第三十一話 過剰 〜望まぬ身体〜
香澄博士たちは音がピタリと止んだことに違和感を覚えた。その不気味さが一層警戒心を掻き立てる。音に合わせたように自分たちも一旦足を止めた。
「目的を果たして、どこかへ行ったのかもしれない。ひょっとしたら鉢合わせになるかもしれない。油断せずに進もう。」
香澄が声を潜めて3人に言うと、彼らは黙って頷いた。
4人が再度歩き出した刹那、米田少年が後ろを振り返り戦闘体勢をとった。3人の大人には感知できていない気配を感じとったのであろうか。香澄たちも彼に合わせて改めて襲撃に備える。
先ほども通路に漂っていた異様な臭気が、徐々に強くなってきた。荒い呼吸のような音も聞こえる。
少しずつ響き始める奇妙な音……足音にしては違和感のあるもの……水浸しのモップで床を掃除しているような感じ……
「米田くん。勢いよく迫ってきてるわけではない。相手の出方を見極めてからだ。」
「みなさんの言っていた改造されたバカザトたちでしょうか?」
「恐らくは可能性が高い。」
山本は米田に話しかけながらも、自分も臨戦体制をとり、米田よりやや前に出た。
暗がりの通路からヒタヒタと近づいてくる大きな影は、やがて彼らでもはっきり視認できる距離にまで近づいてきた。ぬめりのあるその肌は妙に艶を帯びて光っているようにも見える。魚のような、いや爬虫類のような鱗が皮膚からは見えている。トカゲのようにも見えるがヒトである。立ち止まったまま動こうとしない。敵意がないのか。そいつはじっとこちらを見ていて、時折長い舌を出しては音を立てている。
「博士、例の融合体でしょうか?特に襲ってくる気配はありませんが。」
構えを崩すことなく山本は摺り足でほんの少し間合いを詰めた。暫く双方の沈黙が続く。
米田少年が構えていた腕を突然下ろした。
「すみません、少し待ってください。」
彼はそう言いながらゆっくりと融合体らしきものに近づいていく。これを見て慌てて山本が前に出ようとするが、香澄はこれを遮り無言で様子を見ようと山本に訴えた。
「チョーさん?チョーさんじゃないですか?俺です。カゲトラです。」
チョーさんと呼ばれた個体は相変わらず舌をシャアシャア出すだけである。
「ひょっとして喋れないんですか?」
米田が顔を覗き込む。目元はかろうじてよく知る顔に相違ないと確信する。
「やっぱりチョーさんだ。俺のこと分かりませんか?忘れちゃいましたか?」
暫く『チョーさん』は米田の顔をじっと見下ろしている。そして少し退がって右手の人差し指を伸ばして動かし始める。何度も同じように動かしている。その度に焦げ付くような異臭が漂う。これを見ていた藤原が後方から米田に向かって声をかける。
「多分文字を書いて何か伝えようとしてるんじゃないかな?『チョーさん』に壁に書いてもらうよう伝えてみてくれ。」
米田がこれに応じて話しかける前に藤原の言葉が分かったのか、壁に指をあてて何かを書き始めた。
「に……げ……ろ……。逃げろ?チョーさん逃げろって?」
「米田くんに危険がせまっていると?」
山本の言葉に右人差し指を立ててそれを前に折り曲げる。ヒトが首を縦に振る動作を指一本で代用しているようだ。つまり頷く代わりのジャスチャーなのだろう。
「え?俺に?そんなことよりチョーさんはもう治せないんですか?」
彼が振り返ってこう尋ねると、香澄が前に出て山本に代わり答える。
「分からない。可能性はあるかもしれない。これをやったのは吉田博士かね?」
『チョーさん』は指で頷く。
「逃げると言ってもどこへ逃げれば良いのでしょうか?」
山本が尋ねるが、少し間を置いて右手を左右に振ってみせた。恐らくは「分からない」もしくは「思いつかない」といった返答なのだろう。再び香澄が問いかける。
「今我々は13人の少年たちを探している。先程まで壁を破ろうと体当たりでもしているような音が響いていた。少年たちは彼らと出会っているかもしれない。彼らもあなたのように姿は変わっても敵対する意思はないのだろうか?」
この問いにはすぐに手を左右に振ってみせた。
「我々は少年たちを追う。米田くんも連れて行く。あなたはこれからどうする?」
香澄の質問に反応して『チョーさん』はまず自分を指差し、そして香澄たちの方を指差した。
「一緒に来てくれるんだね?」米田の言葉に即座に指で頷いてみせた。
「そうだ。この人はE729-8の張永烈さんです。あの中では唯一普通の人です。」
米田は香澄たちにチョーさんをそう紹介し、少し涙を浮かべているようだった。山本はそんな彼の小さな肩に軽く手を置き「急ぎましょう」と言いながら香澄や藤原よりも前に移動した。
その頃、刺客の2体をあっけなく倒した少年たちだが、扉破りに失敗したことが疲弊を加速させていた。次の手も思い浮かばぬまま、その場に座り込んでただ立ち塞がる扉をじっと眺めていた。
「オサムちゃんも起きる感じじゃねえなあ。」
柴崎がそう呟いたところ、何やら竹田が辺りをキョロキョロして、時折立ち上がっては後ろを振り向いたり、自分の尻を触ったりしている。柴崎が竹田に何をしているか尋ねようとしたところ、
「どうした?」
後ろで見ていた香野も気になったらしく彼が先に竹田に声をかけた。
「あ、おう、いや、さっきオサムちゃんが吐き出した血ってどこだっけ?見当たらねえんだよ。俺知らねえうちに上に座ってたかなあと思ったら、そうでもねえみてえだし……」
「それならそこ……アレ?おかしいな。あの2匹来たときって、そんな俺ら動いてねえ気すっけど……ねえなあ、確かに。」
言われて同じく周囲を見回す香野にもやはり見つけられない。
「そんなバカなことあっかよ?結構な量ぶちまけてたぞ。真っ赤っかだったろ?ちょっ、どいてみい。」
溝端が絶対あるはずと主張して周りを探すがやはり見つからない。
「アレ?どいうこと?ひょっとしてあのトカゲが舐めちまったとか?」
柴崎が笑顔で呟く。皆ピクピク痙攣して倒れているトカゲのような2体に目を向ける。
「そんな暇、さすがになかったろ?」
佐久間の真っ当な言い分に、松野がおもむろにその疑問に答え始める。
「多分、蒸発しちったんだと思う。」
「いやいや、あり得ないでしょう?そんな2〜3滴とかじゃねえんだから。」
溝端の反論も尤もである。しかし添田も補足するように松野に続いて話し始める。
「普通はね。でも本当に蒸発して消えたんだと思う。今回のは今まで見た中で一番量が多かったとは思うけど。」
大分傷も癒えた圓崎がこの話に加わる。
「どういうことか説明してくれ、エダくん。」
「さっきのアレで、オサムちゃんは俺らが収集する情報のゴミや毒みたいなものを肺の中の酸素で吸着して、吸い取ってるようなことをしてるらしいんだよね。先生によると。」
「どいうこと?さっぱり分かんねえけど?」小前の言うとおりと思いつつも圓崎が先を促す。
「吐き出した血がすぐに蒸発するのは、オサムちゃんの能力と連動して『毒を空気に還元している』からだって。情報の毒を『ノイズ』って表現したりもするみたいなんだけど、結局のところ俺らもよく理解できてないんだよね。『過剰な思考で脳が焼き切れないように高山くんが肩代わりしている』って先生は説明してたよ。」
「んんん、じゃあお前ら3人が掃除機のホースみてえな感じで吸い込んだものをオサム本体がその吸い込んだもんをフィルターでゴミや毒を分けてて……みてえな仕組み?」
「ああ。多分そんな感じ。エンちゃん凄いね。」
「いや、俺は別に凄くねえけど……んんん……」
「まあよく分かんねえけどよ。エンちゃん、もうタカヤマにはコレをやらせねえ方が良さそうだな?」
「ああ。サクマの言うように今後オサムが依怙地になってやるって言ってもやめさせるようにしよう。マツノたちもいいよな?」
「正直みんなで止めてくれっと助かる。ウチらだけだとなかなかな……」
松野も分かってはいるが、止めてやれない歯痒さは感じていたような、つらそうな顔である。
「アレ?足音しねえ?」
香野が言うと同時にほかの少年たちも気づいたようだ。
「高山くーん、松野くーん、みんなー、無事かあ?」
そう言いながら走ってきたのは山本であった。全員が無事揃っていることに安堵したようである。遅れて博士たちも合流する。しかし最後尾の2人が視界に入った途端に全員が驚きの声を上げた。大田や安川は速攻で臨戦体制を取り始め、圓崎と佐久間も構えをとり立ち上がる。
この様子を見た山本が、慌てて皆にこれまでの経緯と米田と『チョーさん』について説明した。
少年たちも自分たちの身に起きたことを説明する。
「それでこの2人を君たちが倒したのかい?それにしてもこの扉に……随分と君たちは逞しいね。」
皮肉ではなく、本当に感心したように山本が言う中、少年たちの代表として圓崎が率直に疑問を口にする。
「そちらの米田とチョーさんのことは分かりました。それで自衛隊は本当に突入してくるんでしょうか?」
「私の考えでは、あそこまでしておいて今更訓練は中止にはならないかと思う。だが、これを機に副所長の配下である上野博士と吉田博士も単独で動き出した。黒崎副所長はビンガくんによれば『淘汰』といって、君たちを一斉に戦わせて生き残った者を使って何かしようと考えているようだ。具体的には正直分からない。せっかく自衛隊が来てくれても、我々が生き残らなければ意味がない。」
「副所長は今どうしているんでしょうか?」
「それも分からない。ただ自衛隊の訓練は彼にとっても全くの想定外だったのは間違いないだろう。我々が会議を抜け出すときも舞台上で一旦落ち着きを取り戻して座ってはいたが……多分まだレベル1かあるいはレベル2にいるはずだ。チョーさんは何か分かるかい?」
彼も知らないのジェスチャーをする。
「ところで先生。チョーさんもあそこに倒れてる2人も何も喋らないのは何故なんですか?」
香野が珍しく前に出て質問をしている。
「正直、これも分からない。考えられるのは、この姿に無理やり融合させられて、ヒトのような声が出せない構造に喉が変化したのかもしれない。あともうひとつ考えられるのが……」
香澄はそれをどう説明しようか、かなり悩んでいるようだ。
藤原が真剣な眼差しで前に出て来て、博士を振り返る。
「博士。もし説明しづらいとおっしゃるなら私が説明します。」
「すまない。どう砕いて説明したものか、いざ説明しようとしても上手く伝える言葉が見つからない。」
「分かりました。ではここからは僕が説明をさせてもらうよ。今朝高山くんたちに説明したことはもうみんな知っているという認識で良いのかな?チョーさんの変化を説明するのには少し長くなる。それでも大丈夫かい?」
全員が黙って頷く。少年たちが床に座り、博士たちもその場で腰を下ろした。
「まず改めて君たちの身体に起きている変化を説明しよう。」
こう言って藤原が説明を始めるのだが、博士が躊躇したのは次のような説明が必要と考えたからである。これを少年たちに上手く伝える自信がなく、言葉を呑み込んだのだ。
第一に『フレキシブル・ハニカム』
非常識なまでの高速移動を行えば、その加速度によって脳がダメージを負う脳震とうを引き起こすことになる。そこでTマターを使って頭蓋骨を『硬い殻』ではなく、『衝撃吸収ハニカム構造』に変化させている。衝撃を受けた瞬間、Tマターが無線エネルギーを利用して、骨の継ぎ目に電磁的な反発力を発生させる。脳に伝わる衝撃を相殺するのである。
第二に『リバースT・クライオジェン』
無線伝達での脳の高速処理では、とてつもない熱が発生することになる。そこで脳を包む脳脊髄液にTマターを分散させ、超伝導冷媒として使用する。これで発生熱を即時で後頭部や脊髄から放射する。優れた個体は無線伝達の逆で、無線により熱放射を行う。
第三に『ゲート再生術』
昭和54年(1979年)にP53遺伝子というものが発見されている。これは謎のタンパク質、ガン遺伝子と考えられていたもので、この昭和62年(1987年)でもその解釈のままであった。しかしこの遺伝子について、吉田博士はこれが『ガン細胞の増殖を抑止する』遺伝子であることを既に発見していた。世間ではこの2年後、平成元年(1989年)になるまで最初の発見から10年間を費やして再定義されるものである。P53はDNAが細胞の異状を見つけたときに増殖を止めて修理、あるいはアポトーシス(細胞を自死させて除去)させるという役割を担っている。吉田はこの増殖を止めるというブレーキを完全制御することに成功している。正しい制御ができないと誤って異状のある細胞を増殖しかねない。誤ったコピーが繰り返されてブレーキがかからないのが所謂ガンである。このリスクを完全回避して、異状が認められた細胞のみをLIF6(ゾンビ細胞)により確実に排除し、正しい細胞の増殖を行うという超高速の再生を可能にしている。
第四に『リアルタイム・ニューロン再構築』
超高速の信号が流れ続けると、脳のシナプスが焼き切れるか、情報のゴミ(ノイズ)でパンクする。思考中に発生した不要なタンパク質やノイズを、『ゲート再生術』により即座に分解・再生し最適状態を保ち続ける。
これを踏まえて藤原の説明は……
「君たちは通常の神経を通した信号ではなく、無線での信号で各部位を動かしている。これが物凄いスピードだから君たちは超人になっているんだ。
だけど同時にそれは脳に物凄いダメージを与えることになる。テレビとかの家電もずっと電源いれっぱなしだと熱を帯びたりするだろ?脳も使い過ぎると熱くなるので、Tマターと呼ばれる……滝口博士という人によって発見された謎の粒子……これを使って頭を冷やしてもいるんだ。
そして大きな衝撃から頭を守る。これは頭をぶつけるのもそうだけど、超人的なスピードで動いても衝撃は脳にかかってくるんだ。これを『フレキシブル・ハニカム』という構造で守っているんだよ。
こうしたことがきちんと作動しないとどうなるか?
高熱を持ちすぎた脳が壊れて、記憶がおかしくなったり、感情がなくなったりする。
脳の中で出血して植物状態になってしまう。脳が『ゆで卵みたいに』固まって、そのまま亡くなるってことだってあり得る。
いいかい?チョーさんは喉や口の構造が変わってしまって上手く喋れないのかもしれない。
でも無理やりな改造をされてしまい、今まで以上に力が強くなり、これに伴った脳の処理が追いつかないで、『言葉を喋る』ことが上手くできないのかもしれない。
僕は大分端折った説明だけど、細かく説明しようとすると、どうしても専門的な言葉を外せなくなって、とても難しくなるんだ。この施設では、本来ならParadigm Shift、つまり世紀の大発見というべき凄い成果もたくさんあるんだ。この施設の性質上それは決して誰にも知られることがない成果だけどね……。
米田くん。君はチョーさんとは親しくしていたようだから、香澄先生はこういう残酷なことを説明するのを少し戸惑ったんだ。
チョーさんもみんなが倒したあの2人も、そんなに動きは早くなかっただろ?きっと脳への負担が大きくなってしまったからなんだと思う。でもチョーさんは指を動かすのは僕らと同じくらい早く動かせてる。しかも僕らの話もきちんと理解してくれている。きっとあっちの2人よりチョーさんはずっと『強い人』ってことなんだろうね。」
藤原の話を聞いて米田は泣いていた。12人の少年たちの中にも涙を流している者がいた。
そしてチョー自身も目に涙を浮かべているように見える。
気を失っているはずのオサムの目からも涙の筋が流れていた。
(第三十一話 終わり)




