第11話 出し物は本人の許可なく決まる
「公式グッズの出番ですね」
日曜の夜。夕食のカレーを前に、俺が文化祭の話をした瞬間、妹の菜々の目が光った。
「アクスタ、缶バッジ、クリアファイル。それから、お兄ちゃんの寝顔」
「最後のは何だ」
「限定品です。在庫は、毎晩補充されます」
補充するな、寝るたびに在庫を増やすな。
菜々はスプーンを置くと、スマホの電卓を叩きはじめた。
「原価はコピー代だけ。お兄ちゃんのクラスが三十五人、うちわ隊が六人、生徒会長さんが一人、料理部の小森さんが一人。小森さんはたぶん全種類買うから……」
「客の名前で計算を始めるな」
「売上の予測は、商売の基本です」
中学三年生の口から、ためらいなく「売上」という単語が出てくる。うちの妹の将来が心配だ。いや、むしろ安泰かもしれない。
「ポスターに使う写真なら、七五三のがあるわよ」
「母さんまで」
母は、なぜか少しうれしそうに、押し入れのアルバムを取りに立ち上がっていた。
「ほら、これ。あんた、この頃は自分からピースしてたのにねえ」
開かれたページの五歳の俺は、千歳飴を片手に、満面の笑みでピースをしている。
等身大パネルの、記憶にないピース。出どころは、まさかの本人の過去だった。
父は単身赴任中で、この場にいない。いたら、たぶん三人目の運営になっていたと思う。
家族が全員、運営側だ。俺の味方は、カレーの横の福神漬けくらいしか残っていない。
◇
月曜の朝。桜庭のあいさつは、いつもより小さかった。
「……おはよ。今日も、堀田で光合成……」
語尾が、くもりの日の光みたいに弱い。
金曜の誕生会のあと、桜庭がこぼした一言を、俺は聞いている。
――推しが、遠くなる。
今日のうちわの文字は『総監修』。クラスの女子が週末のうちに作って、勝手に渡したらしい。まだ引き受けてもいないのに、肩書きだけが先に完成している。
「推しを商品化するなんて……」
桜庭は、うちわの陰でうめいた。
「解釈が、一致しすぎて怖い」
一致するのか、そこは反対するところじゃないのか?
「ポスターも、メニューも、全部が供給なの。供給が多すぎると、人は溺れるの。海で」
「海で溺れるな。ここは教室だ」
◇
ホームルームは、そのまま企画会議になった。
司会は、うちわ隊の副隊長。黒板の前でチョークを構え、やけに手慣れた声で言う。
「では、堀田誠カフェのメニュー案をどうぞ」
「ファンサセット! 紅茶を頼むと、堀田が指さしてくれるやつ!」
「予備のおしぼりサービス! 堀田が『予備だから』って言いながら渡すの!」
「推しの手書き注文票! 堀田の字で『承りました』って書いてあるの!」
黒板が、あっという間に俺で埋まっていく。
俺は手を挙げた。
「本人として、異議が――」
ぱちぱちぱち、と「ファンサセット」に大きな拍手が起きて、俺の声はその中に溶けて消えた。
もう一度、手を挙げる。
「せめて、指さしは一日十回までに――」
黒板係が「十回」と書きかけ、少し考えてから、黒板消しで消した。
「無制限で」
俺の上限が、物理的に消された。
最後の望みをかけて、窓際の江口先生を見る。
「先生。これ、人として、どうなんですか」
江口先生は窓の外を見たまま、遠い目で言った。
「堀田。文化祭はね、誰かが看板にならないと始まらないのよ」
「はあ」
「先生は二十年前、看板の後ろで、一日じゅう紙吹雪を切ってた。……看板は、うらやましかったな」
意味はわからない。わからないが、助けてくれないことだけは、とてもよくわかった。
「最後に、総監修を決めます」
副隊長がそう言うと、クラスの視線が、いっせいに一点に集まった。
桜庭だ。
『総監修』のうちわを握ったまま、桜庭は固まっている。
推しを、いちばんよく見せる係。それは、推しがいちばん遠くへ行くのを、自分の手で手伝う係でもある。
うちわの向こうで、桜庭が何を考えているのか、なんとなくわかった。
「……私は、その、裏方で」
「総監修は、桜庭がいい」
気づいたら、俺が言っていた。
「俺のことを一番知ってるのは、桜庭だから。……知りすぎてるくらいだけど」
教室が一瞬だけ静かになって、それから、なぜか拍手が起きた。今日いちばん大きな拍手だった。俺の異議のときには、一回も起きなかったのに。
うちわの柄が、きしりと鳴る。
長い沈黙のあと、桜庭が、うちわ越しにこちらを向いた。
「……引き受ける」
「おう」
「推しを、宇宙でいちばん見やすい場所に置く。それが、総監修の仕事だから」
宇宙でいちばん見やすい場所って、どこなんだ。プラネタリウムか?
ところが、引き受けたとたん、桜庭の声の速さが変わった。
「推しの席は、真ん中じゃなくて窓際。午後の光が横から当たるから、輪郭がいちばんきれいに見えるの。客席は少し低くして、ちょっとだけ見上げる角度にする。見上げると、人は自然に、相手のいいところを探しはじめるから」
副隊長のチョークが、必死に追いかける。
「入口から推しまでの道は、まっすぐにしない。一回だけ曲がる。曲がった先で推しが見えたほうが、出会った感じがするでしょ。それから、メニューの紙は水色。推しのメンカラだから」
クラスの全員が、ぽかんとして聞いていた。もちろん、俺も含めて。
これは、もう推し活じゃなくて、設計だ。俺という天体を、いちばんきれいに見せるための星図だ。
黒板の端から端まで、桜庭の言葉でびっしり埋まったところで、副隊長がそっとチョークを置いた。
「……総監修、やばい」
誰かがつぶやいて、教室じゅうがうなずいた。
その声で、桜庭がはっと我に返った。
黒板を見て、俺を見て、最後に手元のうちわを見る。
「……い、いまの、全部、推しの前で言った?」
「全部、聞いてた」
「記憶から消して」
「無理だろ。黒板に全部残ってるぞ?」
桜庭は、うちわを顔の前で二重にした。一枚では足りなかったらしい。『総監修』の裏に、いつもの予備のうちわが重なっている。
うちわの向こうの声は、さっきより、ずっと明るかった。
それだけで、黒板が俺で埋まったことくらい、まあいいかと思えた。
◇
放課後、廊下で江口先生に呼び止められた。
「堀田。明日の放課後、被服室ね。衣装合わせ」
「衣装?」
「総監修からの指示書、もう届いてるわよ」
渡された紙には、ピンクの丸文字で、俺の寸法がびっしりと書きこまれていた。
肩幅。腕の長さ。首まわり。どれも、測られた覚えは一度もない。
……なんで分かるんだ?
帰り道の途中で、やっと思い当たった。
等身大パネルだ。
俺の席に座っていた、あの段ボールの俺。あれを作った時点で、桜庭は、俺の寸法を俺より正確に知っていたことになる。
怖い、と思うより先に、ちょっと笑ってしまった。
だいたい合ってそうなのが、なんだか悔しかった。




