第三十四話 微かな不安 〜回路の外側〜
チョーさんとオサムの不思議な邂逅。
小前とオサムの不可解な意思疎通。
現象の渦中にいる3人と、それを観測する15人が一堂に会した。
ひとつ目の現象はその内容の詳細がわからなくとも、事象としては想定内と言えた。
オサムの反応が抗戦的に行われていないことは明白であり、わざわざ両名ともお辞儀の挨拶を挟んでいる。
あの共振意識と言う『意識のみをシステム接続する』未知の技術を応用していると仮定すれば……チョーさんの変わり果てた姿への改造……それがオサムたちに共鳴できるようになっているとすれば……。
そう思えばひとつ目の謎は念話のようなもので通じ合っていたと考えられる。
だが、ふたつ目の現象は小前のこれまでの状態と2人の会話内容のいずれも説明のつかない不可思議な出来事であった。
小前とオサムが最後に会話していたのは、少なくともあのレゾナンス・マインドより前である。会話の余地などないはずだ。にもかかわらず現在進行形で会話が成立しているのは、小前までも念話ができるような能力を開花させたくらいしか考えられない……。
添田や柴崎、山本や藤原も朧げにこんなふうに考えていた。圓崎始めほかの者も信じがたいが、さしずめそういうことであろうと捉えていた。
全員が集合して添田が開口一番オサムにこの疑問をぶつけた。
「オサムちゃん、ひょっとしてマエコーともテレパシーみたいので会話できるの?」
ところがここで思いも寄らない返答がオサムではなく小前から突きつけられる。
「何言ってんだ、エダ?オサムがオレんとこ来て説明してたじゃん。それで今こっちにチョーさんと一緒にいたから確かめに来たんだぜ、オレ。」
小前のこのセリフに皆言葉を失った。
オサムがマエコーのところに行って説明してた?マエコーは何を言っているのだろう?彼は幻でも見たのだろうか?悪夢から解放されずに、彼はいつのまにか気でもふれてしまったのだろうか?
「なんだよ、みんな?オレなんか変なこと言ったかよ?」
「言った。」溝端が間髪入れず小前に詰め寄る。
「お前、ずっとオータに付き添われて、さっきの膨れ上がる怪物に怯えてたんだぞ。オサムがさっき目覚ましたときもオータの側から離れてねえじゃん?」
「そうだよマエコー。もしオサムちゃんが来たって言うならオータも見てたはず、だろ?」
竹田がこう尋ねると大田も申し訳なさそうに応える。
「ごめんマエコー。ミゾたちの言うとおり、オサムちゃんはチョーさんのとこにいて、その前もエンちゃんたちと一緒だった。俺はマエコーの隣にずっといて、オサムちゃんを近くでは見てない。」
「……え?そうだっけ?変だな。なあオサム。オレたちの方がおかしいのかよ?」
「別におかしくねえんじゃねえ?だってマエコーもオサムの声聞こえてたってことだろ?」
安川が、さも当然という感じで割って入る。
「クニヨシにも聞こえてたの?オサムちゃんたちの会話?」そう言って添田が驚いている。
「ああ。あんまハッキリとは分かんねえけど、チョーさんが俺たちが『ヒデブ状態』にはならねえって感じの説明してたのは俺でも分かった。」
添田にとって安川の話はかなりの衝撃のようだ。レゾナンス・マインドの影響で安川とのシンクロ率が高いと言うことなのだろうか。
「え、ひょっとしてマツノにも聞こえてたの?」
「俺は悪い、聞こえなかった。」
松野にも聞こえなかったことにはホッとしたような表情を見せたが、添田が首を捻っている。彼には最早小前のことは置き去り状態のようだ。
「まあ、よく分かんねえけど、結局タカヤマがコマエんとこ行ったってよりは、タカヤマの声が聞こえてたってことだろ?」
佐久間が助け舟を出して纏めようとしている。
「ああ、そっか。ごめん。言われてみりゃ確かに顔見て話聞いてたわけじゃなかったし……オレ耳元でオサムの説明聞こえてたから、てっきり近くで話しかけられてるって思ってた。ごめん。」
「まあまあ。別に謝んなくていいだろ?なあ?どうよ?」
佐久間が皆に呼びかける。圓崎が前に出て来て再確認する。
「オサムはチョーさんとその……念話みてえなので話してたってことでいいんだよな?」
「うん。そうだね。チョーさん直接口が聞けないらしいけど、声が頭に響いてきたんで、それで自分も頭の中で質問してたら会話が成立した感じ。」
「で、その2人の念話の声がマエコーとクニヨシには聞こえてた。」
「うん」と2人が頷く。「だけど……」小前が続ける。
「ごめん、オレはオサムの声しか聞こえてなかった。」
「クニヨシはどっちの声も聞こえてたってことだよな?」圓崎が念を押す。
「そう。」安川が誇らしげに答える。
「茶髪くんはチョーさんと念話はできんのか?」
圓崎がこの集まりの後ろで不安そうに成り行きを見守っていた米田に問いかけた。
「すみません。オレにはチョーさんの声は聞こえませんでした……」
「別に謝ることじゃねえから。さっきサクマが言ってたように。で、ようやく本題だけど、チョーさんは何つってたんだ?」
一応圓崎によって念話という現象は承認されたことになり、チョーさんの証言内容をオサムから皆に伝えるように促された。
「まずチョーさんは、昨日夕飯のときみんな眠らされたって言ってた。多分睡眠薬とかじゃないかって。」
米田は自分の記憶が途切れた時点に一致していることで、改めてオサムが念話をしていた信憑性が確保されたと思った。
「実はチョーさんは眠気に襲われたけど『ミーズ』ってとこに運ばれるまでは意識があったんだって。ミーズって何かは聞かなかったけど……。え?ああ、何か20人くらい泊まれるような部屋だって。ありがとうチョーさん。」
チョーさんは頭を下げられない代わりに、指を軽く折り曲げて『指でお辞儀』をしている。
「その後は気づいたら真っ赤な部屋に自分とマツモトさんとナカニシさんっていう人の3人が、ネズミ男に改造されてた、って言ってる。ネズミ男って妖怪かな?これも聞かなかったけ……ああ博士なんだね。博士だって。ネズミみたいに変な匂いの奴って、みんな知ってるの?」
周りに向かってオサムが尋ねるが、米田が声を上げる。
「Eクラスの博士だよ。気味が悪い奴。」
「そうなんだね。その後またすぐ眠らされて次目覚ましたときはレベル2の実験室にいたんだって。それで上野博士とネズミが一緒にいて、先にマツモトさんたち2人が命令されてレベル3に向かって、自分はさっきのミーズってとこに行ったけど、米田くんがいないから探して追いかけたって。なんか舌ペロペロすると隠れてる人とかの匂いが分かるんだって。」
「なるほど!『ヤコブソン器官』か!」
3人の大人は同時に叫ぶ。少年たちには分からない単語だった。山本が代表して説明をしてくれる。
「すまない、急に叫んで驚かせて。『ヤコブソン器官』ってのはヘビとかの爬虫類が舌をよく出してるだろ?実際あの2人……松本さんたちも舌を出してたのをみんな覚えているだろ?」
「ああアレ!」一斉に少年たちの声がこだまする。
「アレは彼らが口の中に匂いが分かる器官があって、暗闇とかでもレーダーのように獲物や敵を見つけてるんだ。」
「へ〜。それでオレたちヒトがたくさんいる場所が分かったんだ。」柴崎が感心したように呟いた。
「しかしチョーさんは爬虫類の特性まであるんですね?」
山本が改めて尋ねたことに指で頷いてみせた。
「ん……?え〜と、あとチョーさんの身体にはみんな触れないようにしてくれ、だって。なんか指動かして変な匂い出したり、靴とかもボロボロにしちゃうんだって。」
香澄が補足するように説明する。
「オゾン……を発生させているのだろう。確かに特有の匂いがしていた。『靴をボロボロ』ってのはゴムやプラスチックを一瞬で劣化させる、と言うことだろう。靴底がゴムであれば確かにそうなる。」
安川が自分の靴の裏を見せる。
「俺はさっき見て大丈夫ぽかったんだよ。オータは?」
「俺はそもそも蹴飛ばしてねえから。でも腹を素手で殴ったのも本当はマズかったってことか?」
「……。頭とか腹は大丈夫っぽい。手とか足は気をつけて欲しいって。」
大田が不安気に拳を触りながら「よかった」と溜息をついている。
「それからマツモトさんたち2人は時間が経つと分裂するって、チョーさんは博士に言われてたみたい。自分はそうなる可能性が低いから、米田くんの部屋を明日までずっと見張っとけって命令されたんだって。自分たちは超凄いスピードで手足が生え変わったりする手術をされてるんだって……凄いよね?……だからチョーさんたちは腕が千切れてもすぐ治っちゃうらしい。でもひょっとしたら大怪我した後、治らないで無限に分裂するかも……なんだって。みんなはそういう手術されてないから大丈夫ってマエコーに教えてあげてって言われたのがさっきの話なんだけど……これで大丈夫?伝わったかな?」
「なるほど。話は分かった。チョーさん、ありがとうございます!」
圓崎がお礼を言って頭を下げる。ほかの者も一斉に「ありがとうございます」と言ってお辞儀をし始めた。チョーさんはオサムたちへの念話で「役に立てて良かった」と言いつつ、みんなに『指のお辞儀』をしてみせた。後ろの方で米田もチョーさんの言葉を直接ではないが聞くことができて嬉しそうだ。
「でも、その膨れ上がった2人ってどうなるのかな……?」
オサムの独り言に誰も答えることはできなかった。重い空気が流れたが、間を置いてチョーさんは「お前が気にすることじゃない。今は自分が生き残ることだけ考えろ。」と念話で伝えた。オサムが彼の方を振り向いて「分かりました。そうします。」と言っているのだけが皆には聞こえていた。
「あ、そうだ。マエコー……」
オサムがマエコーの背中に手を回して一緒に山本の前まで連れて行く。そして彼に向けて小前は気まずそうに、
「オレ、なんかパニくっちゃって酷えこと言っちまった。すみませんでした。」
こう言って頭を深々と下げた。
山本はそんな小前の目の前に跪いて、彼を見上げるような視線の高さになり「大丈夫。仕方がないさ。もう大丈夫だから頭を上げて。」
そう言いながら優しく微笑んだ。
「まあクニヨシは分からなくもないけど、なんでマエコーだけオサムちゃんの声が聞こえるんだ?」
竹田の素朴な疑問は正直全員が不思議に思うところである。
「3人とも中身が子どもっぽいからじゃねえ?」
溝端が冗談のつもりでこう言ったのだが、みんな彼の指摘を真面目に考え始めた。溝端本人がこの雰囲気を作ってしまったことに却って戸惑っている。
さっきまで腕組みして眉を寄せていた圓崎であったが、「確かにマエコーとオサムはそうかもな……でもクニヨシは違うんじゃねえか?お前はオサムたちと違って不純だろ?」
そう安川だけ揶揄うように笑いながら言うと、「なんで俺だけ」と不服そうな安川の反応に皆も笑い出していた。ずっと斜に構えていた吉村もこのやり取りは可笑しかったのか、隣にいた佐久間と共に自然と笑っていた。
だが、ここで笑顔を見せなかった人物が2人いた。
1人は香澄である。彼は高山オサムが本当に特別な存在と考えていた。ワイヤレス・ニューロ・リンク(無線神経)──そして滝口理論の辿り着く先──恐らくこれは通過点なのだろう、そう考えていた。
そしてもう1人は添田であった。松野も聞こえていなかったと返答していたが、本当だろうか。実は自分の反応に合わせてくれただけで、4人の中で自分だけが蚊帳の外だったのでは……と1人で考えていた。彼の不安な顔を、この場にいる誰一人気づいていなかった。
「ああ、そうだ。オサムさっき夢見てたの?『待って』っていきなり叫んで起きたけど?」
香野がようやく訊きたいことが言えた、そんな顔をしている。
「ああ、看護婦さんが……ええとなんだっけな……そうだ!『囲んだ磁石が3つ弾けて4つになる』ってよく分かんない言葉だけ残してどこかに行こうとしてたんだよね。看護婦さんって、ほら、あの看護婦さん。Fクラスの医務室にいた人。そう言えば最初に見たっきり全然見てないな、あの人……」
昭和の時代では『看護婦』という表現が至って普通であった。女性は『看護婦』、男性は『看護士』と区別されていたが2002年に法律の改正があり現在の『看護師』という表現に、性別を問わず統一されたものである。つまりここでオサムが言っているのは『女性の看護師』のことなのだが、これに対してオサムは全くの想定外の反応をされることになる。
佐久間が笑いながらオサムのところにやってきて肩を組みながら揶揄い始める。
「おお何?タカヤマ!お前看護婦さん好きなのかよ?」
「オサムちゃんがそういう冗談言うと思わないからビックリしたよ。」
竹田が戸惑いながらオサムに声をかける。
「お前も結局オトコってことだな?」
何故か勝ち誇ったように溝端が満足気に言う。
「オサム。寝言は寝てから言えよ!」
安川のこのセリフでみんな大笑いしている。
だがオサム1人は不安な顔で何が起きているか全く把握できていない。特に大人たちは少年たちのように笑うのではなく、むしろ深刻な顔つきであり、余計にオサムを不安にさせた。
小前にやってみせたように今度はオサムに対して、山本が彼の目の前に来てかがみ込む。真剣な表情で彼は言った。
「いいかい、高山くん。君を責めてるとかじゃないんだ。すまないが、みんなも笑うのをやめてあげてもらえるかい?」
山本の言葉で一旦静まり返る。
「よく聞くんだ。看護婦さんはここにはいないんだよ。そもそもこのエリシオンの施設内では女性は1人もいないんだ。」
「え?……そんな。確かにさっきのは夢だったけど、事故現場から助け出されてここに来て一番最初に目を覚ましたとき、カズキたちがいる部屋に連れて行ってくれた人です。本当に3人とも見てないの?」
松野は少し視線を落として、山本の隣にやってきた。
「オサム……。あのときお前は1人でベッドから歩いてきたんだ……。それは間違いない。」
オサムにとって足元が崩れゆくような感覚──さすがに寝ぼけて幻を見たとは思えない。あんなに現実味を帯びた幻覚なんてあるのだろうか?
藤原がオサムのもとに来て両膝を床につけてへたり込む。俯いたまま彼は涙声であった。
「すまない、高山くん。君には相当な負担を強いてしまった。本当にすまない。僕たちが君を追い込んでしまったんだ……。ごめんよ、高山くん。」
『大人が自分たちの責任でオサムが幻覚を見たと解釈』している様子に戸惑いを感じた。言い換えれば自分が見たのは幻覚以外の何物でもなかった、ということが改めてショックであった。だが、これを打ち消す解釈をしてくれた者がいた。香澄である。
「山本、藤原、そしてここにいるみんなに聞いてもらいたい。もちろん高山くん本人もだ。」
香澄博士が皆の前に立ち説明を始める。
「正直私も驚いたが、高山くんが見たものは幻ではない。『パープル・ダンサー』そう呼ばれる現象──現在の施設の基本構想を作り上げた『滝口博士』という人が残した資料に書かれていることだ。現実世界に投影したシステムの擬似人格だ。」
少年たちにとって分かりやすい説明とは言えず、却って混乱する。これに気づいた博士が言葉を替える。
「Fクラスの4人がコンピュータシステムに接続するという常識では測れないことをやってのけたのは、みんな見ていて知ってるね?つまり4人はニンゲンでありながら、システムの中に入ったわけだ。」
博士はその場の一人ひとりに確認するように彼らの顔を順番に見ていた。
「高山くんに対して起きたことはその逆だ。この施設のメインシステムが、私たちニンゲンのフリをしてこの現実世界に現れる、つまりニンゲンの世界にシステムが入って来た、そういう現象なんだ。」
少年たちには理解が追いつかない状況である。今の説明自体は理解ができた。この施設にいること自体冷静に考えて非常識なことではあるが、香澄の言う『システムが外に出て来た』と言うのは理屈は分かっても想像ができない事象である。
この時代はパソコンというものが普及しているわけでもないし、インターネットのようなものもない。馴染みが全くないことである。今の時代で言えば拡張現実(AR)と言えば理解してもらえるのであろう。
「つまり彼は病気や疲れから幻を見たわけではない。四門システムへの接続、先程の小前くんやチョーさんたちとの会話。それらが全て高山くんが『見た者がそこにいた』ということと同じ現象なんだ。」
(第三十四話 終わり)




