第十話「息子と二人、ファミレスで」
颯太が「飯食いに行かね?」と言ったのは、土曜の夜だった。
誠は一瞬、聞き間違えたかと思った。
颯太が誠を食事に誘うのは、小学生の頃に「ラーメン食べたい」と言って以来、ほとんど記憶にない。
中学に入ってからは家族で出かけること自体が減り、高校に入ってからはほぼなくなっていた。
受験生になった今年は、外食は「一人でコンビニ弁当」か「家族全員で近所のファミレス」のどちらかで、父親と二人で出かけるという選択肢は存在しないも同然だった。
「……俺と、二人で?」と誠は聞いた。
「うん、まあ。お母さんと莉子は女子会だって言ってたし」
「そうか」
颯太の言い方は「お前と行きたい」ではなく「他に選択肢がなかった」に近かったが、誠はそこを指摘しなかった。
指摘する技術がなかったのではなく、指摘しなくていいと思ったからだ。
近所のファミレスに入り、二人で向かい合って座った。
颯太はメニューを開いて「ハンバーグにしようかな」と言い、誠は「俺もそれにしよう」と言った。
「……パパって、いつも俺と同じもの頼まない?」
「そうかな」
「毎回そうじゃん。なんで」
「……なんとなく」
颯太は「なんとなくって何」と言い、それ以上は聞かなかった。
ドリンクバーのコーヒーを取りに行って、二人で向かい合って座り直した。
颯太がストローでアイスコーヒーをかき混ぜながら、窓の外を見ていた。
誠も特に何も言わなかった。
沈黙が流れたが、居心地の悪い沈黙ではなかった。
少なくとも誠にはそう感じられた。
颯太の方はどうかわからなかったが、颯太も特に何か話そうとはしていなかった。
料理が来て、二人でしばらく食べた。
颯太が「……ちょっと聞いていい?」と言ったのは、ハンバーグを半分食べたあたりだった。
「うん」
「友達のこと、なんだけど」
「うん」
「……同じクラスのやつで、なんか、最近ちょっとグループが変わってきた感じがあって」
「そうか」
「なんか、前は仲良かったのに、急に違うグループで固まるようになって、俺に話しかけてこなくなったっていうか」
「そうかあ」
颯太が少し間を置いた。
ストローをもう一度かき混ぜた。
「……別に、嫌われたとかじゃないと思うんだけど。なんか、自然にそうなっちゃった感じがして」
「うん」
「それが、なんか、モヤモヤするっていうか。受験勉強しながら気になっちゃって、集中できないときがあって」
「そうかあ」
「……なんか、距離置かれてるのか、こっちが置いてるのか、もうわかんなくて」
「うん」
誠は聞きながら、何か気の利いたことを言えないか考えていた。
でも何も出てこなかった。
「そうかあ」と「うん」以外の言葉が、なぜかうまく浮かんでこなかった。
的外れなことを言って颯太を傷つけてもいけない、と思うと余計に何も言えなくなった。
だから聞き続けた。
颯太の話は、十分くらい続いた。
同じクラスの友達の話、グループのこと、受験のストレスで人間関係も敏感になっている話、自分でも大げさかもしれないと思っている話。
誠は「そうかあ」「うん」「そっか」「それはモヤモヤするね」の四種類を組み合わせながら、ひたすら聞いた。
話が一段落したところで、颯太がコーヒーを一口飲んだ。
「……なんか、パパに話すと楽になるな」
誠は「え?」と聞き返しそうになった。
正確には「え?」と言いかけて、一瞬止まり、その隙に颯太が次の話をしてしまったので、聞き返しそびれた。
「まあ、どうせ受験終わったら向こうも俺も気にしなくなるし、今だけのことかなとは思うんだけど」
「うん、そうかもしれないね」
「うん」
しばらくまた沈黙があった。
今度は少し前と質が違う沈黙だった。
何かが整理されたあとの沈黙だった。
颯太がハンバーグの残りを食べ始めた。
誠も自分のハンバーグを食べた。
ハンバーグが冷めかけていたが、誠には気にならなかった。
「……パパって、友達少なそうだよね」と颯太が急に言った。
「……そうかな」
「なんか、話聞くのは上手そうなのに、自分から話しかけるのは苦手そう」
「まあ、そうかもしれない」
「似てるかも」と颯太は言い、すぐに「いや、パパほどじゃないけど」と訂正した。
訂正した意味が誠にはよくわからなかったが、颯太なりの比較だと思って「そうか」と言った。
デザートのメニューを見ながら、颯太が「……ありがとう、参考になった」と言った。
誠は少し止まった。
参考になった。
誠には、何か意見を言った記憶がなかった。
「そうかあ」と「うん」しか言っていない。
「それはモヤモヤするね」は共感の言葉であって、意見ではない。
どこにも「こうした方がいい」とか「そいつが悪い」とか「受験に集中しろ」とか、そういう類いのことを言っていない。
何が参考になったのか、誠にはさっぱりわからなかった。
「……参考に、なった?」
「うん。なんか整理できた気がする」
「俺、何も言ってないんだけど」
「言ってなかったっけ」
「言ってない。ほぼ聞いてただけだよ」
颯太はしばらく考えて「……そっか」と言った。
「でも、まあ、なんか整理できたから」と続けた。
どういう仕組みかは、誠にも颯太にも説明できなかった。
「……デザート頼む?」と誠は聞いた。
「頼む。パフェにしようかな」
「俺もそれにしよう」
颯太がまた「毎回同じもの頼むじゃん」と言い、誠は「……なんとなく」と言った。
颯太が小さく笑った。
笑い方が莉子に少し似ていた、と誠は思った。
二人とも、笑う時に少し口元だけが動く。
佳代の笑い方だ。
帰り道、二人で夜の住宅街を歩いた。
颯太はスマホを見ながら、誠は手をポケットに入れて歩いた。
今日は鍵を忘れていなかった。
確認してから出た。
「パパって、話聞くの上手いよね」と颯太が言った。
「そうかな」
「友達でも、あんなに聞いてくれるやつ、あんまいないかも」
「……颯太も聞けると思うよ」と誠は言った。
「俺が?」
「うん。なんとなく、そういう感じがする」
颯太は少し間を置いて「……なんで」と聞いた。
「なんとなく」
「なんとなくって何」と颯太は言い、それ以上は聞かなかった。
夕食の時と同じ展開だった。
二人ともそういう体質なのかもしれない、と誠は思った。
思いながら、それが少しだけ嬉しかった。
家に入ったら、佳代と莉子はまだ帰っていなかった。
颯太が「勉強してくる」と言い、自分の部屋に入った。
誠はリビングのソファに座り、テレビをつけた。
つけたが、何を見るかは決めていなかった。
画面の中でニュースキャスターが何かを話していたが、内容は頭に入ってこなかった。
颯太の「なんか、パパに話すと楽になるな」という言葉が、静かに頭の中に残っていた。
俺は何も言っていない。
聞いていただけだ。
聞いただけで楽になるなら、俺にも何かできることがあるのかもしれない。
仕事で、家で。
謝ることと、聞くこと。
二十三年間、それしかやってこなかったことに、もしかして意味があったのかもしれない。
「もしかして」の話だ。
確かめる方法はないし、確かめる必要もないかもしれない。
ただ、今夜の颯太の顔が、ファミレスに入る前よりも少し柔らかくなっていた、ということは、誠には見えていた。
それだけで、今夜の外食の意味は十分だった。




