第三十二話 暴走の恐怖 〜震える叫び〜
しんみりとしたその場を転換させようと考えたのか、山本が立ち上がり声を上げる。
「すまんが、改めて高山くんの様子を診させてもらっていいかい?」
そう言ってオサムの近くまで行ってしゃがみ込む。首筋の頚動脈に指をあてたり、手を翳して呼吸の様子をひと通り手慣れた様子で確認して、吐いた血が周りにないことを確認しているようだ。
「どんな色だったか覚えているかい?」
オサムを支えてくれていた柴崎に訊ねる。
「どんな?どんなって言われても……赤かった……とかですか。」
「そうだね。ごめん、ごめん。なんて言うか少し黒ずんだ感じの赤か、それとももっと綺麗な真っ赤な感じか、でいうと?」
「あ、それなら綺麗な赤の方です。」
「やっぱり喀血だね。いや今までもあったんだが……。黒ずんだ感じだと胃から出た『吐血』と言って少し出血場所が変わるんだよ。鮮血であれば肺からのもので間違いなさそうだね。肺が焼け付くように痛かったろうに……」
「口から吐けば全部『吐血』っていうんじゃないんすね?」
「ああ、いや。普通の人は区別しないからね。気にすることじゃないんだろうが、まあ別の症状でないことを……念のため、念のためさ。」
山本は動揺する気持ちを抑えつつ、「本当に無茶をする子だ」と彼の寝顔を震える指で触れていた。
香澄博士も簡単なバイタル確認を山本に任せつつも、遠目にオサムの様子を何か複雑な表情で見ていた。
「私が『その気になれば電子ロック解除できるようなハッキングも可能だ』なんて調子に乗って口にしたことを覚えていたんだろう。それで彼はこんな場所でレゾナンス・マインドを行ったんだ……」
伏目がちに自責の念に駆られる香澄に、藤原が「博士だけのせいじゃないですよ」と呟くように声をかけた。
「あのよ、ここでずっと沈んでてもしゃあねえんじゃねえ?俺ら早えとこ移動した方がいいんじゃねえの?休むなら休むで、もっと広えとこ行った方がいいんじゃねえ?」
拳や腕の痺れから漸く解放された吉村がじれったそうに言った。これを聞いて山本がいち早く我に帰り、さっと立ち上がった。
「吉村くんの言うとおりだ。倒れているあの2人……そう言えば米田くん。彼らは君の知っているEクラス、あるいはBクラスの被験者か分かるかい?正直我々も彼らの登録番号とかは分かっていても、彼らの顔をきちんと覚えているわけでないし、変化後のチョーさんのことも分からなかったからね。すまんが、一応確認してもらえないか?」
相変わらず倒れたままのトカゲのような2体は、先程まではピクピク痙攣していたが、いつのまにか痙攣も止まったようである。
「分かりました。」そう言って米田が立ち上がると同時に圓崎が指示を出す。
「オータ、クニヨシ、念のため一緒に見てやってくれ。茶髪くん、お前が強えのは俺も知ってっけど、念のためだ。万一やられたフリとかで突然襲って来ても困っから。気悪くしねえで一緒に見てやってくれ。」
「……あ、はい。分かりました。ありがとうございます。」
正直深く考えていなかった米田は「なるほど」と思い同時に「なんでだ」と思った。
何度か見かけて、強い奴だというのは否が応でも分かるが、こんな繊細な感じというか気遣いをして即座に周りを動かすというのはボスのような存在なのか。しかもボスと言っても一方的に下を支配してる感じに思えない。言われて立ち上がった2人は、1人は無表情で、1人は若干面倒そうな顔をしているが、恐怖で支配されてる連中の顔でもない。非常に珍しい統率がとれた集団に思える。お互いが信頼で繋がっているのか。暴力や恐怖を撒き散らす輩ばかり目にしてきたためか、米田の心の中で少しだけ羨ましいという感情が湧き上がってきた。
米田、大田、安川の3人は一応警戒しながら、倒れているトカゲのような男たちを確認する。米田はしゃがんで顔を覗き込む。大田も無表情のまま彼に合わせて一緒に顔を近づけて確認していた。
「ええ。間違いないです。2人ともBクラスの人たちです。B570-3松本とB590-2中西です。」
「そうか。ありがとう。では残るのは……」
「E910-5宮里がまだどこかにいるはずです。」
「どうします?博士。」
香澄は皆に聞こえるように大きめの声で呼びかけた。
「私たちも正直どこに避難するのが正解かは分からない。自衛隊が来る日時も詳細は分からない。君たちが目指していたレベル4のアリーナであれば数日分の非常食もある。医務室もある。レベル5から刺客がやって来るとは考えづらいので、確かに一旦アリーナを目指すのは理に叶っている。行こう、レベル4へ。」
「あの倒れている2人はどうします?」
山本が香澄に訊ねたときチョーさんが突然機敏に動き出し、山本の前で大きく手を広げて必死に何か叫んでいる。
「いぃいぬぁあ、ひぃいへぇえふぉおお。」
「な、なんだ?」
「え?あれ、みんなやべえ!アイツらなんか膨らんでんぞ!」
香野が叫んだ。皆一斉に『松本と中西と判明した被検体』の方を振り返る。香野が言うように彼らの身体が突然、ところどころが急激に膨張し始めている。
「博士!これってまさか……」
藤原が何やら思い当たる節があるのか、この変化を見て香澄に確かめる。その間にもどんどん膨張部分が増殖していく。
山本がすぐさま少年たちにとっての『開かずの扉』の前に来て、生体認証と解錠のためのコード入力を始めた。大人たち以外は何が起こっているか正直分かっていない。声を上げる余裕すらない。背後ではピキピキと何かが割れていくような音と、何かが溢れ出すかのようなドロドロしたような音が迫ってきている。
「ピー」扉が開いた。
「みんな、早く階段に急いで、早く!」
全員が言われるがまま行動する。圓崎と松野が、竹田と柴崎を先に行かせる。
「オサムは俺たちで運ぶ。お前らも急げ。」
圓崎たちが扉をくぐり終えて、山本が扉の中に向かって叫び出す。
「全員避難してるか?逃げ遅れてる人がいないかお互い確かめ合って。もうかなりマズイ状態だ。」
無惨に膨れゆく2人の元ニンゲンは、この数秒の間に見るみるうちに通路を塞ぐほどに急速に膨張していく。
「Aクラス、オータ!シバ!」圓崎が叫びながら呼んだ相手がいることを黙視する。
それに倣って溝端が叫ぶ。「サクマ!コウノ!タケダ!」呼んだ人間は皆揃っている。
吉村が叫ぶ。「Dはオレとマエコー!」
「Fは俺、オサム、エダくん!クニヨシ!」
このやり取りを聞いて山本が中に向かって叫ぶ。「米田くん!チョーさん!藤原!博士!」
確認し終えると同時に山本は急いで扉の内側に入り、扉を閉めた。
「何だったんですか?アレ?」
香野が大人たちに問いかける。咳き込む香澄に代わって藤原が答える。
「アレは『強くなり過ぎた代償』だよ。君たちと違い強引に強化された彼らは、脳の信号の制御が上手く行かなくなってしまったんだ。再生力を底上げするはずの遺伝子が暴走を始めて、それで細胞の異常増殖が始まったんだよ。けどあんなに勢いよく増殖するのは正直僕も初めて見たよ。」
皆言葉を失う。ニンゲンがあんなバケモノのように膨れ上がり、恐ろしい状態を引き起こすなど想像もできなかった。厚さ40ミリの鋼鉄製の扉の向こうから、扉を叩いているかのような鈍い音がまだ続いている。気のせいであろうか、ピキピキと増殖時の音まで一緒に響いてきているように思われる。
「なあ?俺たちもあんなふうになっちまうのかよ?なあ?なあ?」
小前は恐ろしさの余り若干パニックになっていた。目の前にいる山本の胸元を掴んで自分の末路を見せられたのかと恐怖して詰め寄る。
「なあ?答えろよアンタ、なあ?」
「やめろ!マエコー。」
圓崎が嗜めるが、小前は一向に止めようとしない。竹田も柴崎も、香野も溝端も正直小前と全く同じ恐怖に駆られていた。口に出さず黙ってはいたが、皆が一様に同じ気持ちであった。圓崎とて冷静に振る舞おうとしてはいるが、内心は動揺していた。これは佐久間や吉村も同様である。彼らは小前が激しく取り乱しているのを目の当たりにすることで、逆に平静さを維持しているに過ぎない。
「とりあえず下行こうぜ。」安川が気まずい中全員に呼びかける。
「さ、マエコー。俺と一緒に降りよう。」大田が声をかけて、小前と肩を組んでゆっくりと階段を降り始めた。松野も添田も終始何も言わなかったものの、あの姿になる可能性が高いのは自分たちFクラスだろうと思い始めていた。そして最も危険なのは、今眠っているオサムなのではと考えてしまうことに恐怖していた。
米田はこの中では最も冷静であった。確かに自分も初めて目の当たりにした光景ではあったが、ネズミ男こと吉田博士の残酷さを彼は知っていた。ほかの少年たち以上に、あの光景は未来の自分やチョーさんでもあるのだろう、そう達観していた。
レベル4の入口を藤原が開ける。
レベル1での会議は混乱の収束もままならないまま幕を下ろしていた。
壇上に座してお互い無言のまま動かずにいた所長と副所長のもとに、スタッフの1人が駆け寄って来る。2人の前でお辞儀をして、黒崎に向かって話し出した。
「副所長。吉田博士から、この後レベル2の202会議室で打ち合わせをさせて欲しいと伝言がありました。ご本人は実験動物の確認を早急にしなければならない、とおっしゃって会議途中で退室なさっています。」
吉田の言葉を伝えるその顔が、妙にひきつって怯えているようにも見える。
「そうか……。分かった。今日は午前中は急ぎの案件も特にないので、このまま向かおう。」
そう言って黒崎は立ち上がり、白鳥に「先に失礼いたします」と軽く会釈をして、そのまま壇上から降りようとした。
「黒崎くん。」
穏やかでありながらどこか力強い、そんな声が響いた。背中越しに声をかけられた黒崎が一瞬だけ足を止める。1秒足らずの間でありながら数十秒の時間が2人の間に流れているかのようであった。お互い何を思っていたのだろうか。
「……ほかに選択肢は、なかったのだろうか。」
白鳥はどこを見るでもなく、何か遠い場所を眺めながら問いかけた。
黒崎はゆっくりと目を閉じて少しだけ顎を引く。それから顔を上げ後ろを振り向くことなく、こう答えた。
「ええ。私は不器用ですから。」
「……そうか。」
「……ああ。訓練の件は所長にお任せいたします。」
「分かった……。」
お互いの目をあわせることもなく、黒崎は一人壇上から去って行った。
202会議室の前には黒崎の到着を待っていた吉田が立っていた。
「すみません。お呼びたていたしまして。あの場から動けぬ黒崎様に代わり、私と上野で先行して実験を開始しておりました。」
「上野もか?」
「ええ、私の方はまだサラマンダー・キャンセラーが定着し切ってはおりませんでしたが、Bクラスのシャムシエル、バラキエルの2名をレベル3に向かわせました。
ただイブリスはミーズで眠らせて隔離したままです。こちらにはEクラスのコカビエルを待機させております。ほかの2体よりもP53オーバーランの危険性は低い個体でしたので。」
吉田のめくれた上唇から、今日は一層黄ばんだ歯がよく見える。粘着質な笑顔がより不気味さを倍増させ、自然と黒崎も距離をとる。
「少年たちは捕獲できたのか?」
「いえ。一旦ヤツらを送り込むため監視室に『訓練準備の一環』ということでセキュリティシステムを切らせましたので、レベル3の様子はこちらからも把握できておりません。」
「システム復旧はいつになる?」
「上野によれば8時間後だとか。監視室には手動で落として予備電源による再起動を確認したので、更に強制終了させて8時間後に正常稼働できるかを確認する。それで訓練当日に備えておく。そう説明してあるそうです。」
満足気に黒崎が笑みを浮かべる。
「ふふ、そうか……。で、上野は今どこに?」
「悪魔との取引に行っております。」
エリシオンの中にあって、まるで場違いなニッポン古来の古い家屋。ご丁寧に庭まで用意されている。縁側には1人の老人が腰掛けて、その後ろの広い畳の部屋の中には2人の子どもが並んで膝を抱えて座っている。一体ここはどこなのであろうか。
「ねえ兄ちゃん。ようやくみんな来てくれるんだね?楽しみだよ。」
「そうか?俺は忙しくなるのは嫌だな。マモルはそんなに楽しみなのか?」
「だってここから出られるんでしょ?」
「バカだな、マモルは。出られないよ。」
「え?だってツクモのじいちゃんが言ってたよ。トラのお迎えがやって来るって。」
「ああ。ツクモの爺さんは『エデン』の話をしてるんだよ。」
「ええ?違うの?せっかく今日がやっと来たのに。」
「そのうち嫌でも明日や明後日に行くことになるさ。」
「う〜ん。兄ちゃんみたいには遠くへ行けないよ。」
「セメル。マモル。お茶を淹れてくれないか?」
「自分でやんなよ、爺さん。」
「いいよ。ボクがいれてくるよ。」
玄関らしき場所には表札まで出ている。そこには『ツクモ』と大きく縦に書かれていて、その下には「野」と「宮」が小さく書かれて、再び大きな文字で「島」とあり、その下に小さく「本」という4文字の漢字が書かれている。
ここはレベル4にある特別隔離エリア。共命鳥と呼ばれる被検体2人と八咫烏と呼ばれる1人の老人がいる場所である。
「はい。じいちゃんお茶。」
「ありがとう、マモル。」
「ツクモのじいちゃん、兄ちゃんが出られっこない、だってさ。せっかく今日を楽しみにしてたのに。」
「そうか。セメルがそう言っておったか。じゃあセメルが正しいのだろう。」
「えええ。そうなの?」
「すまんの。もう何も見えとらんからな。」
そう言って老人はお茶を啜る。
「そうか。いつのまにか今日が来たのか。」
そう独り言を呟く老人は、右手で湯呑みを持ちながら、左手では胸を抑え盲た目を細めていた。
(第三十二話 終わり)




