第三十五話 手紙と不整脈 〜ダビング〜
レベル5の中心部にある巨大な柱──ウォーデンクリフ・タワーの東側には2人の男が座している。
1人は大天使ミカエルの名で呼ばれる者……
1人は堕天使サマエルの名で呼ばれる者……
サマエルは上野の封筒から取り出した書類に目を通していた。
ミカエルは腕組みして直立不動の姿勢を続けていたが、やがてゆっくりと腰を下ろし、先程サマエルがしていたように目を閉ざした。彼らは言葉を話すときは普通の人間と変わりないが、身体を動かすときは慎重にゆっくりとした動きをする。また表情もほとんど変わらない。
暫く続く静寂……突然、サマエルが目を見開いて手を震わせる。同時に落雷のような音と光が彼を包む。ミカエルが異変に気づく刹那、彼自身も胸を抑えて苦しみ始めた。そしてほかの5柱の天使たちも呻き始める。7柱全ての天使の身体から青白い光……と言うより青い稲妻のようなものが中央の巨大な円柱に向かって放たれている。ミカエルは自分の右方向に離れて座していたサマエルに対して、若干かすれたような声で問いかけた。
「サマエル、どうした?その書類に何が書いてあった……?」
自身も胸を抑えて痛みを堪えているサマエルは、搾り出すようにミカエルだけでなくほかの5人にも聞こえるように叫び始めた。
「すまん!……自分でも、ぐわぅ……これほど動揺するとは……もう少しだけ耐えてくれ……ぐぅあ……」
サマエルはゆっくりと姿勢を元に戻し背筋を立てて、再び目を閉ざした。40秒ほど経過して……とてつもない負荷がかかり続ける彼らには1分足らずの時間でさえ……丸1日費やしたかのような阿鼻叫喚であった。ようやく稲妻は消え去った。全員が疲弊し切っている。
落ち着きを取り戻したサマエルが、念話を使ってその場の全員に語りかける。
「本当にすまない。不覚だった。」(東のサマエル)
「どうした?お前が『乱れる』なんて珍しいな?」(北のマハザエル)
「10年以上お前とミカエルが『乱す』ことはなかったからな。この『水の中にでもいるような押し潰される感覚』は随分久しい。」(西のアザエル)
「何があったのでしょうか?」(西のラファエル)
「先程訪ねてきていた『飼育員』だろう?」(南のウリエル)
「上野博士が来ていたのですか?所長?」(北のガブリエル)
「ああ。奴がサマエルに置き手紙をしていった。俺にも内容は分からんが……」(東のミカエル)
「ミカエル、少し前にやって来た遣いがいたな?迦陵頻伽が来たときよりも前に。」(北のマハザエル)
「ああ。黒崎が俺に遣いを寄越してきたのは、俺の能力の説教者を使わせろ、そういう用件だった。具体的にどうやるつもりだったのか知らんが断った。……お前さんにはどういう頼みごとをしてきたんだ?サマエル?」(東のミカエル)
「すまん。余りにもあり得ない馬鹿げたことが書いてあったのでな……」(東のサマエル)
「馬鹿げた……だと?」(北のマハザエル)
「ミカエル。いや全員に伝えておこう。この先我ら7人に何が起きようとお互い恨まないことだ。」(東のサマエル)
「今更これ以上俺たちの身にどんな不幸が訪れると言うんだ?廃棄でも決定したか?もしそうなら、むしろこの地獄から解放されるのだから喜ぶべきことだろう?」(南のウリエル)
「確かにな……ウリエル、貴様の言うとおりだ……だが『やまない雨など本当になかった』ということなのだろう……」(東のサマエル)
「……施設ごと破壊でも決まったのか?」(西のアザエル)
「分からない……ここに書かれたことが起きる、その瞬間まではな……」(東のサマエル)
「詮索はするな、と?」(北のマハザエル)
「さっきの俺で『あの状態』だ。誰一人知らぬ方が良いだろう?」(東のサマエル)
「……なるほど。それもそうか。」(北のマハザエル)
彼らは『生体発電機』として中央の巨大な柱に縛られている。だが物理的な鎖や紐の類がそこにあるわけではない。
我々生物には微かながらも神経の中を電気信号が流れていて、その電流が非常に微弱な磁場を発生させている。
またそれとは別に、磁鉄鉱という磁石の結晶を持つものたちがいる。伝書鳩や渡り鳥、鮭や蜜蜂などはこうした磁力を帯びた器官を有しており、地球の磁場を感知して方角を知るのだという。
もともとシリーズ化した被検体たちはFボーンを最大限に活かすため、筋繊維を構成する物質に、液体金属や形状記憶高分子の性質を持たせた『フェロマイオシン』というタンパク質を持っている。この7人は更にこのタンパク質に強力な磁性を持つように強化されている。彼らが動くことで電磁誘導(磁石を動かすことで電流を発生させる)が生じる仕組み……呼吸しても心臓が動いても、生きようとすることそのもの全てが施設へのエネルギー献上……『動く磁石』となっているのだ。
しかもこの柱の強力な磁場は、実はこの7人を僅かながらに浮かせている。ほんの3センチ足らずであるが宙に浮いているのだ。これは摩擦を一切無くし、全ての動きを無駄なく回転エネルギー、電力への変換という『効率性のみを追求』した暴虐……
上野博士が時間を気にして長居をしなかったこと──彼らと少し距離をとっていたこと──言葉数が少なかったこと──ミカエルたちのようにこの環境に適応した強靭な精神と肉体を有していないからである。この場に留まるならば絶縁体、磁力遮断の装備で臨んでいたはず……だが「交渉」と銘打った来訪は、通常の白衣姿であった。彼なりにこの場に生身で臨むという誠意を見せていたのだろう。
強力な磁力から電力を抽出するということは、磁気抵抗という物理的ブレーキがかかることになる。彼らは『7人で安定』している。1人でも身体を動かす、あるいは逃走しようとしただけで、これが無慈悲な重圧として7人を襲い、肉体も精神も破壊してしまう。
通常の呼吸等の軽微な動きであれば7人は苦痛を伴うことなく順応しているものの、先ほどのサマエルのようにひとたび大きく鼓動が早まったり、素早い動作をしようものなら、これに反してエネルギー吸収が大きくなり、互いの均衡を失い苦しむほどに搾取される。自身の生命存続も皮肉なことに止めることができず、延々と搾取から逃れられない。このため彼らは普段から大きな運動を行わず、呼吸を整え、一定のポーズからほとんど動かないのだ。
その中で東に位置するこの2人は特に強靭な精神を保っていて、ほとんど呼吸も脈も乱れることがなかった。特にミカエルと言う7人のリーダーである男は、他の被検体と圧倒的に異なる能力がある。『説教者』──彼は自己以外の被検体の精神状態にも介入できる特殊な力を発現していた。ただしそれはとてつもないエネルギーを消費する。この呪縛の中で行うことはただの地獄である。今行われている念話は、この巨大回路の電力の流れの一環のようなものであり、大した消費とならず7人にとって苦ではない。当初黒崎はミカエルの特殊能力が別の被験体で再現ができないと知り、自分たちの推し進める計画に彼への協力を仰ごうとしていたのだ。ミカエルの協力を断られた今、上野の『置き手紙』はその代替案が書かれているのだろうが……一体何をサマエルに伝えたのであろうか。
その頃ビンガはレベル5からメインシャフトの……このエリシオンを縦断する巨大エレベーターでレベル2へ向かっていた。到着後音を立てることなく軽やかに降り立つ。もちろん肩に抱えた2名共々透明な状態は維持しているため、視覚的には誰にも気づかれていない。レベル1の偽装施設から続く搬入口にそのまま位置するこの場所は、どう考えても『施設の外』まであと数歩にしか見えない。労せずして逃げ出せそうに思えるが、ここは被検体にとって通過するのも困難な……謂わば最大の難所となっている。ここのセキュリティガードは施設内と異なりZタイプと呼ばれる者たちは一切配置されていない。君主黒崎によってアレーシュマという被検体に変わり果てた──大野のような『ヒト』のみで構成された警備となっている。大野はすでにヒトではないが……ヒトと被検体の大きな差異……金属探知機の感度である。悪魔と呼ばれる7体はもちろんであるが、被検体の筋繊維がこの金属センサーで容易に探知できるようになっている。つまり視覚的に偽ることができても、ここからはビンガと言えども簡単に通過できないのだ。彼はこの『外』と直接接続している搬入口ではなく、建物を通じた屋内の階段やエレベーターであれば自由に出入りが可能である。だが『外』とみなされる屋外ではたちまち捕獲される。彼の能力を持ってすれば武力行使で容易に突破可能に思える。あくまで『自分ひとり』であれば可能性はあるかもしれない。しかし肩に抱えた彼らを連れてとなると、かなり厳しいであろう。そしてここが難所である理由──それは警告が作動した瞬間、Tマターやルミナス・ミストが大量に噴霧され、スタッフの携帯端末ログ・パル──通称ロザリオにも使用されているパラジウムを使われる。パラジウム・ジャミングをされた場合、ビンガほどの被検体、恐らく悪魔の7体でも無事では済まず動きを封じられることになるであろう。
ひと月余り前にビンガは急襲作戦参加のために外出が許可されているが、それは一過性のものである。そして──ビンガとて逃走に成功したところで、『外』では生命活動が著しく低下していくことになる。彼は『ダビング』を受けている希少な被検体であることから『外』でも暫くは活動できる。だが投薬が途切れて、長く見積もっても果たして半年持つかどうか……。例え生存できてもやがて骨軟化症が始まり、まともに動ける時間は著しく短縮され、歩行もできない状態になることも考えられる。
今朝オサムたちが香澄博士たちに聞かされた事実……被検体はエリシオン外では生きてはいけない……。Tマターは被検体を超人化する粒子であり、全ての制御に必須のものである。これはヒトにとっての『太陽の光』と同じものである。太陽光でヒトがビタミンを生成するように、彼らもまたTマターの供給があって初めて機能できる身体なのだ。これ故脱走を試みる被検体が通常は現れない。香澄たち大人が、少年たちに秘匿していたのは残酷な現実を突きつけずに脱出の目処が立ってからその解決をじっくり考えていく、という方針だったからだ。
しかし意外にもFクラスの4人の少年はこの事実を聞いて大きく狼狽することはなかった。香澄はかなり身構えていたのだが、この件に関しては実感がないのか、それとも察していたからなのか、大分冷静に受け止めていた。
──
「え?どうしてかって?……山本さんですよ。」
「山本?……どう言う意味だろうか?」
「山本さんはシリーズ化してないんですよね?なのに一時的とは言え能力が向上する。そのための筋トレが欠かせないとは言ってるけど、つまり普通の頑丈な健康な人間ってことですよね?ちょっとは自分たちに見せない痛みとかあるかもしれないけど、それでも多分普通の人として自分たちも振る舞えるんじゃないかと思ってるんです。『普通でいる』ための訓練は必要かもしれないけど……」
香澄たち3人は呆然としていた。そう言う視点で考えていなかったのだ。確かに彼らはここに来て40日程度しか経過していない。しかも成長期にある。投薬の打ち切りで禁断症状等は出るだろうが、徐々に元の身体に戻る可能性は充分高い。しかも外へ出て行った成果品たちは即時で亡くなることはなく、次第に精神が先に壊れていくと聞いている。先例はあくまで大人の被検体たちのことなのだ。この高山という少年の主張もあながちおかしくはない。
「あと先生、もうひとつ聞いておきたいんです。『迦陵頻伽』みたいな『二つ名』の意味です。多分これって外でもある程度活動できる人たちにつけられてるんじゃないですか?実際ビンガという人は能力が使えたから。」
「……高山くんの言うとおりだ。『ダビング』と言ってね。騎士に名を与える行為になぞらえた言い方だと聞いている。ただ……私はできれば君たちにはその名を与えたくない、そう考えていたんだ。生物兵器なんて言われる傭兵のように、君たちにはなってほしくなかったからね……」
「……そう、なんですね……。すみません、変な好奇心で訊いてしまって……」
「いや。むしろ私は君たちとこの話ができて良かった。本当に今はそう思っている。そして君たちが本当の意味で外でも生き続けていけることを願いたい。だからこそ、与えよう。君たち4人の……四門システムの申し子である君たちに相応しい名を……」
(第三十五話 終わり)




