第三十三話 最深層の世界 〜Newly Dead, Newly Born 〜
レベル5……地上の世界とは全くの無縁の世界。メインコンピュータのコアを有し、この施設のエネルギー供給源のある場所。エリシオン・ラボの最深層にして「墓場」であり「ゆりかご」である。今ここに2人の男の影があった。
ある男は約束を果たすべく現れて、またある男は約束を果たして去っていく。
前者は当該施設で現役最古の研究員である上野公明。
後者は当該施設で現役最古の被検体である迦陵頻伽。
上野博士はレベル2のメインラボからレベル5に連絡を入れた上で直接ここにやって来た。メインシャフトのエレベーターを通じてレベル5に降り立った彼は、迷うことなく中央の柱へ向かう。その柱は『ウォーデンクリフ・タワー』と呼ばれている。
ニコラ・テスラ本人とテスラ構想を崇拝した滝口博士への敬意を表し、いつしかそう呼ばれるようになったこの巨大な柱……まさにこれが施設内の被検体たちへの無線エネルギーの発信元なのだ。
そしてこの柱を取り巻くように7人の被検体が座している。東に2人、南に1人、西に2人、北に2人……彼らは『Vクラス』と呼ばれ同時に『悪魔』と呼ばれている。
犠牲者集団──Victims Classの彼らはエリシオン・ラボ内の神格化を施された被検体たちへの無線エネルギー供給源として、他の個体から切り離されている。特に力の強かった被検体であり、安定した成果品である彼ら7人は選ばれてしまった。その力をまた新たなる被検体を造り上げていくためだけに。
彼らから搾取されたエネルギーがウォーデンクリフ・タワーに集約され供給される。尽きることのない永遠の牢獄である。このヴィクティムズの頭文字でVクラスと呼称され、以来成果品にクラスを用いるようになったと言う。
『悪魔』の呼称はVictims と書き殴った文字を、誤ってNick(スラングで『盗む』や『刑務所』を意味する)とmansionの略の『ms』(マンションつまり『豪邸』を意味する)と研究員が読んだことに端を発する。そこから派生して、彼らが刑務所から連れてこられた被検体であったこともありOld Nick(スラングで『悪魔』)と呼ばれるようになった。
また彼ら以降にエリシオンにやって来た被検体を子どもたちになぞらえて、彼らにエネルギーを与えるという皮肉ではサンタクロース(Old St. Nickがサンタのモデルとなった『聖ニコラウス』の愛称)にも掛けている。
ここに座した7人の首領を務めるのがミカエルと呼ばれる個体である。上野に気づいたミカエルが立ち上がる。だが上野の交渉相手は彼ではなかった。
「珍しい客人が相次ぐものだな。お前さんがここに来るなんて。またいつぞやのように『古い細胞』でも物色しに来たのか?物好きな奴だ。」
「悪いがミカエル、挨拶をしている時間はないんだ。物色ではないが、確かにヴォルトにも用はある。この後すぐ向かうつもりだが……今日はそちらのサマエルに用がある。先ほども事前に連絡はしたが直接私が話したくてね……」
少し離れて座していたサマエルと呼ばれる男は立ち上がることも、上野に顔を向けることもなく目を閉じたまま淡々と応える。
「……今更我々に用など……さしずめ、あの黒崎とか言う男と共謀して、『悪魔』の新しい使い道でも見つけたのか?先日もミカエルに遣いの者が来ていたようだったが……」
「時間をかけて交渉するつもりはない。これを読んでみてくれ。私の用件はそれだけだ。」
そう言って上野は抱えていた、書類だけが入ってるにしては妙に膨らんだ大きな封筒をサマエルの目の前に差し出す。だが彼は一向に手を伸ばそうとはしない。10秒ほどしてから上野はしゃがみ込んで彼の目の前にそっと置いた。
ミカエルは彼らの様子を横目で確認しつつ、ずっと腕を組んだまま立っていた。
その後も上野は立ち尽くしたまま置いた書類に視線を落として、サマエルが動くのを待っているようだったが、30秒ほど経って懐から『ログ・パル』──米田少年が『ロザリオ』と呼んでいた時計型端末──を取り出して時間を確認した。
この瞬間だけはサマエルもそしてミカエルもビクッと反応をしていたが、上野が時間確認だけしていることを知ると2人の被検体はそれ以降動くような様子は全くなかった。
「私はもう暫くこのレベル5で仕事がある。用が済み次第もう一度ここに来るつもりだ。もし気が変わったのなら声をかけてくれ。失礼する。」
頭を下げて彼はウォーデンクリフ・タワーから離れて行った。
時間が暫く流れる。ミカエルとサマエルは上野が去ったときと全く同じ姿勢のままであった。そしてミカエルがサマエルの方を見ることもなく静かに問いかける。
「……見ないのか?」
両者とも微動だにしない。サマエルも同じく相手を見ることなく応える。
「……そのうちな。Zタイプにでも遣いで持たせてくれば良いものをわざわざここまで来たんだ。それにアイツの気配……何か上であったな。」
「ああ。それは俺も感じた。珍しく焦燥に駆られている、そんな感じがした。冷静に見えるよう振る舞ってはいたが……。」
ミカエルの言葉を聞きながら、サマエルは瞑想のような姿勢を少し崩す。目を開き右膝を立てて、おもむろに上野の置いていった封筒に手を伸ばした。
「まあどうせ、我々にとって時間は無限にあるのだからな……暇つぶしに奴の企てにのってやるのも一興か。」
無機質にそう言いながら、サマエルは封筒の中身を確認し始めた。
一方、同じレベル5で迦陵頻伽は、施設の外周にある湧水貯留ピットに続く階段にいた。その途中の扉から2人の被検体らしき者たちを抱えて出て来るところであった。
(しかしこの点検室の狭い場所に医療用ベッドまで持ち込んで……よくこの2人も生きながらえていたものだ。)
彼はその細い体躯にもかかわらず両肩に2人の大人を軽々と抱えている。これも能力の一環なのか。透明術を使い、抱えた2人共々姿を消した。ゆっくりと音を立てることなくレベル5施設内に戻る扉が開く。手を使わずに開けるこの術も彼の能力なのだろう。ゆっくりと周りを見回す。
やはりセキュリティカメラが動いていないようだ。
予備電源が作動しないのは何故だ?いやそもそも通路の照明も切れてるわけではないことから、セキュリティシステムだけのトラブルなのだろうか?所長が口にした避難訓練の一環であれば良いのだが……やはり朝の時点で米田を連れたままであっても、一度所長に会って話を聞いておくべきだったか……
不安のよぎるなか、ビンガが何かに気がついた。腰をかがめるように急に警戒を強める。しかしその姿は透明で誰の目にも見えてはいない。
(何故アイツが?またSタイプの細胞を調達に来たのか?)
中央の柱の方からこちらに向かってくる上野博士の気配に気づき、ビンガはその場で気配を絶ったままじっと動かない。このままやり過ごすのが得策だろう。黒崎ほどではないが、彼もまた勘の優れた洞察力のある男である。油断はできない。
だが彼はビンガのいる方向とは別の方向に向かい始めた。ほっと胸を撫で下ろす。
(ふぅ、行ったか?奴もまた鋭い男だからな……やはり『ヴォルト』に来たのか。奴が再びここを訪れて何をしているか気にはなるが……今はこの2人が優先だ。速やかにレベル2まで到達して、それから白鳥所長と合流しなくては。)
誰もいない通路を揺らめく風の如くビンガは肩に2人を抱えたまま静かに走り出す。姿を透明にしているそれは、微妙に歪な空気の塊のようにレベル5を移動していくのであった……。
レベル4の実験アリーナに辿り着いた少年たち一行は、広いアリーナの端に座り込み誰一人喋ろうとする者もなく、彼らの息遣いのみが聞こえる状態が続いていた。
小前は膝を抱えて俯いたまま、まだ悪夢を見ているような顔であった。その隣には眉ひとつ動かさない大田が彼と肩を組んだまま一緒に腰を下ろしている。少し離れて安川は足を投げ出して座ったまま天井をずっと見上げている。隣の添田は胡座で背中を丸め、後ろには眠ったままのオサムが横たわる。それを見守るように圓崎と松野が片膝を立てて座っていた。吉村は1人壁に寄りかかって立っており自分の拳を見つめている。米田とチョーさんはほかの者から若干離れて壁に背中を預け膝を抱えている。香澄、山本、藤原は全員の動向がわかるようにアリーナ中央側にいたものの、結局3人とも伏目がちで皆を見てはいなかった。その近くで佐久間は寝そべって足を組み天井を見続けている。香野も横になり眉間に皺を寄せている。竹田、柴崎は互いの背中を預けて座っていて、溝端は時折手のひらを見たり、あるいはぼうっと沈み込んでいる。
良く言えば彼らは銘々に寛いでいた。被検体にとっては傷ついた身体も無線で注がれるエネルギーによって徐々に再生していく。余程重篤な怪我でも負わぬ限りは……。
そしてこの静寂を破ったのはオサムであった。
「ああ、待って!」
そう叫んで高山オサムは目を覚ました。一斉に全員の視線が彼に注がれる。オサムは言葉どおり去り行く何かに手を伸ばすようにそのまま上体を起こしたのであった。夢でも見ていたのだろうか。
「おお、オサム。大丈夫か?」
最初に声をかけたのは圓崎であった。ずっと眉を寄せて硬い表情だった彼の顔が急に綻んだ。隣の松野も緊張から解放されたような表情だ。添田も後ろを振り向きオサムの無事に「良かった」と言って力が抜けたようにへたり込んだ。クニヨシもすぐに駆け寄り「心配させんなよ」と言いつつも笑顔になっていた。
佐久間も飛び起きてオサムのもとにやって来た。所謂『不良座り』などと呼ばれる、和式トイレでしゃがみ込むような格好で、
「タカヤマ!おめえ血吐いてたんだぞ。エンちゃんたちに心配かけたんだかんな……。意地になってもう無理とかすんなよ。」
そう言ってオサムの頭を掻きむしっていた。
「ごめん迷惑かけて……みんなありがとう。」
竹田も柴崎も香野もその場で「良かった」と言って溜息を漏らしている。溝端がオサムに近づいてきて「世話の焼ける奴だな」と皮肉を言っているようだが、彼もまたオサムが目を覚まして安心したのだろう。
米田とチョーさんは動かずに顔だけ彼らに向けて無言のままであった。
小前はまだ俯いたままだ。大田は彼の側にいたまま、表情は大きく変わらないものの「良かった。オサムちゃん目覚ましたみたいだ」と小前に言ってるのか独り言なのか、その呟く声には安堵の色が混じっている。
吉村も珍しく近づいてきて、
「もう痛くねえのかよ?肺が焼けるように痛かっただろうって、あのオッサン心配してたぞ。」
そう言って顎で山本の方をしゃくってみせる。
子どもたちのひと通りのセレブレーションを見てゆっくりと香澄たち3人の大人がオサムに近づいて来た。オサムを囲んでいた少年たちは彼らのためにさっとスペースを空ける。山本が小さく「ありがとう」と言いながらしゃがみ込んだ。
「吉村くんが今訊いてたけど、もう痛みはないかい?」
「はい。大丈夫です。ご心配をおかけしました。不思議と前より、なんて言うか周りがハッキリと見えてるっていうか、視力が良くなった感じです。」
「なんじゃそりゃ?」
すかさず安川がツッコミを入れている。
「あれ?そう言えばなんで山本さんたちがいるんですか?」
そう言ってキョロキョロと周りを見る。そして思い出したように再度圓崎に目を向ける。
「エンちゃん……無理してないよね?」
微妙に応じづらい場の空気が一瞬流れたが、圓崎は左手でオサムの頭を何度か撫でてこう言った。
「とりあえず、お前が無事で良かったよ。」
既に血も止まり傷口も塞がって回復しているはずの右拳をオサムから隠すように、圓崎は右手をそっと背中に回していた。
遠くで見ていた米田は複雑な顔をしていた。モヤモヤした気持ちをリセットするため、隣のチョーさんの方を向いてみたが彼の姿はなかった。
「あれ?チョーさん?」
不安にかられた米田が立ち上がる。チョーさんはいつの間にか圓崎たちに向かって歩き出していた。
オサムがいち早くこれに気づきスクッと立ち上がる。そしてチョーさんに向けて嬉しそうにこう叫んだ。
「リザードマン!」
これを聞いて圓崎、添田、香野は心の中で(ああ確かに。言われてみれば……って、え?!)
彼らがオサムに事情を説明しないとマズイだろうと逡巡する間に、彼は以前鹿島に向けて行ったような瞬間移動をしたのだろう。気づいたときには、リザードマンことチョーさんの前に立っていた。
オサムが頭を下げてお辞儀をしている。お辞儀が困難なリザードマンは右指でお辞儀のジェスチャーで応える。
その後何故か2人は黙ってお互いの目を見て動かなくなった。
「なんだ、なんだ?今度は何始めんだよ?」
松野が頭を抱えている。添田も「失敗したぁ。もっと早く気づくんだった。」と四つん這いの姿勢で項垂れている。ほかの者は何事も起こらぬようにただただ祈っているのみであった。
米田は不思議と冷静にこの光景を見つめていた。何故かは分からないが、高山という少年もチョーさんもお互いの身に危険を及ぼそうとは決してしていない。
敵視し合う様子もないし何も起こらなかった。いや『何も起こらない』ということが起きていた。2分近く2人は何を喋るわけでもなく、その状態が続く。
どう対処して良いか思案する周りに反して、予想外の動きをした者がいた。
「ん?オサム?え……マジかよ?オサムおめえいつ起きたんだよう?」
小前が突然声を出し、立ち上がってオサムとチョーさんのもとへ駆け寄っていく。
「え?マエコー?」
大田が、肩を振り解いて立ち去る小前を不思議そうに見送っている。
そしてオサムが振り向いて近づく小前を迎える。チョーさんが手を叩き、まるで拍手をしているようだ。
「オサム。おめえ、みんな心配したんだぞ。」
「ごめんねマエコー。」
「別にオレは心配してねぇけどよ。もう大丈夫なのかよ?」
「うん。大丈夫。心配かけたね。」
「だから心配してねぇし……それよっか本当かよ、さっきの?」
「そうだよ。リザードマン、じゃなかったチョーさんが教えてくれたから間違いないよ。」
何故か2人の間では噛み合っているような会話だが、周りからすれば狐につままれた感じである。小前の言う『さっき』とはいつを指しているのだろうか?
皆が彼らのもとに集う。米田もチョーさん絡みだからか、この集まりに向かって歩き出していた。
(第三十三話 終わり)




