンのことも。自分でも忘れていたような毎日が、日付と天気つきで、ていねいに残されている。


「……俺のこと、こんなに見てたのか」


 思わず、声に出ていた。


 桜庭の肩が、びくりと跳ねる。


「……引いた?」


 背中のまま、小さな声で聞いてきた。


「怖い、とか、思った?」


 俺は、もう一度ページを見た。


 丸文字は、ところどころで一度書いて消して、また書き直してある。俺が傘を直した日のことを、どう書けばいいか、何度も迷ったみたいに。


「怖くはない」


 正直に言った。


「字、かわいいなって思った」


 次の瞬間、桜庭はノートをばたんと閉じ、それを顔の前に掲げた。


 うちわより、ノートのほうが面積が広い。顔どころか、頭のてっぺんまで完全に隠れている。


「――ただいま」


 いつのまにか隣にいた久遠寺が、静かに言った。


「推しが、ファンの観測記録を、肯定しました。本校の記録上、前例がありません」


「記録するな」


 俺と桜庭の声が、ぴったりそろった。


 ◇


 白いシャツに、水色のネクタイ。


 鏡に映った自分は、思ったより悪くなかった。少なくとも、王子よりはずっと俺らしい。


 桜庭はスマホの画面越しに、長いこと、何も言わずに見ていた。


「……完璧」


 ぽつりと、それだけ言った。


「推しが、ちゃんと推しの服を着てる……。王子でも執事でも宇宙飛行士でもなくて、堀田の服を」


 いつもの天文学が、どこにも出てこない。それがかえって、ものすごく本気に聞こえた。


 その声が、少し震えていた理由を考える前に、被服室の戸が勢いよく開いた。


「先輩! 見つけました!」


 小森だった。料理部のエプロンを着たまま、息を切らしている。


「文化祭の買い出し係、私になりました! 土曜日、先輩も一緒に来てください!」


 小森は、白シャツの俺を見て、目をまん丸にした。


「……かっこいい。強火で焼きたい」


「焼くな」


「デート……じゃなくて、買い出しです! 十時に、商店街の入口で!」


 どさり、と後ろで音がした。


 振り向くと、桜庭の手から、『観測記録』のノートが床に落ちていた。

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